かたやあますところなくまんべんに全てを光り照らす太陽。 それは誰もが持つ暗い記憶をも、容赦なく白日の元にさらそうとする。 昼間を支配する太陽は、どこまでも生きとし生けるもののは優しいが、すでに肉体を失った魂たちには、いささか眩しすぎてきつい。 だが、夜空を…命無き亡者たちが蠢く夜を照らす月には、そこまでの力はない。 彼女はただ、大地に根を下ろす全ての生き物――生死を問わずーーを光照らすだけ。 生者も死者も分け隔てなく慈しむその眼差しは、強くはないけれど。 あたたかくて、優しい。 慈母とはまさに”夜の女帝”のためにある言葉だ。 心の底に闇を抱えた身としては、全てを白日にさらし出す太陽より。 その闇ごと全てを優しく包み込む月のそばにありたいと。 心からそう思うのだ。 何もかもを優しく包む慈母たる闇の聖母と、はよく似ている。 あるがままを見、あるがままを感じ取り、あるがままを包み込む。 神に属する者たちが”邪眼”と恐れるその瞳は、何よりも穏やかで優しい。 霊的な力を秘めた闇側のものたちを引き寄せ、魅了してやまないその瞳は。 偽りなき慈悲を与えてくれる闇と、おそらくは同質。 多分それが、この娘に惹かれた最大の理由。 時計の時刻は、もう八時を回ろうとしているところ。 普通ならばもうとっくに朝食を終えていても良い頃なのだが、あいにくとこの部屋の主はまだ終わっていなかった。だけど考えてみれば、遠くに住む私に朝食を作りに来いと命令している時点で、やや朝食時間がずれることは覚悟していたのだろう。そう思う。 そうでなかったら、思わず蹴り飛ばさずにはいられない。 最後に煮物の味付けを確認すれば、ようやく朝食の準備終了だ。それぞれの品を器や皿に盛りつけて、最後に主食のご飯と味噌汁を用意すれば、純和食の朝食が完成。 それらの品を全てお盆の上に乗せ、この部屋の主人がいる居間へとわざわざ運んでやるのだけれど。疲労困憊でソファの上に寝ころんでいる彼は、まるで動く気もないらしい。 「……はいはいはい、御飯が出来たからさっさと起きた起きた。 あ〜、それから先に言っておくけど。朝もはよから人呼びつけて御飯作らせたくせに、食べる気がないなんて言わせないからね!!! 」 居間まで来ると、私はお盆の上に乗せていた料理の乗った皿を前に並べる。そんなことを片手にしつつ、私は席についてから一切立ち上がろうとしない青年――有田克也に向かって、声をかけ………気づけばすっかり怒鳴り声になっていたのだった。 「……うるさい、怒鳴るな。普通に話せ。十分に聞こえるだろうが。」 そして出張から帰ってくるやいなや、スラリとした長身をソファーの上に預けて全く動こうとしない彼は、眉間の辺りを右手二本の指で押さえたままで、言葉を返してくる。 切れ長の瞳は、底知れぬ深さのあるぬばまたの漆黒。やや癖のあるウェーブがかった髪は、長すぎず、短すぎず、襟足の辺りまで伸びている。まるで宝玉を思わせる硬い印象を見る者に与える、文句なしに整った無表情。鼻梁のよく通った、東洋人とは思えないほどに彫りの深い容貌は、そこらの俳優やモデルよりもずっと美しい。さらにどことなく翳りのある近づきがたい雰囲気が、本来の美貌により一層拍車をかける。 ここまで好条件が揃いに揃っている上、やることなすことが妙に決まってしまうという罪作り、かつ稀有なタイプの美青年………ではあるのだが。 いかんせんその美貌とは裏腹に、内面はかなり屈折している。そのくせ、妙に大人げない一面――いわゆる好きな子は苛めたいという、小学生的心理――も持ち合わせていたりするからたまらない。 (まあ……今回だけは、大目に見るけどね………) いつもならこの横柄な態度に腹を立てて、足音も荒く帰っているところなのだが。 昨日まで行っていた出張先では、自身の持つ能力をフル活用して派手に立ち回り、獲物の呪力と相殺させて捕獲したらしいし、その上帰り際にも何やら厄介な事に巻き込まれて、結果的に解決したのは克也自身だという。 それなら、帰ってきてほとんど立ち上がらないのも無理はない。 能力の使い過ぎがいかに術者の体力と気力を削ぎ落とすのか。そのことを身にしみて知っていた私は、ぶちぶちと文句を言いつつも朝早くから克也のマンションを訪ね、こうして朝食を作ってやったというわけである。 なんだかんだ言っても、惚れた弱みがあるからね……。 なんてことを言いつつも。本当の事を言えば、ここへ来た最大の理由は。 自分の仕事を、不可抗力とはいえ克也に押しつけたも同然であったから、だ。 克也が完全疲労困憊状態になって解決してきた「妖刀捕獲」のお仕事――実のところを言うならば、私自身が担当する仕事だったのだ。 