たいしたことじゃない。

 そう思えたら、どんなに幸せだったろう。




【一糸乱れぬ赤い糸〜繋がらぬ想い】




 ぶっちゃければ実際、たいしたことではないのだ。

 降ってわいたように、籠目部長から知らされた、御霊部おとり潰しの話。
ここのメンバーとなってまだ日の浅い私には、「あ、お取り潰しなんだぁ」くらいのひと事的な思考しか出来なくて、特に感情らしい感情も浮かんでこなかった。
だが、彼―――御霊部の星を目指して日々精進中の、鈴男こと飛鳥井柊一の場合は違う。自らの仕事に誇りを持ち、まだ友人等と遊びたい年頃であろうに、勉学よりも仕事優先の生活を送る彼のことだ。それを前触れもなく『とり潰し』の話を聞かされて、安易に『わかりました』と、おとなしく何もせぬままで従えるわけがない。
そして。珍しく感情的になって御霊部メンバーに怒鳴り散らすと、彼は学校に戻るべくここを後にしたのだった。

 そこまではいいのだ。

 …でも、だからってなんで、熊谷さんとランチを食べる必要があるってのよ?

 柊一が、学校行って猫被ってる話は知ってるわよ。
虚弱体質で、もの静かな儚げ優等生を演じてることも聞き知ってるわよ。
そのせいか、心を許して話せる同級生――友達もほとんどいないことも知ってるわよ。

 でも、だからってなんで、あの子とランチを……以下同文。


「はあ……」
 ついつい、深い溜息が口をついて出てくる。

 別に神経尖らせることじゃないかもしれないだろうが、やっぱり気になる。
思えば柊一の奴、先週の日曜に安内市で知り合った女子高生+α――熊谷さんと吉野さんと桜田弟と鎌倉に遊びに行ったらしい。でもって、そのとき、熊谷さんを桜田弟と小城さんと三つ巴で取り合ってたらしいから。(雅行談)

 顔を合わせる程度で、きちんと会って話したことないけど、熊谷さんってどんな子?
 柊一同様、千年以上も続く名家のお嬢様?
 それとも逆に、ごくごく普通の一般人でごく普通の女の子? 

 いろいろと思考を巡らせば、結局同じところに辿り着く。
どうしたところで、本人に聞かねばわからぬこと。
だけれども、本人に面と向かって聞けるはずもないから、所詮は単なる堂々巡りだ。


「やっぱり、同い年の方が新鮮なのかしらねぇ………」

 ちなみに私は、柊一よりも三つほど年上だ。
要するに、年増は好みじゃないっての? 失礼な。

 何もしていないと、気付けば柊一のことで頭がいっぱいになるから。
私はそれを吹っ切ろうと、机の上に置いてある書類やらいろんなメモやらに目を通し始めた。
とはいえ、机の上の書類の枚数は、ほとんど無いに等しいものだけれども。

 なんと言ってもうちの部長はサトリの化け物――あ、いや失言でした(謝)ーー所謂、心を読めちゃう能力持ちの御方だから、私が精神的に不安定なことは当然お見通しだ。
私に仕事を振っても、ロクに処理出来ないことも重々承知なのだろう。仕事に関する重要な書類は、全て隣の席にいる雅行の方へと送られている。
 また、いつもなら人のところに書類をお裾分けしてくる雅行も、私の心理状態が不安定なことを読み取っているのか。今日に限っては、私の所へ書類を横流ししてくることもないから、書類が増えることもない。

 そんな二人の好意がありがたくも、同時に心配も迷惑もかけていることを自覚せずにはおれなくて、どうしようもなく申し訳ない気持ちにもなる。
 ならばせめて、机の上の書類だけでもどうにか処理しようと、面と向き合ってみるものの。
既に脳の機能の大部分は、思考と感情に支配されてしまっている。思考と感情が共鳴し、脳もそれに反応して動いてくれるものだから、視覚では確かに書類の字を追っているにも関わらず、いかんせん内容が頭に入ってこない。
 電車の中で読書をしていて、偶然近くに座っていたおばさんの話に耳を向けたら、とても面白いことを話していて。気付いたら、目で字を追っていてもまるで本の中身が頭に入っていなかった。まさにあんな状態なのだ、今の私の頭は。

 もやもやとした心内をどうにかする一番の薬は、当然ながら私をもやもや気分にさせている張本人――柊一に会って、どういう経緯で熊谷さんとランチをすることになったのか。その辺りをきっぱりはっきりとさせること。
 だが、そんなことが今の状況で出来るはずもないから、結局どうしようもなくて。

 こんなときには…………、やっぱし! 現実逃避!!!
 甘いものを食べまくるに限るわっっ!!!


