静かに口を滑らせた言の葉に従い、一瞬で辺りを包んでいた熱気が消え失せる。
その代わりに辺りを支配するのは、濃密にして濃厚な磯の香りと熱気にさらされていた肌を癒すように潤す水気だ。
それに従って、斬魄刀もまたその形状をゆっくりと変えていく。
深紅に輝いていた刀剣は、世界蛇を呼び出すとたちまちにその輝きを失い、一瞬で灰のように虚空に掻き消える。掻き消えた虚空に生まれたのは、水。零度以下の冷気で強制的に固めない限り定まった形を持たず、常に流れたゆたい、同じ姿を見せることのない不変にして不固の存在。淡い翡翠にも、柔らかな水色にも見える無色透明な水は、ついさきほどまで握りしめていた斬魄刀の代わりを務めるかのように、私の右手の間で刀のような形をゆるゆると作り上げていく。それでも不固である存在意識そのものを変えるには至らず、まるで刀の形をした川のように、流れたゆたい落ちていく。
しかし、流れ落ちても流れ落ちても、私の手にある刀の形が崩れることはない。虚空に生ま出づる水は留まることを知らず、流れ落ちていく分だけ逆に増えていく。流れ落ちる水の流れそのものが、刀の形を成してここにあるのだ。
なるほど……、流れる水が刀を形成しているというわけだ。
でもこれって凶器になり得るんだろうか……???
数千年の永き間、深海の檻に囚われ続けた世界蛇。その永きにわたる幽閉の日々は、皮肉にも彼(?)に海の属性を司るだけの深い知識をも与えることとなったのか。
属性を宿すに至った事情はともあれ、海という海の属性持つというのなれば、深海で湧き出づるお湯――厚い岩盤の奥で燃え尽きることのない灼熱の意志と、岩盤のわずかな隙間から入り込んだ海水とが混じり合って生まれたお湯のことーーつまりは海底温泉を喚び寄せることも容易であろう。
「深海の奥深き宮より喚び寄せよ、大地の祝福を授かりし稀なる水・火の神に愛されし水の乙女をここへ」
右手に持つ斬魄刀―――というか水の刀もどきをゆっくりと持ち上げれば、刀身の部分を形成している流れる水が、ひときわ鮮やかな青い光を放つ。そうして光を放つ刀身が先の部分から白光に包まれ、ゆっくりとその姿を消していく。端から見れば、刀身が光に導かれて掻き消えていくようにしか見えない。
刀身が全て掻き消えるとほぼ同時期、湯船にも変化が起こる。刀身を取り巻いていた青い光が帯を成して、本来湯が入っているべき湯船の範囲内をグルリと取り囲む。取り囲んだ青い帯は白い光を発し、次の瞬間、取り囲んだ範囲内に爆発的な光を放った。
放たれた光は真っ白な光の柱を形作る。文字通りの目もくらむ閃光に、放った本人でありながらも思わず目を閉じずにはおれなかった。瞼を閉じてもなお瞳を灼く光がおさまると、おそるおそるゆっくりと瞼をこじ開けてみる。
目を開いてみれば、光の代わりに柱を形作っていたのは白い湯気を吐き出す大量のお湯だ。柱を形作るお湯は湯船の中へと流れ込んでいく。その様はまるで虚空から流れ落ちる滝を見ているかのようである。
そして、お湯が湯船いっぱいに満ちると、虚空から流れ落ちてきた滝は姿を消す。その滝を成していたお湯は一瞬で湯の帯となり、斬魄刀をはじめ私を取り巻くように周囲をゆっくりと循環する。循環するお湯はすぐにその温度を失い低温の水となるも、循環することそのものはやめようとはしない。
私は湯船のそばへゆっくりと足を進め、湯船に手を入れる。
なみなみとたたえられたお湯は、少しばかり熱めではあったけれど、中に入って身体を温めるには丁度良い温度であろう。周りに誰もいなければ、こっそりと入りたいくらいには程よい温度のお湯――温泉である。
「とりあえず、こんな感じでいかがでしょうか」
流れたゆたい揺らめく斬魄刀を利き手に持ち、水の帯を纏ったまま。
私はゆっくりと後ろを振り返る。
振り返った顔には自信溢れる笑みが浮かんでいることを、私は疑わなかった。
「……ふむ。さすがに自信たっぷりに言い張るだけのことはあるようじゃの。
いささか奇妙な斬魄刀ではあるが…、まあよいじゃろう。
、おぬしを正式に護廷十三隊に属する死神として迎え入れる。
皆の者、異論ないな」
顎髭を空いてる手で梳きながら、山本総隊長が静かに判決を言い渡す。
「……仕方あるまい」
「異論ありませぬ」
渋い顔色ながら渋々と承認する声を上げたのは、朽木隊長と砕蜂隊長だ。
もともとそんな感じはしてたけど、やっぱりこの二人は私の死神就任に反対だったのか。
まあこれは想定の範囲内、もとい十二分に想像出来た反応だったので、別にどうとも思わなかったけれど。そう考えると護廷内にいる死神(ヒラ・席官含む)の中でも、私を死神として受け入れるのに納得いかない人も多いんだろうなぁ………。やれやれ。
ちなみに他の隊長さんたちは、特に異論を挟むでもなく承認してくれたようだった。
「一応このお湯の成分を調べさせてもらうよ。何か悪いものが入っていないとも限らない。用心するに越したことはないからね」
懐から出した試験管にお湯を掬い取りながら、私の方へしっかりと視線を定めたままで言ってくれたのは、人外魔境…もとい涅隊長だ。声そのものは嫌いじゃあないんだけど、どうにもねちっこい性格とかマッドサイエンティストなところとかが非常に苦手だ。
つか、悪いものってなんですか。バイ菌かウイルスでも入ってるとでも?
