気が向いたというか、気まぐれというか。
 とにもかくにも、ここで彼女たちに出会えたのはもはや運命としかいいようがない。



「……いい年扱いて、寂しく一人で酒飲みかぁ。やだねぇ………」
 茜色の空の頂点付近から徐々に闇の帳が落ち始めた時分、彼は一人で下町の路地を歩いていた。身なりから察するに軒に乗れるほどの身分はあるだろうに、なぜか路地を供も連れずに一人でふらふらしているその青年――は、空を見上げながら情けなさそうに呟いた。
 共に酒を酌み交わす友人がいないわけでもないのだが、あいにくと二人とも多忙な身ゆえ、これほど早い時間にあがれることがまず皆無に等しい。その上一人は、とかく自身の健康状態も顧みずに無茶をしまくるようなやつである。こんな時間に飲みに誘おうものならば、ほぼ十割の確立で間髪入れずに尚書室を叩き出されるだろう。

(あいつらを足して二で割ったらちょうどいいだろうに……)

 いろんな意味で癖のある友人たちのことを考えているうちに頭が痛くなってきたは、我知らぬうちに眉間の当たりを押さえていた。血のなせるわざとでも言うべきか、麗しの貴公子といっても差し支えない容貌の彼が路地のど真ん中で立ち止まって苦悩する(?)様子は、妙に様になっていて。道行く人の視線を一身に集めまくっているのだが、本人はまるで意に介したふうもなかった。



 ふらふらと歩いていたが最終的に選んだのは、貴陽でも評判の良い酒楼だった。店の敷居をまたぐと、いかにも誇らしげにーーどちらかといえば見せびらかすようにーー朗々と書の一節を詠う声が耳に入ってくる。その書というのが、普通の人間ならまず目に通さない書物――いわば会試受験に用いられるほどの高い学力を要するものであったから、
はちらとそちらへ視線を向けた。
 おそらくは会試受験者なのであろうその声の主は、顔を赤く染めながら上機嫌で暗唱をしている。酒に酔ってほど良く気持ちよくなって、自分の才を見せびらかしたくなったというところだろうか。

 それを耳にしながら、は出口に近い席に腰を降ろした。
 評判の良い店というだけあって、酒を出す店にも関わらず、店内の雰囲気がとても穏やかだ。酔っぱらいのだみ声やら五月蠅い馬鹿笑いを聞くのが大嫌いなは、すぐにこの酒楼を気に入った。

(今度は是非、あの二人を引きずってこよう)

 そんなことを考えながら、は注文しようと手を挙げる。

 と。耳に朗々と聞こえていた心地よい書の暗唱が、一瞬だけわずかに外れた。

「間違えたか」
 はこともなげに呟くと、席を立つ。
そうしてつかつかと歩みを進めたのは、気持ちよさそうに暗唱を続ける書生のいる席だ。

 は目的地まで来ると、今なお暗唱を続ける書生の肩にポンと手を置いた。
 すると当然の事ながら、驚いた書生がこちらを振り返る。暗唱はそこで途切れてしまう。

「気持ちよさそうに暗唱してるところ悪いけど、今の一節、間違えてたぞ」

「え? 」
 唐突に言われて、書生は目をパチクリとさせるだけだ。
その様子を見ながらは苦笑し、そしてやおらに口を開くと先ほど書生が間違えた一節を含む部分を謳いだした。

 朗々と、淀みない流れをもって紡がれる声は、不思議な旋律をもって奏でられる。
 その音は妙音にして、玲瓏。

「……というわけだ。どこが間違えてたか、わかったか? 」

「はい……」

「そんなに恥ずかしがる事じゃないから、顔を上げなさい。
物事はもっと前向きに考えないと、この後に控える会試なんてとてもやっていけないよ。
それよりも今、こうして間違いがわかってよかっただろう。
一度間違えたところは、次は二度と間違えない。本番では絶対に間違えないんだから。
さあ少年よ、大志を抱け。くじけずに状元及第してやる!くらいの勢いで頑張りなさい」

「あ、ありがとうございます!」

 素直な書生の反応に満足したのか、は満面の笑みを浮かべた。




 書生に背を向け、先ほどとった自分の席に戻りながらは、一番目をかけている末弟も今年の会試受験を受けることを思い出していた。彩雲国中を巡り歩く旅に出ている彼とは、いつでも好きな時に会うことができない。この機会に是非とも再会しておかないと、次はいつ会えるか本気でわからないのだ。
 貴陽にも、藍州にも滅多に寄ることのない弟。彼と会うには、今回がまさに絶好の機会と言わずしてなんとする。

