「…貴重なら、もう少し丁寧に扱って欲しいものだけど」
 思わずボソリと思った事を呟けば、その言葉が聞こえていたのか。
楠木さんは盛大に吹き出していた。

「はははっ、それは言えてる」

「笑い事じゃないってば、もぉ……」
 微妙に不謹慎な言葉を口にする楠木さんを私は睨みつける。
けれど、ふと気づけば私の顔の表情筋はすっかりと緩んでいた。

なんだかんだ言って、私の原点はやっぱりヤミブンにある。
楠木さん、耕作さん、克也、エリ子さんに万来課長、そして美佳子さん。
衣食住の全てと家族や友人を失った私に救いの手を差し伸べてくれた人たち。
感謝してもしきれないその人たちと一緒に働ける事、働く事を許されている事。
それがどれだけ幸せであるか、今更ながらに思い知った。


「でも、ちゃんが元気そうで良かったよ」

「元気ですよ。私がそう簡単に意気消沈する柔なおなごに見えるかね? 」

「とてもそうは見えないね。でもさ、やっぱり心配だったんだよ。
僕だけじゃなくて、溝口さんもエリ子おばさまも課長も、あいつもね」

 ……嬉しいこと、言ってくれるじゃないの。今のはちょっとぐっときたぞ。

「………ありがと、楠木さん。ちょっと嬉しい」

「ちょっと? もっと嬉しがってくれてもいいんだけど」

「調子に乗るな」
 私が拳をグーに握って振り下ろすと、楠木さんは笑ったままでそれを難なく避けた。

「まだ終わりそうもないの、御霊部の試験って? 」

「うん、まだみたい。もうそろそろ柊一もここに到着する予定だし。
むしろこれから活動って感じかな」

「飛鳥井がここに来るのか……。なら僕はもうそろそろ行かないと」
 今までずっと下ろしていた重い腰を上げて、楠木さんはその場に立ち上がった。

「まるで柊一から逃げるみたいな言い方じゃない。楠木さんは柊一が嫌い? 」
 私がズバリとそう聞けば、彼は一瞬考えてから苦笑いを浮かべる。

「別にそういうわけじゃないけど、向こうはこっちを良く思ってないみたいだしね」

 ……まあ、確かに。
 戦後に設立されたヤミブンとは違い、御霊部は天武天皇の御代に創立された陰陽寮を前身とする由緒正しい外郭団体だ。この組織に関わるのは、古来より千年以上も続く名家…とどのつまりは貴族の家柄に生まれた者たちのみ。それゆえに組員は世襲制であり、彼らの持つ矜持は一般人とは比べものにならないくらいに高い。ただ世襲制ゆえに万年人員不足に陥っており、現状では攻撃系能力に長けた者がいなくて難儀しているのが実態である。
 そうして。本来全く違うものを追い求める身でありながらも、ヤミブンと御霊部はしばし仕事がバッティングすることが多々あった。
 だがよく考えてみれば、御霊がいるような怪しげな土地にいわくつきの怪しげな骨董品が眠っていたところで、なんの不思議もない。

 なのに。なぜか双方は、お互いを毛嫌いしているのである。
 ヤミブンに在籍しながら、この“天の眼”の制御能力確立のために御霊部の御大に教えを乞うている私としてみれば、なんとも複雑な心境だ。

「てか、基本的に楠木さんってからかわれ体質だよね。
でもって柊一は、どっちかというと克也体質に近いし。あれは多分、柊一なりの愛情表現というか……ライバルに対して牙剥き出しにしてるって感じだけどなぁ。
所謂あれよ、“喧嘩するほど仲が良い”」

ちゃんとアリみたいに? 」

「そこで変なたとえを出すな!!! 」
 ふっと口元を吊り上げて笑みを浮かべた楠木さんの言葉に、私は思わずすぐそばにあった賽銭箱の中身――たまたま箱の中に入りきらなかった五円玉だろうーーを彼に向かって投げつけずにはいられなかった。

「…まあ、鈴男の奴がこっちに来るってのもあるけど、僕の方も仕事があるし。
そろそろ行かないと、時間に間に合わなくなっちゃうから行くよ」
 私が投げつけた銭を難なく避けて、木の床に落ちた五円玉を拾うと。楠木さんは賽銭箱の中へとその小銭を投げ入れる。