「………というわけだから、付き合ってくれるわよね、雅行」
 以上の最終結論に至った私は、やおらクルリと椅子ごと身体の向きを変え、隣の机に座る全身黒ずくめの青年に声をかけた。

「何がというわけなのかわからないが…。まあ、他ならぬきみの頼みだ。付き合おう」
 いきなり話を振られたにも関わらず、黒ずくめの青年――多能雅行は、かすかに訝しげな表情を浮かべたのも一瞬。いつもと変わらず飄々とした笑みを浮かべて、私の言葉に応えてくれた。

 う〜ん…、悔しいけどこの辺は『大人の余裕』よね。

「あ。あと誠志郎くんも呼ぼう」
 ポムッと名案とばかりに手を打てば、雅行はなぜか表情を歪める。
まあ名前を出した相手のお勤め先を考えれば、御霊部メンバーなら当然の反応だ。

「余計なおまけまでついてきそうだけどね」
 肩をすくめた雅行に、ありえそうで一番考えたくない状況になることを指摘されて。

「そこは年の功で、雅行がしっかり追い返してくれるものだと、私、信じてるわ」
 私はニッコリと作り笑いを浮かべて、あっさりと言ってのけた。
我ながら“苦しいときの神頼み”的な発言だとは思うけれど、仕方ない。

 ヤミブンの女王様と同様、最も敵に回したくない&関わり合いになりたくない人物ランキングの堂々一位の座を占める、ヤミブンの火祭り野郎――有田克也。
折角の『傷心慰め・やけ食い大会(仮)』だってのに、あの火祭りが来たんじゃ、余計に精神的疲労が溜まるだけだわ。冗談じゃない。
 でも私があいつを追い返そうとしても、鼻であしらわれるか全く相手にされないか。
二つに一つ。絶対に私の言葉を聞き入れようとする相手じゃないから、どうしようもなくて。
結局は、神様仏様雅行様……他人頼みではあるけれども、雅行に追い返してもらうより他ないのだから。

「…やれやれ。それじゃあ期待に応えないわけにはいかないな」
 面倒な役を押しつけられたというのに、不思議と雅行の口調は軽い。
否、軽いと言うよりは、どこか嬉しそうにさえ聞こえるのは、私の幻聴だろうか。


「…雅行」
 唐突に発せられた声に、振り向けば。
御霊部の最古参にして、部を仕切る長である籠目部長が、何やら渋い表情で雅行へと視線を向けていた。

「なんですか?部長も行きます?甘味処巡り」
 対する雅行は、全く動じた様子もなく、サラリと言ってのける。

「若者をいじるのもほどほどにしておくんだな」
 相も変わらず何が言いたいのかよくわからない部長の言葉。
だが、それで雅行には何のことだか通じたのだろう。

「若人をいじりたくて、やってるわけではないんですがねぇ…」
 そして。これまた何を言いたいのか、よくわからない言葉を雅行も返した。
ただ、完全平静無表情だった籠目部長に対し、彼は口端に薄い笑みを浮かべている。
なまじストイックな容貌――というか、限りなく吸血鬼のそれに近いーーの持ち主だけに、そういう表情が非常によく似合う。個性派ではあるだろうが、彼もまた整った容姿をしていることに違いはない。

「………」
 籠目部長は、雅行の言葉に何を思ったのか。
深い溜息をつくと、右肘を机の上に乗せ、その手で額を押さえる。
まるで厄介な事を余分に押しつけられたかのように、その表情は珍しくも暗い。

「不毛だな」

「得てしてそういうものでしょう? 」


 全くもって、年長者組の会話はわけがわからない。


「………一体、何の話をしてるんです? 部長も雅行も」
 このまま延々と意味不明な会話をされても困るので、私は会話が切れた頃合いを見計らって、強引に会話の間に分け入った。

「知らない方がいいことも、世の中にはあるってことだよ。
さあ、いささか気は進まないけれど、ヤミブンに行って金髪坊やを借りてこようか」

「金髪坊やじゃなくて、楠木さんよ! 本気で覚えてないわけ、雅行?! 」
 ちなみに、同業者の名前くらい覚えろよ、と口をついて出そうになるのは必死で堪えた。
頼み事をしている立場上、相手の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

「はいはい」
 対する雅行はといえば、私の必死の努力などまるで介しているのかいないのか。
飄々とした二つ返事で相槌を打ってきたかと思えば、私の頭をポンポンと叩いてくる。

 …かんっっっぜんに、子供扱いしてくれちゃって、この和風吸血鬼め!


