車窓の外に見えていた緑多い山やのどかな田園風景は、もはやすっかり見えなくなってしまった。その代わりに見えるのは、都会特有の灰色の空や高層ビルの群れだ。
もうすでに東京都内へと入ってきたのだろうか、とにかく目につくのはビル、ビル、ビル、ビル、ビル。ビルがたくさんだ。
私の出身地は首都圏に近い関東平野の某県、昔の地名で示すなら相模国と呼ばれる場所である。文明開化とともに、外国との貿易港として栄えてきた地方ではあったのだが、これほど多くの高層ビルは建ち並んではいなかった。

 まぁ、外観の良さとしては地元の方が好きだけどね、私は。

 地元大好きっこみたいなことを思いつつーー事実、地元大好きだけどーー、私は車窓を流れる風景をなんとはなしにぼんやりと眺めていたのだが、ふと思い起こしたかのようにちらと視線を別の方へと向けてみた。
 視線を遣った方にいたのは、隣で長い足をこれみよがしに組んで座っている青年――イケメン俳優ですら思わず裸足で逃げ出すような、文句なしの美貌の持ち主である。通常ならあくまで私は傍観者+観察者でしかなくて、遠くから目の保養がてら眺めているだけであったろうに。こうして間近でまじまじと鑑賞できるのが嬉しいような、だが逆を言えば自分の置かれた状況が今までの日常とかけ離れたものであることを実感させてくれるようでちょっと悲しい。
 そして何よりも私を無気力に陥らせているのは、かれこれもう三時間以上ロクに会話らしい会話をしていないせいだろう。会話でもしていれば気分も紛れるのだが、唯一の同行者であるこの男――有田克也は、全くと言っていいほど口を開かない。たまに開いても本当に必要最低限のことしか言わないし、私が話しかけても不機嫌極まりない表情を崩すこともないのである。もはや私は彼との意思疎通を投げ出していた。

 おかげさまで私は、この三時間というものをなんとも無気力で過ごさざるを得なかったのである。

(………あぁ、気分はドナドナの子牛気分だわ……)


 ドナドナドナドナ〜♪ 子牛をの〜せ〜て〜♪
 ドナドナドナドナ〜♪ 荷馬車が揺〜れ〜る〜♪


 学校のトイレから教室に戻る途中でくそ寒いボロ御堂に放り出され、未だ自分を取り巻く状況が解らぬままに、東京・霞ヶ関まで連行される私こと・17才。
心境的にはいっそ「ドナドナドナドナ〜♪」と歌ってやりたい気分だけれども、一般大衆がたくさんいるこんな場所で歌うなんて度胸があるはずもなく。やむなくこうして心の中で歌うだけに留めています。はい。

 ちなみに私たちの乗る電車は、上りの某国鉄電車だ。朝早い上りの電車は混雑するものだが、現在の時刻は太陽の南中時間も過ぎた午後一時過ぎ。しかも平日なだけあって利用者の数もそれほど多くはなく、座席もかなり余裕がある。長い時間電車に揺られる身なだけに、ゆったりと座席に座れるのはかなり嬉しい。
 だが何より嬉しかったのは、車内の人の数がそれほど多くない事だ。
なぜかというとそれは、隣にいるやたらと顔立ちの整った美青年と比較されるのがイヤだとか、彼のせいでやたらと人目を惹くから……という理由だけではない。

どういうわけだか知らないが、私の顔には未だに怪しい仮面(面霊気と言うらしいが)がピッタリと貼り付いている。だがいくらなんでも仮面をかぶったままで、大手を振って歩くというのはいささか勇気がいる。というか、絶対変な目で見られる事請け合いだ。
そこで仮面を隠すために、現在私は顔面ミイラ人間となり果てているのであった。
顔面を包帯でグルグル巻きにし、仮面をすっぽりと隠しているのだ。これなら仮に「どうなさったんですか?」と訊ねられても、「いやぁ、ちょっと顔面火傷しちゃいまして★」の一言であっさりと片が付くわけである。

