疑問に思ったのは、本当に唐突…………。






 もうすでに夜も更けた、ある日。
 は黎深に誘われて、微妙に時期外れなお月見と洒落こむことになった。
 夜もだいぶ更けて、空を覆う闇は尽きる事のない漆黒の手を広げている。空高く昇った銀色の月は、ほどよく下側が欠けているた。すでに満月は越えてしまい、月の丸みも段々となくなりつつあったのだ。上半分とちょっとが輝く下弦の月は、出てくるのが満月よりも遅い時刻になるために、“居待月”と呼ばれることもあるらしい。

 そんな中で、美しく手入れされた庭の風情を肴に、煌めく星月夜の姿を眺めていた。
屋敷内とのこともあるのだろう。黎深の着ている着物は簡略された物だったが、その酌をするは、なぜか正装にも近い着物姿だった。
 黎深曰く、『酒の肴は美しいものに限る』とのことなのだが、いまいちには納得がいかなかった。それならいっそ美人の侍女なり、あるいは彼の奥方に酌をしてもらえばいいのに、どうして十人並みの容姿の自分に声をかけたのだか。

(本当に時々、おじ様の考えてる事がわからない………)

 実に隙のない、それでいて優雅な所作で盃の酒をあおる黎深の姿を見ながら、は知らず知らずのうちに顔をしかめていた。

「なぜ、顔をしかめる必要がある? そんな顔をされては、折角の酒も不味くなるだろう」
 黎深はの不機嫌そうな表情に気づくと、盃を持つ手とは反対側の手で彼女の額に触れると、寄っている皺を指の腹で伸ばしていく。

「いえ、別に。どうせなら、奥方様をお呼びすればよろしいのに…と思っただけです」
 そう言いながら、は目の前にいる人の妻である美しい女性の姿を思い浮かべた。
折角の美しい月と庭、それに並べるのは絵にも描けない美男美女と昔から相場は決まっている。黎深と彼の奥方の並んだ姿なら、十分に絵になるだろうに。
 勿体ない。それが彼女の正直な感想だった。

「と、いうことはつまり、お前は私とこうして月を見るのがイヤだと、そう言うワケか。
まあ……確かに、お前ならそう感じても仕方ないかもしれんな。絳攸が帰ってきていれば、あれに場所を変わってやる事も出来るが………」

「べ、別にそんな意味で言ったわけでもありませんっ!!!!」
 からかわれている。そうわかっていても、は反論せずにはいられなかった。
確かに黎深の言う事は、多少当たっている部分もある。部分もあるが、誰も彼と月見をするのがイヤなどと言った覚えはないし、そもそもイヤだとも思っていない。

 ムキになるの反応を、黎深はまるでこうなることを予想していたとでも言いたそうな表情で見ていた。こういう時に見せる彼の表情は、鳳珠をからかい通している時のそれと非常に酷似している。基本的にからかい体質なのだろう。

 分かり易いその反応をじっくりと楽しんだ後、黎深は空になった盃をの前に差し出した。

「そう思うのなら、もう少しまともな顔をしていて欲しいものだな。
……それとも、何か私に言いたい事でもあるか?」

「………言いたい事ではないですけど、おじ様。一つ質問しても良いですか? 」
 綺麗な琥珀色の酒を黎深の盃に注ぎながら、は何気なく訊ねた。

「なんだ」

「どうしておじ様は、私を拾って下さったんですか? 」


 綺麗な月夜。庭の方からは、虫たちの鳴き声が聞こえてくる。
まるで別世界にでも足を踏み入れたような、そんな光景の中。
 淡い銀色の光に身体の輪郭を縁取らせ、盃を手にしたままでこちらへと視線を投げてくる黎深の姿は、まるで気まぐれに地上に降り立った神を彷彿とさせる。それだけの圧倒感と不思議な威圧感を、彼はもっていたのだ。