(多分こっちの屋敷には帰らないだろうから……、そうすると寄宿舎を張っておくのが一番か)

 考えに耽っていると、耳をつんざく馬鹿笑いが聞こえてきて。
 は怒気も露わにその音源の方を振り返った。


「そういや今年の会試の噂、聞いてるか? なんだかガキがやけに多いんだってよ。
しかも女までいるって噂だぜ」

 ガキ? それって、20才以下の子供は全て該当するのかしら?
 それだったら、18才の可愛い弟も“当然”その暴言対象ってことよね。

「あ、俺も聞いた聞いたその話」

「俺も。まさかだよなぁ。俺の郷里で評判の偉い先生だって、十回以上受けても州試どまりで恥ずかしくて夜逃げして行方知れずになっちまったんだぜ。なのにガキやら女やらが国試最終試験までこれるわけねーっつの」

 ここに黎深がいなくてよかったわね、馬鹿ども。
 いたらどうなってたか、それはそれで見物だったけどねぇ……。

「そうそ。どうせ作り話よ。つか女が国試受けてどうするってんだぁ? 」

 っっっ、ぷっちん。

 酒のつまみとばかりに噂する男たちの下卑びた笑いが飛びかう……よりも前。
のいる場所に近い卓机上にあった香辛料の入った皿が、空を切って宙を奔った。

 そして。馬鹿口開けて笑おうとした男たちーーそのうち先ほど発言した連中の眉間めがけて投げられた小皿は、見事に標的へと命中したのだった。

「いっってぇぇぇぇっ!!!!」
「のぉぉぉっ、血が出てるぞ!!」
「誰だ!こんなもの投げやがったくそやろ……」

 ずがんっ。

 男たちの文句が完全に言い終わるよりも、の持つ愛用の鉄尺が男たちが飲み食いしていた卓上を貫通して突き刺さる方が速かった。

「んだ、このなにしやが……………る………」
 我に返った男がの胸倉を掴み上げようとするが、その鋭い眼光に睨みつけられて慌てて手を引っ込める。

「………ガキや女が国試最終試験にこれるはずがないだの、ど田舎でちょっとばかし名の売れた先生とやらが受からなかったから女にゃ国試は無理だの、国試の“こ”の字も知らない連中がよくもまあ偉そうにべらべらべらべらと喋れるもんだ。
 何も知らないくせに知ったような口を叩いて、人の努力を土足で踏みにじるだなんて、よくもまあそんなことができたもんだよ。まあ、知らないからこそ言えるんだろうけどね。
あれは王すら介入出来ない、この国でも最高峰の教養と知識が要求される試験だぞ。
それをどこぞやのど田舎の知ったかじじいをものさしにして、国試の難しさを語るな。
この馬鹿者どもがっっ!!!」
 ぴしゃりと放たれた叱責に、男たちは思わず肩をすくめて震え上がった。
の強い怒りの意志を宿した言葉は、容赦なく男たちの全身を貫いていく。
中にはその言葉に反論しようとする勇気ある者もいたようだが、鮮やかな紺碧の色彩を宿すの鋭い視線に絶えられずに、結局口を噤む羽目になる。

「そんないい年扱いたおっさんでも受からなかった国試最終試験まで辿り着いた若人たちを励ましこそすれ、こともあろうにけなすなんざ最低のくそ野郎だね。
てめえの尺度でしか物事計れないような阿呆のくせして、よくも私の可愛い弟や友人の可愛い姪っ子をけなしてくれたもんだな。それだけの暴言は来まくったからには、それ相応の覚悟ってものができてるんだろうねえ………」
 なまじ眉目秀麗な整った容貌だけに、酷薄な笑みを浮かべればより凄惨な印象を相手に与える。愛用の鉄尺を空いた掌に降ろせば、その度にぴしゃりと鋭い音が立つ。
の酷薄な笑みと鉄尺の音は、より一層男たちの恐怖を煽る。もっとも当人はそれを意識した上で、敢えてやっていることなのだが。


「……あ、いや、その……なんだ、なぁ……」
「あぁ。俺たちには、よくわかんねぇしな……」
「わかんねえのに、いろいろ言うのはよくねえよなぁ……」

 すると男たちは、先ほどまでとはうって変わった意見をぼそぼそと言い出す。
だがこの手の輩はとりあえず口先だけ合わせているに過ぎないことを経験上知っていたは、持っていた鉄尺を卓机に叩きつけた。鉄尺は、ぴしゃんといい音を立てて大きくその身をしならせる。

