言うが早いか、の両手が神速の速さで剣を抜き払う。
武芸に通じた楸瑛だからこそ、かろうじてそれを目で見ることが出来たのであって。
普通の人間なら、刃先が柄から抜き出された摩擦で起こった鋭い音を聞き取ることしかできなかっただろう。

 の片足が大きく床を蹴る。
すべりやすい床と裾の長い着物のハンデもものともしない、一瞬の動作。

 ほとんど反射的に引き抜いた楸瑛の剣が、襲いかかってきた双剣を受け止める。

「待ちなさい、!!」

「待ちません!!」
 双剣で楸瑛の剣を大きく薙ぎ払い、その反動を利用して床を蹴るとの身体は虚空に浮かび上がる。否、浮かび上がったように見えた。
 そして器用に空中で反転すると、器用に身体の向きを変え、再び天井を足で蹴り出す。

「本気でいきますっ!!!奥義、鳳凰双燕斬っっ!!!」

 落下の勢いに体重を乗せて、より重く速くなった双剣の斬撃が楸瑛に襲いかかる。
彼女の本気を悟った彼は、一歩足を引き、斬撃を受ける体勢に入る。

 否、入ろうとしたのだが。

 カチャリと扉が開く音に一瞬気取られ、反応がわずかに遅れた。

 そして、その隙を逃すではない。
猛将宋太傅に叩き込まれた、一撃必殺の殺人剣。
劉輝も会得しているそれを、もまた会得していた。
 加えて山の中でサバイバル生活をも経験したは、確実に獲物を仕留める術を虎や狼といった肉食動物から学んでいるのである。ゆえに確実に獲物を仕留めるその技量は、生半可なものではない。たとえ一流の武人であろうと隙を見せれば、その次の瞬間にのど笛を噛みちぎられることだろう。

 だが、楸瑛とて羽林軍の将軍職を務める身。彼女と同等以上の技術を持つ武人である。
一瞬の隙を補うように、その次の行動は極めて迅速だった。
 すぐさま扉を開いた人物を部屋の外へ押し出すと、首筋のすぐそばまで迫った双剣を後退して交わし、自分の剣で斬撃を受け止めることに成功したのだ。

 そう。受け止めたことは、受け止めた。

 しかし、もともと微妙な体勢のままで受け止めたこともあって、の斬撃の重さに耐えきれずーーなにせ彼女の体重と重力と速さによる重さが加わっているのだからーー、そのままバランスを崩したように後ろに倒れ込んでしまう。
 勿論、それでも双剣を牽制する剣は、依然同じ位置をキープしたままだ。


「……、もう気は済んだだろう?」

「まだですよ〜、済んでるわけないじゃないですか。
せめてその綺麗なお顔に傷の一つ二つつけてやらなきゃ、腹の虫が治まりません。」
 そう笑い飛ばすの声は軽く、明るいが。言ってることは思いっきり恐ろしい。
というか、怒りが頂点も過ぎて、一線越えてどっかへいってる感じである。

「大丈夫ですよぉ、そんなに痛くしませんからぁ。
だから、どうぞ安心して殺られてくださいね♪」
 ケラケラと笑いながら、はさらに剣に力を込める。
その瞳には、絶対許すものかと言わんばかりに炎が燃えたぎっている。
完全に殺る気満々状態だ。


 しかし、楸瑛とてこのままやられっぱなしでいるわけにもいかない。
彼は自分が下敷きにしている人物が誰なのか、重々承知した上で軽い口調で告げる。

「残念ながら、まだ殺られるわけにはいかないね。
第一私が死んだら、絳攸が悲しむじゃないか。」


「根も葉もないことをぬかすな!!!!!」

 楸瑛の言葉が終わるやいなや。
どこからともなく聞こえてきた絳攸の怒声と共に、中指の長さほどの厚みのある本が勢いよく楸瑛の元へ向かって飛んできた。

 が、楸瑛はギリギリのところでそれを避ける。
当然投げつけられた本に、クルリと自分の意志でいきたい所へ行け、と言っても聞く耳を持つはずもなく、標的を失った本はそのまま真っ直ぐに真っ直ぐに飛んでいき…。

 結果。
 標的をなくした本は、そのまま真っ直ぐにの顔面へと勢いよくぶち当たった。



「良いコントロールしてるね、絳攸。
このまま文官として埋もれさせておくには、あまりに勿体ない。」
 楸瑛はその場から身を起こすと、バランスを崩して倒れるを片腕で抱き留める。
そうして念には念を入れて、彼女が床に落とした双剣を拾い上げると、身を起こして着物の裾を払っていた絳攸の方へと放り投げた。

