夕闇も当に去り、辺りはすっかりと闇の帳で包まれていた。

 先ほどの酒楼で邵可や秀麗たちと別れてきたは、脇目もふらずにひたすらある一点を目指して歩みを進めていた。
 彼が目指しているのは、彩七区の一角。黄東区のとある屋敷だ。黄と最初につく事からも解るように、そこは彩七家の一つである黄家に縁ある人の屋敷である。

 勝手知ったる友の家とでも言おうか。は目当ての家まで来ると、すっかり顔馴染みになった門番に挨拶する。そのきさくな態度を門番はよく思っていたか、彼がまるで自分の屋敷に帰ってきたような振る舞いをしても、それほど苦々しく正すこともない。それゆえには堂々とした態度で、するりと家門をくぐり抜けていく。
 屋敷内に入ってもそれは変わらず。かの家に仕える家人たちはに対して、あたかも家の主に接するように、すれ違うたびに一礼をして通り過ぎていく。なぜなら家人たちは彼が主の長年の友人であることをよく知っていたからだ。

 彼は、家人たちがほとんど近づこうとしない離れ辺りまで来ると、ふと周りを見渡した。大丈夫、誰もいない。それをしっかりと確認した上で、は深く息を吐いた。

「鳳珠、黎深、そこにいるんだろう。勝手に入るぞ」
 そしては躊躇い一つなく、離れにある広い一室へと堂々と足を踏み入れる。
すると、中にいた二人の男性の視線が、一気に彼の方へと突き刺さった。

「全くお前といい、黎深といい、うちを何だと思ってるんだ」
 この家の主である佳人は呆れたような口調でそう吐き捨てると、遠慮なく部屋へ足を踏み入れたへと鋭い視線を向けた。

 だが、はまるで応えた様子もない。
 もとより。一癖も二癖もある連中が異母兄弟の間にゴロゴロしているにとって、この程度の嫌味の応酬は日常茶飯事であるのだ。当然と言えば当然の成り行きだろう。
 そうかと思えばは、家の主とその友人との間にあたる場所へとちゃっかり腰を降ろす。そして極上の麗しさを誇る美貌の友人へと真っ直ぐに向き合うと、ニッコリと笑顔を浮かべて一言きっぱりと断言する。

「私たち仲良し三人組の溜まり場」

「即刻帰れ、馬鹿が」
 その一瞥で老若男女問わず、あらゆる人間を魅了出来るほどの美を誇る友人――黄鳳珠は、の身も蓋もない言葉に間髪入れず即答した。だがその言葉とは裏腹に、相手へと向ける視線には刺々しい風情は全く見られない。

 なぜなら彼が刺々しい視線を向けている先は、の方ではなく。もう一人の客人の方であったのだから。


「つれないね、鳳珠。
私もも、君と同じ年に国試を受けて及第した頃からの仲じゃないか」
 だが、言うところのもう一人の客人であるその人――紅黎深は、鳳珠の刺々しい視線をもまるで物ともしない。それどころか、より一層鳳珠の怒りを煽るような言葉をわざわざ選んで平気で口にしてみせるくらいだ。
 天上天下唯我独尊、周りなどまるで気にかけず常に我が道を行く黎深らしいと言えば、実にらしいのだが……。
 今回の場合、むしろわかっていてやっているのだから、なおのこと質が悪い。

 そして無論の事、彼と付き合いの長い鳳珠がそのことをわからぬはずもない。

「黙れ、黎深。私はお前に話してはいない。に話しているんだ」
 案の定、鳳珠はいい顔をしなかった。彼は明らかに怒気混じりの声音でもって吐き捨てると、余裕綽々の笑みを浮かべて自分の方を伺っている黎深を睨みつける。

「まあまあまあ、そう怒らないでよ鳳珠。
その代わりといっては何だけど、なかなか面白い情報を掴んできたんだからさ」
 一方のも彼らと付き合いが長いがゆえに、すっかりと今のような状況の対処法を身につけていた。
 彼は鳳珠を宥めつつ、空になっていた鳳珠の盃に酒瓶の中身を開ける。そしてさらに、敢えて話題を無理矢理転換させたのである。蛇足ながら付け加えておくと、無論ここで振った話題は必ず鳳珠が食いつかずにはおれない話題だ。

 生真面目で純粋に国の末を想って官吏になった鳳珠は、政治関係の話を振ってやればまず間違いなく話に乗ってくる。逆にこれが黎深ならば彼の最愛の兄・邵可か、姪である秀麗姫の話を持ち出せば、万事OKだ。

