ぺた。ぺた、ぺた、ぺた。 顔に手を当てているはずなのに、なぜか肌の感触が手に伝わってこない。 代わりに手が感じるのは、ひんやりと冷たくて硬い感触。そのくせ妙にすべすべしていて、試しに平手で顔を叩いてみれば、まるで机かテーブルを叩いているような感覚に襲われる。 「道理で視界が暗いはずだわ……。」 呟きながら、私は額を……いや額の部分を右手で押さえた。本来ならば、肌の温度を伝えてくれるはずの手のひらは、妙に冷たい温度を伝えてくる。 それもそのはずだ。 なにせ………私の顔には、木製のお面がピッタリと装着されていたのだから。 道理で妙に視界が狭いわけだよ…。 「気づいてなかったんですか?」 眉を潜めて聞いてくる少年の顔には、呆れたような色が色濃く見えていた。 「え、あ、まあ……、変な感じはしてたんだけどね。 まさか勝手にお面が顔にくっついてるとは思わないでしょ。」 普通に考えても、あの状況から自分の顔にお面が貼り付いてるなんて考えられる人は、まずいないと思う。もしいるなら、是非ともお目にかかってみたいものだ。 「自分でつけたわけじゃないのか。」 当たり前だ。 「……宙を飛んでたお面が、気絶した私の顔に勝手にくっついただけです。」 私は呆れられる事を覚悟の上で、正直に真実をありのままに話した。 しかし彼は、特にそのことを聞いても動じたような様子は見せない。 どころか、妙に納得したような表情で 「なるほど。よほどその面霊気は外に連れ出してもらいたかったらしいな。」 そうあっさりと言っただけだ。 お面が勝手に動き出して、あまつさえ人間の顔に貼り付いたというのに、どうして驚かないんだ。この人たちは。 いろんな意味で私が唖然としていると、変わった髪の少年が私の肩にポンと手を置いてきた。“肩に手を置く”という動作は、他の人はどう感じるか知らないが、少なくとも私はあまり好きではない。まして相手が、初めて会った初対面の異性ならなおさらだ。 だがどういうわけか、この目の前の少年に対してはさほど不快感を覚えなかった。 誰でも彼でも女と見れば口説く連中のような馴れ馴れしさがなかったことと、何より彼の浮かべている複雑な表情のせいだろう。 「…それが、普通の反応だよね。うん」 どことなく翳りを帯びた、哀愁漂う表情を浮かべる少年は、ひどく頼りなげに見えた。 おそらく私よりも年上であろうに、そんな様子を見ているととてもそうは見えない。まるで捨てられた子犬を彷彿とさせる様を見ていて、私は不謹慎ながらもそんな彼の姿を可愛いと思ってしまった。 「そうだけど……。じゃあ逆を言えば、あなたたちは普通の人じゃないってことね? 」 肩に置かれた少年の手に自分のそれを重ね合わせて、私は彼の顔を覗き込んだ。 そうして彼の表情の変化を逃すまいとしながら、思ったことをそのまま口にする。 すると。少年は明らかに、動揺を露わにする。 表情があっという間に強ばったかと思うと、両目の先が明らかに宙を泳いでいた。 分かりやすいなぁ、この人の反応。 ふとそんなことを思いながら、少年の隣に立つ美形さんの方へと視線を移してみると、こちらは明らかに不機嫌そうな顔つきをしていた。その不機嫌の原因は、言わずもがな嘘のつけない(と言って差し支えないだろう)少年の不器用さに対するそれか。 だが、彼は少年の方を向いていたかと思えば、突然私の方へと視線をくれる。本人はただ視線を寄越しただけなのだろうが、私からして見ればとびっきり極上の流し目だ。 思わずときめいてしまったのは、私のせいじゃないわよ。断じて。 ある意味、殺人兵器よりも質が悪いぞ。その流し目。 「……この際、隠したところで仕方ないか」 そう自嘲気味に呟いたかと思うと、彼は何気ない素振りで私の方へと腕を伸ばす。 その手が求めるのは、残念ながら私自身ではなく、顔にあるお面だ。 なにやら複雑な心境に陥る私をよそに、彼はお面に手をかけて取り外そうとする。 が。 「……取れない」 へ? 「どういうことだよ、それ」 「俺が知るか。ぼおっと見ている暇があるなら、坊やも手を貸せ」 「……坊やって呼ぶな!! 」 だが、ブツブツと不満を零しつつも言う通りにする辺り、この二人の相性は悪くないんだろう。