(へ……?) 突然のことに、私の頭の思考は混乱状態に陥る。 そりゃあいきなり美形のどアップをくらえば、誰だろうと同じ状況に陥る事は請け合いだ。 わかったつもりでいても、予期せぬ事態に直面すれば、たいていの人間がパニックになるのは仕方のない事で。 だから私が混乱状態に陥った事も、至極当然の成り行きと言えよう。 だがそれだけでは終わらない。 こともあろうに克也は、私の思考回路が正常に戻るまで間を置くことなく、そのまま顔を寄せてきたのだ。 そしてーーーー、唇に柔らかなものが触れた。 (●◇□×☆◎っっっ!!!) 心の中で声にもならない叫びを上げたのは、本当に一瞬。 あとはもう、叫びすら出ないほどに。 心地よくてほろ苦い、口当たりの良い口づけに酔いしれるだけ。 「……………、ぅん………」 ようやく解放されたのは、しばらく経ってからのことだった。 けして初めてではないのに、未だに心臓がばくばくと恐ろしい勢いで早鐘を打っている。 「相変わらず、反応がいいな」 一方の克也はと言えば、いつもとなんら変わらぬ笑みを浮かべてくつくつと笑う。 思わず怒鳴り返してやろうするが、相手もさるものでそのことを事前に察していたのか。開きかけた私の口を手でもって塞いでしまう。 私はそれを必死に引きはがそうとするのだが、いかんせん克也の方が力が強いので全く引きはがす事が出来ない。 「……それより、俺に言うべきことがあるだろう? 」 悪戦苦闘する私の姿を愉快そうに眺めていたかと思えば、不意に。私の顔を覗き込むようにして顔を近づけて来たかと思うと、彼は口元を歪めてみせた。 (あう………) 口が塞がれていて声には出せなかったものの、私は胸中で呻きを漏らしていた。 私が克也に言うべきこととは。 言わずもがな、今回の妖刀捕獲に関することである。 「本来なら不可抗力と言ってもいいのかもしれんがな、今回のは明らかにお前の不注意だぞ。だいたい冬も近い時雨に全身打たれて、歩いて帰る馬鹿がどこにいる? 出張前日の夕方のことだ。まさか忘れたとは言わせないからな」 「………それはもう、しっかりと覚えておりますですよ。はい」 覚えていないはずがない。何せあのとき、傘を貸してくれると言った克也の好意を盛大に踏みにじった挙げ句、冷たい雨が降りさかる中を濡れ鼠で帰った私だ。 翌日になって風邪を引いたのは、むしろ当然の成り行きである。 ゆえに大きく出る事など出来るはずもなく、ようやく口を開けるようになった私は半ば自嘲の色も濃い呟きを漏らした。 「人の好意を蹴った挙げ句、風邪引いて倒れるとはな。しかも本来お前が担当するはずだった仕事まで俺に押しつけたろう。全く、それほどまでに俺が嫌いか」 「嫌いなわけないでしょ!! 嫌いならわざわざこんなとこまで来て、食事まで作ってやらないわよっ!!! 」 いっそ好きだと言ってしまえればいいのだろう。どうせ一度は白状済みなのだから。 だがなにせ、素直じゃない(それどころか、反骨精神剥き出しとまで言われたこともある)この私だ。やはり面と向かって言うのは照れくさくて。 結局は遠回り(でもないか)な言い方になってしまうのは、我ながら仕方ない。 だが克也は、傾けていた味噌汁の入ったお椀をテーブルの上に置くと、食事を進める手は止めぬままでいかにも白々しく言葉を吐き捨てる。 「ほぉ…。ならどうしてあの時、人の好意を踏みにじった挙げ句に、面倒な仕事を俺に押しつけたんだろうな? 」 「そうは言うけどさ。 貸してやるとかいいつつ、克也だって一本しか傘持ってなかったじゃないの」 「一つ傘があれば、充分に事足りるだろうが」 ムッと頬をふくらませる私に、克也は至極あっさりと言葉を返してきた。 そうして思わず答えに詰まってしまった私を尻目に、彼は煮物の里芋さんを箸で器用に掴んで口に放り込んだ。 いや、確かに正論なんだけどさ………。 一つの傘を二人で使うって言ったら、アレでしょ。 やっぱ、相合い傘。 でもさすがにね、いくら私でも克也と相合い傘する勇気はないワケよ。 「だって、絶対に見比べられるし………」 心の中で呟いたつもりだった声は、私の声帯を通って外へと出ていた。 その言葉を聞いた瞬間、克也は実に嫌そうに口元を歪めた。 「そんなことを気にしていたのか。馬鹿か、お前は」 さほどたいしたことではないだろうと言わんばかりの口調で呟く克也に、私は烈火のごとき勢いで反論した。 「馬鹿って……、そっちにしてみればたいしたことじゃなくても、私にとっては重要問題よ!!! 歩くたびに四方六方からトゲトゲした視線で見られて、やれ『不釣り合い』だの、『お子ちゃま』だの、『鏡を見た事あるのかしら』とか言いたい放題好き放題で言われるのよ?! 良い気分になれるはずがないじゃないの!!! 