12:「あぁ、クソ!!」 どうしてこんなに緊張するんだ。


 私の所属するクラスから柳君が所属するクラスまでは、近くもないが遠くもない距離である。
よって、授業と授業の合間に教科書を借りに行く程度ならば充分だが、ちょっとでも話出したら最後、休み時間終了のチャイムと共に慌てて教室へ舞い戻ることになる。とどのつまりは、一度話し出すとつい長くなってしまうのだ。
 なまじ趣味や嗜好が近いだけに、話し出すと話題が入れ替わり立ち替わり交錯し、気付くと長い時間が経っていることが日常茶飯時な私たちにとって、この微妙な距離はなんとも歓迎しがたいものだったのだが……。


 今ほど、この中途半端すぎるクラスの距離について感謝したことはない。


 一歩、また一歩と進める足がひどく重い。まるで足に重りでもつけているかのように、一歩進めるそのたび、足にかかる引力の強さをしみじみと実感する。
遠藤周作の作品に『沈黙』という小説がある。簡単に言えば、隠れ切支丹である主人公が転ぶまでの話を描いた話(でよかったよね?)なのだが、主人公が踏み絵に行くシーンが出てくる。今まで信じていた神を裏切らなくてはならない不安、罪悪感にかられる主人公の心情を、作者は『足が枷をつけられたかのように重く、前に一歩を進めるにも多くの時間を必要とした』というような表現で著すが、まさに現在の私の心境を言い表すにふさわしい。

告白された相手に、返答をしに行くだけなのに。
どうして私はこんなに緊張しているのだろう。

 これから核爆弾発射のスイッチを押しに行くわけでも、世界を崩壊に導く禁断の扉を開きに行くわけでもない。自分の想いを打ち明けに行くわけだが、相手から返ってくる答えが全くわからないわけではない。むしろ想いを打ち明けた暁には、晴れて“両想い”になれる確立99.9%という恵まれた状況にいながら、どうして私の足はなかなか前に進まないのか。


 それを考えみると、つくづく世間一般の恋する乙女たちはすごい。
相手から返ってくる答えが全くわからない(極端なことを言えば拒否される可能性も高い)というのに、彼女たちは勇気を振り絞って、想い人へと秘めた想いを打ち明けるのだから。

 それに引き替え、私ときたら………………。

 ああ、くそっ!
 たかが一文節、「好きです」の一言を言うだけなのに、どうしてこんなに緊張するのよ!

 ハッキリ言って、大学受験のときだってこんなに緊張しなかったわよ?


 なんてことをつらつら考えていたらとうとう着いてしまいました、3年F組の教室に。
間取りも広さも構造も、私が所属するクラスのそれとなんら変わりないというのに、まるで違う世界へ来てしまったような不思議な感覚に囚われる。教室のドアを開けるが怖いと思ってしまうのは、怖じ気づいている証拠か。

 でも、まだ、心の準備なんて出来てない。

 出来るわけがない。だって、どう考えたっておかしいのだ。
私みたいなごく普通のーーー実年齢を五才ほど偽って中学生やってる時点で『普通』ではないけどーーーー平々凡々な女子学生が、告白されるなんて、ありえない!!
まして相手は、学校中の女生徒の憧れ・注目の的! 男子テニス部レギュラーメンバーにして、立海三強の一人。立参謀なんて呼ばれてる大物中の大物よ?!

 そもそもあの告白自体、私が妄想と現実をはき違えただけではないのか。

 うん。そうだ。
 きっとそうに違いない。

 ああ、今、気付いてよかったよ。
 危なく、妄想と現実とを取り違えて、とんでもないことを口走るところでしたよ、私は。

 よしっ!と握り拳さえ握りしめ、私は身体の向きをクルリと180°回転する。
否。しようと身体を回転させているその最中に、頭上から声が降ってきたため、反射的に動きを止めて後ろを振り返ったのだが……振り返らなければよかった、と心から後悔した。

「……見ている分には面白くていいんだが、いつまでそうやって百面相しているつもりだ、
 振り向いたその先には、雅やかな雰囲気を漂わせる端整な面立ちの少年……いや、青年が佇んでいた。 表情らしい色を浮かべぬ淡泊な様子と、常に伏せられた瞳とが相まって醸し出す謎めいた風情は、「立海の参謀」の呼び名が不思議と似合う。かすかに首が傾いだ拍子に眉の上へとこぼれていくのは、癖一つ無い漆黒の髪。それは、羨望の念を抱かずにはおれぬほどに麗しい。

