『美味しいお茶を頂いたので、お茶会を開いてみたいと思います。
もしもご都合がよろしければ、明日の正午に私の家までお越し下さい。    紅 秀麗 』

 このような書状を秀麗からもらったは、楸瑛と共に紅区の紅邵可邸を訪れた。
彼女は龍蓮も誘うつもりだったのだが、あいにくと彼は昨夜から藍邸に不在であったので、誘うに誘えなかったのである。とはいえ、何も言わずに邸を出てしまっては龍蓮に余計な心配をかけるだろうからーー現に一度、龍蓮の不在中に外出した際(行き先についての書き置きもしていない)、用事を済ませて帰ってきた龍蓮が上総の不在に気づき、貴陽の街中でところ構わず笛を吹いて探し回ってくれた為、街が数時間再起不能状態に追い込まれた事があったーー自室に”秀麗宅で行われるお茶会に出席している”旨を記した書き置きを残しておいた。

 当日の正午、紅邵可邸に着いてみれば、そこには楸瑛の親友(あくまで楸瑛の自称で、絳攸本人は認めていない)である李絳攸の他に、秀麗と同期にあたる杜影月と碧珀明の姿があった。影月はともかく、珀明が秀麗宅を訪れるというのはなかなかに珍しいことであったが、当の珀明は憧れの絳攸の姿を目にして、すっかりと意識をどこかへ旅に出してしまったようであった。折角、絳攸と話をする良い機会だというのに、勿体ない事である。

 客人たちが集まったところで、秀麗は父・邵可が知り合いからもらったお茶”紅天芳露”と彼女手製の茶菓子とを振る舞ってくれた。招かれた客人たちは芳潤なお茶の味に感嘆しーー紅天芳露は、紅州特産”紅天甘露”の茶葉の中から、選び抜かれた上質な葉だけを用いて作られる高級茶であるーー、秀麗手製の茶菓子に舌鼓を打ちながら、それぞれで会話に花を咲かせていくのであった。


 今回、と絳攸は初対面だったが、楸瑛からある程度彼女のことについて話を聞いていたのか。簡単な自己紹介を終えた後、早速とばかりに絳攸は「異郷の法律について教えて欲しい」と言ってきたのである。おそらく彼はが法律を専門に学んできたことを知って、そのようなことを言い出したのであろうが……。
 いくら大学で法律を学んだとはいえ、は大学に入ってまだ二年。専門分野とはいえ、その一部をわずかに囓ったに過ぎない身である。勉強すべき余地はまだまだ多いというのに、まして人にーーそれも政治の第一線で働く相手にーー教えられるようなものでもない。
 そう理由を述べて一度は断ったのだが、再三にわたって頼まれては断るに断り切れず。
「自分の知っている程度のことでよければ」と条件を出し、今に至るのであった。

 そうして。一旦、説明に一区切りがついたところで一息入れることになる。
先程からずっと二人で喋ってばかりいるので、そのことに密かに腹を立てた珀明が に向かって敵意の視線を向けていたりもしたのだが、当の二人はまるでそのことにも気づかない。

 気付かないまま、絳攸は煎れ直してもらったお茶で喉を潤すと一息ついた。

「それにしても、お前のいる国には随分とたくさんの法律があるんだな」
 先程からずっとの説明を聞いていた絳攸だったが、明瞭かつ的確な表現で説明する彼女の能力に関して、正直なところ舌を巻く思いだった。だがそんな素振りは全く表に出さないままで、彼は感嘆の溜息と共に言葉を漏らした。

「そうですか? 国家として機能している国の法律なら、どこの国でも同じくらいの量はあって然りでしょう? かくいう日本国の法律だって、私が知らないだけでまだまだたくさんの条項があるはずですもの」
 一方のも、お茶を飲んで一息ついている最中だった。ほとんど喋り通しだった為にカラカラに乾いていた喉を潤したところで、絳攸の言葉を耳にして答えを返したのである。

「うちの国の場合は、代々の王たちが出してきた法律がそのまま残っている形になっているからな。
一応法律関連のものは刑部でまとめてはいるが、そちらの国のように『憲法』として正式に成文化はされていない」

「別に急がなくても、これから少しずつやっていけばいい事ですよ。
百年単位での大々的な事業として、刑部…でしたっけ?
そこで独自に行うのも一つの手段ですしね」

 言おうとしていたことをに先を越されてしまった絳攸だが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
むしろ、自分と同じ目線で物事を考えられる彼女に対して、一種の尊敬と興味を抱いたくらいだ。

