「貴女が私を呼び出すなんて、珍しい事もあるものですね」

 夜もだいぶ更けた頃に帰ってきたに呼び出され、楸瑛は異母姉の部屋の中にいた。
派手な装飾を嫌うらしく、彼女の部屋に無駄な装飾類は一切無い。
ぶっちゃけ簡素としか言いようのない空間ではあったが、けして地味ではない。さりげない心配り一つあれば、金銀宝石がなくとも心地よい空間を作れるものなのかと、楸瑛は妙なところで感心した。
 それと同時に、いささか珍妙な風流を介す末弟ならば一体どんな感想を抱くのかと、ふと気にかかる。

 一方彼を呼びつけた当の本人は、楸瑛の言葉に答えるよりも先。到底良家の姫君とは思えないような豪快な飲みっぷりを披露しながら、一升瓶の口から酒を飲み干した。

「……他の誰に愚痴れと言うのよ? 」

「姉上は、紅尚書や黄尚書と懇意にしておられるでしょうに。
何も年下の私に愚痴らなくとも、同年代のあの方々に愚痴ればいいでしょう」

 楸瑛の言葉に、は盛大に顔をしかめてみせる。

「馬鹿言わないで。あの二人にこんなこと愚痴ったら軽蔑されるわ」

「私に軽蔑されるのは、構わない…と? 」

 半ば冗談半分で聞いた言葉に対して返ってきたのは、沈黙だった。
だがすぐにその沈黙は、自身によってあっさりと破られる。

「私をよく知っている楸瑛なら、なんとはなしに解ってくれるかと思ったのよ」

「……姉上が私をそこまで信頼して下さっていたとは、露とも思いませんでした」
 酒を注がれた盃を差し出されて、楸瑛はそれを受け取った。

「こう見えて私は、身内に甘いのよ? 」
 にんまりと笑いながら盃を煽るに、楸瑛は半ば呆れたような口調で答える。

「それは龍蓮の前にいる貴女を見ていれば、すぐにわかります」

「………そうね。無理矢理良いお姉さんを演じてるんだもの、そう見えるわ」
 盃を回していたの手が止まる。そうしてしばらく後。
静かに紡ぎ出された言葉には、半ば自嘲の色すら浮かんでいた。

「………姉上? 」
 今まで見た事もない姉の様子に、楸瑛は驚きを隠せない。


「ねえ、楸瑛。女性の心情に機敏な貴方なら、わかるでしょう?
私がどうして今の今まで結婚せずに来たのか。どうして龍蓮だけを特別に可愛がるのか。
他の兄弟たちには見せないその一面を、なぜあの子にだけ見せるのか…」

 の言葉に半ば驚きつつも、楸瑛は同時に理解もした。
なぜ彼女が執拗に龍蓮だけを可愛がるのか。
自分や他の兄たちにはけして見せない、優しい姉としての一面を見せるのか。

 無論、彼女が弟の事を溺愛していることもあるのだろうが。
 同時に、本来の想いを隠すための隠し蓑でもあったということか。


「……薄々感じてはいましたが、やはり、そうなのですか? 」

「………ええ」

「姉上、貴女は………」

「楸瑛も似たようなものでしょう。愛しい人がけして振り向かない事を知っていながら、少しでもその気を引こうとするそれだけのために、度々後宮へ通ってる貴方なら……」

 いきなりズバリと本質を見抜かれて、楸瑛は驚く。
つくづく今日は、この姉に驚かされてばかりだ。

「……叶わぬとわかっていても」
「諦めきれない想いって、辛いわね……」

 示し合わせたわけでもないのに、どちらともなく漏らした溜息が重なる。


「にしても、姉上。少々飲み過ぎではありませんか?
貴女がうわばみだという事は知っていますが、それにしても飲み過ぎです。
お身体を壊しますよ」

「………ほっといて。ほんの少しだけでも良い夢、見させてよ……」

「姉上……」

 気丈でしたたかで、他人にも己にも厳しいその(ひと)
凛とした眼差しで前だけを見続けて、常に人の一歩先を見据える才人。
心身強く、誰よりも気高い精神を持つ楸瑛自慢の姉は、そこにいなかった。

