01 // そして私は、世界を追われる
気がつくと、視界には闇が広がっていた。
つい先程まで、図書館学Aの授業を受けていたはずなのだが、これは一体どうしたことか。
可能性として考えられるのは、授業を受けながら居眠りしてしまって、現在自分が夢の中にいるというパターンだろう。
もしそうならば、さっさと目を覚まして現実へと戻らなければいけない。
図書館学Aの授業は、司書資格を取得するのに必須となる授業なのだ。将来図書館司書を目指す私としては、何が何でも単位を落とすわけにはいかないのだよ。
「………となれば、古典的な方法だけど……」
自分に言い聞かせるように、声帯を使って口から声を出しつつ、私は自分の右頬を親指と人差し指でぐいっと引き延ばす。
夢の世界ならば、けして痛くないはずの右頬に、チリチリとした痛みが走る。
しばらく痛みに耐えて頬をつねっていたが、一向に痛みがおさまって目が覚める様子がないので、私は頬をつねる手を外した。
ちょっと待て。夢なのに、痛みが感じられるってどういうことよ?
そして、改めて周囲をぐるりと見回す。
目に入ってくるのは、光の瞬き一つ見つけられないほどに深い、さっきと寸分も変わらぬ黒々とした闇。
それでも喉が絞められ付けるような圧迫感を感じないのは、闇が澄み切った沢の水を彷彿とさせる雰囲気をもっているからだ。
深くも澄み切った、純粋かつまったき漆黒。それは不思議と安心感をもたらしてくれた。
まるで月が、生者死者ともに慈悲の光を分け与えるかのように。優しくて、心安らぐものであった。
その居心地よさに、私はいつしか快い微睡みに意識を委ね始めていた。
『待たせたのぉ』
心地よい静寂――もとい、微睡みのときーーに完全に身を委ねかけていたところに、どこからともなく声が降ってくる。ちょうど私が静けさと居心地の良さに、ついウトウトと舟を漕いでいたところだったので、正直タイミングとしては最悪に悪い状況だったと思う。
「………あ゛ぁん? 」
寝起きばなであったこと、気持ちよくうたた寝していたところを起こされて頭にきていたのと、おそらくは両方。気怠げに面を上げた私の第一声は、自分でも驚くほどにガラがよろしくなかった。
この分だと、浮かべる表情も相当にガラの悪いものであったに違いない。
目に入ってきたのは、サンタクロースを思い起こさせる長くて白い顎髭が特徴的な老人だった。身に纏うのは、全身を覆い尽くす長い灰色のローブ。ローブのフードを目深に被った下からは、極太の白い毛がはみ出している。見たところ、齢数十年以上は越えていそうな印象を受けるも、肩幅は広くがっしりしていて、背筋もピンと伸びているせいか。まるで年齢を感じさせない。
私の怒りの形相――多分――に一瞬怯んだものの、老人はすぐに気を取り直すと低姿勢気味に話を始めた。
『怒るのも無理もないと思うが、聞いて欲しい。この度は、うちの娘が迷惑を掛けてしまって本当にすまない。だが、娘のことを悪く思わないでやってくれ。あれは思いこんだら一直線、一途な子でな。今回のことも悪気があってやったわけではないんだ………きっと。相手の男のことしか考えられなくなって、他に方法がなかったんだ』
必死に懇願してくる様子は伝わるし、このご老人が娘を大事にしているーー少々親馬鹿が行き過ぎてる気もするがーーことはかろうじて理解出来る。理解出来るのだが……。
あいにくと老人が語った内容は至って不明瞭であったから、一体何を伝えたいのかがまるでわからなかった。
「……あの、一体何の話ですか? 」
このまま放っておいても拉致があかないし、いい加減怒る気力も失せた。
私は未だ延々とわけのわからない話を続けようとする老人の言葉を制し、疑問の言葉を相手にぶつける。
『あ、あぁ…。そもそも君は、そのことから全く事情を聞かされずに今に至ったのだったな。
単刀直入に言おう。君は今までいた世界へ帰ることは出来ない』
「は?」
この老人は、今、なんと言った?
