もとはと言えば、蒸発させてしまったお湯を戻す為に来たはずなのに。
気付けば売り言葉に買い言葉で、隊長さんたちの前で再びお湯を蒸発させなければならなくなってしまった、私こと。
そりゃあ、喧嘩を買った私も悪いとは思うのだけども。
もう一度やってみせろだなんて、あっさりと言う方も何か間違ってない?
何よりも山本総隊長、よろしいんですか?
ここ、一応”女湯”なんですけど?
護廷十三隊の隊長を務める方の半数が、男性の方なんですけど。
本当に舞台を『瀞霊廷内の銭湯(女湯)』に設置するおつもりなんですか?
万一、銭湯に入ろうと思って来た女性死神さんがいたら……さぞ驚くでしょうね。
だが隊長さんたちは、実際ここが女湯であることなど気にせずに足を踏み入れてきた。
まあ、お客さんさえいなければ、女湯も男湯も大差ないんですけど。
もうちょっと、恥じらいというものはないんですか???
緊張のせいか、はたまた生まれつきなのか。
まるで関係のないことを内心でオロオロと考えていた私の思考を、山本総隊長の一言があっさりと吹っ飛ばした。
「それでは、始めてもらおうかの」
審査員長である山本総隊長の指示に従って。
私は両腕に抱えていた斬魄刀の柄を両手に持ち替えたのだった。
【自分で蒔いた種は自分で刈り取るべし】
「ふん、旅禍風情に何が出来るというんだい。いちいちこんなことをするだけ無駄だよ」
「いちいちうるせぇんだよ、てめぇは。少し黙れ」
鼻で笑いながらブツブツと文句を零す涅に、更木は容赦ない眼光を突きつける。
「お前はあの小娘が何か起こしてみせると思うかね、更木? 」
「起こせるかどうかなんて俺の知ったことかよ。
でもまあ……じじいの長話を聞くよりは、ずっと面白そうじゃねえか」
そう言って喉の奥で笑う更木の様子を第三者の目から見ていた日番谷は、半ば呆れたように軽蔑にも近い視線を送る。
「ったく、少しは黙ってられねえのかよ。おっさんたちは」
「なにより、この天才児が気に掛けるような奴だしな」
更木は見下ろすような形で日番谷の方へ軽く視線を投げる。
「お前さんはずいぶんと気に掛けているようだが、娘の色香にでもやられたかね?
」
揶揄するような涅の言葉に、呆れてものも言えんとばかりに日番谷は顔をしかめた。
「京楽と一緒にするな。第一あれのどこに色気がある? 」
「ちゃんの魅力はお色気じゃなくて、素直でウブなところだからねぇ。
でももう少し成長したら、お色気も結構期待出来ると思うけどね。先が待ち遠しいなぁ」
同僚に妙な引き合いに出されれるもまるで気にした様子もなく、京楽はニヤニヤと笑み崩れながら、今回の騒動の中心である旅禍の方へと視線を向けていた。
「………お前の頭の中は年中常春か。もっと別に見るべきところがあるだろうが」
相も変わらぬ友人の様子に、半ば呆れ口調でサックリと言葉を飛ばしたのは、浮竹だ。度々病欠で隊首会を休むことの多い彼だが、本日はきちんと出席していたらしい。
「お〜、浮竹。お前もちゃんに興味があるクチかい? 」
色ボケしているとしか思えないような言葉を吐き出す京楽に対し、呆れたように溜息を吐きながら、浮竹はゆっくりと腕を組んだ。
「及いて言うなら、彼女の放つ独特の霊圧に興味がある。
旅禍にしては随分と強い霊圧だが、それだけではない別の何かも感じるんだがな…」
「……そりゃあ、神獣を魂の半身として持ってる奴だからな。
普通の旅禍とも死神とも違うのは、ある意味当然だろう」
浮竹の疑問に対する答えを、日番谷はいともあっさりとはじき出す。
もとより、の素性を彼女自身の口から聞き知っている彼だからこそ、言うことの出来る台詞ではあったわけだが。
「神獣? それは一体どういう……」
思っても見なかった答えに更なる疑問を覚え、質問を重ねる浮竹だが。
日番谷はその質問に答えを返そうとはしなかった。
「ゴチャゴチャ言ってねえで、見てればいいだろ。百聞は一見にしかず、だ」
答えの代わりにそう言い切った日番谷は、それ以上の追求を許さないとばかりに彼らに背を向ける。その後、の方へと向けられた翡翠の双眸には、言いようもない複数の感情が交錯していた。
