※アニメ一話で、秀麗が府庫で双花菖蒲と会った辺りのお話です。



 本を借りて勉強したいのだと語る秀麗の言葉に、絳攸も楸瑛も一瞬言葉をなくす。貴妃という立場にある彼女が、一体何故勉強をしたいと言い出したのか。

 だが彼らがその疑問を口にすることは出来なかった。


「別に楸瑛たちに了解を取る必要はないよ。府庫の主は邵可様なのだからね。
それに、本だって向上心のある者に読まれた方が嬉しいじゃないか。
楸瑛もそう思うだろう? 」

 後ろから入ってきた人物の声に、絳攸も楸瑛も目を瞠る。
明らかに表情を変えた二人の様子を訝しみつつ、秀麗もまた後ろから聞こえてきた声の人物の方を振り返った。

 そして振り返った瞬間、彼女の目は大きく見開かれることになる。

「え……」

 振り返った先には、藍楸瑛と名乗った武官と寸分変わらぬ…否、瓜二つの容貌を持つ青年の姿があった。それでもかろうじて別人と判断出来るのは、後ろから声をかけてきた青年の服装が武官ではなく文官のそれであったことと、彼の双眸に宿る色彩が鮮やかな紺碧であったからだ。

「……異母兄上。いらしてたんですか? 」
 半ば放心気味であった秀麗を我に返したのは、こちらもいささか狼狽を隠せない楸瑛の声だった。

「今さっきね。主上があんな状態だから、楸瑛も絳攸もさぞかし暇だろう?
二人ともいい加減暇にも飽きたところだろうし、君たちほど使える人材を窓際に放っておくのは勿体ない。どこかの阿呆のように、仕事もしないで給料だけもらっていくような真似、君たちのように前途有望な青年たちにはして欲しくないんだよ。私は。
だから……、二人とも礼部においで。
暇が欲しくなるくらいに、たっぷりとこき使ってあげよう」
 あっさりとそんなことを言ってのける兄の笑顔の裏に、一番上の兄たちのそれがまともに重なったせいだろう。楸瑛は無意識に口元を歪めずにはおれなかった。

「よろしいのでしょうか、殿」
 一方、暇を持てあまして仕方なかった絳攸は、彼の言葉にかすかに目を輝かせる。その姿を目にして、は苦笑いを浮かべた。
 絳攸の養父である吏部尚書とは懇意…否、親友の間柄にあるは、朝廷内で恐怖の代名詞になるほどに仕事を溜め込む男のことを実に良く知っていた。

 まるで仕事をする気のないーーそのくせその気になればあっという間に仕事を終えられるーー父と、暇すぎて逆に落ち着かないのか。全く関係仕事を押しつけられたというのに、目を輝かせる息子。

 あまりに対照的な二人の様子に、苦笑するなという方が無理というものだ。

「構わないよ。蔡尚書も人手が増えることに文句は言わないだろうしね。
何より……私が文句など言わせやしない。だから安心しておいで」
 ニッコリと笑みを浮かべながら、さりげなくとんでもないことを青年は言ってのける。
尚書といえば、六部省の長官が任命される位だ。その長官に「文句を言わせない」などと豪語出来る存在は、そう多くはあるまい。

 すっかりと蚊帳の外に追い出されてしまった秀麗だが、楸瑛たちを前に堂々とこんなことを言ってのける青年について、浮かび来る疑問を隠さずにはおれなかった。同時に彼が一体何者なのか、純粋に興味が湧いたのもまた確かだ。

 左近衛将軍である藍楸瑛に、吏部侍郎である李絳攸。まだ二十代半ばにも関わらず、朝廷内でも上方に位置する位につく二人は、間違いなく有能な能吏であると同時に「高官」と呼ばれる官吏である。そんな彼らに対して、敬語の一つも使わないばかりか、仕事をやるなどと言ってのけられる人物は、けして多くはないはずだ。
 朝廷内は年功序列よりも位の高低が物を言う。藍楸瑛の物言いからすると、かの青年は藍家の人間であるらしいが、ただ藍家の人間と言うだけで二人にそのような提案を出来るはずもない。
 ということは、彼自身もまた相応の地位にいる人物なのだろう。

「……藍、楸瑛さんの、お兄様ですか? 」
 そんなことを脳裏で反芻しつつ、秀麗はおそるおそる言葉を発する。
すると青年は、ややあって彼女の方へと身体の向きを変えた。

