人一人が生活するには無駄に広い部屋の真ん中で、手持ちぶさたに適当な本の中身に目を通していたは、部屋に近づいてくる良くない気を敏感に感じ取り、開いていた本をパタンと閉じた。そうして彼女は本が無造作に積み重ねられた卓の上に放り投げてあった羽扇を手に取り、長い着物の裾を払ってその場に立ち上がった。
「……良くないものが来おる。全くもって物好きなことじゃの」
彼女はその美しい顔を勿体ないほどに歪めながら、心底嫌そうにその言葉を吐き捨てる。
背を流れ落ちる艶やかな漆黒の髪に、鮮やかな一対の黒真珠の如き眼差し。目・鼻・口全てがあるべき完璧な位置に並べられた気品高くも秀麗な容貌は、若き日の彼女の祖母を知る者ならば感嘆せずにはおれぬほどに、よく似通っている。
彼女は手に持つ羽扇の羽をいじりながら、自分がいる部屋の扉が開くのを待っていた。
無論、自分から開けてやるつもりなどさらさらない。どちらかといえば、外から扉が開かないように中からつっかえ棒でもしてやりたい気分である。
(それでも、今日はあれに聞いておかなければならぬことがあるからな……)
容姿だけでなく、異能の血をも祖母から受け継いだは、時たま今のように先見をすることが出来た。最も先見を得意とした祖母ほどの力はなく、せいぜいが数分後に起こることをなんとなく理解するくらいの力しかないわけだが。
足音が近づいてくる。規則正しくもゆるやかで、かつ余裕に充ち満ちた足取りは、本性を露わにした“奴”の来訪を確実にへと報せる。
(……せいぜい、驚かせてやるかのぉ)
は羽扇で緩む口元を隠すと、ただひたすらに時を待った。
時を待ち、歓迎されぬ来訪者が扉を開いてその姿を現すのをじっと待つ。
その間にも足音はさらに部屋へと近づき……、足音が不意に止んだ。
そしてーーーーー。
「来たかえ、我が従兄殿」
囚われの身でありながら、は敵意のこもった笑みを来訪者へと向けた。
【笑った顔も、可愛いね】
「おや、私がここへ来ることに気付いていたみたいだね。さすが縹英姫の孫娘というわけかな。
お祖父様が君を必要以上に危険視するのも、無理はない」
色素の薄い柔らかな巻き毛と長い睫に縁取られた瞳。いかにも部屋着といったくつろいだ出で立ちではあるものの、磨き上げられた宝玉の如く輝かしい美貌の主ゆえ、部屋着姿であろうとも不思議と絵になる。匂い立つ甘やかな容貌と育ちの良さを彷彿とさせる優雅な物腰は、すれ違うたびに道行く女たちの視線を集めてやまないだろう。
しかしあいにくと、には彼の輝く美貌も何の意味をなさなかった。
「くだらぬことを言う暇があるなら、さっさと伝えるべき本来の話を伝えぬか。
つくづく回りくどいというか、その勿体ぶった態度は何とかならぬのかえ、朔洵」
額に皺を寄せ、これでもないかというくらいに嫌そうな表情を作るは、どこかのほほんとしている美貌の従兄へと乱暴に羽扇を突きつける。
「相変わらずせっかちだね、従妹殿は」
だがの不機嫌な様子もまるで気にかけることなく、朔洵は突きつけられた羽扇を片手で押しのけると、幾分低い位置にあるの髪を一房すくい取る。そうして彼はすくい取った髪を、自身の人差し指にクルクルと器用に巻き付けて、滑らかな髪の感触を楽しむ。
「私に触れるでないわっ!!! 」
瞬間、の怒りの意志が形を成して朔洵に襲いかかる。
「怖い怖い。危なく私の髪が断ち切られるところだったよ。非道いじゃないか、」
だが彼女の従兄は、相も変わらぬ穏やかな微笑を浮かべながら、目に見えない衝撃波をあっさりと避けてみせた。
朔洵が攻撃をいともあっさりとかわしたことに、は良家の姫君らしからぬ苛立ち紛れの舌打ちをする。
「黙りや! わらわの髪に触れても良いのは、祖父母と妹と、燕青ただ一人じゃ! その他の男が触れることまかりならぬ! ましてそなたのような奴になぞ、触れられたくもないわ!!! 」
「全く君もつくづく見る目がないよね。私のような従兄がいながら、どうして浪燕青みたいにがさつで野暮で、美に縁のないおばかさんを選んでしまうんだか……」
きっぱりと言い切るの言葉に、朔洵は理解出来ないとばかりに大仰に肩をすくめる。
すると、肩をすくめた彼のすぐ横を、殺気を帯びた鋭利な風の刃が大気を切り裂きながら通り過ぎていく。
「確かにおんしが指摘したことは嘘ではないが、わらわの前で燕青のことを悪く言うとはいい度胸じゃの。おぬしがその為にここへ来たというならば、正直に白状せい!
