彩雲国家骨董店



ここは、彩雲国の都、貴陽。彩八仙に守護されし夢の都。

 「は〜、全っ然お客が来ない〜」
 はため息をついた。

 日がな一日こうして店に座り、ときどき店に入ってくる客の相手をする。
 それだけの毎日。

 「だいたい、骨董品なんてそうそう売れるものじゃないし」
 脇にある卓上の壷にうっすらかかったホコリをひと吹きして立ち上がり、伸びをした。

 「ん〜、こんなんじゃ体が固まっちゃうよ」

 すっかり独り言を言う癖がついて、「買い」客か冷やかしの客かひと目で判別できるようになって、
何度目の春だろう。

 店の前の通りに花びらが舞う。白いの花びら。
今日みたいな底冷えのする曇の日は、まるで風花だ。
人影が差して、いらっしゃいませ、と言いかけたの声がかすれた。

 なんてきれいなひとだろう。

その瞳から目が離せず、じいっと顔を見てしまう。
少年はの視線をそのまま受け止め、じっと見つめ返してきた。

 「骨董屋。ここに笛はないか」

 「・・・はい?」
 は我に返って少年を見上げた。
 
「笛、ですか。ええと」
 とりあえず帳場の横の棚を探す。ない。左の壁の棚も探す。ここもない。

 (しまった、買いそうな客なのに。
きれいな顔にばかり気をとられていたけど、よく見ると着ている衣は上等、飾りもかなりの上物!
話し方も貴族のお坊ちゃん。
よし、絶対見つけて払えるだけ払ってもらおうっと)

焦れば焦るほど見つからず、台帳を思い出して机の上の帳簿の頁を繰る。

 (あった。だけど・・・あそこだ・・・)

 少年は物珍しげに店の中を見回していた。

 「お客様、笛は・・・奥の蔵にございます。取って参りますので少々お待ちください」
 「この店には蔵があるのか」
 「はい、店の中からは見えませんが」
 「その扉の奥、中庭を抜けた向こうだな」
 「え?はい」

 「一緒に行こう」
 
 「あ、いえ、しかし・・・よろしいのですか」
 口ごもりながらは少年の申し出に感謝した。
本当は蔵へは入りたくない。
祖父も父もが蔵に入るのを嫌がった。
 年に二度の掃除のときだけ、母と一緒に入るのを許されたが、その時でさえ一人で入ってはならないときつく止められていた。自身、止められるまでもなく蔵の黴臭さや昼間でも小暗い隅に漂う陰が恐ろしかった。
 大人になってからも蔵へ入るのは避けてきた。父が亡くなってからは尚更に避けた。
 しかし、今日はこの少年(少年とはいえ貴重な「買い」客)が一緒に入ってくれると申し出てくれた。

「こちらです」
 奥の扉を開け、中庭を抜ける。蔵は裏庭の中央にひっそりと建っていた。
開けなくなって久しいので扉はすっかり固くなっていた。
扉をこじ開けようとが必死になっていると少年が横から扉を押した。
それほど力を込めていないように見えたが扉はぎぎぎぎと嫌な音を立てて開いた。

 ホコリっぽい匂いとひんやりとした空気が顔をなでた。
嫌な冷気。手足が冷たくなる。

 は意を決して中に入った。続いて少年も入ってくる。
「ええと、こちらの棚です」
帳簿に記してあった記号を思い出しながら奥へ向かって左の四つ目の棚、上から三段目。

「っ・・・くっ」
 手を伸ばすが小柄なには届かない。
脚立持ってくればよかった、と悔やみかけたとき、後ろから手が伸びて、ひょいと箱を下ろした。

「これか」
 少年は箱を珍しそうに眺めて
「開けていいか」
「はい。ですが外に出て、もう少し明るい場所で箱を開けてごらんになったら」
「いや、ここでいい」

 薄暗い蔵の中央、明り取りの窓から差し込む弱い光のもとで少年は箱を開けた。
手元を覗き込んだの背中に冷たいモノが走った。

「・・・こ、これは・・・」
「・・・すばらしい」
「はっ?」

「すばらしい」
 少年が嬉々として取り出したそのものは、横笛。
しかもごてごてじゃらじゃらと様々なものがくっついている。
蛇がからまり、両端に髑髏がついて、鳥の羽や何かの獣毛、魔よけの護符のようなものまでくっついている。
さらに木乃伊の手が笛を握っている。本体の材質は多分、鉄だ。

 あまりの趣味の悪さにはなんと言ったらいいかわからなかった。
さらにどうやって音色を奏でるのかさっぱりわからない。

 笛が入っていた桐箱とぼろぼろになった緞子の袋を片付けながら
(せっかく高値で売れそうな感じがしたのにこれじゃ売れないわ・・・我慢して蔵に入ったのに〜)
悔しさを押し殺しながらは申し出た。

「あの〜ええと、笛、であることは確かだと思うのですが、これでは演奏には適さないと思うのですが」
「・・・この笛、私の手にかかれば天上の楽の音もかくや、と思われるほどの音色を奏でるだろう」

 どこから来るのか、その自信は。

(このコ、すごくきれいな顔だけど変な人なんじゃ・・・)

 はダメでもともと、と営業努力を搾り出した。
「それではお客様、いかほどの値でお買い上げくださいますか」
少年はあっさり言った。

「そなたの言い値で買おう」
「・・・本当ですか」
「ああ、この笛にはその価値がある」
 少年が口元へ笛を持っていこうとした瞬間、笛はその身をくねらせ、が手にしていた箱が弾け飛んだ。

