「ただでさえ忙しいのに、サボるな馬鹿王!
それに女一人に会えないくらいでなんだ、そのていたらくは!!!
遊んでいないで、さっさと席について仕事をしろ!!!」
 利き手に筆を持ったまま、左手で辞典を投げたらしい絳攸は、完全に据わった目で劉輝を睨みつけていた。

「……絳攸はいつもが近くにいるから、余の気持ちなんてわかるはずがな…」

「そんな気持ちを理解してたまるか。ごたくを並べる暇があるなら、さっさと席に着け!」

 いつもなら口答えの一つもせずにおとなしく言う通りにするのだが、禁断症状のせいだろうか、珍しく口答えをする劉輝。だが、絳攸にいとも簡単にあっさりと切り捨てられて、結局はすごすごと席に着く羽目になった。

もそこでボォーッとしてないで、こっちへ来い!」

「うぇいっ!!」
 これって思いっきりとばっちりじゃないのよぉ…!!
などと心の中で叫びつつ、は急いで絳攸のもとへと走った。
とろとろと歩いていこうものなら、確実に彼の叱責が飛ぶだろうと予想していたから。

さん、只今到着しました!で、ご用件は???」
 そそくさと絳攸の元へと走り寄ると、お遊び心が芽生えて敬礼なぞをしてみる
だが哀しいかな。見事にあっさりとスルーされてしまう。

「ここにある書類を戸部の黄尚書のところまで持って行ってくれ」
 そう言って絳攸が指し示したのは、机の上に置かれた書類の一部だ。
積み上げられた書類の量は、それほど多くない。むしろ少ないくらいである。
このような書類の多くが「重要書類」と呼ばれる類の代物であることは、今までの経験上、も十分に承知している。

「……そんな重要書類を私なんかに任せていいわけ?」
 だからこそは、机の上に置かれた書類へさっさと視線を落としてしまった絳攸に問いかけた。仮にも重要書類に分類される代物を、そこらにいるお掃除おばさんに任せてしまってもいいはずがない。

 一方言葉を返された絳攸は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしてみせる。
が、特にそれ以上の反応を示すこともなく、

「俺が自分で持って行くより、お前に任せた方が早い。
それにお前の素性は十分なくらい知っているつもりだからな。
重要書類を悪用される心配は皆無となれば、使える者はなんだって使う。
わかったら、それを急いで黄尚書まで届けてくれ」
 言いたいことだけ言うと、再び机の上にある書類へと視線を落とした。

「了解です★」
 対するは、ニッコリと微笑んで仕事を承る。
彼女が世話になっている御仁は、吏部尚書。その人が絳攸の上司兼養い親であるゆえに、と絳攸は家族同然の間柄になるのだ。それゆえに彼が自分に対して構える必要性がないことは、重々承知の上。
 それでも言外に『信頼している』と言ってもらえるなら、やっぱり嬉しいことは嬉しい。
げに恋する乙女の心情とは、こんなささいなことでも浮き沈みするほど単純なものなのだ。


「なるほど……、考えたね絳攸。をこの部屋から出してしまえば、主上が寂しさ紛れに彼女に抱きついたり、すり寄ったりする危険はなくなる……というわけだね。
う〜ん……、愛だねぇ………」

「藍将軍、何をわけのわからないことを言ってるんです?」
 この部屋から出て行くようにし向けられて、一体どこに“愛”があるというのか。

「脳内桃色馬鹿はほっとけ。それより書類をさっさと戸部に届けてこい。
 他にもやってもらいたいことは、まだたくさんあるんだからな」

「はいは〜い♪」
 超梅干しの噂の出所はわかったし、思いもかけず意中の人から嬉しい言葉をもらえてしまったことで、は実に意気揚々と部屋を出ようとする。
だが、あいにくと彼女の両手は完全に塞がっていたので、部屋の戸を開けるには一度荷物を下ろさなくてはならない。
 そこでは、一旦書類をそこらにあった台の上に置いて、部屋の戸を開けようとその取っ手へ手をかけた。

 途端。

 がつん。

 運悪くも外側から戸が開けられ。戸の構造上、開く扉は部屋の中へと押されていく。
 そんな中、の頭の中で一際鮮やかな星が舞い散った。



「失礼する」
 本来なら先に一言断ってしかるべきところなのにーーまして部屋の主はこの国の王なのだから余計だーー、声の主は先に戸を開け放ってから堂々と言い放った。
 朝廷に出仕するにしてはえらくラフな服装、おまけに素顔が見えぬように顔面を完全に隠している怪しげな風情の仮面。だが背を流れる漆黒の髪は、満面に星が輝く夜空をも圧倒するほどに美しい。
 こんな風貌をして許されているのは、…いやそもそもこんな奇妙奇天烈な格好をしている人は、いくら朝廷内が広くともただ一人のみ。

「………ひょ、ひょうひゅひゃは(ほ、鳳珠様)………」
 顔面を強打され、鼻を思いっきり打ったは、なんとも情けない声でその人の名を呼んだ。もっとも鼻を押さえているせいでハッキリ発音できず、その呼びかけはなんとも異様なものになってしまったが。

「黄尚書……、一体何の用だ?」
 こちらから出向かなければ、まず姿を見せない部下たるその人に、劉輝は問う。

 だが、彼――黄鳳珠はその問いに答えることはしなかった。彼が見ていたのは、部屋の主である劉輝ではなく、戸の近くで鼻を押さえて踞っていたの方であった。

「やはりここにいたか、

「……どうなさったんですか、ほ……黄尚書?
自らここへいらっしゃるなんて、随分と珍しいですね」
 鼻をさすりながらが立ち上がろうとすると、片腕を黄尚書に掴まれた。
そしてそのまま強引に、引き上げられる。

