3.異世界の住人... 山の奥、奥また奥にあるH村。 過疎化が進んだことで、今はすでに廃村となってしまった村だ。 取り残された木造の家屋たちは、窓ガラスが割れ、壁には大きな穴が空き、家屋の屋根は深々と地面に向かって陥没してしまっている。その軒には大きな蜘蛛の巣が思い思いに張り巡らされていた。それはこれらの家屋がもう長い間使われていない何よりの証拠としかいいようがない。 村にあったであろう人の通る道こそ、まだ多少は使えるものではあったが、道でなかったであろうと思われる場所には雑草が思い思いに繁殖していた。壊れた家屋の周りにも、子供の身長よりも高い位置まで伸びた雑草が鬱蒼と覆い茂っていたし、壊れかけた店先にだらしなくかけられた看板は、雨風にさらされてすっかりペンキが剥がれ、赤さびが浮いている。 もう数十年もすれば、跡形もなく山に呑み込まれてしまうであろう廃村。 いわば和風ゴーストタウンといったところだろうか。 そんな廃屋の中を、一人の少年が村の奥へ奥へと足を進めていく。 年の頃は10代後半くらいだろうか。日本人の標準装備である黒い瞳と黒い髪を持った、美少年とまではいかないまでも、それなりに顔立ちの整ったーーどことなく童顔ではあるがーー少年だ。 何もないはずの廃村の奥に、一体何があるというのか。彼はおそるおそる村の中を見渡しながら、ゆっくりと、それでも確実に村の奥を目指して歩いていく。 彼が足を交互に動かすたびに、柔らかな黒髪が揺れる。その中でひときわ目を引くのは、揺れるたびに光を跳ね返す前髪の一部分――鮮やかなレモンイエローに染められた額付近の髪一房だろう。黒髪の持ち主であるなら、額の一房は染めたものと考えるのが妥当なのだろうが、あいにくと人工的に染めたようなくすんだ色ではなかった。彼の髪一房を彩るのは、自然に熟れた檸檬の果実を思わせる、透明感あふれる美しい色彩だ。 「………?」 ふと、少年が立ち止まる。 そんな彼の鼻先を掠めるように、ヒラヒラと飛んでくるものがある。 大きさはアゲハ蝶くらいはあるだろうか。 目の覚めるような見事な青の翅を持った蝶だ。 蝶が飛ぶにはいささか季節外れではあったが、彼はそんなことは露とも考えなかった。 蝶の優雅に舞う様に、すっかりと目を奪われていたからだ。 優美に翅を揺らして漂う様は、まるで夢でも見ているような錯覚すら起こさせる。 「……っまずい、まずい。蝶に見とれてる場合じゃなかった……。」 まるで彼の視線から逃れるかのように、蝶が廃屋の陰に隠れて見えなくなってしまうと、ようやく蝶の呪縛から解放された。 いなくなってしまった蝶を探して、もう一度だけ見るものの。 すでに蝶の姿はどこにも見当たらなかった。 蝶を探すことをやめた少年――楠木誠志郎は、さらに村の奥へと足を進める。 この廃村へ来るときに使った赤い奥様用のスクーターを押しながら、誰もいない村を一人で歩く少年の姿は、かなり奇異なものであったが、少なくともそれを見ているものはいない。 ところが。歩いても歩いても、誠志郎がここへ来た目的は全く果たせなかった。彼がここへ来たのは、友人の叔父宅で出た謎のお面の怪奇に関する糸口を手にする為。そしてその怪奇に関することでこちらに出向いてきているであろう、ヤミブンのメンバーの一人を見つける為。この二つの目的によるものだった。 だが、怪奇の元となったお面どころか。先日後ろ姿を見かけた人間の姿すら、全く見当たらない。 (………引き返そうかな………) ふと弱腰になって、誠志郎がそんなことを考えた時だ。 彼の視界の端に、自然ではない人工の光がチラリと瞬いた。 その光に気を引かれて、誠志郎がそちらを振り返ると。 片方の眉を大きく跳ね上げてこちらへ視線を寄越している、男の姿が見えた。 モスグリーンのトレンチコートに身を包む、スラリとした長身の青年だ。やや癖のあるウェーブがかった漆黒の髪は、長すぎもせず、かといって短くもない。切れ長の瞳は、深淵の闇色。