「うああああっ」
 が叫ぶと同時に少年は笛を手放し、を抱えて蔵の奥へ飛び込んだ。
ついさっきまでふたりがいた場所は倒れてきた棚の下敷きになっていた。

「・・・なに、あれ」
 棚は蔵の内壁に固定されているはずだった。誰が押したわけでもないのに倒れてきた。
そのことに気づいての全身に冷たい汗が噴出す。

「立てるか」
 落ち着き払った青年の声がして、はい、と応じる自分の声も聞いた。
は意識を手放してしまいたかったがそうもいかず、少年にしがみついて倒れた棚を見つめた。

 目がそらせない。

 棚はまだ、がた、がた、と小刻みに動いている。

「なんなんでしょうか」
 口の中がからからに乾いて声が出ない。
ホコリっぽい匂いも、黴臭いのも感じなかった。とにかく空気を吸いたくては口をパクパクさせた。

「笛が」
 短く応えると少年はを引き剥がして棚に向かう。

 がた、がた、がた、がたん!

 青年の手から逃れるように棚は倒れたまま後じさりし、音をたてて立ち上がった。
棚はもとあった場所にすっぽりと収まった。
青年が拾いあげると笛はぶるると体を震わせた。棚の下敷きになったことでごちゃごちゃした飾りは砕け散り、本体に施された稚拙な線彫りの模様があらわれた。

「やっと我が手におさまったな」
 少年は微笑み、すっきりと本体だけになった横笛を握りしめた。醜悪な飾りが外れて笛本体に施された
稚拙な線彫りの模様が見えた。
 その絵柄は泉に咲く蓮の花と、二頭の竜。

「・・・双龍蓮泉・・・」
 彩七家の名門、藍家の紋だった。

 少年は微笑んで笛を口元に持っていった。
もう一度笛が身をくねらせたように見えたが、の錯覚だったのかもしれない。
細い指先が踊り、見事な音色が蔵に満ちた。
明り取りから差し込む日の光がまぶしいほどの強さになり、蔵の中が明るくなった。
 は、ごく自然に呼吸ができることに気づいた。

 空気が澄んでいた。嫌な冷気はもう、感じない。

「どうだ、名曲だろう。すばらしく風流な音色だ」
 少年が誇らしげに振り返った。
「骨董屋。、とは仮の名だな。そなたの本当の名は」

「・・・、と申します」

「私は、藍龍蓮だ」

(この少年が・・・。)
は拱手して頭を下げた。

 外へ出ると龍蓮はの木を見上げた。
蔵の横にあるの木はが生まれる前から植わっている。
雪のように白い花びらが時折風に舞う。

「この、毎年たくさんの花をつけるのに、もう何年も実が生りません」
 は独り言のようにつぶやいた。

 龍蓮は語りだした。
「昔、ある青年がの種を埋めた。やがては芽を出し、そこに住む者達に早春の訪れとともに花を見せ、
実を実らせて楽しませた。来る年も来る年もは人々を楽しませたが自身はそんな暮らしに飽きてしまった。
広い空を自由に飛び回る小鳥を見、その話に耳を傾けては、知らない土地に行ってみたいと旅に焦がれた。

ある時の木の下に仙人があらわれた。
よ、其方の願いを聞きいれよう。しかし対価にお前から能力を一つ、こちらにもらうぞ』

は仙人の言の本当の意味を悟らないまま、すぐに承諾した。は願い通り自由になった。
半身を庭に置いたまま、世界中を飛び回った。
すっかり満足して戻ってきたを迎えたのは、枯れかけた半身と実が生らないの木を残念がる人々の姿だった。つまり、は実りの能力を仙人に支払ったのだ。
の実は魔よけになる。
実が生らないことで、蔵に妖気が集まってしまった」

「蔵に妖気、ですか。あの冷気が?」

「ああ。貴陽が彩八仙に守護されし夢の都であっても、そういうものはひっそりとどこかに集まろうとする。
特に骨董などは人間の様々な感情が絡んでいるから最適だ。
笛を吹く前の蔵の空間は歪んでいたし、闇に邪気が含まれていた。」

 はあらためて龍蓮を見上げた。笛を買うのに楽器屋ではなくこの店を選んで入ってきたこと、
の気持ちを察したこと、店の中から見えるはずのない蔵の位置を言い当てたこと、
笛の本質を見抜いたこと、その妙なる音色で蔵の中を浄化したこと、
の本当の名を聞いたこと、の木の物語。

「藍龍蓮とは、そういうものだ」
 龍蓮は首から提げていた銀色の筒をはずした。

「これで足りるか」
「笛のお代ですね、拝見いたします」
 親指ほどの大きさの銀の筒。懸守りだ。外側は銀細工、軽く捻ると蓋が取れて筒が半分に割れる。
内側には極彩色の彩八仙の図柄が描かれている。その精緻な細工にはため息がでた。
紫仙、茶仙、黒仙、白仙、黄仙、碧仙、・・・そして藍仙。

「紅仙が、抜けておりますね。いいでしょう。これで対価といたします」
「では、この笛はもらっていくぞ」
「ありがとうございました」
「では、旅立ちの曲をひとつ」

・・・歩き出した龍蓮の後に残された笛の音はの脳に直接刻み込まれるような、破壊的な音色だった。


「蔵で聞いた笛の音は、何だったの・・・」
 蔵は歪んだ空間だった、という龍蓮の言を思い出し、は納得した。
よろめきながら店に戻り、いつものように店番を再開したのだった。




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