1.始まりは突然に....



 さっき冷たい水で洗ったばかりの両手が、つきんと痛む。
別にどこか怪我をしたというわけではなく、辺りの気温の低さですっかり両手が熱を奪われてしまったのが、おそらく痛みの原因だろう。

「………さむ……」

 冷たい空気にさらされた身体に、ゾクリと寒気が走る。すっかり冷え切った両手で自分の身体を抱え込むようにして、私ことはその場に座り込んだ。
 いくら冬服とはいえ、セーラー服の場合はブレザーの制服と違って何枚も上に着込む必要がないから、実質着ているのはセーラーカラーのついた裏地つきの黒い上着のみ。しかもこの冬服は、四月の始業式でも着る制服なので、それほど厚めに作られてはいないのだ。

 あぁ……やっぱり、ほんの少しトイレに寄るだけだからといって、セーターまで教室に置いてきてしまったのがまずかったんだ、きっと。

 ……いや。そんなはずがない。
 断じて、違う。

 そもそもトイレに行ったその帰りに、全く知らない場所へ来てしまうということなんて、常識的に考えてありえないことだ。
だからといって別に変な寄り道をしたとか、帰り道で道に迷ったというわけでもない。仮にも狭い島国日本にあるごく一般の私立高校の校舎が、トイレから教室の帰りにも迷うくらいに広いはずもなく。
 それ以前に、トイレ〜教室間のわずか100メートルにも満たない距離で迷うなんて、到底あり得ない。だってトイレを出れば、自分の所属する「2年芙蓉組」のプレートがしっかりと見えるんだから。こんな距離で迷う人がいるとしたら、筋金どころか鉄筋コンクリート入りの方向音痴くらいだろう。
 
 にも関わらず、“帰りにどっかに飛ばされるかもしれないから、しっかり寒さ対策もしておかなきゃね”なんて考えられる方が、むしろどうかしている。

 もしもそんなことを考えられる人間がいるのなら、是非ともお目にかかりたいよ。


 目に入ってくる現実を逃避しようと、ついさっきまでに時分の身に起こった事態をゆっくりと頭の中で整理していると。そんな私をまるであざ笑うかのように、廃屋の隙間から吹き込んできた冷たい北風が容赦なく身体の熱を奪っていく。

 …………ふっ。
やっぱり世の中、そんなに甘くないわね。

もしかしたら、夢じゃないかと思ったんだけど。
どうやら、私の置かれたこの状況は現実の出来事らしい。


 私がいる場所は、今にも朽ち果てそうな古い古い小屋(?)の中。
一体何十年前に造られた建物なのかしらないが、長い間雨風にさらされ続けたのであろう柱や壁は、そのことごとくが虫に食われ、白カビ(もしかしたらキノコかもしれない)が生えている有様だ。おそらくここに季節外れの台風、あるいは爆弾低気圧でも直撃しようものなら、この建物はあっさりと倒壊することだろう。
そしておそらくはカビ(orキノコ)のせいか、やけに小屋の空気は湿っている。関東地方の乾燥した冬の気候に慣れた私としては、冬なのにこれほど湿気があると、逆に気味が悪くて仕方ない。
 さらに付け加えるならば。小屋の中は、やたらと暗い。
ずっと中にいる私はもう目が慣れてしまったから、それほど気にはならないが、暗くてじめじめしているーーまるでキノコ栽培室のようなところだ。


 正直、長居したい場所ではない。


 おそらく外はもっと寒いのだろうが、こんなカビくさいところにずっといたら、私の身体にまでカビが生えそうだ。それだけは勘弁して欲しい。

 いちかばちか。
外へ出て、人のいるところまで走ってみよう。
人がいればきっと、この寒空の中で肩を震わせているいたいけな女子高生を放置しておくなんてことはしないはずだ。うん。

 とりあえずこの小屋を出ようと、足を踏み出すとミシリと足下の板が軋む。
もう床の板も腐りかけてるようだ。どうやら思った以上に、この建物、昔に造られたものらしい。
 ミシミシと歩くたびに軋む床――まるで私の体重が重いと言いたげで、ちょっとむかつくーーを踏みしめながら、外へ続く戸口へと足を進めていると。



―――――かなしや…………。



 誰もいない小屋の中。
私しかいないはずの小屋の中から、確かに聞こえた。
切々と訴えかけてくる、身を切るような響きを帯びた、人の声が…。





*後書き…
・行き当たりばったりで、始めちゃいましたよ……(笑)。
しかも聖霊狩りではなく、闇に歌えばのトリップ夢。
実質的には、闇に歌えばシリーズ第2巻、「青い翅の夢魔」からのお話になるんですけどね……。
是非、全巻復刊して頂きたいですねぇ〜。
だって、聖霊狩りだとヤミブンサイドが目立たないし…。
闇に歌えばシリーズからのファンとしては、やっぱりヤミブンにも活躍して欲しいし……。
ときに、原作を読んだことがある人ってどのくらいいるんだろう……?


 
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