鼻梁の通った端正な容貌は、東洋人とは思えないほどに彫りが深い。特撮もので美形悪役でもやらせたら、間違いなくハマリ役だろう。どことなく人を近づけない雰囲気のある、翳りの帯びた美貌の持ち主である。 おそらく先ほど誠志郎の気を引いた光は、彼の手にある小さな鏡が光を反射したものだったのだろう。だが探していたとはいえ、心の準備もなしにいきなりばったり会ってしまったこともあって、誠志郎は驚きにしばらく声が出なかった。 一方、向こうとしてみれば、誠志郎がここにいることも知らなかったのだから、驚きの具合はあちらの方が上であろうに。それにも関わらず、平常心を取り戻したのは向こうの方が先だった。 「やあ、おもいがけないところで会うな。」 誠志郎が彼とが再会するのは、かれこれ一ヶ月ぶり。引っ越した先で、付き合っていた女の子が怨念の宿ったマガタマを手にしてしまったのがきっかけとなって、関わることになってしまった闇の組織・ヤミブン。そのメンバーの一人である有田克也は、会ったその時と少しも変わらぬシニカルな笑みと共に、開口一番言い放った。 ************** あれ……? いつの間にか気を失っていたらしい。 私は痛む頭を押さえながら、ゆっくりと上体を起こした。 周りに見えるのは、湿ったカビくさい臭いが鼻をつく古い御堂の景色だ。 いっそこの光景全てが夢であったなら、どれほどよかったろう。 人一人いない寒い御堂の中で凍えながら、不気味な面に驚かされたことを考えれば、いっそ学校のトイレの中で盛大にずっこけて頭を打って気絶していた方がずっとずっとマシだ。 まあ幸いにして、お面に喰われることはなかったからよかったけど。 だけど、悲しいことに、現実はどこまでも私に対して厳しい……。 っくしっ。 「…寒っ…。これは本格的にやばくなってきたかぁ…?」 長い間セーラー服一枚でいたせいか、身体がかなり冷えている。 これは早いところあたためないと、本気で風邪を引きかねない。 私は床が抜けてはまっていた足をなんとか引っこ抜くと、御堂の外へ向かって歩く。 もともとそれほど広い御堂でなかったおかげで、あと数歩も歩けば外へ出られる。 そして、外へ出たらとにかく人を探そう。 できれば、かよわい女子高生を不憫に思って肩入れしてくれそうな、美形さんを…。 いや、冗談言ってる場合じゃなくて。 とにかく、私を不憫に思ってくれて、優しい思いやりのある今時珍しい人情家な方なら、この際だから老若男女・美醜構わずOKさ! 『やるまいぞ………。』 「へ?」 御堂の外へようやく出れたその時、私はまた声を聞いた。 先ほどの面の声ではない、別の声を 妖艶な女の声――だがそれでいてものすごく恨みがましい口調だった。 いったい何なのよ? この御堂に残っていたのは、さっき人様を驚かせまくってくれたお面と赤い髪のカツラ。その二品だけだった。そのうちカツラはどう考えても喋れないから、喋ったとすればさっきのお面なのだが、声が明らかに違う。 「誰?出てきなさいよ!」 さっきお面に襲われたおかげで耐性がついたのか、はたまた混乱したためか。 少なくとも、謎の声をもう怖いとは思わなかった。 むしろ、私が外に出るのを邪魔するな、と罵倒の一つもつきたくなる。 答えはなかった。 答える言葉は、確かになかったのだ。 ただ、反応はあった。 返事をするその代わりと言わんばかりに、置かれていたはずの赤い髪のカツラが動き出したのだ。動き出したと言っても、手も足もない髪のカツラが動いているのだから、非常に気色悪いことこの上ない光景だったのだが。 まるで軟体動物のようにクネクネと髪をうねらせて動くカツラ。そいつは動きにくいからながらも、器用に動き出したかと思えば、呆然としてる私に向かって髪の一房――もはや触手と呼んでも良いだろうーーを伸ばしてきたのだった。 |
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