 叶わぬ想いに心散り乱されて、現実に目を背けようとする。
 現で叶わぬ夢を、偽りの世界に求める……その姿は。

 どこまでも一途で、どこまでも痛ましい。


「自分でも馬鹿だと思うわよ。何度も自分自身を責めて責めて、必死で逃げ道探してみたわ。幾度となく、誰とでも良いから結婚しようかとも考えたわ。そうすれば、忘れられると思った。………でもね、駄目だったの……」

 どれほど己を突き詰めて、責めて、追い落としても。
 心に残る想いは、けして消えなかった。
 それどころか。
 己を突き詰めるその度に、自分の抱える想いの強さを見せつけられる。

 半分だけとはいえ、血の繋がった弟なのに。
 どうしてこんなにも心掻き乱されるのか。心焦がされるのか。

 自分でも驚くほどに、想いは強くてーーーー


 はこみ上げてきた思いを無理矢理心の奥に閉め出すと、深く息を吐き出した。
そうして一升瓶を持ち上げ、再び瓶の酒をぐびぐびと煽る。

「何か、ありましたか? 」
 の様子がおかしい事に気づくと、楸瑛は妙に男らしい飲みっぷりを見せている姉に尋ねた。

 すると彼女は一升瓶を卓机に置くと、ふっと翳りを帯びた表情を浮かべる。

「龍蓮をこっちの世界に繋ぎ止めてくれる子がね、現れたの。
二人ともいい子だし、あの子の違うところ認めてくれた上で付き合ってくれるんだから、とても良い事だと思うのよ。姉としては……ね。
でも………、正直複雑だわ。あの子を理解出来るのは、自分だけだと思ってたのに。
世の中には、あの子を理解してくれる赤の他人がいたんだもの……」
 淡々と語るの口調は、淡泊でありながらもどこか切ない。その様子から、彼女が心に秘めた想いを吐露しながらもなお、自身の感情を押し殺していることが見てとれる。

 そうでもしなければ隠しきれないほどに、彼女の想いは深い。

 そんな想いに心当たりのある楸瑛は、彼女の言葉に何も言わない。否、言えなかった。
 安い言葉で指し示せるような、安易な想いではないのだ。

 彼女の抱える想いも、そして自分の抱える想いも。


 だから彼は黙って卓机の上の盃へ手を伸ばし、それをの前へと差し出した。

「姉上、今日はとことんお付き合いしますよ」

 かけられた言葉に、は何も言わずに頷いた。
彼女が盃を手に取れば、楸瑛が一升瓶から酒を注ぎ、朱色の盃にはたちまち無色透明な液体が並々と注がれる。


「……叶わぬと、知ってなお抱える想いは……………辛いわね……」


 酒を煽るその合間に、ふと呟かれた言葉に。
 心を鷲掴みにされたような、ひんやりとした思いを感じながら。

 楸瑛は、ただ黙って酒を煽った。







「……やれやれ……」

 酔いが回ったせいで、半ば意識を失うように眠りについたを見下ろしながら、楸瑛は溜息混じりに呟いた。それでも口調は、なぜか優しい。
 自分にしなだれかかるようにして眠りに落ちた姉は、楸瑛の目から見ても充分に美しいと思うし、異性として魅力的だと思う。多少の身内贔屓が入っていたとしても、それを差し引いてお釣りが返ってくるほどに。
 たとえ実年齢がもうすでに嫁き後れと呼べるほどの年であったとしても、彼女の容姿に心奪われる者は少なくないだろう。そして何より、彼女は彩七家筆頭門下である藍家の長姫だ。“是非私の嫁に”と彼女を求める高官も大勢いるはずだ。