即座に文字通り叩き出してやるわっ!! 」
怒りに全身を震わせながら、が荒々しく叫ぶ。
怒気も露わな彼女の周囲には、見えない何かが渦巻いている。
言霊を自在に操る春姫とは対照的な、己の意志を介して周囲のものを操る力。
それこそが祖母の血から受け継いだ、異能の力だ。
「仕方ないね、君がそういうのならおとなしく退散するとしよう。
残念だな。折角浪燕青が受けた茶州準試の結果を報告しに来たんだけどねぇ」
「それを早く言わぬか、馬鹿者! さっさと報告せんかっ!!! 」
コロリと態度を変えるの様子を観察し、朔順は愉快そうに微笑む。
「報告してあげてもいいけど、条件がある。……そうだな、君はいつも私の前で怒ってばかりだからね。笑って見せてくれないかな。そうしたら準試の結果を教えてあげるよ」
見た目だけは綺麗な笑みを浮かべつつ、腹の中はどこまでも際限なく腹黒い相手の様子に、は堪忍袋の緒が引きちぎれる音を聴いたような気がした。
「放蕩者のふりばかりしていてついに頭まで放埒したか、朔洵。
わらわがおぬしの前で笑顔を見せるはずがあるまい。そなたをあざけり笑うことはしても、笑顔を浮かべてやることなど出来るはずもなかろうて。この阿呆が」
少しでもの機嫌を損ねれば、即座に己の首が飛んでもおかしくない状況にさらされながら、朔洵は実に飄々としたものだ。
「ならいいよ、別に無理にとは言わないから。
だけどそれなら、私も茶州準試の結果について報告しないからね」
「………っ! 」
確信犯の笑みを浮かべる朔洵の言葉に、は言葉を失った。
「別に私が報せなくても、異能の力を持つ君ならわかるだろうし」
空々しくそう言ってのける従兄を、は本気で縊り殺してやりたい衝動に駆られる。
だがそんなことをしたところで、事態が泥沼化こそすれ好転しないことはわかっていたから、必死でその衝動をこらえた。
この男に向かって、笑える、はずがない。
なぜならこの男こそ、の両親が殺されることになった事態を引き起こした張本人にして、黒幕なのだから。
大好きだった両親を、殺した、この世でも最も憎い相手。
そんな相手に、笑いかけることなど………出来るはずもない。
だけれどもーーーーーーーーーー。
(燕青……)
は心の中で、その名を呼ぶ。
彼女がただ一人の相手と心に定めた、一生涯で愛し続けると誓った魂の伴侶。
今ではほとんど会うことも出来ない相手が、一体今どうしているのか。
理性よりも心が、それを知りたがっている。
「………のぅ朔洵、我が従兄殿。茶州準試の結果、教えてはくれぬか? 」
腹を括ったは、拒絶反応を示す全身を叱咤しながら、強張った顔に無理矢理笑顔を作る。とはいえ、無理矢理に浮かべた笑顔であるがゆえに、一種不気味な笑みになっていたことは間違いがなかった。
「そんなに浪燕青が大事? 私には全く理解出来ない感情だね」
「おんしのような腹黒に理解など一生出来ぬし、一生理解しても欲しくないわ!
