古代の神秘と美しさで、古来から人々に珍重されてきた秘石――波動石。 宝石にしてはあまりにもセンスの欠片もない名称だが、“波動石”というその名はこの鉱物の持つ特有の性質を由来に名付けられた名前だという。 定期的にアイテム協会からリシャルト宅に届けられる手紙の内容は、街の様子やアイテム協会の盛況の様子、または未知なるアイテムの発見についてなどとにかく多岐に渡っている。それらは全て、身体を悪くして街へも滅多に降りてこられないリシャルトのことを慮ったアイテム協会員たちの意によるものであった。 山奥の清浄な空気の中、最愛の弟と妹と穏やかな毎日を送る暮らしにもけして不自由は感じていない彼だったが、こうして送られてくる便りを待ちわびていることは否定できない。 そうして今日も、リシャルトの元には一通の手紙が届けられた。 「…輝きの女神像、か…。」 手元にある手紙を一通り読み終えた後、リシャルトはふとひとりごちた。 溜息を吐きながら思いを寄せるのは、遠いようで近い昔のこと。 もう10年以上も前になるだろうか。 その頃彼は、当時最先端の科学技術力を誇っていたロマリアの科学研究所で研究員をしていた。様々な研究に没頭するなか、研究の一端として強い共鳴力を持つ波動石について調べていた時期があり、彼はその“輝きの女神像”を一度だけ目にしていた。 古来よりパルトスの地で珍重され、学術的にも美術品としても価値の高い波動石を恭しく頭上に掲げた麗しい女神の姿を彫ったその彫像は、国一つを買えるほどの大金を積んでも手に入れることは出来ないという。その彫像自体の美しさと芸術性に加えて、握り拳大の大きさにもなる純粋な波動石の結晶が添えられているのだから、当然と言えば当然だ。 研究のために女神像に立ち会ったリシャルトだが、波動石の持つ強大な共鳴力よりもその彫像の美しさに心惹かれた。女神像は学術的価値も当然ながら、美術的・芸術的価値もまさに至上。貴族や金持ちの多くが女神像の美しさに魅入られ、多額の借金をしてまで手に入れようとしたものの、願い叶わず没落していったという話をよく耳にするのも、まあ無理のないことなのかもしれない。 その女神像が、今度の武闘大会の優勝記念品に決定された。 今日の午後には、闘技場で優勝記念品のお披露目があるという。 「折角の機会だし、久々に街へ出てみるのも悪くないかもしれないな。」 台所からは、食器の擦れ合う音や流れる水の音が聞こえてくる。 多分、が食後の片づけをしているのだろう。 ヴェルハルトはどこかで剣の練習でもしているか、家の中には姿がない。 おそらく間近に控えた武闘大会に備えているのだろう。 …もっとも彼の場合、そうでなくても剣の練習をしていることの方が多いのだが。 どうせなら二人とも連れて行ってやりたいと思ったリシャルトだが、どこにいるかもわからないヴェルハルトを捜しているほど時間に余裕はなかった。 そこで彼は、だけを街へ連れて行くことに決めたのだった。 けしてそこに他意はない………、と思われる。 「。」 すぐ後ろから声をかけられると同時に、背中から抱きすくめられた。 だが、いつものことなのでは全く動じる様子も見せない。それどころか、まるで何事もなかったように黙々と作業を続けていた。 完全に無視される形になったリシャルトは、しばらくそのままの状態で止まっていた。 しかし、そのうち沈黙に耐えきれなくなったのか。 「………………、。」 もう一度、最愛の妹の名を呼んだ。 「はいはい、リシャルト兄様。あとで構ってあげるから、今は向こうでおとなしくしてて。」 対するの答えは、ひどくそっけのないものだった。 「……そんなに邪険にしなくてもいいと思うんだが。」 「だって、邪魔なものは邪魔なんだもの。 もう少しで洗い物が終わるから、邪魔しないで。」 渋面を作るリシャルトに、は彼の方を振り向きもしないままで再びそっけのない言葉を返した。 「…………。」 最初こそとりつく島もないの様子に、憮然として立ちつくしていたリシャルトだが、 ふと何かを思いついたのか、口元にかすかな笑みを浮かべる。 勿論、その様子は流しの方を見ているにはわからない。 リシャルトはの身体を抱きしめる腕に力を込め、彼女の漆黒の髪に顔を埋めた。 すると、花のような甘い香りがリシャルトの鼻孔をくすぐっていく。 まるで花が虫たちを呼び寄せるために作る密のように、甘くて優しい香り。 その香りに誘われるように、彼はの耳元へ唇を寄せていった。 大切で大切で仕方がない、可愛い妹。 だけど、彼女もいつまでも子供のままではない。 もそのうち大人になって、生涯の伴侶となる男性と巡り会う。 