隊長さんたちがいろいろと雑談している間に、当の私はと言えば。
こちらの世界での斬魄刀の意志――多分これがこっちの世界で通用する、斬魄刀の真名であり、本体でもあるのだろうーーと、限りなく現実世界に近い潜在世界の中で会話をしていた。
『煩わしい連中だな。俺が折角力を披露してやろうというのに、ごちゃごちゃと好き勝手に話やがって。いっそお湯ではなくてやつらを蒸発させてみるか、』
深海を思わせる深い青は、青玉をも上回る鮮烈な光を放つ。濡れ羽色の艶やかな漆黒の髪は、まるで風に踊らされているかのように綺麗な弧を描く。鼻梁の通った彫りの深い顔立ちではあるものの、西洋人と東洋人どちらにも通ずる色を残している。敢えて言うならば、スラブ民族に近い容貌の持ち主だ。纏うのは黒を基調とした神官服だが、その背には四対の巨大な翼が見てとれる。
おそらくは、この青年が私の斬魄刀の本体……なんだろうけれど。
なんでこんなに私好みの美形なんだろう。
でも私好みの美形なのに、全然ときめかない。
まあ……斬魄刀の本体相手にときめいても仕方ないんだけどね。
「そういう洒落にならない冗談はやめてよね…。
それより貴方、世界蛇じゃあないわね。斬魄刀としての意識と考えていいの? 」
『さすがに勘が良いな。俺の名は“○○○○○”、真にこの刀の力を引き出したいと願うならば、そのときは俺の名を呼べばいい』
名前の部分は、そこだけが音波障害にかかったようによく聞き取れなかった。
多分、今の私ではその名前を聞くに至るべき経験値が足りていないということなのだろう。
「わかったわ」
別に今聞き取れなくても、構わない。
今はまだ、斬魄刀の真名を必要としてはいないから。
『それから一つ断っておくが、安易にその名を口にするなよ。真名を口にした瞬間、お前の世界へ帰る為の扉は永遠に開かなくなる。斬魄刀本来の真名は、お前の場合に限り、万が一のときにだけ使える保険みたいなもんだからな』
「了解………、それじゃあ……」
『せいぜい奴らの度肝を抜いてやるさ』
そう言う斬魄刀本来の姿は、実に嬉々としていた。
取り巻く大気の濃度が、一気に濃くなったように思ったのは気のせいか。
まるで陽炎のようであり、時には深い海を漂う流れのようであり、常に相容れぬ二つの属性が入れ替わり、立ち替わり、この一つの刀を形成している。
「さあ……、呼ぶわよ。何かご要望は? 」
『ちゃっちゃと済ませたいなら、俺を湯の中に放り込め。
ヨルムンガルドは、解放と同時に周囲波状型の攻撃を行う。そのことを忘れるなよ』
「はいはい」
私は斬魄刀を両手に抱え直すと、本体のご要望のままに刀を風呂の中へ放り投げた。
よりにもよって刀を放り投げるという暴挙に出たに、いかな隊長たちと言えども多少なりとも動揺を覚えたのか。個々の持つ霊圧が、かすかに揺らいだ。
「………刀を放り投げるなよな……」
予想外の行動を取るに対して、日番谷は米神を押さえずにはおれなかった。
「つくづく、僕らの期待を裏切らない子やなぁ〜」
一方の市丸はといえば、表に浮かべるのは相も変わらぬ感情の読み取れない笑みではあったが、その声音に混じる響きには愉悦の色さえ混じっていた。
「一体何をする気だ? 」
怪訝そうに眉を潜める浮竹とは対照的に、京楽は常時とさほど変わらぬ笑みを浮かべながらも、装うまでもなく平静そのものだった。
「さあて……どうだろうねぇ」
呟く京楽の声音はどこか明るい。それでいて、何かを期待しているようでもあった。
解放された瞬間に、斬魄刀を中心にして波状系へ熱を起こすというのならば。
(解放させるのは、刀身がお湯の中に入っていった、その瞬間……)
前に私がヨルムンガルドを解放したときには、湯船の中に本体があったはずだ。
ヨルムンガルドを解放するよりも前に、海の属性を持つ世界蛇を呼びだしていたがゆえに。
水の属性を色濃く持つ世界蛇――すなわち斬魄刀は、湯船のお湯をおのが自由に支配するに至った………のだろう。おそらく。
正直言って、本体に確認は取っていないから何とも言えないのだが。
さっさと会話を断ってくれた本体に、これ以上何を聞いても無駄だろう。
こうなったら、後はもう………女は度胸だ!!!