「まあ、そうだな。……それはそうと、お前の国では女性が政治に関与する事に関して、世論の方はどうなんだ? 法律上女性官吏の登用が認められていても、肝心な受験者がいなければどうにもならないだろう」
 話している内容は相変わらずだが、絳攸の表情は先程よりは幾分穏やかだ。
初対面の相手()に対する緊張が解けただけでなく、本人も全く無意識のうちに公の場で使う仮面を取り外していたせいもあるのだろう。

「私たちの国で女性官吏――この場合は“国会議員”と言った方が良いでしょうが、中央で働く女性役人の存在は、けして珍しくありませんよ。
もっともそういう風になったのは、ほんの数十年前からですけどね」

「そうなのか? 」
 “女性の政界進出”が最近のことであったとは思いも寄らず、絳攸は驚きで目を瞠る。
そんな彼に対して、は浮かべていた微笑をフッと消して目を伏せた。

「ええ、その前までは男性優位の時代でしたから。
女は『幼い時は父に、結婚したら夫に、夫が亡くなったら子に従え』『妻は夫の散歩後ろを歩け』等と言われていましたし。離縁するのも夫の方からだけで、妻の方からは出来いとか、夫は浮気しても良いのに、妻が浮気すると処罰される時代もあったくらいです。
 女性にその気がなくて一方的に関係を持たされた場合でも、その人が旦那持ちなら即“密通”で、悪いのは一方的に女性だけなんですよ? おかしいと思いませんか?
いくら抵抗したって、男性の方が力も強いし身体も大きいんです。結局は力ずくで押し切られるのは、誰の目にも明らかなのに、それでも女性に非があるんですよ?
 要するに『女性は精神的にも肉体的にも男性に奉仕しろ』ということでしょうかね?
女性の意志なんて男性には関係が無くて、彼らからすれば女性は自分たちに従う奴隷か、あるいは子供を産ませる道具か何かだと勘違いしてるんでしょうか?
つくづく“男尊女卑”には反吐が出ますね」

 淡々と話を続けるだが、具体的に例を挙げていくうちに段々と胸にこみ上げてくるものがあってーー江戸時代や戦前の男尊女卑が著しかった時代の理不尽な法律について初めて学んだ際、心の中で叫びながらもない交ぜにしていた疑問と怒りとを再び燃え上がらせて……気づけば言いたい事をそのまま一気に言い尽くしていた。
 なにせ法律を勉強している身といっても、は同時に歴史にも相応の知識がある。
なぜなら歴史は一般的に言う『通史』だけでなく、『経済史』や『日本文学史』等という数多くの分野から成る学問である為だ。ちなみに法律を学ぶ彼女は、日本や世界の『法制史』についても相応の知識を持っているのである。

「………………………」

 一方の絳攸はと言えば、の剣幕に押されて何も言えずーーもとより彼女の語った内容はなるほど確かに一部の男性が無意識に抱いている意識に他ならなかったーー、ただただ沈黙を貫くほかに術はなかった。

 長々と沈黙が続くのを不思議に思ったは絳攸の方を見るが、なんとも気まずそうな表情を浮かべる彼の姿を見て、ようやく自分の言葉がその原因であることに気づいたらしい。かすかに苦笑いを浮かべると、慌てて弁解を試みる。

「あ、すみません。ついつい本音が出てしまって……。
別に絳攸さんを責めているわけではありませんので、軽く流して下さいね」

 ニッコリ笑顔で何でもなかったように言われても、彼女が話した内容はとてもじゃないが軽くポイッと流しに捨てられるような話ではない。

「………軽く流せるような内容じゃあないだろうが」
それゆえに絳攸は、随分と一気に疲れが溜まったような心境に陥りながらも、なんとか答えを返す。

 だがはというと、そんな絳攸の反応にえらく好感を持ったようであった。

「そうですね。でもそう言って頂けると嬉しいです。
少なくとも絳攸さんは、私が愚痴ったような不誠実な方ではないという事でしょう? 」

「むしろそういう輩と一緒にされると限りなく不愉快だ」
 憤然たる面持ちで、一語一句に力を込めて言い切る絳攸。

「大丈夫ですよ、ちゃんとわかってますから。
女性の中にだって、男性数人を弄んで楽しむ人もいますし、男性がみんな女性を軽んじてるわけではないことはわかります。結局、各個人の人格が反映されるものですからね」