もっとも本人たち(特に少年の方)にその自覚はないだろうが。 そうして今度は、美形さんと少年の二人がかりでお面をはずそうとするのだが。 「ビクともしませんね……、これ」 付けている私には、見なくてもお面が取れたかどうか感じることができる。 取れれば視界が開けるはずなのだが、あいにくと視界が開ける様子はない。 「おい、どうするんだよ。これ、今回の獲物なんだろ? 」 焦りの混じった少年の言葉に、私は首をかしげずにはいられなかった。 獲物? 空飛ぶお面が“獲物”なんですか?! 「持って帰らないわけにはいかんだろ。仕方ないが、このまま持ち帰る」 だが対する美形さんの方は、特に少年の言葉を訂正することもなく、あっさりとそのまま聞き入れているようだった。 やっぱりこの二人、ただ者じゃないわね……。 「っっくしっ!!」 二人の会話をじゃまするつもりはなかったけれど、日も差し込んでこないーーそれ以前に本日は曇り空だから仕方ないーー底冷えする竹林の中、裏地のついた上着一枚と半袖の肌着一枚しか着ていない身では寒さを遮断できないのだ。ゆえにここで私がくしゃみを漏らしてしまったところで、誰も私を責めることはできない。…と思う。 「それなら早くしてやれよ。じゃないとその子、風邪引くぞ」 私の方を気の毒そうに見遣ってから、少年は美形さんに進言する。 いや、そう思うなら君の着てるジャンパーを貸してくれ。 「……全く世話の焼ける……」 美形さんの方はといえば、私の方へちらりと視線を遣ると、心底面倒くさそうに呟いた。 かと思えば、いきなり腕を引っぱられた。 当然、心の準備もできていない状態でそんなことをされれば、誰だってバランスを崩すに決まっている。私も例外ではなく、思いっきりバランスを崩して地面に倒れこん……だりはしなかった。 なぜかと言えば、バランスを崩した私を、美形さんが受け止めてくれたからだ。 「まあちょうどいいか。お面をかぶった顔に隣を歩かれれば、いやでも人目を引くことだし、妥当な案だな」 そう言って肩をすくめたらしい彼は、私を自分の身体の側面に抱き込む。そして、着ている長いトレンチコートで私を包み込むようにしてかばってくれた。おかげで先ほどまで感じていた寒さは、嘘のように遮断されてしまったから、コートというやつは侮れない。 てか、すみません。 このシチュエイション、激しく“萌え”なんですけど。 ……壊れて良いですか、私? 「…あ、そういえば、君の名前。まだ聞いてなかったね」 …………。 ………………。 …………、っはっ!!! 「あぁ、そういえば………そうでしたね、うん」 一瞬どころか、立派に一呼吸分置いてから、私は少年の言葉を頭で理解した。 どうやら完全に頭の一部分が、どっかに旅に出ていたらしい。 恐るべし、萌えパワー……。 「私は、。某私立女子校の二年生です」 私がそう名乗ると、名前を聞いてきた当人はなぜか沈黙する。 そうしてたっぷり二呼吸分くらいの間が経った後、彼はおそるおそると言っても差し支えないような風に、言葉を発した。 「えっっと……高校生? 」 これがもし、明らかにからかいの意図を含んだ質問であったなら。 私は即座に、彼を蹴り飛ばすなり、ぶん殴るなりしていたことだろう。 しかし彼の浮かべる表情に、からかいの要素を含むそれは見当たらなかった。 だから私は、反射的に口から飛び出しそうになる言葉を必死で堪えた。 「その間が激しく気になるんですが……私、高校生です」 おそるおそる私が発言すれば、少年はその言葉にあからさまに動揺してみせる。 その表情はと言えば、まさに想像通りのものだった。 「あ〜…………いや別に。高校生に見えないと思ったワケじゃないからね。うん」 しどろもどろしながら必死でフォローする少年。だがフォローするつもりが、完全に墓穴を掘っている。そのことに気づいているのか、否か。 「わざわざ自分からばらしてどうする。阿呆か」 そこで実にナイスな突っ込みを入れてくれたのは、美形さんだった。 「ばらしたわけじゃない!! 一応、そのフォローをだな…」 「フォローしなきゃいかんという事は、思いっきり私の事、中学生に見てましたね」 「あ……」 そこでようやく思い至ったかのか、少年の口から思わず声が漏れる。 