天井からぶら下がる江戸時代の駕籠や、部屋の隅に置かれた造り酒屋の大樽。
ガラスケースの中に並べられているのは、文明開化の当時を彷彿とさせる明治期のランプ。
かと思えば、市内で発見された遺跡の発掘物とおぼしき須恵器のかけらが適当に並べられていたりする。
そうかと思いきや、ホルマリン漬けになった両生類やら魚類のビンがズラリと並んでいたり、有志から寄贈されたとおぼしき昆虫標本や鉱石標本が並べてあったり。
郷土資料館とは銘打っているものの、その実体は単なる“古い物を集めた倉庫”でしかないと思うのは、おそらく私だけではなく、ここを訪れた客たちに共通の意見であろう。
恐ろしいほどに無秩序な空間。
だが無秩序もここまでくると、ある意味賞賛にすら値する。
世を忍ぶ仮の姿が「日本民俗学調査研究協会」と銘打つだけあって、御霊部本部には小さな資料館よりも遙かに充実した民俗学関連の資料が安置されている。さらに仕事の都合上、それらの資料を読む機会も多い御霊部メンバーは、必然的に歴史学的知識が豊富である。世が世なら貴族様である彼らは、教養・文化といった類の方面の知識も深い。
そんな彼らがこの資料館を見たら、まず間違いなく落胆するか憤るかどちらかだろうと、私は勝手な個人的予測を立てていたのだが。
現実は、ほんの少しばかり違っていた。
展示室に足を踏み入れた柊一は、一歩踏み出しただけでその場から動かなくなってしまった。
こっそりと顔色を伺ってみれば、その色は驚きのものではない。
むしろ呆れと言った方が近いだろうか。
目前に広がる無秩序な空間に別の意味で目を奪われていたらしい柊一は、視線は展示室へ向けたままで、独り言のように呟いた。
「……なんなんだよ、ここは」
疲れたような、呆れたような。様々な感情が入り交じったその言葉に、私は肩をすくめてみせた。
「郷土資料館とは名ばかりの、単なる“集めた古い物を入れておく倉庫”よ」
「倉庫、か……。まさしくその通りだな。
……全く、こんな倉庫みたいな魔窟部屋に一体何があるって言うんだよ……」
過去私が呟いたのと内容的にほとんど変わらないことを呟きーー大方柊一も籠目部長からここを覗いて行けとでも言われたんだろうーー、柊一は固まっていた足をなんとか動かしてその中へと入った。
私としても正直、もう一度足を踏み入れたい場所ではないのだが。
ここで私が「じゃあ柊一だけで頑張ってね♪」とでも言おうものなら、間違いなく叱責の声を浴びせられる事は間違いない。なので仕方なしに、私もまた“集めた古い物を入れておく倉庫”へと足を踏み入れた。
「……一体こんな魔窟に何があるって言うんだか……」
いかにも面倒くさいといった様子を露わにしたまま、柊一はブツブツと愚痴を零す。
それでもキチンと中を見て回っているのだから、いきなり“天の眼”を発動させて霊力のある物をリサーチし、さっさと逃げ帰った私よりも幾分マシ……いやいやずっとマシ、比べるのもおこがましいくらいにマシである。
そんなことを思いつつ、柊一の後について中を歩いていると。
――――ちりん。
澄んだ鈴の音が、かすかに耳に響く。
「なんだ……? 」
「あ、やっぱり柊一の鈴も反応したんだ」
「やっぱり、というと。お前の“天の眼”も反応したのか」
「うん。微弱ながらに、少々霊気がね……」
私は言いながら目的の物の方へと足を進めていく。
柊一もポケットの上から鈴を押さえつつも。
その震え具合を気にしながら、結果的に私と同じ方向へと足を進めていく羽目になる。
私と柊一が足を止めたのは、ガラス張りの箱に入った小さな品物――崩れた建物の跡で発見されたと思われる、一枚の瓦の前だった。
古びたーーそりゃあ昔の物だから古びていて当然だーー瓦はところどころが欠けていて、焦げ跡のようなものすら見てとれる。だが、中世以降をはじめ、日本という国もまた数々の戦を経てきた場所である。戦で焼け落ちた瓦が発掘されたとしても、何の不思議もない。