『君は今までいた世界から追放されたんだ。というのも、うちの娘が惚れた男は、将来君と結婚するらしいのだ。娘にとって、君がいると邪魔なんだろう。そういう理由で、娘が君を強制的に世界から追放してしまったんだ』
全くうちの娘の無鉄砲さにも困ったものだ、と深い溜息をつくご老人だが。
なんだかんだ言って、結局は娘の無鉄砲を野放しにしている辺り、彼も娘と同罪である。
…まあ、それでも状況説明に来てくれただけ、幾分マシかもしれないが。
「じゃあ、何かい。私は『娘にとって、未来の恋敵。だから、邪魔なのよ。』ってな理由で、何の事前説明もなしに、こんな右も左もわからない空間に放り込まれたわけ? 」
『……まあ、そういうことになる』
何が、そういうことになる、だ!
「ふざけんじゃないわよ!!! そんな何年先かもわからない話、信じる方も信じる方よ!
第一、 私が邪魔だから世界から追放するって、あんたら何様のつもり?! 」
『世界の理に干渉する力を持ち、運命や刻、世界を構成するありとあらゆる精霊を司る存在。
君たち人間からは、私も娘も共に“神”と呼ばれている者だよ』
さらりと告げられた言葉に、一瞬驚くも、私はすぐに平静を取り戻した。
よくよく考えてみれば、一人の人間を世界から追放するなんて真似、そんじょそこらの人間に出来るわけがないのだ。となれば、おのずと浮かび上がってくる候補は“人外”。“人外”でもいろいろあるが、まあ、神様ってのはある意味妥当な線だろう。
神様が色恋沙汰でこんなはたメーワクなことするの?
疑問に思う人も多いかもしれない。
だが、ギリシャ神話の神様たちは、その色恋沙汰で色々とはたメーワクなことを起こして下さっているのだ。世の中には“聖人君子”と呼ばれるにふさわしい高潔な神様もいれば、とんでもなく破天荒かつはたメーワクな神様だって存在するもんだ。うむ。
「………神様ともあろう方が、未来の恋敵とはいえ、たかが人間の小娘を世界から追放するわけ?
神様の美貌をもってすれば、なびかない男なんていないと思うけど」
とはいえ、やはり疑問に思わないでもないので、一応聞くだけ聞いてみる。
すると、ご老人――はたメーワクな女神の父神――は苦虫を噛みつぶしたような面持ちで、溜息と共に言葉を吐き捨てた。
『まあ、普通はそうなんだが…。娘が惚れた男は、いわゆる硬派と呼ばれるタイプの男らしくてなぁ。
娘の輝く美貌にも見向きもせんなんだ。多分、人の内面を重視するタイプの相手なんだろう』
自分の娘を輝く美貌なんて言い切る辺り、やっぱり親馬鹿だよなぁと思いつつ。
私はふみふみと首を縦に大きく振って、頷いた。
「内面重視の人なら、あくどい手段で恋敵を強制排除するような女は選ばないでしょうねぇ。
私だって、そんな相手は断固お断りだし」
『……………そ、そんなわけで大変申し訳ないが、今まで住んでた世界のことは綺麗さっぱり諦めて、新しい世界で生活してくれないか』
ご老人に深々と頭を下げられてーー本来頭を下げるべきは、彼の娘である女神だと思うんだがーー、私は深々と溜息をついた。頭に来ることは頭に来るのだが、こうも下手に出られると、怒りをぶつけようにもぶつけられないではないか。
…ったく、これもあっちの策略のうち、だったりしないわよね?