そして、誰よりも愛しいと思う人と一緒に新たな家庭を作っていくのだろう。 願わくば、その相手が自分であればいいと思う。 その相手が他の誰かであると考えるだけで、胸が焼けつくような痛みを覚える。 彼女の不可思議な輝きを宿す漆黒の瞳が見ているのは、自分だけでいい。 自分以外の何も見るな、と。 愚かな独占欲だとわかっていながらも、思わずにはいられない。 愛しい、誰よりも愛おしくて仕方ない妹…。 「…。」 堪えきれない感情をもてあまたまま。 大切な、大事な、壊れ物を扱うかのように。 気がつけば、自分でも信じられないくらいの優しい声が出ていた。 …ッ、ガシャン! 取り落とした皿が流し台に落ちて、3つに割れた。 だが、は皿の破片を拾おうともしないままでいた。 唐突に耳元で名前を囁かれて、身体中の血が沸騰するかとさえ思った。 耳の奥まで響く、優しくて穏やかな低音域の声音。 無風状態の水面を見てるような錯覚さえ覚えさせる、落ち着いた美声。 だけど……。 さっきの声音はいつもと違っていた気がする。 具体的にどうと説明は出来ないけれど、なんとなくそんな気がするのだ。 何が違っていたのか、と考える余裕はにはなかった。 考えようとした、その矢先。 耳元に違和感を覚えた。 不快感とも違う。例えるならば、くすぐったさにも似た奇妙な感覚を。 「……っっ、んっ!」 我知らずのうちに漏れた声は、変に甘ったるかった。 恥ずかしい。 なにがって、その声を後ろにいる兄に聞かれてしまったことが、だ。 「リシャルト兄様!!」 は後ろを振り返り、キッとリシャルトを睨みつけた。 だが、悲しいかな。 涙腺が潤み、耳まで顔を真っ赤にした表情で怒っても迫力は全然ない。 …それどころか、むしろ。 そんな表情を見せることは、リシャルトをより煽る結果にしか繋がらない。 「やっと私の方を向いてくれたな、。」 そう言ってリシャルトは、いつものように微笑んで見せる。 だがその頬は、かすかに赤く染まっていた。 「兄様がそう仕向けたからでしょ!どうするのよ、お皿が割れちゃったじゃない!!」 リシャルトの様子がいつもとかすかに違うことに全く気付かないまま、は怒鳴る。 彼女の指が指し示すのは、流し台に落とされて無惨に砕け散った皿の残骸だ。 「そうだね。でも……、そのおかげでの可愛い顔も見れた。」 「ンなっ……!!」 いつもなら『馬鹿なこと言わないで』の一言で片づけられるところなのだが、リシャルトの様子がいつもと違うので、はその先に繋げる言葉を失ってしまう。 さらに。 「もっと…の可愛い声が聞きたいな……。」 気付けば、至近距離と言って差し支えないほどそばにいたリシャルトは、の瞳を真っ直ぐに覗き込みながら、実に真顔でそんな台詞を囁いてきた。 「なっ……、なっ、なっ、なっ…!!!」 は、この時点で完全にパニック状態に陥った。 まあ、無理もない。 少なくとも彼女はリシャルトを「自分の兄」として意識しているのだから。 実の妹相手にこんな台詞を吐く兄は、けしていない。 断じていない。 「本当に、可愛い……。」 リシャルトの方もはんば理性のたがが外れかけているのか、はたまた頭のネジが1本か2本どこかへふっ飛んだのか。もはや眼中には、目の前の少女のことしかない。 そして彼は、壊れ物でも扱うような手つきでの長い髪を一房すくうと、恭しくそれに口づけた。 「#&%◆△〜っ!!!」 は声にもならない叫び声を上げる。 これが全く知らない見ず知らずの男にされたことなら、彼女にもそれ相応の対応をしただろう。(おそらくは魔法で有無を言わさず吹き飛ばしている) だが相手は、命の恩人とも兄とも慕ってきたあのリシャルトだ。 魔法で撃退するなどもってのほか。 かといって腕力で敵うかと言われれば、答えは否だ。 「あ、あのね、リシャルト兄様!とにかく、落ち着いて!お、落ち着いて話し合えば、きっと良い解決策がでるから!!だから、とりあえず…」 はリシャルトの身体を後方へ押しやりながら、少しずつ後退していく。 それでもすぐに流し台に背中がぶつかってしまったから、彼女はすぐそばにある兄の顔をしっかりと見据えつつ、必死で説得に当たる。 「おかしな事を言うね。私は至って落ち着いているよ。 落ち着いていないのは、の方じゃないか。」 だが、リシャルトは穏やかな笑みーー逆に言えば感情の起伏が読みづらい表情でもあるーーを浮かべたままだ。 ああああああっ、リシャルト兄様が壊れた〜っ!!!! 心の中で絶叫する。 一方のリシャルトは、人の良い笑顔を浮かべたまま。 だが確実にとの距離を縮めていく。 |