そして何より目を引くのは、瓦の表面についた見覚えのある傷だ。偶然というにはあまりにも線が綺麗であるからして、明らかに何らかの意図をもってつけられたものだろう。
瓦についた二本の線は、歪み一つ無い真線。交差する線の角度は45度でも130度でもなく、90度。直角である。直角に交わる二本の線、あまりに単純なこの図形は“キリスト教”の十字架を即座に彷彿とさせるが、実際のところは世界各地に似たような文様が伝わっている。一目見てこれを“キリスト教”と結びつけるのは、いささか早急である。
が、しかし。この瓦が出土した場所は“舟山町”。
“骨の山”という意味を持つこの地域には、その昔教会ごと生きながら燃やされたキリスト教信者がいたという記録が残り、信者たちの魂の冥福を祈る為に立てられた御堂が実際に存在している。
その上柊一の鈴が反応を示し、私の“天の眼”も反応したのだ。
これを単なる偶然と片づけるには、いささか疑問が残るところである。
「……、この瓦…」
おそらくは私と同じことを思ったのだろう。視線は瓦の方へと真っ直ぐに向けながら、柊一が何かを話し始めるーーーーーが。
その言葉は不意に途切れる。
私たち以外いなかった展示室の扉が、いきなり外から開いた為に。
顔を上げて扉の方へと視線を向けてみれば、コンビニの袋を片手にぶら下げた中年の男女と視線がかち合った。このお二人には、前に一度来たときにも会っている。とどのつまり、二人はこの資料館の職員たちなのである。
「あら、貴女…確かこの間も来てた…」
私は柊一と違い、至って平々凡々な顔立ちではあるのだが、黒い髪に青い瞳というやたらと目立つ外見特徴を持ち合わせている。そのため一度しか逢っていないにも関わらず、しっかりと顔を覚えられていたらしい。
「今日は友人の付き添いで来たんですよ」
私はニッコリと笑顔を浮かべて、それ以上の会話を無理矢理断ち切った。
「どうぞ、ゆっくり見学していって下さいね」
私に話しかけた方とは別の、もう片方の職員が愛想笑いを浮かべて言う。
おそらくは柊一に向けていった言葉であろう。
さて柊一はどんな反応を示すかと、私は成り行きを見守っていたのだが。
彼は無言で職員たちの方へ一礼すると、私の腕を引いて足早に展示室の外へ出て行く。
彼らが帰ってきたのでは、ここで仕事の話なんて出来やしないからある意味当然の結果なのだろうが……。
柊一の表情から察するに、多分それだけではないと思われる。
「職務怠慢どころか、自分の仕事すらまともにやってやしない。
ああいう連中に渡す給料があるなら、少しでも御霊部の経費に回して欲しいもんだな」
燦々と照りつける灼熱の光の中を歩きながら、柊一がぼそりと呟く。
真夏の昼間、気温は30度を超える世界で発せられたにも関わらず、彼の言葉はひどく冷ややかで。
気になって覗き込んでみれば、柊一の漆黒の瞳には深い失望と侮蔑の光が灯っていた。
……まあ、仕事熱心な彼からすれば無理もない反応だろうが。
ずっとこの雰囲気を引きずっているのも嫌だったのでーー多分このまま放置しておいたら、しばらくはずっとこのままだーー、私は小腹も空いてきたことだし…と思い切って話題を変更することにした。
「それよりも柊一、お昼食べたの? とりあえずどこかの喫茶店で休もうよ。
私はお昼食べたけど、パフェくらい奢ってくれるよね? 」
私の言葉に柊一は一瞬呆気にとられたような表情を浮かべるが…、すぐに気を取り直したのか、大きく息を吐いた。
「………そういえばそうだったな。近くに喫茶店があるなら、案内してくれ」
「合点承知! 」
おどけて兵士が上官に対して行う敬礼を一つ、してみれば。
いつもだったら、馬鹿じゃないのかと言わんばかりの視線を送ってきそうなものなのに。
今日の柊一は、なぜか穏やかな笑顔を浮かべたまま、私の手を取ったのだった。
…とりあえず、機嫌は直った……と考えていいのよね?
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