 にも関わらず、彼女はいかなる縁談も一刀両断にし続けてきた。
 叶わぬ想いと知っていながら、その想いを諦められずに。

 偽る事すら叶わぬほど強く、変える事すら出来ない想いーーーー


「……姉上、貴女は……」



「楸兄上」

 唐突にかけられた声に、楸瑛は驚いて振り返る。
と。そこにいたのは、相も変わらず派手な衣装を纏った弟の姿だった。

「龍蓮」

「てっきり妓楼にでもいるかと思っていたら、まさか姉上のところにいるとは…。
常々人格形成未発達な愚兄とは知っていたが、よりにもよって姉上にまでその毒牙をかけるつもりか?! いかに血の繋がった兄とはいえ、ここまで落ちぶれていたとは思わなかったぞ! 全くもって、こんな男が私の兄とは嘆かわしい……」

「…あのね、龍蓮。確かに姉上は、女性としてとても魅力的だとは思うけれどね……」

「やはりそうか。悪い事は言わぬ、楸兄上。今すぐに諸国漫遊の旅にでも出て、己を見つめ直し、悟りを開いてくるがいい。そうすれば、多少は人格が発達するやもしれん」

 自分の言葉を最後まで聞かぬうちに口を挟んでくる龍蓮に、半ばうんざりとしながら楸瑛は深い溜息をついた。

「……人の話は最後まで聞いて欲しいものだね、龍蓮。
今回私を部屋に呼んだのは、他ならぬ姉上ご自身だよ。それから浴びるほどに酒を飲んだのも、彼女自身だ。別に私が酔わせたわけでも何でもないよ。
いくら自分が声の一つもかけられなかったとはいえ、そうひがまないで欲しいな」

「勝手に自分で都合の良い解釈をするな、愚兄其の四」

「都合の良い解釈って、事実なんだけどね……」
 呟きかけて、楸瑛はふと途中で呟く言葉を止めた。否、止めざるをえなかった。
 滅多な事で感情を外に表そうとしない龍蓮の顔色が、明らかにいつもと違っていたからだ。感情表現がそれほど豊かではない彼だが、楸瑛とて伊達に彼の兄を務めてはいない。
本人は意図して隠したつもりだろうが、あいにくと彼にはお見通しである。

「それじゃあ、龍蓮。悪いけど、姉上を寝台に寝かせてくれるかい。
私も姉上に付き合って、今日は結構飲んでしまったから……」

「自身の限界を見極めずに悪酔いするとは、情けない。
しかし……楸兄上だけならともかく、姉上まで酔われるとは……珍しい」

 その言葉にいささか不満げな表情を浮かべる楸瑛だが、龍蓮は気にも止めない。
そうして彼はすっかりと寝入っているの背と膝裏に手を回すと、ゆっくりと彼女を抱き上げた。まるで壊れ物でも扱うように、その一連の動作は慎重で優しい。

 抱き上げた拍子に、の長い髪が龍蓮の頬をかすめる。
かすめていったのは、柔らくて、心地よくて、あたたかい感触。幾度となく頬を寄せて、わずかな合間だけでも己のものとしてきた、その感触は。
髪の持ち主であるの抱えた想いと同じように、どこまでもあたたかくて優しい。


「…………姉上……」
 眠りについたから、答えは何も返ってこない。

 いつもならば、穏やかな笑顔と一緒に返されるはずの言葉。
 玲瓏にして、清らかな声音。
 凛とした、清流を思わせるその声で名前を呼ばれるのが、何よりも好きだった。



 まだ本邸にいた頃、龍蓮の名を与えられるより前のこと。
庭で一際美しく咲き誇った藤の花を観ていた、見慣れぬ一人の少女。自分よりも年上の彼女は、とても悲しそうな瞳で花を眺めていたから。声をかけずにはおられなかった。