 からかわれ体質の鳳珠と人をからかうのが趣味のような黎深。
この二人の口喧嘩を止めようと思うのならば、自分がその間に割り込んでいくだけでなく、さりげなく話題を完全に別方向へと逸らしてやるのが一番の薬なのである。


「面白い情報だと? 」
 そして鳳珠は、あっさりとの手口に乗ってきた。
勿論、この機会を逃すではないが、何より彼はそもそもこれから話す話を鳳珠たちの耳に入れておこうと思ってここへ来たのだ。

「今、城下で“青巾党”とかいうごろつきどもが面白い動きをしているよ。
なんとあろうことか“会試受験者の木簡”を奪い取って金にするんだとか」

「………木簡を奪い取って金に?」
「それは本当の話か、
 珍しくもほぼ同時期に答えが返ってくる。鳳珠はともかく、まさか黎深から答えが返ってくるとは思いもよらなかったは、一瞬目を瞠る。

 が、それも一瞬の事。すぐに持ち直して、彼らの問いに答える。

「実際に下街で聞いてきた情報だから、ほぼ間違いはない。
それに今回の最年少会試受験者である杜影月も、どうやら金子と一緒に木簡を盗まれたらしい。明日、杜影月と彼と偶然知り合った黎深の姪っ子とで下街に探しに行くそうだ。あー、ちなみに黎深。私は明朝、突然の病で倒れる予定だから。仕事には出ない」

「な、なんだとっっ?! その木簡を奪ったは青巾党の連中だというのに、秀麗はその木簡探しに手を貸すというのかっっっ!!!! 」
 そして。機敏にも“黎深の姪っ子”の部分に反応した黎深は、途端に兄家族馬鹿モードへと突入する。だが、実に珍しくもない普通の光景であったがゆえに、も鳳珠もさほど気にはらう様子もない。

「そうだ。ちなみに私も明日は秀麗姫に同行する。安心しろ、滅多な事にはならん」
 どうせ聞きやしないだろうとわかりきっていながらも、一応黎深に伝えてみるだが。

「言うだけ無駄だ。もうすでにお前の言葉も耳に届いておらんわ」
 彼の言葉に返答してきたのは、黎深ではなく鳳珠だった。
そして当の本人は、すっかりとあっちの世界へと旅立ってしまっている様子である。

「そのようだ。相変わらずの兄馬鹿姪馬鹿っぷりだな、黎深」
 心底呆れたような表情でもって吐き捨てるだが、そんな彼の様子を見て鳳珠は内心呆れずにはおれなかった。

(お前も弟の事となれば、あいつと似たりよったりのくせしてよく言うものだ…)

 の弟馬鹿ぶりは、実のことを言えば黎深の兄家族馬鹿モードのそれに匹敵する。
そのことを身にしみて知っていた鳳珠だが、敢えて口にする事は避けた。ここで話題を切り替えてしまえば、青巾党のことにまで話を戻すのにえらい時間がかかるからだ。

「ところで、お前も明日その木簡探しに同行するという事は、明日一日堂々と仕事をさぼるということか」

「さぼるだなんて人聞きの悪い事を言わないで欲しいな、鳳珠。木簡を盗まれたなんて、官吏としても一大事じゃないか。だから私も一官吏として、事の事態を収拾するべく、動こうというんだ」

「そんなことは王にでも任せておけばいいことだ。なぜ首を突っ込もうとする」

 鳳珠の的確な言葉に、はわずかに口の端を歪めて笑みを浮かべた。
それとほぼ同時期、彼を取り巻く雰囲気がその一瞬で、まるで異なるものへと入れ替わる。

 普通の人間ならばまず気づかない、あまりにささいな変化。

 だが、鳳珠はその変化の様をハッキリと肌で感じ取っていた。
という男と、もう一人―――本来彼が呼ばれるべき真名を継承した主と。両方の存在を知っている人間でなければ、まず感じ取る事の出来ない変化の兆し。

「王に用事がある。としてではなく、藍として」
 毅然とした態度で言い放つその人は、なりそのものは男の姿であったが、すでに身に纏う雰囲気は艶やかな色気を備えた女性のそれに変わっていた。

