辺り一面、柔らかな桃色の色彩で染められた世界…。 まるで絨毯のように幾重にも敷き詰められた桃の花は、彼が一歩また一歩と足を進めるその度に、フワリと虚空へと浮かび上がると風に乗って飛んでいく。 優しい風に乗って飛んでいく花弁の数は多く、虚空を流れていく花たちの姿はまるで吹雪のよう。まさしく桜吹雪ならぬ、桃吹雪というべき光景が目の前にあった。 その風に煽られて、束ねた銀の髪が虚空へと舞い上がる。 乱れる髪を右手で整えていると………。 遙か向こう。 延々と続く桃花の絨毯の上、こちらに背を向けて座り込む人の姿がある。 (誰だ…………?) 気になって、人影のある方へと足を進めていく。 歩き出したおかげで、また髪が風に煽られて乱れるが、彼は一向に気にしなかった。 一歩、また一歩と近づく度に、不思議と鼓動が強くなる。 そこにいるのが、彼が望む人である保証はないのに。 それでも彼の感覚は、そこにいる人が彼女であると感じているのだ。 早く、知りたい。 桃花の絨毯の上に座る、その人が。 彼の求める人であるか、否かを………。 柔らかな花の絨毯は、踏んでも全く音を立てない。 踏めば、その勢いで複数の花弁が空に舞い散るだけ。 近づいていくうち、こちらに背を向けたその人が女性であることがわかる。 綺麗に結い上げられた髪は、艶めいた美しい黒髪。 髪を彩る簪はけして派手ではないが、それは持ち主の性格によるものなのだろう。 小柄で華奢な身体に纏うのは、金糸の刺繍が入った鮮やかな深紅の着物だ。 紅は、この彩雲国で準禁色とされる色。 纏うことを許されるのは、彩雲国きっての大貴族紅家の直系に連なる者のみだ。 (……まさか………) 紅家直系の姫。 今のところ、この肩書きを背負える女性は一人。 「……秀麗……」 会いたくて、逢いたくて。 幾度となく夢に見たことか。 優しくて強い、深い慈愛の心を持った人。 哀しくて仕方なかった自分の心を、いつの間にか救ってくれた人。 初めて、心から愛しいと思った少女………。 彼の呼びかけが聞こえたのだろうか、背を向けていた少女がこちらを振り返る。 彼女が本来持つ魅力をそのままに、より一層美しく魅せるように施された化粧。 女は化粧で化けると言うが、それはあながち嘘でもなかった。 綺麗に着飾って、化粧をして、もともと綺麗だった少女はさらに綺麗に見えた。 「やっと来たのね。いつまで待たせるつもりだったの? 」 彼女の口を滑り落ちるのは、周りの情景と彼女自身の装いにはいささか浮いたものではあったが、実に秀麗らしい言葉だった。 「…すまない。遅れるつもりはなかったのだが…」 「別に責めてるワケじゃないのよ。 本当に劉輝が来てくれるとは思わなかったから、ちょっと驚いただけ」 「秀麗が呼んでくれたのなら、余はどこにでも行くぞ」 「ありがとう」 フワリと秀麗は、花を綻ばせたような笑顔を浮かべた。 その笑顔に魅入られる。 見たいと思った笑顔は、想像以上に綺麗で。 劉輝は絨毯の上に膝を降ろすと、秀麗の身体を抱き寄せた。 彼女は抵抗するそぶりもない。 見下ろす劉輝の視線と見上げる秀麗の視線が交錯する。 そして、どちらからともなく瞳を伏せ、口づけを交わした。 久々の口づけの味は、とても…………甘かった。 しばらくのち。 名残惜しい気持ちをおして、ようやく唇を離す。 荒い息を吐く秀麗の頬は、ほんのりと桃色に染まっていた。 今まで見たこともない少女の表情に、心臓が一際大きく跳ねる。 「秀麗……」 彼女を抱く腕に力を込めて、劉輝はもう一度秀麗に口づけようとする。 顔を近づけると、彼女は口づけを待っているかのように目を閉じる。 そうして、もう一度口づけを………しようとしたその矢先。 ガツン。 劉輝の頭を強烈な痛みが襲った。 *********************** 「なん……」 ガン。 ガツン。 ゴスッ。 目を覚ました途端に、頭に数回、強烈な痛みが走った。 連続で叩かれたせいか、頭がクラクラとする。 開いた瞳の先に、幾筋もの火花が散って見えたのは、気のせいだろうか。 「はいはい、もうそのくらいでいいでしょう? 」 「離して、離してよ、離せぇーっっ!!!!! あと数発殴らないと、怒りが収まらないんだからぁぁぁぁっ!!!!!! 