 声をかけてしまえば。

 彼女と話してしまえば。

 いつか彼女に心奪われる、こんな日が来るであろう事はわかっていた。

 それでも声をかけずにはいられずに、声をかけて。
自分よりも一回り近く年上の異母姉に、気づけば叶わぬ想いを抱いていた。



「………龍蓮」
 呼びかけに弟からの答えはない。
 それでも楸瑛は構わずに話を続ける。

「私ですら薄々気づいていたんだ。君が気づいていないはずがない。
姉上は、君を………」

「その先の言葉は、楸兄上の口からは聞きたくない」
 楸瑛の言葉にかぶせるように、龍蓮は言葉を紡ぎ出す。
淡泊でありながら同時に厳しい声音は、彼の感情を何よりも如実に映し出す。

「知って、いたんだね。君も」

「……それでも姉上は、隠そうとしていたから。私も気づかぬふりをした。
姉上の……気持ちは、嬉しかったけれど。
私も、姉上も。それ以上のことを、望んではいけないのだと思う」
 静かに語る龍蓮の瞳には、楸瑛の姿は映っていない。
翳りを帯びた黒曜石の双眸に映っているのは、その腕に抱く一人の女性の姿のみ。

 感情を押し殺した、その声は。つい先ほど聞いたのものとよく似ていた。


 どうして彼女があれほどまでに、心掻き乱されたのか。
その理由の一端を、楸瑛はようやく垣間見たような気がした。

 叶わぬ想い、届かぬ想い。
 世の中には幾千とある感情。
 
 だけど、彼らは違った。
 想いは一方通行ではなく、繋がっていたから。
 だのに。その身に流れる血ゆえに、彼らはけして先へ進む事はない。
 否、出来ないのだ。


「だから、楸兄上も。もう何も言わないで欲しい。
姉上はけして、それを望んではいないから」

 そこまで言い終わると、龍蓮はを腕に抱いたままで部屋の奥へと歩いていく。
の寝台は、部屋の奥にある別室に置かれている。彼女を寝かせようとすれば、部屋の奥まで足を踏み入れなくてはどうしようもない。

 今の龍蓮にそれをさせたのは、いささか酷だったろうか。

 そう思いながらも、楸瑛は何も言わない。
 何も言わぬそのままで、弟の姿を見送ることしかできなかった。







「どうして、私たちは皆こうなんだろうね……」

 恵まれた家柄。恵まれた容姿。
 万人が羨むほとんどを手中にしながら、自ら茨の道へと足を踏み入れる。
 叶わぬ想いに心揺られ、心乱されながら。
 その想いを捨てることもできない。

 愚かだと、言われればそうだろう。

 だけど、いかに愚かと罵られようとも。
 偽る事の出来ない、想いとはーーーーー確かにあるのだ。



 の部屋を出て呟かれた楸瑛の言葉は、誰の耳にも届くことなく虚空へと掻き消える。
その言葉は報われぬ恋に翻弄され続ける姉弟へと向けられたものか、はたまた自分自身に向けられたものか。

 その答えは、呟いた彼自身も持ち合わせていなかった。






*後書き…
・まず最初に謝ります、ごめんなさい。姉弟愛とか苦手な方、すみません。
でもですね、悪食な管理人はこのタイプのお話も好きなんです(汗)。いやさすがにね、いくとこまでいっちゃうのは生々しくて苦手です。でもプラトニックラブなら、許容範囲です。
あ、でもご安心を。このお話は”管理人の萌え”で書いた、いわば番外編モドキですので。
この路線でずっといくわけではありません。
藍家ヒロインには、やはり身内・弟溺愛路線が一番(?)。だって書いてて楽しいんですもの。
己の萌えと妄想のままに書き綴ってる彩雲国夢の中でも、このお話が最も妄想度高し。
姉弟夢、実は好きだって方、いましたら教えて下さると嬉しいです……。