「……藍家当主に何も言わずに貴陽に出てきたのも、そのためか」
 は数年前に城下町で乱闘騒ぎを起こし、それを聞きつけた藍家当主に無理矢理身柄を拘束されて以来、ずっと藍州に滞在することを余儀なくされていた。それは現在も進行形で続いているはずの事実なのだが、当の彼女は貴陽へひょっこりと現れた。
 半ば幽霊官吏になりつつあったが突然現れたことに、ずっと疑問を抱いていた鳳珠だったが、今の会話でようやくその理由を知る事が出来たわけだ。


 真顔で訊ねてくる鳳珠に、――藍は真剣な表情を崩し、微笑を浮かべる。

「ごめんなさいね、鳳珠。こればっかりはちょっと言うのもアレかなと思って…」
 女性に対して必要以上の関心を払わない質である鳳珠や黎深、勉学一筋であった鄭悠舜すら捕らわれずにおれなかった才色兼備の藍姫は、誰の目から見ても美人と呼ぶに差し支えのない容貌の持ち主である。

 そんな彼女の微笑みは当然の事ながら、麗しい。
 確かに麗しいのだが………。

 いかに美姫と言えども、彼女は現在男装中で。
 しかもその様子は、彼女の異母弟・藍楸瑛と瓜二つなのである。

 はたから見れば、藍楸瑛が女性のような笑みを浮かべているようにしか見えない。
 と楸瑛、どちらも見知っている者からしてみれば、気色悪い事この上ないだろう。

「……頼むから男装したままで口調を元に戻すな。気色悪い」
 ゆえに。鳳珠が思わず苦言を呈してしまったのも無理はない。

「うわ、すっごい侮辱。
でもそれって、一度は私に向かって求婚した男の言う台詞じゃないと思うけどね? 」
 口端を吊り上げて笑うに、鳳珠はもはや返す言葉もない。図星だからだ。

 しかしそれは、何も鳳珠だけに当てはまる事ではない。あっちで別の世界へ逝っている黎深や今は遠い茶州の地にいる鄭悠舜も、過去にに求婚し断られている。
 それにも関わらず、と彼らは現在も親しい友人関係のままにある。国試及第した年から今までに築き上げてきた友情(?)は、そのようなささいなことで壊れるほどヤワではない。……と、は思っているらしいが、男性陣が心中どんな思いでその事実を受け取っているかは、正直定かではない。


「…………で、一体王に何の用があってきた? 」

「“これからそう遠くないうちに、藍家長姫との縁談話がいくだろうけどきっぱりと断れ”と脅迫しに行こうかと思って」

「縁談? お前があの馬鹿王に嫁ぐのか?! 」
 今でこそそれなりにまともになってきた王ではあるが、未だ後宮に妃の一人もいないのが問題視されていた。藍家辺りがそのうち姫を送り出すだろうとは思っていたが、よりにもよってそれが目の前にいるであるとは…。

 普段滅多に顔色を変えない友人が驚愕の表情を浮かべるを目の当たりにして、は苦笑いを浮かべた。そして彼女は鳳珠の方へと軽く身を寄せると、彼の額を指でパチンと弾いてやる。

「人の話は最後まで聞きなさいな。
あくまでそういう話が本家で持ち上がってるってだけよ。
で、私は冗談じゃないと思ったわけ。謹慎中だったにも関わらず、こうして貴陽に来てるのもそのためでしょうが」
 とどのつまり、は“王との縁談話を破棄する為”貴陽へとやって来たというわけだ。

「それで藍邸には寄らず、黎深の屋敷に泊まってるのか」
 腐れ縁の同僚――紅黎深がいつものように勝手に家へ上がり込んで来るなり、開口一番に言い放った台詞、『が藍州から貴陽にやって来てな、私の屋敷に泊まっているんだ。どうだ、羨ましいだろう。心配しなくても祝言の時はちゃんと呼んでやるから、安心していいぞ』などという寝言を聞いたその時には、また奴にしてやられたかと内心腸が煮えくりかえる思いだった鳳珠だが、事情を聞いて納得した。

 要は自邸に帰れない事情があった為、やむなく黎深の屋敷へ避難したというわけだ。

「そういうこと。楸瑛を丸め込むって手もあるんだけど、そんな面倒な事をしなくたって一日、二日くらいタダで止めてくれる友人に心当たりがあったから」

「………それはわかったが、なぜ私の屋敷でなく黎深の屋敷を選んだ」

「決まってるじゃない。絳攸の顔を見に行く為よ」
 は迷う様子一つなく、きっぱりと言ってのけた。
李絳攸は黎深の養い子であり、は黎深の友人という立場にある。ゆえに彼女と絳攸との間に面識があってもなんらおかしくはない。