」 「………だからそれが馬鹿だと言うんだ」 口の中のものを綺麗に咀嚼した後、彼は持っていた箸をテーブルの上に置いた。 「俺と一緒にいれば、そんなことが日常茶飯事なことくらいお前も重々承知のはずだ。 それが嫌だというなら………」 「別れろって? 」 今度は私が鼻で笑う番だった。 「どこの誰とも知らない馬鹿女やら嫉妬女のせいで、折角掴んだ幸せ手放せって言うわけ? そっちこそ冗談じゃないわよ!!! あの時のことは反省してるわよ、ええ、もちろん反省してますとも! だいたい生きてる人間の思念程度でやられるようじゃ、こんなバイトやってけないわ! だからと思って、これからはもっと頑張らなきゃとか心の中で決心してる相手に向かって、そういうこと言うかね? 普通?」 「…………恐ろしく立ち直りの早い奴だな」 「それが私の唯一の美点よ! 」 呆れたような目線を向けてくる克也に、私は胸を張って堂々と言い張る。 顔が十人並みでも、背が低くても、頭が凡人並みであろうとも。 これだけは私が胸を張って言い切れる、唯一にして最大の美点。 『ぐじぐじといつまでも過ぎた事を悔やむより、先のことを考えて行動せよ』 これが私のモットーと言っても過言ではない。所謂、成せば成るの精神だ。 「確かに、な」 てっきり呆れられるかと思ったのだが、意外にも克也が浮かべていたのは笑顔だった。それも滅多に見られないとびっきりの、極上の笑顔。 さすがの私も見惚れてしまい、口に出しかけていた言葉をなくしてしまった。 「お前は俺を飽きさせない。だからこそ、俺はお前を選んだ」 彼のしなやかな指が、頬にかかってきた私の髪を払いのける。 至近距離で呟かれた言葉には、不思議と色香にも似た甘さが漂っていた。 「それに……。 あいつの光は強すぎて眩しいが、お前の光は静かで柔らかいからな……」 「はぁ…? 」 わけのわからないことを唐突に言い出す克也に、私は思いっきり疑問の声を上げる。 「俺には太陽よりも月の方が合うらしい。そういうことだ」 珍しく遠回りな言い方をする克也。太陽だの月だの妙にキザっぽい台詞だが、彼ほどの美形が口にすると全く嫌味な感じがしない。むしろよく似合う。 だが、彼の言いたい事がまるでわからないのは変わらない。 なのに克也は、もう言うべきことは言ったとばかりに、さっさと食事に戻ってしまう。 「ますますワケわかんないってば……」 明らかに不満そうに呟く私に対して、克也は完全沈黙を貫いて栄養分摂取に勤しんでいる。さすがに食事を邪魔するのも気が引けたので、結局私はそれ以上のことを聞く事が出来なかった。 太陽か、月か。 どちらかにあいつを例えるとするならば、迷わずに答えるだろう。 は月だ、と。 それは、天使でありながら邪悪とされる堕天使の力を持つからでもなく。 はたまた彼女自身が闇に近い存在であるためでもない。 『聖と邪、善と悪。良薬も過ぎれば毒となる。 世の中いいことだけしかないことなんて、一つもないじゃないの。 それに陰陽師が呪詛できることくらい、私だって知ってるわよ。それが何? 』 かつて、自身が幾度となく”呪詛”を行っていたのだと。 知らせたその時に、即日回答とばかりに寄越された彼女の言葉。 そこに、全てを白日の元にさらけ出すような強さは、まるで感じられなかった。 あるのはただ、あるがままを受け入れる心一つ。 生者も死者も、分け隔て無く慈しむ”夜の女帝”のように。 全てを区別することなく、受け入れるその度量の広さと。 古傷さえも慰撫してくれる、彼女自身の持つ闇の輝き。 慈愛と慈悲。 その姿は、さながら闇の聖母そのもの。 過去の自分も今の自分も関係なく、自分を見てくれる。 器も心も魂をも真っ直ぐに見据える、その鮮やかな一対の青に。 幾度、魅了されたかしらない。 喉から手が出るほどに欲していた、穏やかな闇。 はまさに、その穏やかな闇を体現する存在そのもの。 だから俺は、あの娘をずっと手放す気などない。 手放す事など考えれぬほどに、あの存在に魅了されているのだから。 だが、もとより。 そのことを口に出してやるつもりなど、さらさらない。 *後書き… ・だいぶ昔からネタのあった、短編「水底からの声」の後日談っぽいお話。 修正を加えていったら、原形を留めていないです。書きたい放題好き放題…。 甘いのか、はたまたそうでないのか。つくづく夢のようで夢でない夢だな、おい。 まあ、そもそもこのお相手に「甘さ」を求める事自体が間違ってる気もしますが。 これでもこの二人、付き合ってる設定だというのだから……全くもってなんなんだ。 ていうか、一人称と三人称が混じるってどういうことですか? いや、よくやるけど。 尻切れトンボ感が否めませんが、すこ〜しでも楽しんで頂けたらいいなぁ……。 |