何気ない楠木さんの言葉に、私は沈黙を持って答えを返した。
この話の流れでいくなら、沈黙が私の持っている答えを正確に相手に返してくれる。
と、いうよりも。
あの出来事をここで堂々と話せという方が、なまじ不可能なのよね……。
確かに楠木さんの言う通り、ほんの少し前までは私だってブラック+加糖コーヒーはほとんど飲まなかった。紅茶や緑茶は今も昔も変わらずよく飲むが、コーヒーは苦いのであまり好きではなかったのだ。元から甘党だった事もあって、どちらかと言えばカフェ・オレやココアのような甘い飲み物をよく好んで飲んでいたはずだ。うん。
だのに。どっかの誰かさんがあんなことをしてくれるから………、所謂慣れというか、状況反射というか……。いつの間にかブラック+加糖コーヒーに手を伸ばす事の方が多くなってしまっただけの事だ。
にしても。張本人が同じ場所にいなくてもついコーヒーを飲んでしまうなんて、ある意味麻薬の中毒症クラスの依存度だな、おい。
でもそうなっておかしくないくらい、………うまいんだもんなぁ……克也の奴。
「ちゃん、顔赤いけどどうしたの? 」
楠木さんに指摘されて、我に返った私は慌てて過去の記憶を封じ込んだ。そのついで。
無意識に唇に当てていた手をさりげなく外し、汗をかいているコップの側面へ当てた。
どうやらいつの間にか、あの時の事を思い返していたらしい。
「なっ、ななななななななんでもないわっ!! 」
「どもってるぞ、」
気づけばいつの間にか平常心を取り戻していた柊一が、私の方へと顔を向けて突っ込みを入れてくる。
「気のせいよ! 」
「……まあなんとなく、想像はつくけどな」
そう呟いてほくそ笑む雅行の視線は、真っ直ぐに私へと向けられている。
まるで“全てお見通しだ”と言わんばかりの視線に、私が耐えられるはずもなく。
「想像するなぁっ! 今すぐその想像したものを抹消しろ、雅行!! 」
雅行を喜ばせるだけだとわかっていながら、私は怒声を上げずにはいられなかった。
「はいはい」
諸手を挙げて降参の意志を示した雅行はとりあえず放置して、私はさっさとその話題から離れる為に別の話題を持ち出したのだった。
夕方にほどよく近い、時間帯は午後五時頃。
夕食の食材を買い込むため、私は雅行と共に神社を出た。
ちなみに今現在、柊一は学校の宿題をやっつけている最中だったのでそっとしておいたし、暇そうにしていた楠木さんにはお風呂掃除をお願いしておいた。
“心臓破り”と異名をとる長い石段を下りながら、私は空を仰ぎ見る。
日の長い夏とはいえ、さすがにこの時間ともなればだいぶ西の方へと傾き始めている。空の色は相変わらずの青だったが、天に近い遙か上の方からは少しずつ藍色のカーテンが帳を下ろし始めつつあった。
青と茜と藍色の混在するこの時間の空は、いかに腕の良い芸術家といえども完全に写生する事は不可能に近いだろう。そのくらい一秒一秒、刻々と時が流れるにつれて空の色合いは微妙に変化し続けている。
「……こうしていると、なんの変哲もない平和な田舎町なんだけどなぁ……」
都会では忘れ去られつつある、ゆったりとした時間の流れる安内市。時間に追い詰められてあくせく働く社会人のたくさんいる都会とは違って、不思議と心を和ませてくれる何かがこの市内にはあった。
「確かにそうだな。
二十年に一度、御霊部が偵察に来なければならないような土地にはとても見えん」
「でしょう。平和でのどかで、良い街だよねぇ」
「ああ、全くだ」
珍しくも本日は、よく雅行と意見の合う日だな。
「ところで。本日の夕飯のメニューは、何にするつもりだ? 」
「……う〜ん、どうしようか。雅行は肉と魚ならどっちがいい? 」
「肉と魚か……。
でもそれよりもっと、食べ甲斐のあるものがすぐそばにあるんだがね……」
「食べ甲斐のあるもの??? 」
はて、食べ甲斐のあるものとはなんだろう。
すぐそばにあるものということは、その辺で採れるもの?
「キノコか山菜が食べたいって事? 」
「それよりもっと食べ甲斐のあるものがあるだろう。ほら、ここに」
嘘とも本気とも取れない微妙な色を浮かべた雅行は、私の頬へと手を伸ばしたかと思うえば無理矢理に顎を上げてくれる。顎を持ち上げられれば顔は自然と上を向く事になり……、おのずと私は雅行と真っ正面から向かい合う羽目になる。
「どうやら火祭り君もまだ、君を賞味してはいないようだし……ねぇ? 」
「……私たちの今の様子をはたから見ると、絶対に“か弱い少女を襲う吸血鬼”って図よね。
明らかに」
「随分と余裕だな」
「だって本気じゃないのは分かりきってるし。
万が一にも本気だったとしても、私が全力で抵抗すれば無理強いは出来ないでしょう?