「物わかりが宜しくて結構。ただし、私がいなくなったからといってまた似たようなことをべらべらと喋ってご覧。すぐさまこの鉄尺の餌食にしてやるから、覚悟しろよ。
あいにく私は物覚えが良いもので、一度見た人の顔は忘れないんだよ。今度会った時にも同じようなことを言ってたら、全員袋だたきにして簀巻きにして川に放り込んでやるから、覚えておくんだな」
 相手に言い置きする響きすら含まれた叱責が終盤を迎えると共に、先ほどよりも男たちを睨みつける眼力に一層強くして、は持っていた鉄尺を男たちに突きつけた。

 男たちはただただ声も出せず、無言のままで首をこくこくこくこくと縦に振る。
その様はまるで首振り人形のようだったと、後に秀麗や影月は語る。


「………っと、いけない。ついつい頭に血が昇ってまたやってしまった……」
 今まで客たちの話し声が飛び交い、和気藹々としていた雰囲気の酒楼の中は、すっかりと静まり返っていた。は周りをキョロキョロと見回すと、しまったと言わんばかりに額をぴしゃりと叩いた。

「店内の皆様、此の度は折角良い気分で楽しんでいたところを一部の阿呆者と至らぬ私がお邪魔をしてしまいまして、大変失礼致しました」
 先ほどとはまるで人の変わったような様子で謝罪の言葉を述べるを、客たちはただただ呆然として眺めていた。見るからに貴族と思われる青年が、いくら迷惑をかけたとはいえ庶民に頭を下げる光景というのはそうそう見られるものではない。まして頭を垂れるその所作は洗練されている上に優雅であったから、ますます客たちの間に困惑を招いた。

「その罪滅ぼしになるかはわかりませんが、皆様に私から償いとしておごらせて下さい!
旦那〜、今ここにいるお客さんたち一組に一本、旦那おすすめのうまい酒を頼む!!
お代は全部私持ちで!!!」

「あいよ〜、毎度あり!!!」
 店の中がわっと沸騰したのは、店の旦那――荘氏が注文を承るのとほぼ同時だった。
そしてそれをきっかけに、店の中には先ほど同様の穏やかな雰囲気が流れ出す。

 店の雰囲気が戻ったことに、はホッと胸を撫で下ろす。

 と。

「見事な采配ですね、殿」
 ふと声をかけられて振り返り、彼は言葉を一瞬失う。
冷酷無比・氷の微笑の異名をとる友人・紅黎深の最愛の兄であるその人は、が初めて会った時と同じように柔らかな笑顔を浮かべていた。

「邵可様……」
 かろうじて、その一言だけが絞り出せた。
そんなに邵可は自分の隣にあった空席を薦める。
一瞬、その誘いを受けるか否か迷ったものの。折角の好意を無駄にするのも悪いし、何より一人酒はつまらないと思い直し、邵可の言葉に甘えることにした。

「父様、こちらの方は? お知り合い? 」
 彼が空いていた邵可の左側の席に着くと、邵可の前に座っていた少女が訊ねてくる。
自分のことを初対面だと言わんばかりなその問いに、は顔には出さなかったものの。心底動揺せずにはおられなかった。なぜなら目の前にいた少女は、がよく邵可邸に遊びに行っては面倒を見てやっていた…妹同然に可愛がっている娘であったからだ。
 とはいえ、今の姿で対面したことは一度もないので、少女がのことをわからないのも無理はないのだが。

 少女…もとい娘の問いに、らしくなく動揺している青年を微笑ましいものでも見るような温かな瞳で見遣ると、邵可は穏やかな笑みを浮かべたままで答える。

「うん。私の弟の友人で、殿とおっしゃるんだ。
殿、真ん中にいるのが娘の秀麗、その右隣が杜影月君。
そして左隣が……あぁ、静蘭とは顔見知りだったかな」

 その問いに応えたのは、ではなく静蘭だ。
「はい、旦那様。以前に何度かお会いしましたから」
 本当のところ、何度か会ったどころの話ではなく、と静蘭の間にはちょっとした因縁があったりするのだが。ここで言うべきことではないので、彼はそのことを匂わせることなく、いともあっさりと流して済ませた。