「なぜ、今更そんなことを? 第一、聞いてどうする」

「単なる一好奇心です。たいした理由なんて、特にありませんよ」
 訝しげに眉をひそめる黎深に、は実にあっけらかんとした態度で返す。

 彼女自身にしてみれば、“なんとはなしにふと気になってしまったもの”なのだろうが、それがあまりに突拍子もない質問だったので、黎深は驚きを隠せなかった。

「……私が気に入らない者を引き取るほど、お人好しに見えるか? 」

「いいえ。ですが、ただ気に入ったからという理由だけで、おじ様が私を引き取ったとはとても思えないので」

「心外だな。私がお前を一時の戯れで引き取ったとでも思っているのか? 」

「そんなことはありません。一時の戯れで引き取っただけなら、こうして晩酌に付き合わせるようなことはしないでしょうから。おじ様は」

 迷いなくすっぱりと言い切るの様に、黎深はかすかに目を見張る。
そして彼は視線を盃内の酒へと映すと、ゆっくりと盃を回した。回させる盃の中に映る月は、酒面にたゆたう波紋に揺られてゆらゆらと輪郭がぼやけた。

「………聡いな」

 呟いた後、黎深は残った酒を一気に飲み干す。
そうして無言のまま、盃をの前に差し出した。

「ご冗談を。私はただ、なんとなく肌で感じたまでのこと。
単なる第六感、野生の勘というやつですね」
 琥珀の液体を注ぎながら、は何のこともないように答える。

 黎深に引き取られるその一年ほど前、霄太師の勧めもあって、は貴陽より数里離れた某山岳地帯にて日々を暮らしていたことがある。その当時の名残だろうか、彼女の持つ野性的本能は常人のそれを遙かに凌ぐ。


「……。私は、紅一族が嫌いだ。
あのとき玖琅さえいなければ、私はとうに一族を根こそぎ滅ぼしていた」
 空高い月を見遣る黎深の表情が、わずかに翳る。
今なお慕い続ける最愛の兄を追放し、知らぬ間に自身を紅家当主に据えた一族。

 全ては、紅家という一つの血筋を絶やさぬ為に。

 そのことに黎深が怒りを覚えぬはずはなく。あれから数年経った今でも怒りは収まることなく、彼の心の奥底で燃え続けている。

「だからですか? 初めて私と会ったとき、“紅家をどう思うか”とお聞きになったのは」

 聞かれたとき、はこう答えた。

『率直に言うと、単なる一種のブランド志向ですよね。
血なんてみんな同じ、赤色なのに。どうして区別できるんでしょう?
それとも貴族の偉い人たちは、七色の血をしてるんですか? 』と。


「正直、あんな答えを返されるとは思ってもみなかったぞ。
あの時点でお前を引き取ることは、ほぼ確定していたも同然だ」
 そう言ってくつくつと喉の奥で笑う黎深に対し、は半ば呆れたような表情を浮かべる。

「……まるで激安・お買い得商品を衝動買いしたようなノリで言わないで下さいよ」

「今更気づいたのか。異郷から来た娘を引き取る、その行為がどれほど悪食か。
わからぬお前ではないだろうに。だが、お前にとっては良かったろう。
私に引き取られたおかげで、あれと親しくできているのだから」

「………だからどうして、いつもいつも絳攸に話を結びつけるんですか…」

「お前の目は、いつもあれにしか向いていないからな。
私にとって兄上が唯一であるように、お前にとっての唯一は絳攸だろう。違うか? 」

「ひ、否定はしません……」

「玖琅は、いずれ絳攸に紅姓を継がせて、秀麗を娶らせるつもりらしいが。
私はな、秀麗を李姫にするつもりなどさらさらない。
紅家の血を絶やさぬため? そうまでして守らねばならぬようなものか、この血筋は。
滅ぶものなら、そのまま滅びてしまえばいい」

「………」

「あれに私の背負う重責を背負わせるつもりはない。
だからこそ、敢えて私は紅姓を与えなかった。
たとえそのことで絳攸が悩んでいたとしても、な」

 黎深の言葉に、は目を見開く。

「おじ様、知っていらして…」

「あれはすぐに顔に出るからな。
他人にはわからなかろうとも、私にはすぐにわかる。
伊達に長年見てきたわけじゃない」
 の言葉を遮るように発せられた黎深の声は、実に淡々としていた。
 しかし声音とは裏腹に、言葉一つ一つには、彼がどれだけ絳攸を見てきたのか。
どれほど大事に大切に育ててきたのか。そのことが言葉の端々に滲み出ていた。