海底温泉を甘く見るなよ。ミネラルたっぷり、低汚染度、何億年も昔と変わらぬままで深海を循環する水がマグマで温められたのが、海底温泉のお湯だぞ?
ひそかに涅隊長の言葉に心の中で反論しつつ、私は持っていた斬魄刀を手放す。
持ち主が己を必要としていないことを悟った斬魄刀は、そのまま床に流れ落ち、流れ落ちた水は虚空に溶けるようにその姿を消していった。
「あ〜、これはいい湯だねぇ。折角だしさ、みんなでお風呂入っちゃおうか? 」
一方。片手をお湯の中に入れてかき回しながら、のほほんととんでもないことをのたまってくれたのは、京楽隊長だった。
はあ…………?
冗談だろうと思っていたーーだってここはもともと女湯よ?――ので、一瞬驚くものの、極めて平静を装いながら、私は他の人間の反応を観察することにした。
「入りたきゃ、あんた一人で入れ」
容赦なく一言で切り捨てたのは、日番谷隊長だ。
多分彼の言葉は、この場にいるほぼ全員の心の中を代弁していたものだと思う。
かくいう私も同じことをこっそりと思っていたりしたのだから。
だが京楽隊長は、まるで堪えた様子もない。
それどころか、だいぶ低い位置にある日番谷隊長の頭をわしゃわしゃと撫でながら。
「つれないなぁ、日番谷。
ちゃんの死神就任祝いも兼ねてさ、ぱあーーーっと騒いでみたら面白いじゃないか」
こんなことをあっさり言ってのける辺り、まだまだ余裕があるらしい。
「騒ぎたきゃ、てめぇ一人で騒げ」
だが、日番谷隊長も相変わらず容赦がない。これまた一言であっさりと切り捨てる。
この辺りの容赦ない対応のし方は、対乱菊さん用の戦法をそのまま応用しているだけなんじゃあないだろうか。
そんなことをのんびりと考えていると、余裕の笑みを浮かべる京楽隊長に肩を抱き寄せられた。
「仕方ないなぁ………。それじゃあ、僕とちゃんだけで入ろうか? 」
たとえこれと同じ台詞を亡くなった父親に言われたところで、私はあっさりと断ると思う。というよりも、これは一応年頃の乙女である私に対して言うべき台詞でしょうか?