 先に言うべきことを言ってくれた静蘭に対し、は拱手の形で礼を返した。
そして今度は秀麗と邵可の方へと向き直ると、同じく拱手の形のままで深々と頭を下げる。

「どうも、今晩は。この度は折角の家族団欒に水を差してしまって、申し訳なかった」

 律儀に謝罪の言葉を届けられて、秀麗は驚いて首を振った。

「あ、いえ、そんな。実はほんのちょっとだけ、すっきりしましたから」

「あ、秀麗さんもですか? 実は僕もです」
 秀麗の言葉につられるように、影月もまた思ったことを述べる。その表情はほわほわとした柔らかな笑顔が浮かんでいて、とても嘘を言っているようには見えなかった。

「ありがとう、二人とも。おかげで多少、楽になったよ……。
あぁ、まさかまた同じことをしでかそうとは、情けなさ過ぎるぞ自分……」

「同じことといえば、絳攸殿や藍将軍が出られた年もあんなふうにいわれていたね。
もっとも彼らは実力で黙らせてしまったけれど」
 落ち込みモードに入るをよそに、邵可は彼の言葉で思い出したことを娘たちに言って聞かせる。

「努力という名の、実力でね。朝から晩まで、それこそ寝食を削って絳攸殿は机案に向かっていたそうだよ。必要なのは、きっと努力(それ)だけなんだろうね」

 邵可の言葉に、秀麗の肩の力が抜けていくのが見える。
 彼女は彼女なりに、あの言葉を気にしていたのだろう。

(まあ、無理もないか……)

「……ありがと、父様」
 詰めていた息を吐き出して、自然な笑顔を浮かべる秀麗はもういつもの彼女だった。

「さすがですね、邵可様。それだけの言葉で娘さんを安心させられる貴方が、とても羨ましいですよ。私なんて不必要に騒ぎ立てて、かえって弟の邪魔にしかならなかったのに」

 藍楸瑛と李絳攸が及第したその年、下街のとある酒場で。二十才にも満たない状元・傍眼及者であった二人のことをいろいろ言っていた(主に悪口に近い)男たちの言葉にぶち切れたは、酒場を半壊させるほどに大暴れしたことがあった。
もしもそのときの同伴者が鳳珠か悠舜であったならば、適当なところで彼を止めてくれていたのだろうが……、その日の同伴者はよりにもよって紅黎深だったのである。彼もまた、養い子である絳攸のことを悪く言われたことに内心腹を立てていたものだから、暴れるを敢えて制止しようとはしなかった。

 …そして結果、酒場が半壊するまでに騒ぎが大きくなってしまったのである。

 ちなみにその事件の原因を聞かされた弟の藍楸瑛は、『…兄上のお気持ちは嬉しいのですが、見境いなく暴れるのは止めて頂けるとありがたいですね』と呆れた表情で語り。
の兄である藍家当主たちはと言えば、の乱闘騒ぎが耳に届くやいなや、彼を半強制的に藍州へ帰還させ、現在まで貴陽へ行くことを禁じていたのである。


「そうかもしれませんが、それは貴女が藍将軍のことを思うが故でしょう。
ただ彼を守りたいと思う気持ちが先走りすぎて、結果的に一騒動になってしまいましたが」
 彼が何のことを指して言っているのか、それを十分に理解した上で、邵可は諭すようにゆっくりとに語りかける。
 普段は常識人として通るだが、”自分の身内(殊に弟)”を溺愛する節がある。そして身内のこととなると、”後先考えずに暴走する”一面があった。
欠点と言えば確かにそうだろうが、邵可はどこか実弟にも似た彼の性癖を快く思っていた。

「……いやもう、こっぴどく呆れられた覚えがありますよ」
 は、自嘲気味に笑いながら吐き捨てる。

「……あの、もしかして様って藍将軍と双子なんですか? 」
 おそるおそると言って差し支えない様子で聞いてきた秀麗に、と邵可はきょとんとする。

 だが、すぐにその意図を理解し、二人は破顔した。
 これほど見目がそっくりならば、双子に間違えられてもまず仕方ないからだ。

殿は、藍将軍の異母兄なんだよ」

「え、あ……ご兄弟……」

「よく楸瑛と瓜二つだと言われるんだけどね、一応兄弟なんだよ。これでも。
しかも私は、正確に言うと藍家直系ではないからね」
 慣れているせいもあってか、は秀麗の言葉に丁寧に説明する。

「そ、そうなんですか…………。……でもよく双子に間違えられません? 」
 おそるおそる訊ねてきた秀麗の言葉に、は穏やかに微笑んだ。

「君の言う通り、実はよく間違えられるんだよ」
 似てるから仕方ないんだけどね、と軽快に笑い飛ばせば、秀麗と彼女の隣の少年は表情を明るいものへと戻し、また食事を再開し始めた。