 ………てか、普通の人間ならまずそんなことを聞いてはこないとは思うが……。

 確かに顔面包帯巻き状態なら、仮面を装着している事を隠す事が出来る。
出来るのだが。いかんせん、この大都会の中で顔面包帯巻きで歩いていようものならば、まず間違いなく悪目立ちしてしまう。


 現に今現在も、乗っている車両の中で私は間違いなく浮きまくっている。
小さなお子様が「ねえねえ、ママ。あれってなあに?」とか指を差せば、母親は「指差したらいけません。あの人はとても大変な目に遭ったんだから」と同情にも近い眼差しでこちらを見遣り、子供を注意する。
同じ車両に乗っている人たちも、なんとはなしにチラチラとこちらへ視線を向けてくる。

 間違いなく、彼らが見ているのは隣の有田克也ではない。この私だ。

 さらに言うなれば、今乗る前の電車に乗ってた時なんて、たまたま近くの席になった人の良さそうなおばあさんに「あんたも若いのに大変だったんだねぇ」などと話しかけられたりまでしたのだ。咄嗟の事だったのでどう返すべきかとうろたえていた私に、隣にいた彼が「彼女は顔面火傷がひどくて、上手く喋れないんですよ」とナイスなフォローをしてくれたのは、記憶に新しい。

 あぁ………早く来い来い、霞ヶ関。

 だが私の心中の呟きは、神様に届く事を知らない……。
 現在いる駅はまだ「代々木」駅。目指すのは、霞ヶ関とか言いつつも実は「虎ノ門」駅だというから、まず某国鉄線で渋谷へ行って、さらにそこから銀座線に乗り換えなくてはならないのだ。


 道のりはまだまだ果てしなく遠い。


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 ようやく虎ノ門に着いたかと思ったら、駅からは徒歩で行くらしい。
有田克也の話だとそれほど遠くはないらしいのだが、駅のすぐ傍に目的の建物がない限り、この顔を太陽の下にさらして歩かねばならない。


 銀座線の扉が開くと、駅で待機していた人々の目が一斉に私たちへと集まる。

 視線。視線。視線。視線の山。

 そのうち半分は隣の男へと向けられた女性の熱い視線なのだが、そのあと半分の視線は明らかに私へと向けられている。
なんだこりゃと不審そうな目で見る人、痛々しいものを見るような目で見る人、同情の視線を向けては悪いだろうと敢えて視線を泳がせる人。

 あぁ。なんて憂鬱な……。

 そんなことを思いつつ、電車から降りてホームを歩いていた時だ。
今まで向けられてきたどの視線とも違う種類の視線が、自分に向けられている事に気づく。同情でも奇異でも哀れみでもなければ、嫌悪でも好奇でも羨望でもない視線。
いや、むしろ感情という感情が全て欠落しているかのような、奇妙な感じすら受ける。

 背筋がぞくぞくするような、この何とも言えない違和感は………何だ?

 所謂怖いもの見たさと興味本位とで、私はそっと後ろを振り返ってみた。
銀座線がすでに去ったホームには、残っている人はまばら状態。
しかもどの人も私の方なんて全然気にしていないように見える。

 ……おかしいなぁ……、じゃあさっきの視線は誰?

 さっき感じたはずの視線は、気のせいですまされるような代物ではなかった。まるで背中から刃物で突き刺されるような、本当に恐ろしくて冷ややかな……。


「何をしている、行くぞ」
 あまりのことに、私は思わず足を止めていたのだろう。不機嫌さ極まりない有田克也の声が頭上でした。その綺麗な顔を勿体ないほどに歪めて、私を見下ろしてるに違いない。きっとそうだ。そうに決まってる。
 だけど、そもそも勝手に足を止めたのはこちらだから、文句を言おうにも言える立場ではない。ぐむむ……。

 ところが。さらに何か言われるかと半ば身構えていたのだが、その予想は見事に外れてしまった。てっきり文句の一つや二つを吐き捨てるであろうと思っていた青年は、いきなり私の腕を掴んだかと思うと、早足で階段を上り始めたのだ。
 おかげで止めていた足を動かさざるを得ない状況にと追い込まれ、半ば小走り状態で私はそれに付き従う。しかし何度も言うようだが、私と有田克也とでは歩幅が全然違うのだ。ただでさえ歩幅が違うのに階段で早歩きをされた日には、私はもう一段・二段抜かしで階段を走り上がるしかほかない。