「新しい世界で生活してくれないか、も何も。
どのみち、元住んでた世界に戻れないなら、新しい世界で生活するより他ないじゃない」
肩をすくめて、私が吐き捨てるように言葉を紡げば、ご老人はホッとしたように安堵の色を顔に浮かべた。
全く元の世界に未練がないわけじゃないけれど。
神様が“戻れない”というなら、本当に戻れないんだろう。
苦しいときの神頼みさえ通じないのなら、これは本当に諦めるより他無い。
………無いではないか。
『む、それはそうなんだが…。こんなことを言うのは虫が良すぎる気もするが、娘をあまり悪く思わんでやってくれ。根は悪い子ではないんだが、後先考えずに突っ走るのが玉にキズでね………』
ああ、やっとわかったわ。
この親馬鹿老人、私にこのことが言いたくて来たわけね。
私に現状をするのは、もののついで。あくまで二の次だったわけで。
そのことを理解した瞬間、沈下していた怒りが沸々と沸き上がってくる。
でも不思議なもので、怒りもある一定ラインを越えるとむやみやたらと暴れて怒りたくなくなるものらしい。
むしろ、表面は平静そのものでも、奥底では怒りがマグマのように沸き立っている、そんな状態に置かれるもののようだ。
まさに、今の私のように。
「悪いけど、普通に無理。こんな理不尽な扱い受けて、恨むなって方がそもそも間違いよ」
何気なく口をついた言葉ではあったけれど、私の顔は多分笑っていなかったと思う。
むしろ、口元はこの上なく引きつっていただろうし、目もきっと笑っていなかったに違いない。
『むむ……』
こんな当たり前のことで悩むなよ、神様。
「まあ、ひとまずそのことは置いといて。私はこれからどこに飛ばされるの? 」
『……実は全く決まっていないのだ 』
「はい?! 」
この上、まだそういうありえない理不尽さを披露してくれる気ですか?!
『その、なにぶん急なことだったのでな。飛ばす先も考えないままだったからな』
カラカラと笑いを顔に浮かべるご老人の姿に、私の心の中の怒りボルテージが更に上昇する。あんまりにも無責任過ぎる態度に、心底呆れると同時にやり場の無い怒りが更に更に溜まってくる。
人事だと思ってるんじゃねーぞ、この親馬鹿が。
行き当たりばったりで、人間を世界から追放するなよな。
「…………あんたの顔、一発殴らせてもらってもいい?
ちなみに、拒否権は一切無しの方向で」
両手の骨をパキパキ鳴らしながら、一歩また一歩と歩みを進める私に、ご老人は慌てて言葉を募る。
『まあまあ、待ちなさい。人の話は最後まで聞くものだよ。確かに、今回娘のしたことはちとやり過ぎだ。そのことは、上級神の間でも色々と取り沙汰されている。わしも娘が可愛いとはいえ、何の罪も無い人間が不幸のどん底に落ちていくのを見て見ぬふりをしていたのも同然。上級神からきついお咎めを喰らうのは、まあ当然のことではあるのだが…』
あら。その辺はちゃんと自分でもわかってるんじゃないの、ご老人。
『いくらわしや娘がお咎めを喰らったところで、このまま放っておけば、君は世界の狭間に巣くう魔物に喰われるか、あるいは悪魔にそそのかされて堕落するか、二つに一つだ。わしらに責任がある以上、このまま放っておくわけにもいくまい。そこで、今回は特別に時空神の許可を得た。これから君が行きたいと思う世界に、わしが責任を持って連れて行こう。生活に困らない程度のものも用意しよう』
「へ? 行きたい世界??? 」
なんだなんだ。
展開がだんだん巷で流行ってるドリーム小説みたいになってきたぞ。
『そうだなぁ…、魔物や戦争の跋扈するような世界は、平和な日本で暮らしてきた君にはちと酷か。
平和な世界、そして君の好きな世界………』
ぶつぶつと独りで何やら呟き始めたご老人は、顎に手をやり、天を仰ぎ見る。
彼は彼なりに責任を感じていて、きっと私にいいように考えてくれているのだとは思う。
思うのだけれども。
私当人の意見は聞かないんですか? 無視ですか?