刀が重力に従き、綺麗な放物線を描いて湯船の中へ向かって落ちていく。
あっという間の出来事の筈なのに、まるでビデオでスロー再生でもしているかのように、ゆっくりと、ゆっくりと刀は落ちていく。
そしてーーーーーー、刀身の半分ほどが湯船に浸かったそのときを見計らって。
私は斬魄刀の力を解放するための、言の葉を紡ぎ出す。
「……煉獄の束縛を断ち砕け、ヨルムンガルド」
言葉を解き放つと同時に、鮮やかな緋色が視界を染めあげる。
染め上げられた視界の中、圧倒的な熱量が刀を沈めた湯船を中心に広がっていく。
もとから周囲には風呂から立ち上る蒸気の立ちこめていたのだが、ヨルムンガルドが解放されると共に一気にその量が増した。
爆発的に解放された熱気で一気に蒸発させられたお湯の量は、並大抵の量ではない。
それゆえに、辺りに漂う蒸気は蒸気でありながら、濃霧を思わせるほどにまでに変化していた。蒸気でありながら濃霧のようで、濃霧のようでありながらそれは強い熱気までを帯びている。
肌を焦がすような熱気の中に、ぼんやりと浮かび上がる一対の瞳。
鮮やかにして鮮烈、艶やかにして華やかな、紅のーーーー
「おいで」
私の呼び声に応じて、紅の輝きを放つ一振りの刀。
刀身は鮮やかな緋色の輝きを放つ片刃、柄を握る手を保護するかのように外へ向かって無数の刃を形作る。柄と刀身の接触する部分には刀身と同じ色彩を持つ紅玉が埋め込まれ、その玉の周囲を精巧に形作られた大蛇のレリーフが縁取っている。
刀と言うよりはむしろ、西欧の刀剣を彷彿とさせる片刃の剣と言うべきだろうか。
「これが……ヨルムンガルド…」
初めて見る斬魄刀の姿に、私は思わず惚けてしまった。
斬魄刀は各々が様々な形状を取り、能力も千差万別。その種は実に多岐にわたる。
確か…一番隊副隊長の斬魄刀が西洋刀(サーベル)に似た形状だったような覚えはあるのだが、ヨルムンガルドはサーベルほど刀身が細くないので、それとも異なる。
…敢えて例えるならば。某シリーズのヒロインが持つ食欲旺盛・大食漢・美食家の我が儘娘――紅蓮姫によく似ている。知っている人がいるかはわからないけど……。
『感心している場合ではないだろう。
やつらがまたゴチャゴチャ言ってくるより前に、さっさとやるべきことを片づけるぞ』
私が呑気に感慨に耽っていれば、斬魄刀の本体がたしなめてくる。
いくら意志があるとはいえ、自分の刀に叱咤されるってどうよ?
ふとそんなことを思いつつ、私は何も言い返さず、黙って意識を一つに集中する。
脳裏に思い描くのは、物心ついた頃からずっとずっと身近に感じていた青い大海原。
遠浅な海であるために、よほど沖へ出なければ海の色が深い群青色にならず、光の加減や距離によって淡い翡翠色にも無色透明にも柔らかな水色にも変化する、母なりし大海。
生命の慈母たる海が育み育てるのは、色鮮やかな珊瑚礁であり、大小様々の魚や生き物たちであり、私たち人間を始めとする陸地に住まう全ての生き物。
山が獣を育て、海が魚を育てるのではない。山も海もその他の自然全てが一体となり、命を育て、育み、育まれているのだ。山が枯れ果てれば、海もまた徐々に死の海と化す。海が海としての機能を失えば、多くの陸地と陸地に住まう全ての生き物に影響を与える。
海は神々の住まう遙かなる国であり、生命と豊饒の根源が在る場所。子はニライカナイより生まれ、死者はニライカナイへと還る。海はいわば“常世の国”と同じ異界であり、神々の住まう理想郷であり、あらゆる世界を形作る全てをもたらす根源の世界なのだ。
『出来ないと決めつければ、出来ることも出来なくなる。
出来ると決めつければ、出来ないことも出来るようになる』
夢の世界で世界蛇が言っていた言葉が、不意に脳裏を過ぎる。
そうだ。出来ないなどと、考えるだけ無駄なのだ。
今まで私の世界を取り巻いていた、全ての常識は根本から覆された。
失われた魂の半身が世界蛇ヨルムンガルドで、いきなり漫画の世界…とどのつまりは虚構にしか過ぎない世界が存在し、本で見たのとまるで同じ人々が生命を持って存在していて。
挙げ句の果てに、眠っている間だけ魂魄で世界を超える力があったり、死神――それも在る一定以上の能力を保持する席官クラスの死神――固有であるはずの斬魄刀を私が持っていたり、その斬魄刀は私の魂の半身であるヨルムンガルドが姿を変えたものであり、斬魄刀本来の姿は私好みの美形天使なのだ。
ああ、そうだ。それだけではない。
なぜか京楽隊長と市丸隊長と日番谷隊長に“うちの隊へ来い”とスカウトされた上、京楽隊長と市丸隊長には乙女の夢ともいうべき“お姫様抱っこ”までしてもらったのだ。
ここまで来て、常識がどうだとか言ってる方がむしろ馬鹿である。
常識なんてものは、所詮世間一般に普及する普遍的な物の見方であって、全てが常識で割り切れるわけではない。そもそも科学が世界の全てを動かす今、科学とは正反対の力は一方的に“迷信”だの“世迷い事”だの“絵空事”と語られるけれども、それはたまたま勝利したのが科学の力であったから。
そしてその科学力をもってしても、宇宙と生命、死のメカニズムについては完全に理解しきれていない。魂や魂魄などに至っては、もはや“オカルト”か“宗教要素”扱いされているくらいだ。
病は気から、短気は損気、信ずる者は救われる、噂をすれば影。
言霊というのは、単純でいて侮れないものなのだから。
「…深淵なる永眠より目覚めよ、世界蛇」
様々に交錯する思いを抱きながら、私はゆっくりとその名を口にした。
⇒後編へ
*中書き...
・また前後編になってしまいました。なんで長くなるかな?
(06.02.27up)