『いきなり何なんだ、こんちくしょう!!』

 声に出してはみるものの、なにせ私の顔面には仮面+顔面包帯という鉄壁の要塞が敷かれているのだ。よほど大きい声でない限り、顔面を覆う二つの要塞に吸収されてしまい、ロクに声らしい声にはならない。

 にも関わらず、私の腕を引いて先を歩く彼にはどういうわけだか聞こえていたらしい。

「いいから黙って歩け。だがくれぐれも後ろを振り返るなよ」
 そう吐き捨てる青年の表情には、珍しくも焦燥に駆られたような色が浮かんでいた。
自信家と言っても過言ではなさそうな、この男をここまで焦らせるとは。
 一体何があったというのだろうか。

 遅刻? いや、それはないだろう。
 それなら電車の中でちらちらと時計を見るなり、もっと挙動不審な姿を見せていてもおかしくはない。だけど彼にそんな素振りはまるで見られなかった。電車の座席に深く腰を下ろし、背を預け、嫌味なほどに長い足を組んでいた姿には、余裕綽々という言葉しか当てはまらなかったし、時計を見ている様子はまるでなかった。

 じゃあ一体、有田克也は何にここまで焦ってるんだ……???

 悩んでみるものの、それほど付き合いが長い相手でもないのでその心中を察することなんて出来るはずもなく。とにかく私は彼の後にひたすらついていく他なかった。



 銀座線のホームを出ると、出口のすぐそばに年季の入った煉瓦造りの建物が目に入った。いかめしい雰囲気すらあるその建物の入り口には門があり、その中に守衛さんが立っている。どう見てもただの建物ではなさそうだ。
なんというか、一般人の立ち入り拒否?っぽい雰囲気がある。

 にも関わらず、有田克也は駅から出たかと思うと、真っ直ぐにそちらへと足を向けて歩いていく。
 おいおいおいおい。そっちは一般人立ち入り禁止……と思わず口に出しかけて、私はふと思い出していた。

 そういやこの人、国家公務員なんだっけ。一応。
 全然らしくないから、すっかりと忘れ去っていたよ。

 しかし、この後有田克也は見事に私の予想を裏切ってくれた。
 彼が目指していたのは、煉瓦造りの建物ではなかったのだ。正確に言えば、煉瓦造りの建物とそのお隣の建物の間にある細く薄暗い路地、だったらしい。

 なんでこんなところに用事があるのよっっ!!!!

 腹筋に力を込め、声のあらん限りの声量で怒鳴りそうになった私だったが、すぐにある事に思い当たった。そのためなんとか喉まで出かかっていた声を制御することに成功する。
 確か彼の所属するヤミブンーーこれでもれっきとした文部省麾下のお役所であるーーは、闇の文化庁とも呼ばれる闇の組織であるらしい。となれば、当然のことながら“こちらヤミブン本拠地”と堂々と宣伝出来るはずもなく、地下…あるいは人知れぬ場所に身を隠していてもおかしくはない。

 うん、きっとそうだ。ヤミブンの本拠地とやらは、この路地の先にあるのよ。

 勝手に自己完結して終わる私。

 だがそんな私を嘲笑うかのように、再び強烈な視線が突き刺さる。
 気のせい? ううん、絶対にこれは絶対気のせいなんかじゃない!!!

 一体何だって言うのよ、この視線はっっ!!!!

 後ろを振り返るなと言われていたけれど。
 それよりも何よりも好奇心の方が先に立ったのだ。

 だいたい日本神話に出てくる国生みの神様だって、『けして後ろを振り返らないように』と言われていたにも関わらず、つい後ろを振り返ってしまったのだよ?
 神様でさえそうだったんだから、こんな一般庶民の私が後ろを振り帰らずにいられようか。いや、けしているまいて。

 私はおそるおそるながらも、後ろを振り返りーーーーーー….

 信じられない光景を目にしていた。

 

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