「霄太師にお前が今日、どこの担当になったかを聞いてな。
どうせならうちの方へ回して欲しいと頼みに来たつもりだが」
 依然の腕を掴んだままでいる黄尚書は、唖然としている少女の頭を軽く叩く。

「ほへ…………?!」
 その拍子で我に返ったは、あまりな展開にすっとんきょうな声をあげずにはいられなかった。
つくづく今日は、びっくりすることが多い。多すぎる。

「しかし、黄尚書。はほとんど雑用しかできませんし、戸部で役に立つかどうか…」
 相手が相手なので、丁寧な言葉に切り替える絳攸だが、言っていることは結構容赦がない。
というよりも、ただ言葉を丁寧にしただけで言っていることはいつもと大差ない。

「異な事を言うな、李侍郎。
他の省でならいざ知らず、戸部でならの存在は重宝するに値するが」

「ちょ、重宝……ですか?」
 自身の上司と並んで次期宰相候補と称される黄尚書の意外すぎる言葉に、絳攸は驚きを隠せない。

「まさかとは思うが、王もそのことは?」

「……余も初耳だ。
それ以前に絳攸すら知らぬことを、余が知っているはずもあるまい」

「…………なるほど。ならあいつが知らないのも無理はないか」
 しなやかな指先で顎先を軽く撫で、黄尚書は淡々と呟く。
その声の裏にわずかな愉悦にも似た調子がこもっていたことに気づいたのは、幸いなことにただ一人だった。

「あ、あはは………。
そういえば、おじさまや絳攸には、そのこと話してなかったんですよねぇ………」
 言いながら、はこっそりと絳攸の方を盗み見る。

 と。

(うわ…、やっぱり機嫌悪そう………)

「そういうわけだ。王、李侍郎。は借りていくぞ」
 これ以上余計なことに構っている時間はないとばかりに、踵を返す黄尚書。

「あ、ちょっと待って下さいってば!ほ……じゃない、黄尚書!!
あ、それじゃあ、そう言うわけなんでこれで失礼しますね〜★」
 は先ほど絳攸に頼まれた書類を手に持つと、劉輝たちに挨拶する。
そうして頭を一度下げた後、慌てて先へ行ってしまった黄尚書の後を追った。




 慌ただしく二人が去っていった後。
王の執務室内には、未だ破りがたい沈黙が流れていた。

「……そういえば、結局の隠れた特技というのは何だったんだろうな?」

「知るか、そんなこと!
あの馬鹿のことを気にする暇があるなら、さっさと書類の一枚でも片づけろ!」

「ふぅ〜ん……、どうやら本当に二人には心当たりがないらしいね。
の特技について」

「楸瑛、そなたもしかして心当たりがあるのか?」

「ええまあ……。でも絳攸も知らなかったとは、意外だな」

「うるさい、黙れ」

「以前にうちの弟が、買い物帰りのを拉致してきたことがあったんだけどね。
あの時彼女は、弟に壊された大量の卵の被害額を即座に計算していたんだよ。
だから黄尚書が重宝がるの能力は、多分暗算能力じゃないかと思うんだけどね」





 戸部省へと向かうその途中。
ふと後ろから聞こえてきた重い溜息に、鳳珠は後ろを振り返った。

「あう〜……」

「どうした、
 常に笑顔を絶やさぬ娘が深々と溜息をついている様子を見て、鳳珠は思わず問いかける。
対するはといえば、背後に重々しい暗雲を抱えたままで、再び重い息をつく。

「鳳珠様〜、さっき絳攸ってば相当怒ってましたよねぇ〜?
どうしよう…、しばらく口聞いてくれなそうだよぉ……」
 まるでこの世の終わりと言わんばかりの表情でもって呟き、再び嘆息する。

「………………」

「鳳珠様?」

「こうしている間すらも惜しいほど忙しいんだ。さっさと行くぞ」
 抑揚のない口調でそう告げるやいなや、鳳珠は呆気にとられるを置いて、スタスタと先へ行ってしまう。


「え、あ、あの、鳳珠様〜???」
 慌てて鳳珠の後を追いつつも、は心の中で問わずにはいられなかった。

(私、鳳珠様に失礼なこと言った?言っていないよね!?
なのにどうして怒ってるのぉぉぉぉっ!!!)





*後書き…
・本作第二巻の内容から思いついた、ちょっとしたネタ………だったんですが。
なぜ気づけばこんなに長い代物になったのか。思えば彩雲国夢って、いつもいつも40×40で軽く八頁は越える文量になってしまうんですよね、なぜかしら?
今回は黄尚書こと鳳珠様が初登場でした!……あんまし活躍してないけど。
いまいち口調とかがわからなくて、苦戦しました。でも大丈夫。慣れればそのうちなんとかなりますって。現に藍将軍はだいぶ慣れてきました(相変わらず偽物ですけど)
ちなみに鳳珠様とヒロインは、黎深様繋がりでお知り合いです。そんでもって、今回の夢を見てもらえればわかる通り(わかるよね?)、鳳珠様はヒロインがお気に入りです。
にしても、彩雲国ヒロインは珍しく、恋する乙女ですね〜。自分で書いててビックリ。
藍将軍の言っていた「弟に拉致された」云々の話についてやヒロインと鳳珠様の関係については、また後日……。

11/14...台詞の一部改編。