「勝手にほざけ!!」
 放り投げられた双剣を受け取った絳攸は、してやったりという微笑みを浮かべる楸瑛に対して怒鳴り返す。そうして双剣を片手に持ち替え、床の上に錯乱した本を拾い上げた。

「……は、はにゃが……痛ひ………。」
 一方、百科事典クラスの分厚い事典で顔面を強打されたは、真っ赤になった鼻を押さえながら涙目で呟く。

「大丈夫かい、。あんまり手荒にしたくはなかったんだけど、こうするしか方法がなかったんだ。許しておくれ。」

「……別に良いです。ところで藍将軍。
そもそもこんな騒ぎになったのは、ご自分のせいだとわかっていらっしゃいます?」

「私はの為を思ってやったんだよ?」

「どこがですか!!むしろ『泣きっ面に蜂』じゃないですか!!!!」

「泣きっ面に蜂、か。なかなか言い得て妙だね。」

「感心してないで、さっさと離れて下さい!!!
………とにかく。今後一週間は、私の半径一メートル以内に近づかないで下さいね。
近づいたら、容赦なく殺らせていただきますので♪」

「仕方ないね。」
 楸瑛はしぶしぶとの身体を離す。
すると彼女は、絳攸の背に回り込んで隠れてしまう。

「……また妙なことをやらかしたな。」
 が楸瑛を避けるのは、たいてい楸瑛が彼女にちょっかいを出した時だ。
そのことを知っていた絳攸は、飄々としている楸瑛に向かって呆れたような視線を投げかける。

「心外だね。私はただが可愛いから、ちょっと戯れに手を出してみただけで……。
…………………………。あー、いや、今のはものの例えだよ。
だからそんなに怒らないでくれないか、絳攸。」

「怒らいでかっ!!!
貴様というやつは、女となれば見境いなくそうなのかっ!!!!!
これが黎深様に知れたら、どうなると思ってるんだ!!!!!」

「そうしたら、正式にを妻に下さいとでも言ってみようか。」
 けろりと言い放つ楸瑛の言葉に、絳攸の表情がわずかに豹変する。
だが彼はすぐに持ち直すと、更に勢いを増した怒号を相手に叩きつける。。

「……っ、即刻で却下されるにきまっとろうが!!!!
たとえそうでなくても、俺は認めん!!!!
貴様が俺の義兄になるなど、断じて許さんからな!!!」
 そこまで一気に言い切ると、絳攸は持っていた事典を楸瑛に向かって投げつける。
無論、そのことを予想していた楸瑛は軽々とそれを避け、事典を受け止めた。

「それをあの馬鹿王に渡しておけ!
今日中に付箋のついたところを暗記しておけと、な!!!」

 そうして、絳攸はしがみつくを強引に引きはがすと、彼女の腕を引いてさっさとその場を後にしたのだった。




「……結構脈有りみたいですね。」

「そのようだな。」

 去っていく二人を見守りながら、楸瑛と劉輝は呟いた。

「……にしても、余はちょっと絳攸が羨ましいぞ……。
いつもいつもと一緒にいられるなんて………。」
 さめざめと嘆く劉輝の言葉は、妙に切実な響きを帯びていた。


********************


 足早に先へ先へと歩いていく絳攸に、しばらくかける言葉の見つからなかっただが、ふと腰の鞘に剣がささっていないことに気づく。
 そして彼女の愛剣は、二つとも絳攸の片手に握られていることにも。

「ねえ、絳攸。剣、返してよ。」

「ああ、そうだったな。」
 そこでようやく気づいたのか、絳攸はその場に足を止める。
そうして持っていた二本の剣をに手渡した。

「やっぱり腰に重みがないと、落ち着かないんだよねぇ…。」
 その二本を受け取ると、は実に慣れた手さばきで剣を腰の鞘に収める。

「で。一体なにがあった?
お前が剣を振り回すなんて、ただごとじゃないだろう。」

「あー、えー、その………。
実はかくかくしかじかで………。」



 手短にが事情を話すと、絳攸は呆れの色を隠すに隠せないようだった。

「そんなことで、あの騒ぎか……。」

「そ、そんなことって何よ!!!
乙女にとっては、とっても大事なことなんだから!!!!」

「だからといって、部屋の中で双剣をぶん回してもいいわけがないだろうが。」

「あう……、それは、その…………………………反省してます。」
 ひそかに自分でもまずかったと反省していたことをズバリと言われて、はもうひたすら頭を下げることしかできない。

