その日もは、いつものように店の前を箒で掃き清めていた。 塵や邪魔な砂を掃き出し、一カ所にまとめ終わったところで、彼女は額にうっすらと滲んできていた雫を手の甲で拭い払う。 「……今日は随分と暑いわね」 箒を動かす手を止め、は空をふり仰ぐ。 天高く昇った太陽は、昨日の通り雨で濡れた大地を乾かそうとするかのように、初夏というにはいささか強すぎる光を天から注いでいた。 道行く旅人たちの服が、昨日と多少違っていたのも。 店内に入ってきた客に冷たい番茶を出すと、あっという間に飲み干す者が半数以上を占めていたのも。おそらくはこの暑さのせいだ。 この分だと、番茶の消費量は昨日のそれを遙かに上回ると考えて良いだろう。 作り置きの冷やし番茶を増やすように女将に進言しようと、は一旦店先の掃除を中断し、箒を店の壁へ立てかける。 そうして中へ入ろうと踵を返したそのとき……。 道行く人の顔色が。 空を優雅に飛んでいた鷺が。 店内で給仕をしていた、自他とも認める物好きな女性の顔色が。 たった一瞬で変化した。 遠くから聞こえてくる、横笛――音を聴く限りそうは思えないがーーの音色を耳にして。 「………昨日は雨で、今日は台風上陸ってわけね……」 久々に聴く無差別攻撃級の下手な横笛の音を耳にして、は嬉しいようなそうでないような、なんとも複雑な面持ちを浮かべたのだった。 【手を伸ばしても届かない】 「いらっしゃいませ、本日のご注文はいかがします? 」 かすかに表面に汗を掻く小豆色の急須と同色の湯飲みを盆に乗せて。 は店先に姿を現した新たな客に向かって、他人行儀宜しくーーもとい営業スマイルを浮かべて見せた。 「今日は、の作った少々いびつな形の蓬餅を所望する。 全く……他の店だとどこも同じような形をした餅しか出さぬのだ。 あれではいかにも人の手が加えられていると強調しているも同じではないか。 香ばしい蓬の香りも、あれでは台無しだ。 やはり蓬餅はの作ったいびつな形のものに限る」 盆に乗せた湯飲みをひょいと取り上げ、中身をほんのわずかの間に全て飲み干した客は、至極満足そうな微笑みをたたえて、注文+αなことを淡々と語ってくれた。 色鮮やかな……いや、むしろ豪奢で派手な衣に身を包み、頭につけた飾りにはなぜか算盤くらいの長さのある巨大な鳥の羽が無造作に差し込まれている。そのどれもが文句なしに一級品、それらの衣装を全部売れば相当な額になるだろうと想像するに容易い。 やたらに派手で綺羅綺羅しい婆娑羅姿だが、意外にもその容貌は人並み以上に整っている。それゆえに、「あの格好止めたら美形なのに…」と呟いた人間は過去に数知れず。だが、そのことを彼に進言した者は、未だかつて誰もいない。 彼の目の前で不機嫌そうに眉を吊り上げる少女ーーただ一人を除いて。 「………悪かったわね、いつもいつも毎回毎回上達の兆しもなく、いびつな餅しか出せないで。そういう回りくどい嫌味は止めて欲しいんだけど、いつになったらやめてくれるのかしらね」 もしも相手が客でなかったなら、即行で平手打ちを喰らわしてやりたいくらいには腹を立てていただが、知り合いとはいえ一応店の客なので、その衝動を堪える。 だが怒りを堪えるの心情が解せぬと言わんばかりに、派手かつ無駄に綺羅綺羅しい格好の青年――藍龍蓮は、形の良い眉をわずかに潜めた。 「なぜ怒る? 私は称賛の思いをそのまま口にしただけではないか」 「一体今の言葉のどこに、称賛の思いが込められているのよっ!!! 一字一句たりともそんな言葉、どこにも見当たんないでしょうが!!! 」 胸倉掴み上げたいくらいの勢いで、は力いっぱい怒鳴り散らしていた。 本来接客業を常とする彼女は、どんなに屈辱的なことを言われようがされようが、けして怒りを露わにしない。その客の行動や言動にどれほど怒り狂おうとも、当の相手には「怒り」をけして感じ取らせはしない。 …ただ一人、この藍龍蓮という青年を除いて。 「む……、そうか。久しく会わなかったので記憶が朧になっていたが、そなたはいつも怒ることで自分の感情を示す恥ずかしがり屋さんであったな」 「怒ってるときに“怒”以外の感情を表す人が、この世のどこにいるってのよ!!! 」 「。お互い久々に再会したのだ、積もる話はたくさんあるとは思う。 だが、とりあえず早く蓬餅を持ってきて欲しい。 給仕が店先で知り合いと立ち話というのは、あまり好ましくないであろう? 」 「…………はいはいはいはい」 誰のせいで店先立ち話をする羽目になったんだよ、と心の中で吐き捨てつつも。 とりあえず龍蓮の言葉は一応正論の範疇に入っていたから、は彼を近くの空席へと案内すると、注文の品を作りに店の奥へと入っていったのであった。 