 そんな二人をあたたかい目で見守りながら、自身もまた食事を開始する。
さすがに評判の良い店だけあって、食事の方もかなり高レベルだ。

「ところで殿。
藍家のご当主の命で藍州へ戻ったと聞いていましたが、いつお戻りになったんです? 」

 言われてぎくりとするだが、極力平静を装って返答する。

「つい最近です。でもこのことは、うちの馬鹿兄貴たちには内緒にしておいて下さいね。何も言わずに出てきたので……」
 の様子から何か事情があるらしいと悟った邵可は、それ以上何も言わなかった。
そうして彼はさりげなく会話を菜のほうへとずらし、話を全く別方向へと逸らしてくれた。
この辺りの気配りの上手さは、今頃茶州で頑張っているという彼の友人――鄭悠舜を彷彿とさせる。

(……そのうち、悠舜のところも行かないとなぁ……)

 そんなことをふと考えている内に、話はどんどんと進んでいく。
なんでも杜影月というこの少年、近頃この辺りに台頭してきたごろつき一味“青巾党”のやつらによって“お金よりも大事なもの”を盗まれてしまったらしい。それで秀麗は、彼がものを取り返す機会を失ったのは自分にも責任があるといって、影月のお金+大事なものを取り返すのに協力すると言い出した。

(……青巾党か、馬鹿な連中だ。よりにもよって、会試の木簡に手を出すなんて)

 杜影月という名前には、は聞き覚えがあった。黎深づてで聞いた情報だが、今回の最終会試受験者の中には弱冠13才の少年がいるらしいと。一体どういう経由で知ったのかは知らないが、黎深はその名前も知っていたのだ。そのため、必然的にも“杜影月”という名前を聞き知っていたのである。
 会試受験者にとってお金よりも大事なものといえば、受験者のみに配られる木簡しかあるまい。あれがなければ、最終会試受験をすることができないのだ。当然その木簡を取られた被害者は、何が何でもそれを取り返そうとする。たとえ高い金額を支払ってでも、取り返したいと思ってしまうのだ。
 おそらくその“青巾党”というのは、そこに目をつけたのだろう。死角をついた着眼点は申し分ないと言いたいところだが、あいにくと親分衆はいつまでも黙ってはいないだろう。そろそろ動き出しても良い頃合いだ。
 ただ、会試受験の木簡がからんでいるとなると。朝廷の方も黙ってはいないだろう。
下手をすれば、官軍が動くことにすらなりかねない。なんとも厄介な事件だ。


「……さて、主上はこの事態をどう見るのかな……」
 つい去年までは“昏君”と呼ばれていた現国王だが、何やら心変わりしたらしくーーあいにくと詳しい事情をは知らないーー今ではすっかり真面目に政務に取り組んでいるという。
彼の異母弟であり、“藍が心を膝下に屈さする者、いずれにあるや”とまで言わしめた不羈の男――藍楸瑛。黎深が手塩にかけて育てた“朝廷随一の才人”と誉れ高く、史上最年少の宰相候補に名を連ねる李絳攸。若き能吏の中でも逸材と称するに値する二人が側にいることもそうだが、同時に国王自身の持つ才覚も相まって、国の行く末は明るいといって差し支えない状況にある。
 自身もけして現国王と関わりがないわけでもなかったので、彼としてはこの事態に対して王がどんな処置をとるのか。正直言って、非常に興味があった。


 そんなこんなしているうち、話は秀麗にお供するという静蘭の方へと移っていた。
彼は確か、十六衛の中部組織に所属し、主に門番としての仕事をしていたと記憶している。
たいていの日はごろつき同然の風采、あるいは髭男のような男たちが門番をしているというのに、時たま優れた美貌の青年が門番をしている日もあったものだから、覚えていて当然だ。そして何より、彼は静蘭ーー正確に言うならば、静蘭がまだ清苑と名乗っていた頃から何かと関わりがある為、余計である。
 門番の仕事そのものは交代制とはいえ、基本的に十六衛は毎日出仕の仕事のはずなのだが、どうやら彼は上司である楸瑛に暇をもらったらしい。といってもおそらくは、楸瑛の方から静蘭に暇を出したのだろうが。
 なにせ今は最終会試受験を控えた時期である。この時期になると会試受験者たちは、いろいろと狙われやすい。秀麗宅の家人である静蘭に暇が出されたのも、時期的にわかるというものである。