「……いっそ、私とポジション変わってよ。楠木さん」

「そんなことしたら、僕が鈴男に怒られるよ」

 南中時間は過ぎたとはいえ、頭上空高くで煌々と輝く太陽の光は一向に衰える事を知らない。容赦なく肌に照りつける真昼の帝王の視線は、たちまちに体内の水分を奪っていく。
 おそらく石畳の上に生卵を落としたなら、あっという間に目玉焼きが焼けるだろう。遠くに陽炎さえ揺らつく灼熱の暑さの中へと歩み出して行った楠木さんに、私は思わず声をかけていた。

「くれぐれも熱中症には気をつけるように。それから水分補給はこまめに、ね? 」

「ご忠告、ありがたく受け取っておくよ」
 楠木さんは首だけで私の方へ振り返ると、そう言って苦笑いを浮かべた。






 楠木さんがいなくなると、また五郎神社の境内にはもとの静けさが戻った。
蝉の合唱と綺麗な音を奏でる風鈴の音と。
それらの音以外は、なにも聞こえない。静かな静かな昼下がり。

「……遅すぎるわよ、柊一。何やってんのかしら」
 待てども待てども一向にこない待ち人に、私はついに痺れを切らした。
そしてもう片方の袂に手を突っ込むと、そこから銀光りする携帯電話を取り出す。

 今ではすっかり一般市民に普及している携帯電話だが、舟山高校の生徒のみはその例外で、携帯を持っている者の方が珍しい。なぜなら校庭のすぐ隣にある“入らずの森”では、一切携帯電話が使えないからだ。
 たいていの大人はその理由を磁場の問題と言っているらしいが、生徒たちからいろいろと話を聞く限り、とても磁場のせいとは思えない。
 なにせ“入らずの森”に面した旧校舎で部活動を行っている生徒たちは、必ず一回は奇妙な現象に立ち会っているというのだから。いくら旧校舎で活動する部活動の数がそれほど多くないとはいえ、最低でも50人くらいはそこで部活動をしているだろうに。にも関わらず、彼ら全員が心霊現象(もしくはそれに近い謎の現象)に立ち会っている…。
 早紀ちゃんや萌ちゃんから聞いた話だと、この“入らずの森”のある場所。
信仰を捨てなかった多くのキリスト教信者たちが、この地に建っていた教会もろとも焼き殺されたといういわくのある場所なのだそうだ。おそらくはその怨念が今なお、この地には刻み込まれているのだろう。電子機器が使えないのも、案外とそのせいかもしれない。

 私は携帯の電話帳を呼び出すと、柊一の携帯番号を探し出して電話をかける。
一回、二回、三回目のコールで電話は繋がった。

『もしもし?』

『柊一? 私よ、。一体いつになったら、こっちに来るのよ!』

『今ちょうどバスに乗ってるところだよ。一体なにを怒ってるんだ?』

『怒るわよ!
だいたい午後には着くとか言っておいて、まだ着いてないじゃないのよ!』

 私が怒鳴ると、電話の向こうはなぜか一瞬沈黙した。

『あのな…。確かに僕は午後には着くとは言ったけどな、何も正午きっかりに着くと言った覚えはないぞ!』
 最初こそ半ば呆れ口調だったのが、後半では怒気混じりな口調にとって変わられている。
つくづく気が短いというか、どうにも柊一は私と会話をしているとカッとなる頻度が高いな。雅行と会話しているのを見る限りでは、“年の割に大人びた少年”という印象を与える柊一だが、どうにも実際に向き合って話してみるとやっぱり子供らしい一面もある。

『……とにかく遅い! 私はもう暇で暇で暇で暇で仕方ないのよっっ!!!』

『そんなことでいちいちわめくな! あともう少しで着くから、おとなしく待ってろ!』

 そうして、一方的に電話は切れた。これが携帯だからよかったものの、普通の電話(公衆電話含む)だったなら、まず間違いなく勢いよく受話器を電話本体に叩きつけていたところだろう。無論電話を切ったのは、柊一の方だ。
ツーツーとしか音の返ってこない携帯を再び装束の袂にしまい込み、私は肩をすくめる。

