私が本殿の中に入ると、ちょうど宮司さんが柊一と向き合っているところだった。
怪訝そうな表情を浮かべていた宮司さんは、本殿に入ってきた私の方へと一旦視線を寄越すと、もう一度柊一の顔をまじまじと眺め………やおら手をポンと打った。

「ああ! 御霊部さん、御霊部さんですね! 日本民俗学調査研究協会なんていうから、全然わかりませんでしたよ〜。
こんなところで立ち話も何ですから、私の家で話しましょう。さあさあ、どうぞ! 」

 私がこっちへ来た時と全く同じ反応だよ…。
 また同じような反応を示されると、柊一の事だから機嫌悪くするかと思って、事前に“日本民俗学調査研究協会”が御霊部の仮の名称だって教えておいたんだけどねぇ…?
御霊部メンバーが来ることに舞い上がってて、全然私の話を聞いてなかったと見える。このおじさんは。

 そして当の柊一はといえば、私の予想通りあまりいい顔はしていない。

 御霊部の仕事に絶対の自信と誇りを持っている柊一からすれば、宮司さんのようなミーハーな態度というのはどうも許せないらしい。確かに中途半端な好奇心や方向性の異なる興味心というのは、ハッキリ言って毒にこそなれ薬になる事はない。それにこうもミーハーがられると、巷で名を売っているインチキ霊能者と一緒にされているみたいで面白くないのだろう。誇りを傷つけられる、とでも言うのか。

 御霊部の仮の名称を含め、そのことも私は事前に説明しておいたのだが、宮司さんにとっては“馬の耳に念仏”だったようだ。
 半ば呆れたような視線を宮司さんへ送ってみるものの。当の本人は私の目線にもまるで気づく事もなく、ニコニコと笑顔を浮かべて柊一を本殿裏手の自宅へと案内していた。

 そんな折りに、案内する宮司の後ろを歩いていた柊一がふとこちらを振り返る。
一応同じ仕事仲間(本来私が所属する組織となら、犬猿の仲であるはずなんだけど)であるために取り繕う必要もないと思ったのだろう。彼は整った顔を勿体ない位に歪めて、恨めしげな目で私の方を見てくる。

「………

 その表情から、私は柊一の言いたい事のほぼ大半を察したが。どうすることもできなかったから、ただ肩をすくめてみせるしか出来なかった。

「何も言うな、柊一。今は耐えるのよ」
 完全に人事口調ではあったが、私の言葉に嘘はない。
それがわかったからこそ、柊一も何も言わなかった。
何も言わないまま、さらに疲れた表情を浮かべるだけだった。
この炎天下の中、神社の長い石段を昇ってきたせいだろうか。もともと疲れた表情をしていただけに、柊一の顔にはより一層疲労が色濃くなっている。

(途中で倒れたりしないわよねぇ………柊一)

 実はこの後、柊一は日射病で倒れる事になるのだが、そんなことは私も当の本人もまるで知るよしがなかったのであった。





 本殿の裏手にある宮司さんの家は、神社と同じ空間に立っているだけあってやはり木造建築のお家だ。木で造られた家だけあって、コンクリ詰めの家やアパートよりも風通しが良いので、クーラーをつけていなくても扇風機だけでも充分に涼がとれる。

「ちょっと待ってて下さいね、今何か飲み物を持ってきますから! 」
 宮司さんはそう言うなり、さっさと台所へと引っ込んでしまった。いつもならこの手の仕事は私の役目なのだが、今回の場合は私は柊一と同じ立場にある人間だ。そして何よりも彼のミーハーぶりを見る限り、自分自身でおもてなしをしたいと思っているのだろう。

「……疲れた……」
 大きな溜息をついて呟く柊一だが、まあ無理もないだろう。
あの宮司さんのミーハーぶりは、下手をすれば同人系腐女子と通ずるところがある。

「お疲れ様〜、はるばる東京からここまで来てくれて歓迎するわよ」
 やや猫なで声に近い声音で柊一をねぎらってやりながら、私は卓上に置いてあった冷えタオルを手に取る。このタオルは、彼が午後に着くというからわざわざ用意しておいたものだ。だが外に出してだいぶ時間が経っていたため、昨晩から凍らせていたにも関わらず、凍っていたタオルはだいぶ溶けていた。