 だが……。

「いただけます。給料の他にも特別俸給も藍将軍に約束して頂きましたし。
ちなみにここのご飯代も藍将軍のお志です」
 平然と言ってのける静蘭の言葉に、は半分呆れながらも感心せずにはおられなかった。
現藍家当主の三つ子たちには敵わぬとはいえ、楸瑛も充分に曲者と呼べる範囲内の人間である。その楸瑛から給料だけでなく、特別俸給をかっぱらってきただけでは飽きたらず、挙げ句の果てには夕食代まで払わせるとは………。

(でもまあ、無理もないか。何せ相手は文武両道、頭脳明晰と名高い清苑公子。
その上……この私でさえ、なかなか頭が上がらない数少ない相手だし。)

 家柄と持って生まれた性格も相まって、鼻っ柱のやたらと高かった若かりし頃。
その高い鼻っ柱を一番最初にへし折ってくれたのが、他ならぬ清苑公子であったのだ。
いろんな意味で良い経験だった…などと思い返しながら、同時にはこの青年の底知れぬ深さを改めて感じさせられた。
 そして、いつも余裕綽々の表情を浮かべている弟が静蘭にやり込められている様子を想像して、無意識のうちに苦笑いを浮かべるのだった。

「……なんか、藍将軍にタカってるような気がしてきたわ」
 秀麗は苦虫を噛みつぶしたような表情で、目の前のご馳走へと目を遣る。

「正当報酬はタカるとは言いません。それに花街にムダに大金が流れ込むより、私たちの生活向上に役立てて頂いた方がよっぽど有益な資金利用です」
 すっぱりさっぱり平然と顔色一つ変えずに、これだけの弁解をいけしゃーしゃーと並べる彼の話術に、は心の中で思わず感嘆の声を漏らしていた。

 だが同時に常日頃思い続けていたことでもあったので、は静蘭の言葉に黙って頷く。

「確かに静蘭の言う通りだ。花街へと大金を流し込むより、ここでいろいろと役立てた方が良いに決まってる。第一、あの楸瑛のことだ。『可愛い女性のためなら、いくらでもあげるよ』とでも言い兼ねないだろうしね。私の弟のことは気にせず、充分に楽しめばいい。
どうせあいつにしてみれば、はした金なんだろうし」

「………言われてみれば、そうかも」
 藍楸瑛の異母兄であるの言葉には妙な重みがあったし、何せ楸瑛は夜の名花たちが落とすことを至上の目標とする程の花街一の有名人かつお得意様だ。彼の噂をそこらじゅうで耳にしていた秀麗は、改めて楸瑛のすごさを実感すると共に、静蘭やの言葉が正しいことを理解した。

「まあそのことはおいといて。私も明日の捜索に参加させてもらいたいんだが……、駄目だろうか?下街で情報収集したいし、ちょっと気になることもあるんだよ……」

「いいんですか? ありがとうございます」

「影月君がこつこつ溜めてきたお金を取り戻すんだっけ? なら私も手伝おう。
捜し物をする時には、人手は多ければ多いほど良いだろうからね」
 にっこりとそう告げるは、心の中でまた別のことも考えていた。

(会試受験の木簡奪還作戦か…。
協力してやれば、少しは楸瑛に恩を売れるかもしれないしね…)

 本家の兄たちに何も言わずこっそりと藍州を抜け出てきたは、楸瑛とまだ一度も顔を合わせていなかった。会う機会がなかったこともあるが、何よりも下手に本家へと連絡されるとまずいからというのも原因の一つだった。

(それからあとは……、主上に会ってあの縁談話をさっさと却下させないと……)

 そこまで考えて――もとい藍は、邵可や秀麗たちにばれないようにこっそりと、胸の奥で溜息をついたのだった。





*後書き…
・というわけで、以前にWEB拍手or一言フォーム返信で口走った通り、
新たなるヒロイン設定を立ち上げてしまいましたですよ(汗)。
たまにはね、気分転換してみたかったし。今回は珍しく男装しているヒロインです。
いきなりオリキャラっぽい人が出てきてビックリしたかと思いますが、彼は本来女性です。
ギリギリ最後で本名暴露してますけど。
文中で書いてる通り、彼女(彼と言うべきか)は尚書組の方々とお友達です。
その理由は後々に暴露していく予定。
とりあえずはザビ3の短編に沿って、気が向き次第進めていくつもりです(多分)。

2006.05.20...文内修正及び加筆