「……おじ様ってば、本当に天の邪鬼ですね。
そうならそうと、一言言ってあげればいいのに……」
 穏やかな苦笑いを浮かべて、は言う。

「お前に言われたくはない。
冬になれば一緒に床につくくせに、未だ既成事実の一つも作っていないだろう」

 さらりと何気なく言われたその言葉に、は一瞬キョトンとするが。

「…っな!!! なんですか、それ!!!
って、それ以前にどうしてそのことをおじ様が知ってるんです!!!!」
 一拍おいてその言葉の意味を理解した彼女は、一気に耳まで顔を紅潮させた。
顔を染めたのは、何も羞恥心によるものだけではない。いたたまれない恥ずかしさの中には、確実に怒りも含まれていた。
 そうして内心の怒りに任せて、半ば黎深に噛みつかんばかりの勢いで叫んだ。

「私が知らないとでも思っていたのか」
 だが対する黎深の反応は、実に淡泊なもので。さも当然と言わんばかりに一言で、きっぱりと一蹴される。

「…………愚問でした」
 はしばし沈黙した後、さっと白旗を揚げた。
この人物に口で勝てるはずがない。

「まあ、そう急ぐこともないがな。
絳攸もあの調子なら、当分縁談話を断り続けるだろう。
お前とて他の男に嫁ぐつもりなど、さらさらなさそうだし。
たとえ相手が鳳珠でも嫁ぐつもりもないだろう?
ましてあの忌々しい藍家の三つ子の弟など、誰がお前をやるものか」

「なんでそこで鳳珠様や藍家の方が出てくるんです? 」

 鳳珠の名前が出てくることもイマイチ理解できない彼女だったが、その後に出された“藍家の弟”の言葉にはなおのこと理解が出来なかった。
黎深が藍家当主――すなわち楸瑛の兄たちであるーーに対して、あまりよくない感情を頂いているらしいことは薄々感じてはいたが、そのことと関係があるのだろうか。


「……さあて」
 黎深は不敵な笑みを浮かべると、隣にいるを引き寄せた。

「お、おじ様? 」
 肩を抱き寄せられて、は思わず黎深の顔を見上げる。

「何より、お前を引き取ったその理由はな。
お前を傍に置いておくと、不思議と心が落ち着くからだ。
笑えるだろう。この私が、穏やかな気持ちになれるんだぞ?
兄上や秀麗には及ぶまいが、それでも私にとってお前が特別であることはまあ、間違いない」

「黎深おじ様の特別、ですか? 」

 キョトンとするの頬に、上から落ちてきた数本の髪がかかる。
黎深は期待に目を輝かせる少女の頬にかかる髪を、手で軽くはらってやった。


「お前にならあれをくれてやってもいい。そう思えるくらいには、特別だ」
 そう言って、黎深は口元に笑みを浮かべる。顔に浮かぶのは不敵な笑みではあったが、いつもよりもどことなくその笑顔は穏やかだ。


「……ありがとうございます、おじ様…」
 蕾が綻んで花開くように、は微笑んだ。

 黎深は彼女の言葉に何も言わぬまま、すぐそばにある少女の頭を撫でていた。
が、そのうちふと真顔になって彼女の顔を覗き込んだ。

 その勢いにつられて、も何事かと表情を硬くする。

「そういうわけだ。せいぜい精進して、さっさと既成事実を作るなりして…」

「お願いだから、いい加減その思考から離れてくださいーーっ!!」


 からかわれているとわかっていても。
は黎深の言葉に、絶叫せずにはいられなかった。


 そして見事に予想通りの反応を示すの姿を見て、黎深は実に満足そうな顔をしていた。

(これだから、も鳳珠もからかうのはやめられんな……)



 心の中で呟かれた呟きは、げに黎深だけが知る彼の真実。






*後書き…
・“どうして黎深がヒロインを拾ったのか?”という疑問を頂きまして、それに答える意味も兼ねて作ってみた短編。微妙に黎深夢もどきでございます。
さらについでとばかりに、黎深がヒロインと絳攸の仲を応援している(らしい)その理由も入れてみました。微妙というか、偽っぽい黎深様でごめんなさい……。
基本的にヒロインは、小動物的な癒しを持っているようです。なにせ仕草が時々、まるっきし猫ですから。どうやらその辺りを黎深に買われたようですな。
でも結局、最終的には“からかうと面白い”というのが理由のような気がします…(笑)。
今度は是非、黎深&鳳珠+ヒロインの三つ巴もどきを書きたいものです。