「……

 頭を叩いてくる雅行の手を払いのけて、私は掛けておいたコートを羽織る。
身支度が完了したので、机の上に書類やメモが置いていないかを確認し、椅子を中に入れたところで、籠目部長からまた声が掛かる。

 今度は……、私か?

「なんでしょう、籠目部長? 」
 どうせ立っていたので、ついでとばかりにテクテクと部長の机そばまで歩いていくと。

「あまり遅くならぬように、家へ帰りなさい」

 …………、で、デジャビュ(既視感)???

 一瞬、自分が小学生に戻った様な錯覚さえ覚えた。
まだランドセルを背負っていた時代、遊びの出がけ、母親によくそんなことを言われたものだ。

 しかし、なぜに。バイト先の上司からこんな言葉をかけられてるんだろう、自分。

「はあ」
 気の利いた返答も思い浮かばず、とりあえず気のない返事をする私。

「心配いりませんよ。遅くなるようなら、私が家まで送っていきますから」

「くれぐれも遅くならぬように。私は確かに忠告したからな。
忠告を無視して、狼に食われることになったとしても、私には関係ないぞ」
 籠目部長は一瞬、雅行の方へと視線を投げ、すぐに私の方へと視線を戻す。
そうして、もう用はないと言わんばかりの投げやり口調で、これまたよくわからないことを述べてくる。

 ったく、言いたいことはオブラートにくるまず、ハッキリ言えよな。

「………とりあえず、五時には解散して帰宅します」
 籠目部長が何を言いたいのか、私にはあまりよくわからなかった。
よくわからなかったけれど、年長者の忠告は聞いておくに越したことはないだろう。
そう思ったので、色々と思うところはあったものの、心の中で入れた反射ツッコミ(暴言とも言う)だけは、私は口にしないままでおいたのだった。






「で、その見返りには何が貰えるのかな」

 御霊部本拠地…もとい『民俗学事務所』を出て、雅行が自前の車を駐めてある駐車場へと向かうすがら。脈絡もなく掛けられた言葉に、私は思わず渋面せずにはいられなかった。

「………可愛い後輩の頼みなんだから、無償で聞いてくれてもバチはあたんないと思うけど。
意外とせこいわね、雅行」
 ジト目で睨みつけるも、相手はまるで応えた様子もない。

「そういうこそ、可愛い後輩の頼みを二つ返事で引き受けてくれた優しい先輩に対して、報いようとは思わないのか? 」

「いや、それは………」
 逆に言い返されてーーしかも、相手の方が正論と言えばある意味正論だーー、私は思わず先に続ける言葉をなくしてしまう。

「まあ、今度の休み一日付き合ってもらえれば、それで構わないけどな」

「は? そんなことでいいわけ? 」
 あまりにも意外すぎる答えに、私は思わず振り返る。

 そのとき、私はあまりにも間の抜けた顔をしていたんだろうか。

「………にとっては、その程度のことでしかないわけか……」
 雅行は、どこか疲れたような色を浮かべてぼやくように呟く。
落胆にも似た調子の声音は、彼にしては随分と珍しいものであったわけだが。

 なぜそこで、彼が“落胆”するのか。
私にはまるで意味がわからなかったので、それ以上追求することも出来なかった。





*後書き…
・御霊部側ヒロインで、柊一夢(片想い設定)をお届けしました!
……って、すっごく微妙な柊一夢なんですけどね。(なんたって当の柊一本人が登場しない)
その上、雅行→ヒロインという設定もついてますので……不毛だ。
お話の舞台は、聖霊狩り・鎌倉編の中盤くらいの時間軸です。
籠目部長は、雅行の気持ちを知っていて(そりゃサトリですから)釘を差すわけですが、どうもこちらも本気なようで、引き下がる様子はサラサラありません。
…雅行→ヒロイン→柊一、完全に一方通行の報われない恋模様であるはずなのに、話の雰囲気が重くない(むしろ軽くないか?)のはなぜだろう。


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