まがりなりにも神様なら、心の中を読むくらいのこと出来て当然とも思うのだが。
敢えて読まないようにしているのか、ご老人は素知らぬ顔で唸って考え込むばかりだ。
『……そうだ、あれがいい』
「あの…、私の意見は……」
『心配せずとも、君も気に入るはずだ。
元の世界で君がはまっていた少年漫画【テニスの王子様】の世界なんてどうだろう? 』
「へ? 」
いきなり告げられたその名前に、私は一瞬反応が遅れた。
別の世界って……、アニメとか漫画とかそういう世界もありなのか?!
『この世界なら、元の世界と同じように平和だから命の心配はない。それに、共犯者になってくれそうな候補も数名いることだし、いいかもしれないな。よし、決まりだ』
このまま黙っていると、さくさく決定されそうだったので、私は慌てて口を挟んだ。
「って、私の意見は?! 勝手に決めないでよ! 」
『何か不満があるのか? 君も好きな漫画の世界だぞ』
私の言葉に、ご老人は老人らしからぬきょとんとしたつぶらな瞳でーー可愛くない…はずなのに、なんで可愛いんだ。このご老人はーー、私をまじまじと見つめてくる。
「……いや、それはそうなんだけどさ。やっぱり、いざ行こう!となると心の準備が必要じゃないですか」
『そうだなぁ。確かに、心の準備は必要だな。じゃあ、わしは一足先に行って、共犯者を捜してくるから、しばらくここで待っていてくれ。なに。せいぜい一、二分程度だから、待ちくたびれることもないだろう』
おい、コラ。たかが一、二分で心の準備をしろと?
本当に私の話、聞いてたんですか?
『その他の詳しいことについては、共犯者に書類を渡しておくから、あとでもらってくれれば構わない。戸籍に関しては、君に関わる人間の記憶をしっかり操作しておくから、偽物だとばれる心配はない。他にも何かあるようなら、これでわしを呼び出して連絡して欲しい。出来る限り、善処しよう』
そう言ってご老人から手渡されたのは、他ならぬ私の携帯電話だ。
とすると何か。携帯の電話帳に神様の連絡先が登録されているのだろうか。
…神様も携帯電話、使うんだ。
てっきり電子機器とは相性悪いかと思ってた。(某漫画の影響)
「……わかった。まあ、今更どうこう言っても仕方ないし、ありがたくお世話になるわ」
思えば娘の尻ぬぐいをさせられるご老人も、ある意味では一種の被害者とも言えなくもないか。
そう思えば、目の前のご老人に対する怒りは少しずつながらも沈下してくる。
このやり場のない怒りは、あとで適当な場所で発散させよう。
一人カラオケとか、八つ当たりとか、まあ色々で。
『人間、物事は前向きに考えねばな。…それでは、わしは先に準備等をしておく。準備が出来次第、君を【テニスの王子様】の世界へ導こう』
「了解。それじゃ、宜しくお願いしますね」
『うむ』
一言頷くと、ご老人の姿は一瞬で闇に溶け、消えた。
さてさて。私こと。20才、大学二年生。
ものすごく自己中な女神の我が侭と苦労性の父神の良心により。
ひそかにはまっていた【テニスの王子様】世界へトリップすることになりました。
……私の今年の運勢、大吉だったはずなんだけどなぁ………。
*後書き…
・テニスの王子様・トリップ物語。第一話をお届けしました。
いつもいつも考えるのが、トリップする方法です。よくあるパターンは嫌だし、かといって突拍子がなさ過ぎるのも嫌だし。あーでもない、こーでもないと考えた結果、今回のような巻き込まれ式のトリップ理由となりました。
…なんか最近、巻き込まれ方のトリップ物語をよく書くなぁ……自分。