そんな彼の様子を、美形さんは実に愉快そうに眺めている。 まあ…、その気持ちはわからんでもないけど。 「で、私の名前を聞いたんですから、当然名乗って頂けますよね? 」 とりあえず少年に助け船を出すつもりも兼ねて、私は話題を変える。 変えるといっても、話題のネタを私から相手方に移しただけなのだが。 「そうだった。僕は、楠木誠志郎。で、こっちが…」 「有田克也」 少年――楠木さんは、自分の名前を言い終わった後、一瞬なにかを躊躇する。 しかしすぐに気を取り直して話を続けるが、それよりも先に美形さんが彼の言葉を遮って名乗った。 別に営業スマイルを期待していたわけではないけれど、この無愛想この上ない表情ってのもいかがなもんでしょうかね。 「それで、一体何者なんです? こんな空飛ぶ仮面を“獲物”にしてるってことは、怪しい闇の組織の人とかだったりとかするんじゃないですか? 」 「……それは、その……」 私の追求に楠木さんは言い淀み、ちらと美形さんーーもとい有田さんの方へと視線を投げた。その視線を受け取った有田さんはと言えば、険しい視線を私の方へと投げてきたかと思うと、やおら大きな溜息を吐いた。いかにも面倒くさそうに、やる気なさそうに。 そんな有田克也の態度に、私が思わずムッとしたのは言うまでもない。 「ここまで関わっている以上は、言わないわけにもいかないか……」 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべると、彼は一言もなしにいきなり踵を返した。 前触れもなしに方向転換されて危うく転びそうになるが、持ち前の運動神経を生かしてなんとか転ばずには済んだ。そう転びはしなかった。 だけど転ばないようにバランスを取るため、思わず有田さんの腰にしがみついてしまったのですよ。 そしたらなんと。えらい険しい視線でもって睨みつけられました。 かよわい女子高生に抱きつかれて、喜びこそすれガンつけてくるって何よ! 「って、おい! どこ行くんだよ! 」 「任務完了だ。面霊気とこの娘を連れて、俺は東京へ帰る。 それとも坊やは、俺に何か用事でもあるのかな? 」 さっきまで私を睨んでいたのとはまた違う、いかにも皮肉らしい口調。 その言葉に楠木さんはムッときたようだけれども、第三者の私から言わせてもらえば、明らかにこの男、楠木さんのことを気に入っていると思われる。 現にその証拠として、皮肉を紡ぎ出したその口元はわずかに笑みの形を作っていた。 「あるわけないだろ! お前たちみたいな冷血漢どもの仲間になるなんて、真っ平御免だ! 」 そう怒鳴る楠木さんだが、その言葉の裏にはまた別の意識が見え隠れして見えることは否めない。『仲間になるなんて、真っ平御免だ!』という言葉の裏には、同時に自分自身に無理矢理言い聞かせているような響きさえ聞き取れたからだ。 会ってまもない私でもわかるのだから、当然有田克也がそのことに気づかないはずもなく。彼は顔を真っ赤にして怒鳴る楠木さんの顔を、ニヒルな笑みを浮かべたままで観察しているだけだ。 心の中を見透かされていることは、多分楠木さんも感じていることなのだろう。 おそらくは照れ隠しなのだろう。彼はふんと鼻を鳴らすと、さっさとこの場を後にしてズンズンと進んでいく。 「……いつまでそんな口が叩いていられるか、楽しみだな」 そうして先をどんどん歩いていく楠木さんを事実上追いかけるような格好で、有田克也もまた足を進め始めた。その歩幅は、長身の背に比例して非常に広い。 ちなみに私の身長は、有田克也の腰の高さにちょうど胸の辺りがくるくらいしかない。楠木さんと比べても、幾分私の方が背は低い。ハッキリ言って歩幅は、彼らに比べればずっと狭いことだろうと思う。 (普通こういうときって、男の人は女の子の歩幅に合わせるものじゃない?) 私の歩幅が狭いことは重々承知だろうに、にも関わらず、有田克也は自分のペースでそのままさっさと足を進めていく。そのおかげで私は半ば小走り状態で、彼の歩くペースについていくしかなかった。 無論。その間中、彼が一度でも私の方を振り返ったことは一度もない。 |
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