そりゃあ京楽隊長から見れば、私は子供以下赤ん坊よりももっと年下にしか見えないとは思うのだけれど。実の父親とですら一緒に入らない年頃で、恋人でもなんでもない赤の他人と一緒に風呂に入れるわけがない。
「………あのですね、いくら京楽隊長から見て私が子供にしか見えなくても、一応これでも成人してる身ですので………年相応の恥じらいくらいは持ってるんですけど」
ストレートに『嫌です』というのも躊躇われて、私は回りくどいながらも拒絶の意志をそれとなく漂わせながら、京楽隊長に意見してみる。
だが京楽隊長は、抱き寄せていた私を自分の方に向き直らせたかと思えば、私の両頬を大きな手で優しく包み込んだ。そうして私とほぼ変わらぬ高さに目線を合わせると、真っ直ぐに瞳を覗き込んできた。
京楽隊長の黒褐色の瞳に自分の姿が映っているのを見て、驚く反面。
うっかりとときめいてしまったことは事実だけれど、それは秘密ということで。
「僕がいつ、ちゃんを小さな子供扱いしたかな? 親好を深める意味を込めて言ったのは確かに間違いないけど、僕は純粋に男と女の関係を深めたいなぁと思って言っただけで、親子としての親好を深めようなんてつもりじゃあないんだけどなぁ」
茶目っ気たっぷりにきっぱりと言い張る京楽隊長だけれども、ここまで来るともはや茶目っ気ではなく、単純にセクハラとしか思えない。一緒にするのは申し訳ないけれど、そういう風にしか見えないのだから仕方ない。
…………というか、誰かこのセクハラおじさんを止めて下さい(汗)。
そんな私の心の叫びが通じたのか。私たちの間に割って入ってくれた人が一人いた。
その人は半ば呆れたような表情を浮かべながら、京楽隊長に注意を促してくれる。
「その辺にしておけ、京楽。全く……お前が変なこと言うから、彼女、完全に固まってるぞ。悪ふざけも程々にするんだな。それから日番谷、こいつの言ってることは冗談だから、本気に取るな。斬魄刀にかけた手と上がってきてる霊圧と、両方抑えてくれ」
背丈は京楽隊長よりも多少低いが、私がこの人と視線を合わせようとすれば首を斜め上にあげなくては到底無理だ。普通に言えば長身の部類に入るだろう。
穏やかな光を灯すのは黒曜石を彷彿とさせる漆黒の双眸、肩越しを流れる長い髪は白銀の煌めきを失った純粋な白。和やかな雰囲気を持つ端整な面立ちは、柔和で気さくで人の良さそうな風情を醸し出しているが、穏やかな表情を浮かべていると不思議と年不相応に幼く見えてしまう。
十三番隊隊長・浮竹十四郎。優しそうな人だとは思っていたけれど、実写で見ても優しそうな人だ。持病持ちだそうだが、こうして見る限りでは特に病弱そうな雰囲気は微塵もない。
それにしても、なんだろう……。懐かしいような、不思議なこの感覚は。
「……わかった」
非常に不満そうな表情をしながらもーー絶対に何か言いたそうな顔だ、あれはーー、日番谷隊長は浮竹隊長の言う通りにする。
「悪ふざけとは心外だなぁ、浮竹。僕は真剣に彼女とのお付き合いを考えてだね…」
心外だと言ってはいるものの、京楽隊長の浮かべる表情は苦笑いだ。
実際問題、どこからどこまでが本気で、どこからどこまでが嘘かなんてわかりやしない。
「わかったわかった。あとでいくらでも聞いてやるから、今はとりあえず何も言うな。
日番谷の斬魄刀の餌食になりたいのなら、俺はこれ以上止めはしないが」
京楽隊長の不満も途中までしか聞かないままで、浮竹隊長はさくさくと話を進めていく。
「すまないな、。さっきの京楽の言葉は全部忘れてくれて構わないから、あんまり深く考えないでくれ。深く考えたところで、答えなんて出るわけもないしね」
人の良さそうな穏和な表情を浮かべて、浮竹隊長がこちらへ視線を向けてくる。
ほんの一瞬、その姿に見入ってしまう。
言いようもない懐かしさと、不思議な感覚が蘇り……。
「あ…、いえ。それよりもありがとうございました」
惚けていた自分に気付くと、私は慌てて我に返って頭を下げる。
「いや、むしろ謝らなければならないのはこちらだからね。気にしなくていい。
俺は浮竹十四郎だ。京楽とは同期だから、もしこいつが何か君を困らせるようなことをしたときはいつでも言ってくれ。責任を持ってなんとかするから」
今日初めて会った相手であるにも関わらず、この人は私に対してもすごく優しい。
大きな手で頭を優しく撫でられながら、私は不思議な幸福感に浸っていた。
子供扱いされて嬉しい年でもないのだけれど、相手が浮竹隊長だからだろうか。
………こうやって構われるのがすごく幸せ。嬉しくてたまらない。
初めて会った相手に抱く感情にしては、あまりに妙だ。馴れ馴れしすぎる。
自分自身にそう思いながらも、理性と感情とはまるで真逆の方向へと向かっていく。
「……なんだかまるで、京楽隊長がペットで浮竹隊長が飼い主みたいな言いぶりですね。
でもまあ……、確かに浮竹隊長の方が一枚うわ手みたいですけれども。
それではお言葉に甘えて、万一京楽隊長のことで何か困ることがあったら、遠慮無く相談を持ちかけさせて頂きますね」
やんわりと離れていった大きな手にいささかの未練を抱きつつも、表面上にはまるで見えないように隠しながら、私は穏やかな営業スマイルを浮かべた。