「随分と、餅作りの腕を上げたようだな」 特製・いびつな蓬餅を口にほおばり、いともあっさりと丸ごと食べてしまったかと思うと、開口一番龍蓮の言い放った台詞がこれだった。 「……その形のどこを見て、そういう戯言が言えるわけ? 」 相手をジト目で睨むは、蓬餅を乗せた皿を取り上げてやろうと手を伸ばしたが、先に龍蓮がその皿を確保してしまったので、皿を取り上げることに失敗してしまう。 「見てくれではない、中身だ。 この餡といい、蓬といい、かなり良質なものを使用しているようだな」 「そりゃまあ、ねぇ……」 は目の前にいる青年の味覚に改めて驚かされる反面、微妙に面白くない気分に陥った。 傍目から見る限り奇妙奇天烈な変人としか映らない龍蓮だが、彼の生まれは非常に高貴だ。なにせ彩雲国内でも王家に次ぐ権威を誇る彩七家の筆頭名家・藍家の御曹司である。それゆえに彼は尋常でなく舌が肥えているし、味覚に関する感覚もひどく鋭い。 それに蓬餅の原料となる蓬も餡も、店の親父さんが新たな商品流通ルートを開拓してくれたおかげでかなり良い物が手に入るようになったのだ。それゆえに以前よりもより深みを増した味になり、最近では旅人の間でもかなり評判になっているくらいだ。 だからこそ。 龍蓮が蓬餅の変化に気付いたのは、ある意味至極当然の成り行きだったと言えよう。 (……でも、なんか面白くない) まるで馬鈴薯のようにいびつな形をした手作りの蓬餅目当てに、わざわざここへ足を伸ばしてくれていると思っていたのに。『見てくれではなく、中身だ』なんて言われてしまうと、結局のところ見た目なんて気にしていないじゃないかと罵声の一つも吐きたくなる。 「、蓬餅を一皿分追加で所望する」 考え事に耽っていたは、龍蓮の追加注文で我に返る。 いつの間にか皿の上にあったいびつな餅は、全て残らず平らげられていた。 「………はいはい。すぐ女将さんに作ってもらって持ってくるから…」 踵を返そうとしただが、すぐにその場で足を止める。 否、止めざるをえなかった。 なぜなら彼女の腕を、龍蓮がしっかりと掴んでいたのだから。 「私はそなたの作った少々いびつな蓬餅を所望したのだが? 」 納得がいかないと言わんばかりの表情を浮かべ、龍蓮はをじっと見遣るが。 そんな相手に対して、は半ば自棄になりながら言葉を吐き捨てた。 「見てくれはどうでもいいんでしょ? なら端から見ても形が綺麗な方がいいじゃない」 「形が綺麗な餅ならどこででも食せる。 だがこの馬鈴薯の如き見事な凹凸を描く餅は、彩雲国中探してもここでしか食せぬ。 この自然にして隙のない凹凸、大自然の摩訶不思議を再現したかのような形。 まさに風流かつ自然美、素晴らしいの一言に尽きる蓬餅だ。 それをなぜ、は恥じるような物言いをするのだ? 」 龍蓮の漆黒の双眸が、真っ直ぐにの瞳を射てくる。 鮮やかにして底知れぬ深さをたたえた、太古の闇の気配を感じさせるぬばたまの黒。 そこにはいかなる種類の理も足を踏み入れる隙間もない、ただただ全てを受け入れる底知れぬ深い慈悲の心が存在するのみ。 だからこそ、わかる。 龍蓮の言葉には、嘘偽り一つないのだと。 そして偽り一つ無い、彼の言葉が。 半ば自暴自棄になりかけていたの心を、いとも容易く解き崩していく。 「…………わかった。わかったから、とりあえずその手を離して欲しいんだけど。 離してくれないと、蓬餅を作りに行けないじゃない」 知らぬうちに表情が柔らかくなっていることさえ気付かぬままで、は微笑んだ。 客商売をしている彼女が笑顔を浮かべることはさほど珍しくもないが、今浮かべていたのは間違いなく、彼女自身が心から望んで浮かべたものだった。 珍しくも掛け値無しの笑顔を浮かべるに、一瞬瞠目する龍蓮。 同時にそのせいで、彼女の腕を放すタイミングを完全に逸してしまう。 「私が所望しているのは、が手ずから作った蓬餅だぞ」 「わかってます。…ちゃんと私が作った物を持ってくるから。 だから、一旦その手を離して頂戴ね」 わざと素っ気なく吐き捨てながら、は自分の腕を解放しようとしない龍蓮の手を強引に振り払った。 その勢い余ってだろうか。 龍蓮の懐から何かがこぼれ落ちた。 カタンという音に振り返れば、床に何かが落ちている。 そのとき珍しくも焦燥に似た感情を浮かべた龍蓮が、が拾う寸前でなんとかそれを拾い上げようとしていたのだけれど。彼の手はギリギリで間に合わなかった。 龍蓮の焦燥などまるで知らぬまま、は落ちた物をいともあっさりと拾い上げる。 拾った木簡を持ち上げると、彼女は広がってしまったそれをきちんとまき直そうとして、何気なく木簡全体へ一通り目を遣り…………。 