 おかしくはない、のだが………。

 の性癖を知っている鳳珠は、それはもう盛大に顔をしかめずにはいられなかった。
彼女はどういうわけか、兄弟内でも兄たちよりも弟たちをより可愛がり、末弟・藍龍蓮に至っては目に入れても痛くないほどの溺愛っぷりを見せている。
さらにもう一つ付け加えるなら、彼女のお気に入りの一人である李絳攸もより年下である。

 …とどのつまり、彼女は自分より年下の者を甘やかして可愛がる癖があるのだ。

「…………お前はつくづく年下の男が好きだな」

「何よ、その言い方は。まるで私がいたいけな少年を拐かしてる悪女みたいじゃないの。
私はただ純粋に年下の子たちを可愛がってるだけよ」

 “可愛がる”と本人は言うが、当の可愛がられている面々が聞けば何と答える事やら。
鳳珠が知る限り、彼女が唯一まともに可愛がっているのは、溺愛している藍家の末弟くらいなものだろうと思う。

「お前の“可愛がる”は黎深同様、世間一般とは別の意味で使われるようだがな」

「人聞きの悪い事を言わないでよねぇ……。
ま、とにかくそういうことだから。明日は仕事は丸一日お休みします」
 きっぱりと言い放つの態度には、まるでとりつく島もない。
もとより意志の強い彼女は、一度心に決めたことは何が何でもやり通す節があるので、ここで鳳珠がいくら諫めたところで無意味である。

「上司が上司なら、部下も部下だな」

「私は黎深みたいにいつもいつもさぼってばかりいません。
それに今回だって、やむを得ない事情があってのことじゃない。
何より、そもそも私は黎深の部下じゃないわよ。本来はね」
 本来彼女が所属するのは、礼部。数年間貴陽を離れていながらも、礼部省の副官という立場にあるのは、ひとえに彼女自身の能力の高さゆえである。その気になれば尚書になることもできるだろうに、なぜか彼女は礼部で侍郎職に甘んじている。
 にも関わらず、現在は黎深の下で侍郎補佐のような仕事をしているらしい。

「……わかった、許可する。これ以上用事がないなら、
そこでうずくまってる馬鹿を連れて、さっさと屋敷へ帰れ。
お前はともかく、引きこもり男と一緒に夜を明かすのは真っ平御免だ」
 すでに遠い世界へ逝って戻ってこない黎深を、鳳珠は顎でしゃくって指し示す。

「私もあんな引きこもり男と軒に乗るのはイヤだけどね。
世話になっている身で文句を言えた義理でもなし、連れて帰るわ」
 連れて帰らないと絳攸も心配するだろうしね、と付け加えるのももちろん忘れない。
その言葉に鳳珠が顔をしかめるのを目にして、は悪戯っぽく笑う。

「そう恐い顔しないの。折角の美顔が台無しじゃない。
今度来るときは、美味しい地酒を持って一来るから、ね? 」

「その時は、そこの馬鹿は連れてこないで欲しいものだな」

「それってつまり、私と二人きりで晩酌したいってこと? いいわよ、別に。
それじゃ、明日の夜にでも青巾党の始末状況と地酒片手に遊びに来るわね。今度は、ちゃんと普通に女の姿のままで来てあげる。その方がいいでしょう? 」
 茶目っ気たっぷりにそう言ってカラカラと笑うを、鳳珠はなんとも複雑な色を浮かべて眺めていたが。ふと、彼女の頭に乗る冠がわずかにずれていることに気づき、彼は腕を伸ばしてずれた冠を元に直してやった。

「話し方を変えなければ、どちらの格好で来ても構わん。
男の姿であろうと、女の姿であろうと、本質的なお前自身が変わるわけではないからな」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの、鳳珠。
御礼に持ってくる地酒は、思いっきり奮発させてもらうわね」

「別にそこまで気を回してもらう必要もないがな。
黎深がオマケについてこないなら、それだけで充分に満足だ」

「きっついなぁ…。仮にも友人に対してそこまで言う? 」
 その場に立ち上がりながら、は苦笑いを浮かべる。

「腐れ縁の間柄だからこそ、ここまで言うんだ」

「なるほど、納得」

 即日回答とばかりに寄越されたその答えは、むちゃくちゃながらもひどく筋の通ったものであったからーー少なくとも彼女的感覚ではそう感じられるーー、はあっさりと納得する。