すると浮竹隊長は、一瞬、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をする。
「………見た目と違って意外にいい性格してるなぁ、君は……」
苦笑混じりに告げられるその言葉は、ほんの少し前に日番谷隊長にも言われたものとほとんど変わらないものであった。
「浮竹隊長? 」
意味がわからずに首を傾げるけれども。
「いや何、俺の独り言だ。気にしないでくれ。
それより他の連中はもう戻ったみたいだし、俺たちもそろそろ戻るか」
浮竹隊長はなんでもないと言わんばかりにヒラヒラと手を振ったかと思うと、話題を他の方向へと変えてしまう。
「………へ? 」
はぐらかされたという思いもないわけではなかったが、彼に言われて辺りを見回してみれば、いつの間に姿を消したのやら。ここに勢揃いしていたはずの隊長さんたちの姿が全く見当たらなくなっていた。
狸に化かされた気分というのは、今の私の気分の事を言うのだろうか。
「お前が死神になった以上、今度は配属先を決めなきゃならないだろうが。
京楽の馬鹿に付き合ってる暇があったら、さっさと行くぞ」
まさしく狸に化かされた思いで呆然としていたところを、日番谷隊長の声が現実へと引き戻してくれた。でも……。
「日番谷隊長は、まだいらしたんですか? 」
てっきり他の隊長さんと一緒に先へ行ったものだと思っていたその人の姿を認めて、私は思わず聞き返していた。
すると。
「………いちゃ悪いかよ」
あからさまに不機嫌と言わんばかりに、眉間に皺を寄せる日番谷隊長。
「いいえ、とんでもないです! 」
機嫌を悪くする隊長の姿を見て、自分がものすごく失礼なことを口走っていたことにようやく気付いた私は、慌てて頭を下げて謝った。
それでも機嫌の直らないーーそりゃああれだけ失礼なことを言われたら、そう簡単には直らないだろうーー日番谷隊長は、あさっての方へと視線を向けていたが。
何やら自分の方へ向けられた視線に気付いたのか、険しい色を浮かべた翡翠の双眸を真っ直ぐにその相手の方へと向けた。
「………何か言いたいことでもあるのか、浮竹」
「いや、別に何も。それよりも早いところ戻ろうじゃないか」
日番谷隊長の険しい視線も何のその、肩をすくめてけろりと返した浮竹隊長は、気を悪くした様子など全く見せずに日番谷隊長の肩をトントンと叩いた。
「………ったく、食えないおやじ共だぜ」
仕方なしにその言葉に従いながらも、日番谷隊長の視線は相変わらず険しいままだ。
「おやじって……、そんな言い方しちゃ失礼ですよ。こんなに素敵な方なのに」
確かに日番谷隊長から見れば、浮竹隊長も京楽隊長も遙かに年上なのだろうと言うことは概ね予想がつく。だから彼からすれば、けして間違っていない呼び方なのだろうとは思うのだけれども………どうしても違和感があるのは否めない。
「、お前もしかしておやじ趣味か? 」
半ば呆れたような口調で問われ、私は慌てて首を振った。
「違いますけど! まだ二人ともお若いのにおやじなんて言ったら失礼ですよ!」
「……見た目はともかく、生きてる年月は間違いなくじじいだぞ、こいつらは」
全くもってこのことに関しては、日番谷隊長はまるで意見を譲る気がないらしい。
「まあ、日番谷の言うことは確かに事実だからねぇ」
そしてそれに増長するように、京楽隊長が意見を加えてくる。
「あのですね、二人とも……」
「喧嘩をするなら、の配属先が決まってからにしてくれ。ほら早く行くぞ」
そう言って私に向かって手を差し伸べてくれた浮竹隊長が、なんとなく園児に引率している保父さんみたいに見えたなんて事は………とりあえず私の心の中だけにしまっておこうと思う。
それにしてもなんだろう……、この懐かしいようなあたたかな気持ちは。
死神になることを認められた、それだけが私をこんな思いにさせているはずがない。
そりゃあ、死神になれる許可をもらえたことは素直に嬉しい。
嬉しいけれど……。
そのことよりも、あの人と会ったこと、話が出来たことの方がずっと。
ずっと嬉しくて、懐かしくて、あたたかい気持ちになれるんだ……。
………日番谷隊長の下で働きたいと思ったのは本当だし、彼や乱菊さんに受けた恩を返したいと思う気持ちに偽りはないのだけれど。
あの人ともっと、話してみたい。
もっとあの人のことを知りたい。
前を行く大きな背中を見つめながら、私はそう思わずにはいられなかった。
*後書き...
・ようやく六話目、そしてやっと死神になる許可を得ました。
ここまで来る過程が長くてすみません。でも全て書きたかったお話だったので…。
そしてヒロインの斬魄刀もようやくお目見えです。でもまだほんの一部だけ。
そんでもって、ちょっとだけ夢っぽい展開???になったかしら。
にしても、護廷十三隊が本格的に絡んできたら日番谷隊長の出番が減ってきたぞ?
代わりにやたらと出張る、京楽隊長と浮竹隊長。二人とも好きですけど(特に後者)。
“護廷十三隊逆ハー日番谷寄り”な展開を目指して、今後共に頑張りますです。
(06.02.27up)