その至福の時が終わったのは、どれくらい時間が経った頃だったのか。
長い時だったのか、あるいはほんの短い時間でしかなかったのか。
時間の過ぎる感覚も狂うほどに、心地良い時間だった。


「……ようやく、起きたか…」
 呟き、こぼれ落ちた呟きは、いつもよりも少しだけ深い声音。
こちらを見つめる藤色の双眸には、英知の輝きとは別に、今まで見た事もない強い輝きがはっきりと見てとれた。

「うん………。目、ばっちり覚めたよ………」
 一方のは完全に使い物にならなくなった頭でもって、言葉を返す。彼女は今まで見たことのない色を浮かべる絳攸の表情に、ぼんやりと半ば見惚れていた。


 そうしてたっぷり数秒間。二人は何を言うでもなく、互いの瞳を見つめ合う。
 藤紫と漆黒の双眸。その二つの色彩が交錯し続けたのは、どのくらいだったか。


 とりあえず二人がようやっと我に返ったのは、互いの唇に残った余韻が薄れるくらいに時間が経った頃だった。

 我に返ると同時に、慌てて絳攸はの腰に回していた腕を放し、も慌てて絳攸の首に回していた両腕を離し、彼と距離を取る。


「あ、ああああああの………えっと………」
 耳まで真っ赤になりながら、何かを話そうとするだったが。
完全に思考回路がパニック状態に陥っていて、全く単語らしい単語が口から出てこない。

「………まさかとは思うが、お前。
王と一緒にいた頃にも、あんなこと言ってたわけじゃないだろうな」

「は、はへ? 」

 完全に寝惚けていた時の記憶はないのだろう。
首を傾げてみせるに、絳攸は一瞬言うべきかどうか迷うが、答えを聞かぬままでいるのもなんだか落ち着かなかったので、仕方なく。

「……………、キスしてくれたら、起きるとか……なんとか……」
 言葉の意味を知らない時ならいざ知らず。実際の言葉の意味を知ってしまうと、なかなか口にするのも恥ずかしい言葉ではあったのだが、絳攸は極力から視線を外しながら、彼女にわかるくらいの小さな声で呟いた。

「へ………? ………あの、ごめん。絳攸、もっかい言って」
 聞き間違いに違いない。
 そう思ったは、もう一度同じことを言ってもらおうと頼むが。

 その言葉を聞いた瞬間、絳攸の顔が一気に赤く染まった。

「…………こんな恥ずかしい台詞をこれ以上言えるか、馬鹿!!! 」
 紅潮した理由は、怒りかはたまた羞恥心によるものか。
どちらともとれるような勢いで、彼は力いっぱいを怒鳴りつけた。

 だがその様子を見る限り、先ほどの言葉が聞き違いでない事は間違いはなく。
 はようやっと、自分が寝惚けてとんでもない台詞を口走った事実を知ったのだった。

(………う、嘘ぉぉぉぉぉっ!!!!! 私、寝惚けてそんな事言ってたわけ?!)

  寝惚けていた時にとんでもないことを口走っていたとわかった瞬間、の思考回路は完全にヒートアップし、挙げ句の果てに回路遮断されてしまった。

「いっっっ、言ってない言ってない、絶対に言ってないーーーーーっ!!!
そりゃ確かに劉輝は王様かもしれないけど、女の子がキスしたいと思うのは王子様であって! でも現実に白馬の王子様なんていなくて! だから、白馬の王子様はたいてい自分の好きな人だったりとかするわけでっっ!!!! 」
 そうして首が外れそうな勢いでぶんぶんと横に振りながら、自分でも何を口走っているのかわからぬまま、はとりあえずひたすらに弁解に弁解を重ねた。

「…………好きな、人? 」
 絳攸は、驚きで目を見開く。その視線は真っ直ぐにを見据えている。

「………………て、あぁぁぁっ!!! 」
 復唱するように絳攸に聞き返されて、ようやくは自分が余計なことまで口走っていたことに気づく。だが慌てて口を押さえるその様子は、逆に彼女が口走った言葉が真実であると暗に告げているのも同然で。