「あーーーーーーーーーーー、暇」

 夏休みなんだから宿題でもやっていろと思う人もいるだろう。しかしおあいにく様。今回出た宿題のうち、文系科目の宿題はほぼ半分は終わっている。伊達に二回目・高校二年生を経験しているわけではないのだよ、私も。
 ちなみに理系科目は全く手を付けていない。どう足掻いてもわからないものはわからないし、柊一がこっちに来たら御霊部の仕事の合間にでも教えてもらおう。(他力本願)

 いっそ昼寝でもしようかと、拝殿前の階段に座り込んで目を瞑ろうとした時だ。
なにやら神社の石段の方から声がする。一瞬錯覚かとも思う私だったが、その声の主たちの姿を目にしてすぐに思い直した。
 一人はやや癖のある猫っ毛を二つに結った、明るい笑顔の少女。顔立ちは美人とまではいかないまでも可愛らしい。鮮やかな漆黒を宿すつぶらな瞳と、はきはきとした物言いとがチャームポイントだ。
彼女の名は、熊谷早紀子。舟山高校漫画研究部部長を務めるクラスメート。
 その彼女の隣で石段を上がってきたのは、おっとりとした雰囲気のある清楚な少女だ。やや色素の薄い髪を一つに編み込み、柔らかな笑顔を絶やさない彼女には、可愛いというよりも可憐という言葉がよく似合う。まるで一昔前の大和撫子を彷彿とさせる彼女の名は、吉野萌。早紀子の親友で、現在漫画研究部の副部長を務める…やはり私のクラスメートの一人だ。

「早紀ちゃんに萌ちゃんじゃない!!!」
 私が思わずその場に立ち上がると、石段を上がってきた少女二人がこちらに向かって手を振ってくれる。

ちゃん、その格好…? 」
 長い石段を上がってきたからだろう、珍しく額に汗を浮かべている萌ちゃんが声を絞り出す。普段はやんわりとした色を浮かべている双眸は、わずかに瞠られていた。

「あぁ、これ。一応巫女さん志望だし、ちょっと着てみたかったから。変かな? 」
 半ば自嘲気味な苦笑いを浮かべながら呟けば、二人はふるふると首を振った。

「ううん、似合ってる。声かけられるまでちゃんだってわからなかったし」
 そう言ってくれた早紀ちゃんの言葉にも表情にも、まるで嘘の色はなかった。もとより彼女は、感情が素直に顔に出るタイプだ。今の言葉が本心でなくお世辞であるのなら、彼女の浮かべる表情はもっと違ったものになっていたはず。

「ありがと、早紀ちゃん。ところで二人ともどうしてここに?
漫研繁盛の祈願でもかけにきたの? 」

「違う違う」
 私の見当外れな問いに、早紀ちゃんはパタパタと手を振る。
そうして具体的に私の疑問に答えてくれたのは、萌ちゃんの方だ。

「あのね、ここの神社ってあまり人が来ないでしょう。
だから鍛錬の場には、ちょうどいいって早紀ちゃんが……」

「鍛錬? 体力作りしてるの? 」

 文化系クラブに入っている早紀ちゃんが、なぜ体力作り?
 私は首を傾げずにはおられなかった。

「……最近、ちょっと太ってきて……ダイエットを……」
 言いづらそうにぼそぼそと呟く早紀ちゃんだが。実際彼女がふくよかな体型をしているかと言えばそうでもない。太過ぎもせず、細すぎもせず。普通だと思うのだが……。

「別に太ってないじゃない」
 私は思った事をそのままに述べるが。

「傍目には太って見えなくても、お腹にはぽっこりと贅肉がたまってるのよ」
 早紀ちゃんは妙に自信満々、きっぱりと言い放つ。そうして彼女は、持ってきたスポーツバックを開くとゴソゴソと中を漁り始めた。

「萌ちゃんは……、ダイエットするわけじゃないのよね」
 涼しげな水色のワンピースから伸びる彼女の四肢は、スラリと細い。いかにも清楚なお嬢様といった印象の拭えない彼女は誰から見ても細い。男なら思わず守ってやりたくなるような華奢な身体つきの萌ちゃんは、絶対にダイエットなどする必要はない。皆無。