 絳攸は、頭を下げたまま微動だにしないをしばらくそのままにしていたが、彼女は一向に顔を上げる気配がない。なので彼は頭を掻きつつ、大きな溜息を一つ漏らすと、仕方なく彼女に顔を上げさせた。

「そんなに嫌だったか?」

「……嫌とかそういうんじゃなくて、夢をことごとく破壊された気分……。」

 はそう言って、深く深く溜息を吐き出した。

 絳攸が押さえているから、彼女の顔は俯き加減にはなれど項垂れることはなかったが、もし支えていなければガクンと項垂れていただろう。
 つまりにとっては、それだけショッキングな出来事だったのだ。


「……だったら拭き落とせばいいだろうが。」

「…………絳攸?」

 唐突にそんなことを言われ、は顔を上げる。
すると唇の上に布をかぶせられたかと思えば、痛くない程度の強さで数回にわたって擦られる。


「………あ、そっか。拭き落とせば良いんだ。」

「今更気づくな、馬鹿。」
 初歩的なことをすっかり見落としてた挙げ句、ようやく気づいたのか。
手をポムと打つとあっけらかんと言い放ったの様子に、絳攸は口の端を盛大に歪めた。

「動揺してて、そこまで頭が回らなかったんだよぉ〜。」

「お前な………。」

 相変わらずノー天気な物言いに呆れを隠せないとはいえ。
落ち込みモードだったの機嫌が直ったことは、喜ばしいことだと素直に思う。
さっきまで泣いていたカラスがもう笑ったとは、まさしく今のにこそふさわしい言葉だ。

 その立ち直りの早さに驚く反面、その順応の早さがいかにも彼女らしいと思う。
異なる世界からやって来て早六年が経つが、今では彼女がずっと昔からここにいたような錯覚すら覚える。それもまた、彼女の順応力の高さがなせる技だ。


。」

 何気なく呼ばれて、絳攸の先を歩いていたは後ろを振り返る。

「はいはい、なんのごよ………」


 …………。

 ほんの一瞬、一秒にもなるかならないかの刹那の刻。
 唇にかすめるように触れたのは、柔らかいぬくもり。


「……これに懲りたら、当分は屋敷でおとなしくしてることだな。」
 そう言い残して先へ歩いていく絳攸の耳は、真っ赤だ。
さらにどことなく歩く速さもいつもより速い。
あの分なら、ほぼ確実に王宮内で道に迷うことになるだろう。





「…………………嘘。」
 はその場にヘナヘナと腰を落とした。
顔は勿論、耳まで真っ赤になっていることだろう。
まるで顔から火が出ているかのように、顔が熱い。
おまけにやたらと心臓の鼓動が速くて、どことなく息苦しさすら感じる。

(今、何が起こったの………?)

 自問自答して、さっきのことをもう一度思い出す。
そして、思い出したところで急に恥ずかしくなって、は過去の記憶の再生をやめた。


「…………やだ……、嬉しくて死にそう…………。」

 ついさっきまで劉輝と楸瑛に向けられていた怒りは、完全に拡散していた。
今はただ、夢のようで現実だったほんのひととき前の幸福に酔いしれるだけ。

 幸せすぎて、思わず顔中の筋肉が緩んでしまいそうなくらいだ。
ひそかに想っていたその人からもらった、一瞬の口づけ。
たったそれだけで、目の前全てが薔薇色に染まってしまった。


「懲りるどころか……、私、味占めちゃうよ……絳攸?」

 もう姿の見えなくなった愛しい人に、は聞こえるはずがないと知りながらも呟いた。






*後書き…
・お題“スマイル!私の必殺技!”経由でお送りしました、若手三人組逆ハー絳攸オチ夢!
また無駄に長いですね。しかも前半、劉輝×秀麗としても充分読めるし。
………と、とにかく、いかかでしたでしょうか???
微妙に藍将軍の喋り方がわからず苦戦しましたが、遙かのアニメを見た後で、
「そうか。藍将軍=友雅さんだ」と勘違い、そして……こんなんになりました。
藍将軍好きな方、ごめんなさい。
黄尚書相手の夢を…との声が多かったのですが、虎姫で鳳珠様と恋愛夢は無理です。
設定的に、何より……年齢的にねぇ……? 娘、あるいは妹のような感覚で溺愛されているという夢ならばなんとか書けますけど……どうなんでしょうかね、その辺。

06/03/24...一部加筆修正