結局、自ら墓穴を掘った上に、自ら穴に落ちたというわけだ。


「……………」

「……………………」


 お互いに気まずいーーというよりは破りにくい沈黙が、辺りを漂う。
沈黙を破ろうにも、破るために使う言葉が見つからない。

も絳攸も、どちらともなく視線を逸らしたまま、ただ無言を貫き通す。


 その沈黙を先に破ったのは、絳攸の方だった。


「……と、とにかく目が覚めたなら、さっさと起きて支度しろ。
朝食抜きになっても、俺は知らんからな」
 無理矢理に話の路線を本来の目的まで戻し、言い放つと。
絳攸は、と目線を合わせないようにしながら、部屋を出て行った。




 残されたはと言えば。
 泣きたいような、笑いたいような、何とも複雑な心境に追い込まれていた。

「………私の大馬鹿者…。どさくさまぎれに告白して、玉砕しちゃってどうするかな…」

 頬をつたうのは、一体何の涙だろう。

 拒絶されたことが悲しいのか。
自分の馬鹿さ加減を笑いたいのか。

 それすらもわからなかった。

 他ならぬ自分の心であるはずなのにーーーー












 ほとんど無我夢中で歩いてきて。
 歩いてきて、ふと足を止めた場所には誰もいなかったから。

 絳攸は、その場で足を止めた。

 そしてそのまま壁にもたれかかるようにして、身体を預けた。
空を仰ぐように上を見上げても、見えるのは屋敷の天井だけ。

「………俺に、どうしろと言うんだ………」


 ここまで心乱されたのは、初めてだった。

 が宋太傅に剣術を習い続けていると聞いた時。
 彼女が大怪我をして、屋敷に戻ってきた時。

 驚くのと同時に、力いっぱい怒鳴っていた。
 怒鳴る事で、かろうじて水面下の動揺を抑えていたのだ。


 だけど、今日のあれは………さすがに効いた。


 そして驚くのと同時に、自分の中にあった未知の感情の存在に気づいた。
 否、気づいてしまった………。

 彼女が過去に抱える傷は、まだ完全に癒えてはいない。
 その傷が何であるか、知っているはずなのに。
 こみ上げてきたのは、おそらく彼女が最も忌み嫌うであろう感情だった。


 とにかくそれを抑えつけるのに必死で。
 にかけてやる言葉は、何一つ見つからなかった。

 その場に留まっていたならば、多分自分は彼女を傷つけた。
 今なお彼女が怯え続ける、狂気。
 理性や感情の奥にある、誰でも持っているであろう欲望を抑えきれずに。
 

 傷つけたくはない。
 怯えさせるつもりもない。

 強くあるがゆえに、弱い心。誰でも持っている弱い部分。
それを再びさらけ出す必要がないように、守ってやりたかったのに。

 よりにもよってーーーーー

「俺自身が、あいつを傷つけるかもしれない………」


 愛しいと。想う心に偽りはない。
 笑顔を見せて欲しいと、傍にいて欲しいと想う心に偽りはない。

 だが、その心中を吐き出せば。
 同時に見せなくても良い欲望が、さらに顔を出しそうで。
 
…………恐ろしかった。


「……

 出会ってからずっと、自分を捉え続けている少女。
 虎のように強くも、桜のように壊れやすい心を持つ“桜花の虎姫”。
 彼女に、かけるべき言葉は…………なんだ。


 どうすれば、を傷つけなくて済むのだろう。
 心の奥底にある暗い欲望を、気づかれずに。

 出会ったあの時と同じ、怯えた瞳で見つめられるのだけは……耐えられない。







*後書き…
・最初は軽いラブコメ程度で終えるはずだったのに、気づけばなんだかシリアスですな。
彼らには恋人未満な関係でいて欲しかったのですが、この際ですし、一気にゴールインする勢いで相思相愛ラブラブを目指して頑張ってみようと思います。
三人称だからこそできる、互いの心情吐露場面。実はこういうの書くの大好きです。
とりあえず、節目を書いてみましょう。というわけでこのお話、続きものになります。
この辺りを書いておけば、相思相愛な二人もかけるし、この前の恋人未満な二人も書けるってものです。頑張れ、自分。
というか、ぶっちゃけくっつきそうでくっつかない関係って、書いてても結構じれったいことが多々あったりして。好きな要素を好きな時に書いてる夢ですし、こないだ黎深様の言ってた“既成事実”が気になるというご意見も頂いてますし、この際です。結婚とまでいかなくても、事実上夫婦というところまで書いちゃえ書いちゃえ(コラ待て)。