だがあいにくと出張当日、私は体調を崩して風邪を引いてしまい、結局行くはずだった出張に行く事が出来ず。やむなく克也がその代理に立てられたのである。 そして、その結果がコレだ。 風邪を引いたのは不可抗力……であるとはいえ、私としてみればなんとなく後ろめたい気分にさらされているわけで。 だからこそ、朝もはよから「朝食を作りに来い」と命令口調で頼まれたにも関わらず、この男の頼みを二つ返事で引き受けたのである。 話は少しずれるが、私がバイトしているのはなんと文部科学省麾下のお役所の一つである特殊文化財課、通称:ヤミブンである。なんだか妙にうさんくさい通称だと思われる方もいるだろうが、当然だ。なにせ実際のお仕事というのも、世間一般から見てみればとても堅気とは思えない内容なのだから。 日本ではあまり重要視されていないものの、歴史的希少価値のある文化財を集めたりすることは、次代への文化継承の意味もあってとても大事な役目の一つである。だがその文化財の中には、永い年月を経て凶悪な呪力や人に害なす力を秘めた骨董品などもけして少なくはないのだ。それら曰くつきの呪物を収集・管理し、場合によっては破壊することも辞さないという文化財保護法を無視しまくる闇の文化財課――それが私の所属するバイト先の正体である。 「はい。食事の用意できたよ? 疲れてるかもしれないけど、ちゃんと食事は摂っておかないと。ほら。」 私は料理を並べ終わると、未だ顔を上げようとしないーーそれどころか身体も持ち上げようとしないーー克也に向かって、苦言を呈する。 だが彼は、一向に動こうとする気配もない。 今回の仕事を無事に終了させて、克也が東京へ戻ってきたのは昨日の夜遅く。もうこちらへ戻ってきてだいぶ経つというのに、彼の疲労は未だに回復していないようだ。 確かに今思えば、先ほど私に返答してきた言葉には彼らしい覇気が全く感じられなかったような気がする。 (………ちょっと、本当に大丈夫、でしょうねぇ……???) 私は心配になってきて、彼が身体を預けているソファーのすぐそばまで寄っていくと。ソファーに身体を投げ出すようにして横になり、額に手を当ててぐったりとしている彼の肩を軽くゆすってやった。 「お〜い、起きてる?」 だが反応はない。 (………………まさか、死んでないわよね?) 我ながら不吉な予感に襲われて、私は無我夢中でぐったりしている克也の胸に耳を当ててみた。嫌な予感に騒ぎ出す心を抑えつけて、そっと耳をすましてみると。 規則正しい早さでもって脈打つ鼓動の音が確かに聞こえてきた。 よかった。死んでない(当たり前だ)。 思わずホッと撫で下ろす私だが、今更ながらに自分がとんでもないことをしているーーほとんど密着状態なわけだしねーーことに気づき、慌てて飛び退く。 否、飛び退こうとした。 しかし、飛び退くことは出来なかった。 なぜかって、それはこの男が私の動きを拘束してくれているからだ。 寝てるんだか、起きてるんだか、人が呼んでもまるで応えなかったくせに、起きてたんじゃないか。馬鹿克也。 「人が寝てる間に何をしようとしてたんだ、?」 拘束されているがゆえに、身を離そうにも離せず。そのため、皮肉めいた言葉を、いつもよりもずっと近い距離で聞く羽目になってしまう。 密着しているせいか、深みのある低音域の声音が直接耳に、頭に響いてくる。なまじ響きの良い声をしているだけに、その声音はまるで楽器の奏でる調べのように耳に心地よい。 「別に…! ただいくら呼んでも反応しないから、てっきり死んでるんじゃないかと思って、思わず確かめちゃっただけじゃないの!!」 明らかに不自然だと思われるとわかっていながらも、私は無理矢理に声を絞り出して怒鳴った。そうでもしないと、甘やかな調べとなって響いてきた彼の声に、そのまま魅了されてしまいそうだったから。 すると克也は、いつものようなシニカルな笑みを口元に浮かべた。 顔色はまだ良いとは言えないが、それでも私を苛めるほどには精神的余裕が出てきたところをみると、それなりには体力が回復してきているようだ。 「なるほど…。だがやましいことがないなら、どうして赤くなる必要がある? 」 「……っ!! 」 そりゃ、あんたの顔と声が無駄に良すぎるせいだろうがっ!!!! 心の中で罵倒しつつも実際には何も言えずに(恥ずかしくて言えるか!)、私はそのまま俯くことしかできなかった。 そんな私に唯一出来る事と言えば、この後に容赦なく私の身に降り注いでくるだろう皮肉と毒舌に、万全の覚悟を決めて思わず目を瞑ることくらいだ しかし、覚悟したものの。 いつまで経っても彼特有の皮肉めいた言葉は降ってこなかった。 「克也?」 不思議に思って顔を上げれば、彼の顔が驚くほどにそばにあった。 |