まあ……この“天の眼”の餌食になりたいのなら、無理に止めはしないけど」
余裕綽々にそう告げて、私は不敵な笑みを浮かべて見せる。
「もう少し面白い反応を期待していたんだがなぁ……、興ざめだ」
心底残念そうな表情と声音とで呟きながら、雅行は私の顎を掴む手を外した。
相も変わらず、人をおちょくるのが好きな奴だ。
「人間、慣れってのも重要よね」
ふっふっふ…と含み笑いを漏らしながら、私は誰に言うでもなく告げる。
「なるほど……。火祭り君で充分に慣れたってワケかい。つまらないね」
彼はこれ見よがしに溜息をついてみせると、大仰に肩をすくめた。
「何がつまらないよ。私で遊ぶ余裕があるなら、晩ご飯のメニューくらい考えなさい」
目下現在、一番の諸問題であるそれをビシリと突きつけてやれば。
なぜだか雅行はしばし沈黙し、かと思えばいきなり穏やかな微笑を浮かべてみせた。
「……は、妙なところで子供じみてるかと思えば、変に所帯じみてるな」
「悪かったわね」
「半分は褒めたつもりなんだが……」
「どこが褒めてるのよっ!!! 」
そんなたわいもない(?)言い争いをしつつ歩く、黒ずくめの男と巫女装束の少女。
はたから見ると一体どういう風に見えるんだろうかと、思考の片隅で思わないでもなかったが、すぐにその思考は掻き消えてしまった。
だってそれは、あまりにも今更な思考だったから。
そして。私は全く気づいていなかったのだが、五郎神社から家へ帰宅する途中であった漫研二人組――吉野萌と熊谷早紀子が、ものも見事に事の一部始終を目撃していたのだった。
「ねえねえねえ、早紀ちゃん。今の見た? 」
「見た見た! 多能さんって、ちゃんのこと好きなのかな?
でもちゃんって、確か付き合ってる人がいるんじゃなかった? 」
そう言いながら、彼女の彼氏だという男の顔を思い起こしてげんなりする早紀子。
容姿そのものは文句なしの美形だが、性格そのものはあまりよろしくないと思われるその男は、ミイラに襲われるところだった早紀子を助けてくれた人でもあった。
だが助けた後、彼女をそのまま放置してさっさと立ち去ってしまったので、早紀子の中では「第一印象最低最悪」な奴と認識されてしまっていたのである。
もっとも有田克也の性格からしてみれば、至極当然の対応ではあるのだが。
何も知らない早紀子からすれば、「助けた女の子を抱きかかえて、安全な場所まで送るくらいのこと」はしてもらってもおかしくないだろう、と判断するのも無理はない。
「じゃあ……きっと、多能さんの片想いってことよね………ふふふふふ。
想い想ってみるものの、ちゃんは一向に振り向いてくれない。辛い恋よね。
そしてそんな恋に悩む多能さんを見ていられなくて、飛鳥井君はいろいろと励ますのよ。
自分の為に一生懸命になってくれる飛鳥井君にゆっくりと惹かれながら、でもやっぱり多能さんはちゃんを諦める事ができないの。そしてついに、心の中に溜めきれなくなった想いのやりどころがなくなって、多能さんは飛鳥井君を組み伏せてしまうの………」
「………ずいぶんとただれた関係だね」
「でもね、早紀ちゃん。そうして幾度となく身体を重ね合ううちに、うふふふふふ……。
飛鳥井君の魅力に気づいた多能さんは、だんだんと飛鳥井君に惹かれていくのよ……」
「なるほどねぇ……」
「でも楠木さんもいたのよね。天性の誘い受けの楠木さんも絡めて、飛鳥井君と多能さんと楠木さんの三角関係というのも、捨てがたいわ……」
「…………」
「それともいっそ、ちゃんは実は男の人だったって設定もありよね……」
「萌ちゃん………」
己の妄想の為ならば、自分の友人すらも平気で性別変換させてしまう萌。
その暴走ぶりにもはやついて行けず(ついて行きたいとも思わないが)、目尻を緩ませて己の妄想にどっぷりと浸る友人をただ見ている事しかできない早紀子であった。
そして後日。目尻をこれでもかとばかりに波立たせた萌ちゃんと、彼女ほどではないにしろそれなりに興奮している早紀ちゃんの二人に矢次早に質問を浴びせられて。
ようやく私は、あの日の夕方に起こった雅行の奇行の意味を悟ったのであった。
あの野郎、二人がいる事知ってて、わざとあんなことやらかしたわね……。
楠木さんや柊一だけならまだしも、私まで萌ちゃんの妄想の餌食にしてくれるだなんて、随分なコトしてくれるじゃないの。
このお返しは、今年のハロウィンの日にたっっっっぷりとしてやるからねぇ?
覚悟してなさいよぉ………!!!
*後書き…
・あんまり御霊部メンバーを書いた事なかったなぁ、という反省から。
聖霊狩り・安内市編の時間軸より、誠志郎+柊一+雅行という滅多にないメンバーでのお話を書いてみました。とは言っても、限りなく雅行にスポットを当てたお話です。
炭酸飲料が苦手なヒロインですが、実は書いてる本人も炭酸飲料は苦手です。
むしろどっちかといえば、紅茶・緑茶派です。まるっきりヒロインと同じですな。ははは。
私的イメージですが、雅行・克也はブラック派。籠目部長は緑茶派でしょう。
そんでもってエリ子さんは紅茶派で、耕作さんと万来課長はオールマイティになんでも飲みそう。
実は、結構雅行が書きやすい事に気づく今日この頃。
和風吸血鬼とあだ名のある彼には、是非ハロウィンの仮装で吸血鬼役をやらせてみたいと思う。
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