「うん。私は早紀ちゃんの付き添い」
 おっとりとした笑顔を浮かべて私の問いに答えた萌ちゃんは、境内のベンチに腰を降ろした。そうして手に持っていたバスケットを自分の隣に下ろし、その中から一冊の文庫本を取り出す。綺麗なブックカバーがかけられた文庫本を手に持つ彼女の姿は、一昔前の文学少女を彷彿とさせる姿だ。だが彼女の性癖をそれなりに知っていた私は、それが一体何の本か想像出来てしまい、思わずその本から目を遠ざけた。

「はぁ……。この暑い中、よくやるねぇ……」

「何言ってるのよ、暑いからやるんじゃない!」
 スポーツバックの中からジャージのズボンを取り出し、スカートの中に履いたところで私の声を聞きつけたのか、早紀ちゃんはふと顔を上げた。

「やるのはいいけど、熱中症とか日射病には気をつけてね」
 私は完全人事口調で言葉を吐き捨てると、萌ちゃんの座っているベンチの空いてるところに腰を降ろした。

ちゃんも一緒にやらない?
別にダイエットする必要もなさそうだけど、これも付き合いだと思って…。」

「遠慮するよ。あいにくと人を待ってる最中だから」

「人を? 東京にいた時の友達が来るの? 」

「……まあ、ね」
 東京にいた時のお友達……、当たらずしも遠からずといったところだったので、私は曖昧に答えを返した。嘘は言っていない。
確かに柊一は、東京にいた時のお友達だ。一応……。

 早紀ちゃんは私の曖昧な言葉に納得したのか、中断していた着替えを続ける。着替えといっても、ここまで着てしまえばあとはスカートを脱ぎ捨てれば完了だ。
思えば小学校の頃、体育で体操着に着替える時にはたいていこのパターンでブルマを履いたものだ。今となってはもう、十年近く昔の事だが……。


「あっ」
 ふと。早紀ちゃんが潔くスカートを脱ぎ捨てるのとほぼ同時に、萌ちゃんが声を漏らした。

「早紀ちゃん、ひとがいる」
 萌ちゃんの声に早紀ちゃんが一瞬目を瞠る。一方の私は振り向かずとも来客の顔が見える位置にいたから、そのまま顔を上げるだけ。

 そして……、思わず表情を歪めずにはいられなかった。


拝殿側に顔を向けていた早紀ちゃんは振り返る必要があったのだが、萌ちゃんと同じようにベンチに腰掛けていた私は、すぐに石段を上がってきた人物を確認出来たのだ。
目前で行われた女の子の着替えに呆気にとられていたのは、東洋美人という形容詞のよく似合う古風な容貌の少年だった。もうあと三年もすれば、誰もが振り向かずにいられないくらいの美青年になるだろう少年の髪と瞳は、大和民族特有の闇色。どことなく常人と違った雰囲気を思わせるのは、その家柄ゆえか。はたまた彼の帯びている使命ゆえか。
なんのことはない。実に間の悪いタイミングで現れた彼こそ、私がずっと待っていたお友達――飛鳥井柊一だった。

 うわ、なんちゅうタイミングの悪い……。


 一方のあちら側も硬直していたけれど、それはほんのわずかな間。柊一はすぐに我に返ったかと思えば、脱兎のごとく本殿へ向かって駆けだした。
 そんな彼を視界の端に留めながら、私はゆっくりと腰を上げた。

「それじゃあ、早紀ちゃん。ダイエット頑張ってね」
 早紀ちゃんに一言そう告げて、萌ちゃんには挨拶代わりに手を挙げて。
その後は二人の少女を顧みることなく、私は真っ直ぐに本殿へ向かって歩いていった。


 さあて、ようやく面白くなってきたかな………。

 柊一に言ったら間違いなく怒られるようなことを考えながら、私は勝手知ったる他人の家とばかりに本殿へと上がり込んだ。





*後書き…
・ようやく原作沿い……、じゃないですね。全然。
なんだか相変わらずヤミブン贔屓で申し訳ないです。気づけば誠志郎との会話がやたらと長引きました。でも書いてて楽しかった………。
そしてとりあえず、本編沿いっぽくなりましたよね? 後半。
柊一を出すつもりでしたが、気づけば電話の部分にしか出てなかったり。
ファンの方には全くもって申し訳ないです。もう弁解の余地無し。
次回こそは柊一が大活躍です。というか彼と行動する事になるはずです。
散々にからかいつくしてやろうじゃないの、ええ。


 

++目次へ++     ++次へ++