 そうして彼女は未だ未知の世界を旅するもう一人の友人の元へと近づいていくと、彼に絶対的効果のある言葉を紡ぎ出すべく、口を開いたのであった。



******************


 なんとか黎深をこちらの世界へ引き戻す事に成功したは、黎深が乗ってきた軒にさりげなく便乗して乗せてもらっていた。ちなみに服装は未だ男装姿のままだが、軒の主の要望で冠だけは外している。まるっきり男装姿だと、藍楸瑛と見目が瓜二つなので気味が悪いと指摘されたがゆえに。

「………黎深」

「なんだ」

「まだ怒ってるわけ? 私が邵可様と秀麗姫と一緒に晩ご飯を食べてきた事」

「別に怒ってなどいないぞ。お前が兄上と秀麗と一緒に楽しく夕食を食べてきた事など、これっぽちも怒ってなどいない。ああ、どれほど少しも怒っていないとも」
 全開に開いた愛用の扇で口元を隠しているのはいつもと同じだが、黎深の視線はのいる方とはまるで別の方角へと向けられている。視線を合わせようとしないのは、彼が拗ねている何よりの証拠である。

「………そうね、怒ってるんじゃなくて拗ねてるのよね」

「私を前にしてそんな事が言えるのは、お前くらいのものだぞ」

「そうでもないでしょ。鳳珠や悠舜辺りなら言うだろうし、うちの三馬鹿兄貴辺りでも喜んで突いてくると思うけど。さすがに絳攸は何も言えないでしょうけどね……」
 さらさらと淀みなく吐き捨てるの言葉には、偽りも何もない。あるのはただ、彼女が真実と思うこと。すなわち彼女の真実・本音のみだ。

「………

「何よ、黎深」

「私の機嫌を損ねてくれたんだ、当然なんらかの代償があってのことだろうな」

「はあ? 」
 何を馬鹿な事を言ってるんだこの男は、と心の中できっぱりと呟く

「代償って何をワケのわからない事を……………って、黎深!! 」
 呆れた口調で呟くの言葉が、一瞬途切れる。
唐突に腰を引き寄せられ、そのまま抱きしめられて。まるで予想していなかった相手の行動に頭の中が真っ白になったのも束の間、すぐにそれは怒声に取って代わる。

「兄上や秀麗の代わりとまではいかないが、ないよりはマシだからな。
傷心の私を慰める為だと思って、しばらくおとなしくしていろ」
 の長い髪に顔を埋めながら、黎深が呟く。行動と言動がまるで不一致ではあったものの、実に彼らしいと言えば彼らしい言葉である。

 そのことにいささか安堵を覚えつつ、は身体に入っていた余分な力を抜き。されるがままに相手の抱擁に身を委ねた。

「………明日はちゃんと秀麗姫は守ってあげるから、安心しなさいよね。
多分、楸瑛たちも動き出すと思うし、あっちには静蘭……清苑公子もいることだし。
まず滅多な事にはならないわよ」

「……それだけの面子がいれば、お前も守られる側へ回ったらどうだ。
わざわざその手を汚してやる必要もあるまい」

「馬鹿だね、黎深。誰も皆殺しに行くワケじゃないんだから。
せいぜいごろつきを殴るか蹴るか、鉄尺でビシビシとひっぱたくかのどちらかだし。
手が汚れる云々の心配は、一切無用よ」

 もとよりは、暗殺者から身を守り、返り討ちにするためだけに武術を学んだ身だ。
人為的に殺した気配を察知し、殺気もなく飛んできた凶器を避けることもできる女が、たかがその辺でたむろすごろつき程度にひけを取るはずもない。
何より彼女の一喝は、下手な凶器よりもよほど精神的殺傷力に優れているのだから。

「………そうだな」
 全くもって我ながら愚問を吐いたものだと、黎深が嘆息したことは言うまでもない。





*後書き…
・久々に更新してみた、ザビ3沿い・藍家ヒロイン登場話です。
今回のお話はザビ沿いではないんですけどね、なんとなく入れたかったんです。
ヒロインが男装していることを明らかにしたかったのと、尚書組とご友人である事。
加えて彼女が貴陽まで来たその目的も、ちらほらっと暴露して頂きました。
後半微妙に黎深夢的な感じに仕上がりましたが、少なくともヒロインには恋愛感情は一切ありません。
長年の友人だけあって心を許してるのも確かですが、それ以外にも黎深と仲の良い理由はあるのですよ〜。