それは、吏部で仕事に忙殺される珀明が久々に休めた公休日のことだった。


 あらかじめ訪問するという旨を記した文はもらっていたから、彼女がここに現れてもなんらおかしくないし、別に驚く理由など何もないはずというのに。

 どういうわけだろう。
 家の者に案内されて、彼女が自分の部屋へと入ってきたそのとき。

 まるで死人が蘇ってきたのを目にしたかのような、信じられないものを見たような。
 意識が理性から引き離される寸前、ひどく大きな驚きを覚えたのは。

 一目姿を目にした、ただのそれだけで。
彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れないような感覚に陥ったのは。

 頭に響き渡るくらいの大きな音を立てて、心臓が脈打ったのは。



 一体、なぜだろうーーーーーーーーーー。





【この気持ちを何と呼ぼうか?】



「…………」

 案内の人が部屋を出て行ってしばらくしてからも、珀明は一向に話し出す様子がない。
ひたすら部屋の中を沈黙だけが支配する、そんな状況に耐えきれなくなったは、おそるおそる目の前にいる少年ーー碧珀明へと声をかけてみた。


「あ、あの、珀明君?」

 申し訳なさそうにが発した言葉でようやく我に返ったのか、珀明の身体がピクリと震える。

「……っ!!」
 だが、その先に発する言葉はやはり……ない。

 歯に衣着せず自分の思ったことをはっきり言ってのける珀明ならば、多少なりともなんらかの反応があるかと思ったのだが……。

(言葉にするのも躊躇うくらいに、私にはこの服装が似合わないのかしら……)

 が今着ているのは、彩雲国の貴族令嬢が纏う彩な着物である。
素材は勿論、身に付けている装飾品も極上品。はっきりいって今が着ている着物と装飾品諸々を売り払えば、小さな離宮くらいは建つという代物である。
 もともと生まれが高貴な楸瑛や龍蓮ならいざしらず、ごく普通の一般庶民の家に生まれた彼女にしてみれば、畏れ多くて一歩足を踏み出すのもおそるおそるという状況なのだ。
それにも関わらず、藍家に仕える人々が口々に褒めもてやすものだから、は耐えきれなくなってしまったのだ。

 自分で自分を見失いそうだと、幾度思ったか知れない。

 そんなときに思い出したのが、珀明のことだった。曲がったことが嫌いで、龍蓮とは違った歯に衣着せぬ正直さを持つ彼ならば、きっとはっきり「似合わない」と断言してくれるだろう。
そうすれば、自分自身を忘れずに済む。
そんな安易な理由で、は珀明の邸を訪れたのである。

 もっとも。珀明の所属する部署が、公休日返上で働かなければならないほどに多忙な部署だと知らさせて、失敗したと思ったところだったのだが…。

 どうやら、失敗だったらしい。


「やっぱり変よね? ほら、私の髪って短いからあまり髪飾りとかつけられないし…」

「だ、誰も『変』だなんて、一言も言ってないだろうが!!! 」
 ようやく完全に地を取り戻した珀明は、の言葉を遮るようにして断固否定する。

「変じゃない? 」
 首を傾げた拍子に、の髪がサラサラと零れ落ちる。更にその動きに比例して、髪につけていた髪飾りがシャラシャラと音を鳴らして煌めきを残していく。

「………『変』どころか……」


(―――――綺麗だ)


 そう言いかけたのを、珀明は慌てて言葉を喉の奥から引き戻す。

「でも龍蓮は『もう少し風流が欲しい』とか言って、自分の持ってる羽を挿させようとするじゃない? だからちょっと物足りなかったり、変だったりするのか、心配だったの」
 でも珀明君に意見もらってちょっとだけ安心したわ、とは相も変わらず柔らかな笑みを浮かべたままで続ける。

「孔雀男の意見は無視しろ。あいつの感覚の方がよほど変だ! というより、服装に関することであいつの意見を聞くこと自体がそもそも間違いだろうがっ!!! 」
 あまりに奇抜すぎる龍蓮の装いを脳裏にまざまざと浮かべながら、珀明はこれでもかとばかりにに力説する。そうでもしないと、年上のくせに妙にぽやぽやしている女性は、何をしでかすかわからないのだ。

「第一孔雀に聞かなくとも、藍家には多数の使用人がいるだろう? 奴本人に聞くより、そいつらをとっつかまえて聞いた方がよほど一般的な意見が聞けるだろうが」

「だって、使用人の人たちはみんな『よくお似合いですよ』の繰り返しなんだもの。
だから本音で話し合いましょう、って半ば脅し入った提案をしてみたんだけど、『龍蓮様の若奥様ですから、なんでもお似合いですよ』って答えが返ってきただけだったし。
多分、本当のこと言ってくれないと思うの」
 は頬に片手を添え、困り当てたと言わんばかりに溜息を一つついた。