それよりも茶州準試の結果を早く言いやっ! 」
急かすの言葉に応えるように、朔洵は素直に己の持ってきた情報をばらす。
「浪燕青は茶州準試に受かったよ。最下位から二番目の成績でね」
は黒真珠にも劣るとも勝らぬ輝きを放つ双眸を、これでもかとばかりに見開いた。
だが、それもほんの一瞬のことで。
「…………てっきり最下位かと思っておったのじゃが、あやつの下に人がおったとはな」
どこか呆れたような口調で、あっさりと言い放つ。
それと全く同じ言葉を、燕青自身が口にしていたことなど素知らぬままで。
「鬼才と名高い鄭悠舜に教えを乞うて、この成績とはね。
つくづくおばかさんもいいところだよ、浪燕青。だから私は嫌いなんだ」
「安心せい、燕青もおぬしと全く同じことを思っておるわ」
目元が笑っていない笑みを浮かべて、さらりと言い放つ。
「それは良かった。その方が私としてもとっても嬉しいよ」
対する朔洵もまた、毒のある笑みを浮かべながら言い返す。
「………まあ、とりあえず礼は言うておくぞ従兄殿。
朗報を報せてくれてありがとう、とな」
どこかほろ苦ささえ含んだ微笑みを浮かべて、は朔洵に礼を述べた。
「……さすが私の従妹殿。笑った顔も、可愛いね」
初めて目にした従妹の微笑みに、朔洵は一瞬虚を衝かれるが。
すぐにいつもの調子を取り戻し、作り物か本物かわからぬ笑みを浮かべる。
「褒めても何も出ぬわ。言うこと言い終わったのならば、さっさと出て行け」
「…………そうしよう。君を本気で怒らせると、私でも手が出せない。
何より、全てが退屈で仕方のないままで死んでいきたくはないからね」
殺気のこもった視線を向けてくるに向けて、ひょいと肩をすくめると。
朔洵は彼女の言う通りに、おとなしく部屋を後にした。
朔洵の足音がだいぶ遠のいた頃、ようやくは全身に入っていた力を抜く。
「性悪腹黒従兄にしては、珍しくも朗報を持ってきてくれたものだの。」
燕青が準試に及第したか……そうと決まれば、わらわもここで閉じこもってはおれぬな」
そうしてひとりごちながら、は目線を窓の方へと移す。
奥まった部屋とはいえ、仮にもここは茶家本邸の一室である。部屋の面積も当然のことながら、外に面した窓も普通の邸よりずっと大きい。この時ばかりは、無駄に広くて大きい茶家本邸を作った先祖に感謝したいと、は心底思った。
「……仲障大叔父には悪いが、わらわは籠の中でさえずるだけの小鳥にはなれぬよ」
妹の春姫同様、は自身の持つ特殊な力を身内の者たちにも隠していた。
この力のことを知っているのは、祖父母と妹、燕青と朔洵くらいなものである。
朔洵に知られてしまったのは一生の不覚ではあったが、当の従兄は『見ていて興味深いから』というワケのわからない理由でもって、自分以外の誰にも話していなかったようであったのだ。
(……あやつのおかげで助かったというのは、癪じゃが……)
今回は感謝せざるを得ない。の持つ異能の力のことがばれていないおかげで、茶仲障はごく普通の部屋へ彼女を監禁したのだから。
「とりあえず、仲障大叔父の機嫌を損ねぬよう……ほんの少しばかり燕青の顔を見に行くとするかの」
は呟き、ほくそ笑むと。窓の外から地上へと降りる為に、着物の長い袖をたすき掛けの要領で肩の辺りまで一気にまくし上げたのだった。
*後書き*
・ Web拍手第2弾、燕青夢…の予定だったんですけど。
気付けば前振りが長くなりすぎて、いつの間にか朔洵夢になってます。
だけどヒロインは朔洵嫌いだし、彼もヒロインは従妹としか見てません。
らしくないけど、家族夢(いとこ夢)だと思います。
一応このお話、続きがあります。
茶家本邸を脱け出したヒロインが、茶州府にいる燕青に会いに行く話。
悠舜とか柴彰とか出したいんですけどね…、書けるかな。
(06.02.21up)
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