そして、完全に言葉を失った。 普通にしていれば、単なる木簡でしかない。 だがその裏に描かれているのは、鮮やかな藍の色彩をふんだんに施した二頭の龍と蓮の泉の絵。目にするのは初めてではあったが、店が茶州の関門にほど近い位置にあることとその関門を守る衛士とは話友達であったことから、その木簡の存在は耳にしていた。 通行手形の中に、彩七家が直々に発行する“直紋”というものが存在する。 黄家直紋“鴛鴦彩花”、紅家直紋“桐竹鳳麟”などのように、それぞれの家によってそれらの紋柄は大いに異なり、それらの直紋を提示すればどれほどの大事が起こっていようとも、たいていの関門はするりと突破出来るようになっている。 なぜならそれらの直紋を有することが出来るのは、各家の血を色濃く引く貴族やその小姓のようなほんの一部の者たちに限られているからだ。 その直紋の中でも紅家直紋と並んで、希少価値・提示威力が最も高いのは、彩七家の筆頭名家・藍家直紋“双龍蓮泉”。 名の通り、双頭の龍と蓮の泉の絵柄が描かれた通行手形である。 「」 呆然としていたを我に返したのは、龍蓮の名を呼ぶ声だった。 「あ、ご、ごめんなさい。こんな大事な物、私が拾っちゃまずかったよね? 返すわ」 我に返ったは、慌てて手に持つ木簡を綺麗にまき直すと龍蓮に渡す。 渡されたその木簡を、龍蓮はいとも無造作に掴むと懐にしまい込んだ。 あまりに自然かつなんのこともないような、その一連の行動は、彼にとって“双龍蓮泉”に対して何の希少価値もないことを暗示しているようですらあった。 「いつも直紋なんて持ち歩いてないのに、今日はまたどうして? 」 「王からある者たちへのみやげを預かってきているのだが、茶州では関門警備が強化されているから持って行けと、愚兄其の四から渡されたのだ。 権力をかざしているようで不快なことこの上ないが、心の友其の一と其の二のためであるゆえ、致し方あるまい」 「そう………」 彩雲国を統べる王。 彩七家を含む全ての貴族を束ねる、雲の上の人にして至高の存在。 一庶民であるや店の親父さんたち、道行く旅人のほぼ十割方が間違いなく。生きている間に御顔を拝謁することすら叶わぬまま、死んで行くであろう天上の御方。 その王に拝謁するどころか、頼み事までされる目の前の青年はーーーー。 今ほどに、彼が彩七家の筆頭名家・藍家直系の御曹司であることをハッキリと確信させられたことはない。 目の前にいるはずの龍蓮が、恐ろしくも遠い存在だと感じられた。 本来なら会うことも、こうして会話をすることさえ出来ぬほどに、相手は遠く離れたーーまるで縁遠い世界に生きる高貴な人なのだと………、痛いほどに痛感させられた。 「………蓬餅のお代わり、持ってきますね……」 舌がカラカラに乾いて声がまともに出ない。 そんな状態の中、は無理矢理言葉を外へと押し出した。 その声は自分でも驚くくらいに乾ききっていて、言葉遣いが微妙に変わっていた。 だが、そのかすかな変化に気付いたのは龍蓮だけで。 当の本人であるは、全く気付かなかった。 否、気付けなかった。 まるで梵鐘を叩く巨大な棒で頭を叩かれたような。 血の巡る心の臓を、冷ややかな手でもって鷲掴みにされたような。 敢えて意識しようとしなかった現実に、ことごとく打ちのめされて。 手を伸ばしても届くはずのない、遠い人。 否、手を伸ばすことさえ許されない、高貴な人。 想うことが罪。 想いを寄せる私は、畏れを知らぬ身の程知らず。 そんな痛い、痛すぎるほどに冷たい鋭利な刃が、無情にもの心を貫いていく。 それでも。 心はどれほど吹雪に閉ざされようとも。 つい先ほどまで触れられていた腕だけは、柔らかな熱を帯びていたーーーー。 *後書き*
・突発的に始めた“ある一場面”夢ネタリクエスト、応募ありがとうございました。 『店番をしているところに、旅をしていた龍蓮と久しぶりに逢って、 会話の中で改めて身分の差を感じてしまった…』という設定の場面リク。 ヒロインは、リクエスト下さった昴様専属“茶州のとある茶店で働く”給仕ヒロインです(笑)。 場面ネタと言いつつ、しっかりと短編になってしまってますね(汗)。 この辺り、文をまとめきれない管理人の無能さが滲み出ております、はい。 なんだか余計な設定がポロポロと付け足されておりますが、いかがでしたでしょうか。 とりあえずリクに沿えるよう頑張ったつもりですが……希望に添えてなかったらごめんなさい。 管理人としては、新鮮な気持ちで話を書けて楽しかったんですけど……ねぇ? (06.04.23up) |
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