 私が半解凍タオルを差し出すと、柊一はそれを受け取り、わずかに目を瞠る。

「これ、凍ってるぞ…」
 まだ固まっているせいか、広げようとしてもなかなか広げられないタオル。それを半ば唖然として見つめつつ、柊一はぼやいた。

「あ、私が凍らせといたのよ。
炎天下の中を歩いてきたんだから、その方が気持ちいいかと思って」

にしては珍しく気が利くな」
 ようやく広げたタオルで流れ落ちる汗を拭い落とすと、柊一は気持ちよさそうに息を吐いたかと思うと、実に爽やかな表情を浮かべる。
 でもその爽やか美少年顔とは裏腹に、吐き出す言葉はあまり爽やかじゃない。

「うわ、失礼だね。私はいつでも気が利くわよ」

「………そうかもな」

 ムッとして言い返す私だが、柊一から返ってきたのは意外な返答だった。
てっきり『気が利いてる? どこがだ?』みたいな言葉が返ってくるものだと思っていたのに、なんともまあ素直なお返事が返ってきたではないか。
びっくりたまげたが、同時に妙にこっぱずかしくて。
 その照れ隠しとばかりに、私は柊一の手からタオルを強引に奪い取ると、彼の口から文句が出るより前に、そのタオルでもって柊一の顔をゴシゴシと拭いてやる。

「な、なんだよ! 」

「うるさい! そういうことを面と向かって言われると恥ずかしいじゃないのよ! 」
 ムキになる必要もないのだが、気づけばムキになって言い返していた。
後々で考えてみれば、自分からそのことを暴露してどうするよ、私。

 そうしてなおもタオルを握る手を動かし続ける…否、動かし続けようとしたのだが、柊一に手首を捕まえられてしまって動かせなくなってしまう。
 年下といいつつも、私と柊一では二つしか年が違わないのだ。
よって体力や純粋な力は、到底彼には敵わない。

「照れてるのか? 」
 私の手首を捕まえた姿勢のまま、わずかに目線だけを上げて柊一が問うてくる。
本人はまるで意識していないのだろうが、首を傾けた拍子に前髪の幾筋かが重力に従ってはらりと落ちていく。眦がやや吊り上がっているものの、上目遣いにこちらを見上げてくる曇り一つない漆黒の瞳には心なしか可憐な色気すら漂う。口端はわずかに笑みで吊り上がってはいるものの………、ハッキリ言おう。

 可愛い。
 女の私よりずっと、可愛い。

 いささか嫉妬を覚えずにはおられないとはいえ。二歳年下の美少年に上目遣いされてるお姉さん(私の事だ、私の)としては、たまらなく萌えなんですがっっっ!!!
 万一宮司さんが留守で、この家の中に私と柊一の二人だけ・二人きりの世界だったとしたら、本気で押し倒していたかもしれない(ちょっと待て)。
 だが今ここでそんな不埒なことをしようものなら、間違いなく宮司さんに見つかる。他人様の目があっては、いくら私でも美少年萌え心よりも羞恥心の方が勝る。

 そこで心の奥底に宿るひそかな欲望を必死で抑えながら、そして図星を指されて赤くなる顔を隠す為に半ば怒り口調で、私は二つ年下の生意気美少年に怒鳴った。

「やかましい! 疲れてるなら黙っておとなしくされるがままになってなさい! 」

「そうはいかないさ。折角いつもやり込められてるお返しが出来そうだってのに、黙っておとなしくなんかしていられないね」

「おのれ柊一! 年下のくせに生意気なっ! もっと年長者を敬え!!!! 」

「たかが二つ上なくらいで年長風を吹かすなよ!!! 」

「たかが二つ、されど二つも年上よ! 」


「…………!!! 」
 一瞬、柊一の瞳がかすかに揺らぐ。
 かと思えば、先ほどよりもさらに強い力で手首を掴まれる。

「ちょ……、力任せに掴まないでよ! 痛いじゃないの! 」

「年長風吹かせるなら、自分でどうにかしてみろよ。出来ればだけどな」

「無理に決まってるでしょうが!!
乙女の柔腕で成長期真っ盛りの青少年の力に勝てるわけがないじゃない!!!! 」

「なら、最初から年長風を吹かせるな!!! 」

 なんだとこの野郎、と言いかけて………。私は思わず口を噤んだ。
 否、噤まずにはいられなかった。

 こちらを見つめてくる柊一の瞳は、今までに見たこともないくらいに真剣だったから。
仕事でこの世ならざる者と対峙している時とはまた違う、痛いくらいに真っ直ぐな強い視線。曇り一つ無い漆黒の双眸に浮かぶ光は、今までに見た事もないような色を宿している。

「確かに僕はより二つも年下だ。だけど年下である以前に、僕は………! 」

 柊一の両手にさらに力がこもる。
無論その力に抗えるはずもなく、私は両手を畳の上につくような形で両手首を押さえつけられ、尻餅をつかされてしまう。そして当の柊一は、半ば私の上に覆い被さるような体勢で顔を近づけてきた。

 ……顔が、顔が近いんですけど……っ!!!!