「…………いや、その……」
 その場を取り繕うための言い訳を即・脳内検索で探してみるものの。
心の準備をする間もなく、柳君と鉢合わせしてしまったため、私の思考は半ば凍結停止状態である。こんな状態で、うまい言い訳が出てくるはずもなく。唯一出来ることといえば、視線をあさっての方へと逸らしつつ、言葉を濁すことだけだった。

 心すでにここにあらず、といったような私の一連の行動をひとしきり目で追っていた柳君は、深々と嘆息を漏らす。

。遠慮せず、本当のことを言ってくれ」

「え?」

「あの日以来、お前は部活に来なくなったろう。精市はお前の味方をしているのか、一切俺にお前の様子を教えてはくれなかったがな。弦一郎に聞いた限りでは、学校へは普通に登校してきていたそうだから、病気が原因ではない。、お前はあの日から俺を避けていた、違うか? 」

 …違いません。
会うと返事返さないといけないと思って、会わないようにしてました。

 胸中で即座に返答するも、言葉に出すことはしない。自分でも情けないくらいに臆病な自分を、彼の前にさらけ出すことなどとても出来はしなかったから。

「俺の想いが迷惑だというなら、言ってくれて構わない」

「……っ!! って、どこをどういうふうにしてそういう解釈になるのよ!!!
誰が、いつ、迷惑だなんて言いました!? 一言もそんなこと言った覚えはないわっ!! 」

「なら、なぜ俺を避けていた」

「そんなこと! 人間観察の得意な柳君なら、すぐにわかるでしょ!!!
付き合う人間をえり好みする私だもの、嫌いな人間なら最初から関わり合いになったりしてないわ! まして! 好きでもない相手から告白されたとしたって、即時回答その場でお断りするに決まってるじゃない!!!」

 別に威張ることでもなんでもないのだが、気付けば私は胸を張って堂々と宣言していた。
後々で考えると、この時点ですっかりと相手の術中に嵌ってしまっていたのだが、当時の私はそんなことに気付ける余裕もなかった。

「…ほう。すると、即時回答その場で振られなかった俺は、『脈有り』ということか」
 不敵とさえ称せる笑みを浮かべた柳君の手が私の左頬にかかる。普段は瞼の裏に隠されている切れ長の双眸が、真っ直ぐに私の両目を射てくる。


 ――――――し、しまったぁぁぁっ、図られたっ!!!

 だが、今頃気付いたところで、もう後の祭り。
文句の一つも言おうかと口を開いたけれど、濡色の紫がかった黒の双眸で真剣に見つめられたら、もはや言葉の一つも出てくるはずがない。


 一度は落ち着いてきていた心臓の鼓動が、再び激しく脈打ち始める。
顔に、頬に、耳たぶにまでじわじわと熱が広がってくる。見えないながらも、自分の頬が真っ赤に染まっていくのが不思議とわかるようだ。

この現象は、緊張によるものか、それとももっと別の何かによるものか。

……答えはすでに、私の心の中にある。


 私はゆっくりと深い深呼吸をすると、出来るだけいつも通りを装って告げる。

「…そうよ。気のない相手にはすぐ答えを返せても、肝心の想い人相手になると、すぐに答えを返せなくなるのよ。臆病者だから」
 今の私にはこれが精一杯だ。自慢じゃないが、現時点でこれ以上のことを言える勇気はない。

 そして、私の心中を顔色から正確に読み取った柳君は、かすかに口元に笑みを浮かべた。

「精市と並んでも物怖じ一つしないお前にしては、意外だな」

「なんで精市と並んで物怖じしなきゃいけないのよ。
そんなヤワな精神じゃ、あいつの従姉なんて到底やっていけないわ」

「だから、意外だと言ったんだ」

 ……悔しいけれど、反論の余地がない。

「尤も…、そのくらいの意外性があった方が可愛らしくていいとも思うが」

 は、はい?!

 思わず口をついて出そうになった言葉にならない言葉。
それは、私の口から発せられることはなかった。

 頭上から降ってきた、あたたかな熱に唇を封じられて。





*後書き…
・中三にしては人生悟った節のある(実年齢は20才ですから)ヒロインですが、
恋愛に対してはとことんウブかつ臆病だということが、今回の話を書いて発覚(コラ)。
どうでもいいが、二人とも今いる場所が教室前の廊下だということを忘れてない?


※背景素材→既に閉鎖された写真素材サイトの素材を使用。