」 「あんまり殴って、これ以上馬鹿になったら使い物にならなくでしょう? そうしたら、どう責任を取るつもりなのかな。は」 ふらつく頭に喝を入れ、劉輝はもう一度ゆっくり目を開ける。 するとすぐ最初に目に入ったのは、怒りの形相で顔を真っ赤にしたまま、鞘付きの剣を片手に暴れまくると、暴れる彼女を後ろから抱き込むようにして押さえている藍楸瑛の姿だった。 「…、楸瑛…。一体なにがあった? 」 「何があった、ですって?!!!!! 」 聞き返せば、怒気全開のがこちらへと視線を向けてくる。 睨みつけてくるその瞳には、ギラギラと殺気と怒気がこもっている。 怒りの度合いが強いのか、彼女の光彩は真っ直ぐ縦に伸び、飢えた虎の瞳を彷彿とさせるそれに変わっていた。 一時期、野生の虎と山を駆け回っていたことのあるは、時折野生獣のような瞳をすることがある。彼女に言わせれば、それは自身の身を守る為の防衛機能の一つで、「眼力」のようなものだと言っていたが、実際には動物が他のものを威嚇するときのそれと全く同じである。おそらくこの辺りにも、彼女が「虎姫」と称されるゆえんがあるのだろう。 「まぁ……本人、寝ぼけてただけですからね。 覚えてろという方が無理だと、もわかっているでしょう? 」 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、楸瑛はの頭をポンポンと叩いてなだめようとする。 「楸瑛、教えてくれ。余は一体何をしたのだ? 」 「…………ええ。実はですね…………。 寝惚けた主上が、そばにいたを無理矢理引き寄せて、口づけたんです。 しかも、を秀麗殿と勘違いしてたんでしょうね。 に向かって『秀麗』って呼びかけてましたから」 間。 ……。 ……………。 その間に、劉輝の顔色は面白いほどにコロコロとよく変わった。 そして、ようやくこっちの世界に戻ってきた彼は、 「………………す、すまない、…」 と一言謝る以外、どうにも出来なかった。 「謝って済む問題じゃないわよぉぉぉぉっっ!!!! 」 劉輝に悪気がないことはわかっている上、本人に罪悪感があるものだから。 これ以上怒るに怒れず、かといって彼をこのまま半殺しにするわけにもいかず(国王を半殺しにしてはちょっとマズイだろう、さすがに)、は怒りのやり場をなくしてしまう。 あまりのやるせなさと怒りのやり場をなくした悲しさに、は思わず近くにいた楸瑛にしがみついて泣き出した。 「劉輝のばかバカ馬鹿ばか馬鹿バカ馬鹿ぁっっっっ!!!!! 」 「………そんなに、嫌がらなくても………いいのではないか??? そこまで嫌がられると、さすがにちょっと傷つく…………」 「まあまあまあ、恋する乙女は繊細ですから。 それに今回は多分、主上の方に非があることですしね。 ……ほら、も顔を上げて」 「うぅぅっ………、乙女のファーストキスが………(涙)。 ファーストキスは絶対好きな人と、って決めてたのにぃぃぃぃぃっ!!!! 」 「済んでしまったことをあれこれ言っても仕方ないじゃないか、。 ……それでも駄目なら、私が消毒してあげようか? 」 「へ、消毒って…………」 楸瑛の言葉に、は顔を上げ……………。 ちゅ♥ (…………………は?) 気づけば、楸瑛の端正な顔が至近距離にある。 そしてさっきの音は…………? なにがなんだかわからず、ただ呆然とする。 そんな彼女に、彼は悪びれもせずニッコリ微笑んでみせる。 「ほら、これでもう大丈夫」 「楸瑛……、それは消毒でも何でもない……」 半ば呆れ口調で呟く劉輝。 そしてここに絳攸がいなくて良かった、と胸を撫で下ろすのだった。 そしては……………、ひたすら無言だった。 無言のままで、数歩後ろへ下がると、すっと腰を落とす。 その両手は腰に差した双剣の柄へとかかっている。 「………藍将軍。そういえば、私、最近新しく開発した技があるんです…」 ニッコリと笑顔を浮かべてみせる。 だがその瞳は、全然笑っていない。しかも完全に据わりきっている。 「でもまだ、人間相手に試したことないんですよね………」 「………? 「折角だから、実験台になってくれますよね。藍将軍?」 |