「僕は年下である以前に、一人の男だ」

「そんなこと、言われなくても知ってるわよ……」

 綺麗な顔立ちではあるものの、柊一はけして女顔ではない。ハッキリ言えば、彼よりも楠木さんの方がよほど可愛い顔をしているし(ものすごく失礼)。
 どちらかといえば、柊一は克也のそれに近い容貌の持ち主だ。あと二、三年もすれば間違いなく、眉目秀麗と誉れ高い美青年に成長することだろう。
 それに柊一には、やるべき使命は己の全てを投げうってでも成し遂げようとする強い意志がある。お公家さんの末裔であるにも関わらず、この辺の気骨ぶりはさすが日本男児。年の割にはしっかりしているし、正直とても頼りになる。
 年下年下、と柊一に向かって連呼している私だが、けして見くびっているわけではない。
むしろそのひたむきさ、真面目さは、見習いたいと思っているくらいだ。


 だが柊一は、静かに首を横に振った。

「知ってても、お前はそう見てない」

「はぁ……? 」

「ほら、わかってない。………でも、その方がいいのかもしれないけどな……」

 何を言ってるんだ、こいつは。

 まるで彼の言いたい事がわからずに、混乱する私。
だが、すぐにその混乱から浮上する。否、せざるをえなかった。

「柊一、顔が近いっっ………! 」

 近いという距離ではない。
あと少し近づけば吐息すら触れ合うほどの距離。まさしく至近距離、だ。

 離れようにも両手首を押さえられているから、どうすることもできない。
いっそ特殊能力でもって柊一の動きを封じ込めるという手もあるのだが、一度相手に“天の眼”を向ければ最後。長時間はその効力が続いてしまうのが、なんとも厄介なところで。
ここで彼にその力を使えば、最低でも一時間は束縛が解けない。
いくらなんでも、それはまずかろう。

 おかしいなぁ……、美形のドアップなら克也で散々慣れたはずだったんだけど。

 私はふとそんなことを思い出し、気づかぬうちに小さな溜息を漏らしていた。
有無を言わせない柊一の今の行動は、克也のそれに非常によく似ていたから。
自分の方が上背があるのをいいことに、気まぐれのように不意打ちで唇を奪ってくれる克也。仕事先(アルバイト先)が同じであるおかげで、自然と一緒にいる時間が長くて。その分不意打ちをかまされる回数も少なくはなかったわけだが、考えてみればここ二ヶ月は全くそれがない。まあここ二ヵ月間は、ずっと安内市にいて高校生やってたんだから、至極当然のことではある。
 だけど。それが全くないだけで、不思議と心の隙間に冷たい風が吹き込んでくるような違和感を覚えるのだ。当たり前のようにそばにいた相手が隣にいないのが、これほど精神的に辛いものなのだと思わなかった。
 今までは、敢えてそのことを考えないようにしようと思っていたのだ。
思い出すとたまらないから。会いたいと思ってしまうから。
いっそ任務放棄してまでも、東京に帰りたい思いに駆られるから。

 だのに………。
 今の柊一の行動が、否応なしに彼を思い起こさせるのだ。


 私が、会いたくてたまらない、その人をーーーーー



「……………克也……」

「………っ!!! 」

 ほとんど無意識に私の唇をこぼれ落ちた名前は、柊一を正気に戻すには充分な効力があったらしい。
 彼は二、三度目を瞬かせると、慌てて両手を離して後ろへと大きく後退する。
そのおかげで拘束されていた両手首も自由になり、私もまたその場から多少後退し。思わず安堵の溜息を漏らしていた。

 だが。なんとはなしに破りがたい沈黙が私たちの間に残った事は言うまでもない。

 この状況をどうやって打破するべきかと、私は私なりに。
多分、柊一は柊一なりにきっと考えている真っ最中だろう。

 さあて、どうしたものか。




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