「ああ、これは失礼。初めまして、紅貴妃。
私は礼部侍郎を務める。そこにいる藍楸瑛の兄だ。
と言っても、異母兄弟だから直系ではないけれどね」
 礼部侍郎といえば、礼部の副官である。
長官ほどではないにしろ、相応の位を持つ官吏であることに違いはない。


 あぁ、なるほど…と納得する一方で。
 秀麗は微笑むに、ほんの一瞬、かすかな違和感を感じ取る。

 だがそれもわずかなことで、すぐにその違和感は消えてしまう。

(……私、今何を感じたのかしら……)

 あまりの刹那の出来事に、秀麗は違和感を感じた自分自身に疑問を感じてしまったくらいだ。


「紅貴妃、手に持っているそれは何ですか? 」

 に声をかけられて、再び我に返る秀麗。

「あ…、ああ、これは……」
 持っていた朱塗りの箱から、秀麗は先ほど厨房を借りて作った自作の饅頭を取り出した。湯気を立てる饅頭は、ふっくらとして見るからに美味しそうである。
秀麗はそれら一つ一つ懐紙に取り、絳攸・楸瑛・に差し出した。

「私が作ったお饅頭です。
お口に合うかはわかりませんが、よろしければどうぞ」

 あまり長居するわけにもいくまいと、秀麗はニッコリと微笑むと、三人に深く頭を垂れる。そうして顔を上げ、彼女は長い着物の裾をさばきながらゆっくりと踵を返す。

 しずしずと裾を乱さぬよう歩く秀麗が、の隣を通り抜けようとしたそのときだ。

 が横を通り抜けようとした秀麗の肩を軽く掴み、耳元で何かを囁く。

 それはあまりに小声であったから、楸瑛や絳攸の耳には届かなかったが。
 囁かれた瞬間、秀麗の瞳が大きく見開かれる。

「あの……! 」
 一方寝耳に水なことを言われて驚いた秀麗は、思わず彼の方を振り返って何かを言いかけるが。 対する相手は、ひらひらと手を振ってそれを遮ってしまう。

(…今は、聞いても無駄ってことね……)

 そのことを理解した秀麗は、彼に問いただしたい思いをグッと堪え。
実に優雅な所作で足を進め、そのまま府庫を後にしたのだった。



「姉上、秀麗殿に何を? 」
 秀麗とのやり取りの一部始終を見ていた楸瑛は、秀麗の姿が府庫から消えたことを確認した上で、早速切り出してくる。 楸瑛の呼びかけに対して、かすかに目尻を吊り上げるだが、府庫内に自分たち以外の気配がないことを悟り、敢えて何かを言うことはしなかった。

「彼女も私の同志だからね。少しばかりお節介を焼いただけよ」
 男性にしてはあまりに艶やか過ぎる、香り立つ華を思わせる優麗な笑みを浮かべながら。弟の問いに対して、彼女・・は曖昧な答えを返しただけであった。




『夢を諦めてはいけないよ。諦めればそこで全てが終わりだ。
足掻いて足掻いて足掻き抜きなさい。
そうすればいつか、必ずあなたの夢は叶うから』

 まるで、秀麗の夢が何なのか。
 それをわかった上で告げられたような、そんな言葉と。

 女人禁制の朝廷で、官吏として働きたい。

 その思いを、抱き続ける秀麗を励ますような。
 穏やかで慈愛に満ちた、その声音は。

 どこまでも澄んだ、清流のせせらぎを彷彿とさせる高い声。

(まるで女の人みたいな……)

 そこまで考えて、秀麗は慌ててその考えを打ち消した。
朝廷は女人禁制の場。けして女性が働けるはずもない。


「………様…。なんか不思議な人ね……」
 呟く秀麗の言葉は、春風に乗って虚空に掻き消えた。





 悪夢の国試組と呼ばれる年に四位で国試及第し、吏部尚書・戸部尚書・後の尚書令候補ともなる現茶州牧補佐など錚々たる面々と肩を並べ、礼部の裏尚書とあだ名される礼部侍郎・
 その正体が名門筆頭藍家の一の姫にして、藍楸瑛の実姉・藍であることを秀麗が知るのは、まだだいぶ先のことであった。


(終)



*後書き…
・調子に乗って書いちゃいました、アニメの一場面沿い夢。
夢と言うよりはむしろ、名前変換小説ですけどね…(汗)。
久々に彩雲国夢を書きました。秀麗も楸瑛も絳攸も久々です。
いろいろ突っ込み処満載ですが、敢えて無しの方向でお願いします。