「………っ! 」
 知っていたはずの事実―――が『龍蓮の若奥様』ーーであるはずなのに、その言葉が珀明の心に重くのしかかる。

(そうだ。この女は藍龍蓮の求婚を受けているんだ……)

(それがどうした? そんなことは承知の上だ。)

(奴は僕たちの目前で、彼女に求婚したんだからな。)


 龍蓮がに求婚したのは、最終国試も間近に迫った頃。
忘れもしない。異郷の人間であるという彼女が、いきなり自分の上に降って現れて、なんだかんだと気付けば、藍龍蓮はこれまた唐突にに『自分の魂の伴侶にふさわしい』とか何とか言って口説き台詞を浮かべた挙げ句、寝台がないからといって自分の寝台の上に彼女を寝かせて添い寝したのだ。
 本当に貴様は国試受験者か!と、出来ることなら奴の尻を蹴飛ばして王城から追い出したいくらいくらいに、腸煮えくりかえらせたことは今でもしっかりと覚えている。

 だから知っていて当然のことなのだ。



 なのにーーーーーーーーーー。


 胸を突く、この冷たく鋭い痛みはなんだ………?
 どうしてこんなに胸が、痛いーーー?

 彼女が藍龍蓮の将来の妻だと、単なる事実を耳にしただけなのに。



「珀明君? 」
 間近で聞こえた声に我に返れば、至近距離にの顔があった。
そのことを理解すると同時に、珀明の鼓動が一際大きく脈打つ。

 象牙色の滑らかな肌、黒曜石を思わせる漆黒の双眸。肩越しの長さで切り揃えられた濡羽色の髪は、瑞々しい闇をたたえ、柔らかな曲線を描いて卵形の顔を縁取っている。
ふっくらとしていながらも美しい艶を放つ唇は、出来合いの紅の色とは違い、健康的な印象を与える淡い珊瑚色。静かな呼吸に連動し、かすかに震える珊瑚の紅唇は、本人無意識なのだろうがひどく艶めかしい。

 思わず手を伸ばして触れたい衝動に駆られ、手を出しかけるも、珀明はすぐに理性を取り戻し、慌てて出しかけた手を引っ込めた。

「……別に変でもないし、街中を歩いてもどっかの孔雀みたいに浮くことは絶対無い。
芸能を統べる一族の中でも屈指の『目』を持つ僕が、太鼓判を押してやる。
それに………本当によく、似合っている。絵師に肖像画を描かせても、遜色ないくらいだ。
それともなにか? この僕にここまで言わせておいて、まだ不満があるのか? 」
 不機嫌そうな声色は相変わらずだが、口調は実に落ち着き払っている。
そこまで淡々と語った後、珀明はほんの一瞬だけと視線が合うと、ついとあさっての方へと顔を向けてしまう。

 珀明の語った言葉に、嘘偽りは微塵も感じられない。
もとより彼自身が曲がったことが大嫌いな性分であるから、嘘をつけるはずもない。

 そして、あさっての方を向いた彼の行動が『照れ』からくるものと理解していたは、
余計なことは一切言わずに、ただ一言。


「ありがとう、珀明君」

 そう言って、満面の笑みを浮かべた。



 だが珀明は、そんなの笑顔を直視することが出来なかった。

 見たくなかったのではない。
 直視するには、あまりにも眩しすぎるのだ。

 その笑顔がけして、自分だけに向けられることがないと。
 知っているからこそ、余計に………。





*後書き…
・遅くなりましたが、翡翠様よりの場面リク・碧珀明『藍家トリップヒロインで、現代の服装から彩雲世界の服装に着替えた時のときめく様子』をお送りしました。
うふふ、翡翠様のコメントにも『真面目な少年がちょっとお姉さんにトキメク場面なんて想像するだけでも素敵です』とあった通り、管理人も年上のお姉さんにトキメク少年という設定はかなり萌えツボだったりしまして……、メチャクチャ楽しく書かせて頂きました。
実は、珀明→藍家トリップヒロインという図はひそかにあったものですから、もうもう『悩める珀明がいい感じ〜!』と脳内で叫びつつ、書きました。
…このヒロインで珀明夢を書いてみるもの有りか、と目覚めてしまった今日この頃。
かなり管理人が好き勝手書いてましたが、とりあえずリクには沿ってる……よね?
翡翠様、素敵なリクエストをありがとうございました〜!!!


お題提供先:belief



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