「……つくづく女にしておくには惜しいな」

「絳攸さん、今の発言は『女性蔑視』発言と見なしますよ? 」

「…悪かった」

「構いませんよ、絳攸さんなら。楸瑛さんから聞いてますけど、本当に生真面目な方。
貴方みたいな方を旦那様にもらえる女性は幸せ者でしょうね。
浮気は絶対しないだろうし、誠実だし、仕事も出来る上に格好良くて。
龍蓮がいなかったら、私、絳攸さんを好きになっていたかもしれないですね」

 ニコニコと笑顔を浮かべたままで、サラリと言ってのけたの言葉に、絳攸は飲みかけていたお茶を危うく吹き出すところだった。
無論、すんでのところでどうにか踏みとどまったが。

「…っ、そういう発言をさらりとするなっ!! 」
 湯飲みをガンッと卓の上に叩きつけ、絳攸は真っ赤になりながら叫んだ。

「別にいいじゃないですか、もしもの話ですよ。
それにあながち嘘でもないですし。
私、絳攸さん、好きですよ。楸瑛さんよりもずっと」
 だが対するは、実に淡泊そのものの態度を貫き通していた。

 の言葉のうちに見え隠れする棘――おそらくは楸瑛に対するものだろうーーに気づいた絳攸は、彼女が楸瑛を引き合いに出した理由を朧気ながらに理解し、ようやく平静を取り戻す事が出来た。

「………やつをそこで引き合いに出すな。………まあ、いい。
ところで。お前、官吏になる気はないか? 」

 絳攸のあまりに突拍子もない言葉に、今度はが目を丸くする番だった。

「なる気はないかと言われましても、考えた事もありませんでしたからね…。
第一、 字の読み書きもできない私じゃあ、逆立ちしても試験なんて受けられませんから」

「読み書きが出来ない? 嘘をつくな。
あれだけの知識量を持ってる奴が、字の読み書きが出来ないはずもないだろう」

 訝しげに眉をひそめる絳攸に、はあっけらかんと告げる。

「向こうの世界では読み書き出来ましたけど、彩雲国で使用されている文字は完全に読めないんですよ。そもそも私、漢文は最も苦手な科目ですし…」

「誰かに習わなかったのか? 」

「龍蓮は自分がいるから字が読めなくても平気だって言うし、楸瑛さんは教えてくれると言ってるけど……お仕事の忙しい方ですから教えてもらうのは当然、夜ですよね? 楸瑛さんと夜二人で一緒にいるのは、ちょっとさすがに………。私も女ですから、相応の危機感はそれなりに感じますしね。
なので、結局教えてもらわず終いです」
 右頬に手を当て、困ったように首を傾げると、はふぅと深い息を吐き出した。

 最終国試直前に数え切れない人害を巻き起こした藍家末弟はともかく、腐れ縁である藍楸瑛の性癖は何とはなしに理解していた絳攸は、思わず眉間に皺を寄せる。

(確かに楸瑛ならやりかねん………)

「習う気は? 」

「そりゃあ、ありますとも。本が読めないとすることがなくて暇なんです」

「お前にやる気があるというなら、俺が教えてやるが」

「お忙しいのに、よろしいのですか? 」

「字の読み書きを教えるくらい、たいした手間でもない。
それに、磨けば光るとわかっている原石を放置しておくのは才能の無駄遣いだろう。
要はお前にやる気があるかないか、それだけだ。やる気はあるか? 」

「あります」
 絳攸の問いに、間髪入れず即答する

「……いいだろう」
 返ってくる答えの迷いの無さに、絳攸はうっすらと笑みを浮かべる。
その笑顔の綺麗さには、龍蓮を見慣れているはずのが一瞬見惚れてしまったほどだ。

「……今の笑顔はちょっと反則ですよ、絳攸さん……」
 気づけば火照っていた頬を両手で包み込みながら、は隣に座る絳攸を恨めし気に見遣る。

「何の事だ? 」
 もとよりまるで気づいていない当人はと言えば、なぜ恨めしげな視線を向けられるのかわからないまま、かすかに眉をひそめる。

「……ある意味龍蓮と良い勝負よね……」
 楸瑛は自分の容姿が人並み外れている事を自覚した上で、且つ自分の浮かべた笑顔が相手――この場合百パーセント女性に限られるーーに与える効力も承知の上でやるが、絳攸も龍蓮も全くその辺りの意図もなしで無防備に(?)笑顔を浮かべてくれるから困る。
 なまじ二人とも容姿が人並み外れた美形であるからこそ、なおのこと質が悪い。

(つくづく心臓に悪い、質の悪い美貌だこと)

 まだ動悸の収まらない心臓を叱咤しながら、は深々と息を吐いた。
絳攸はそんな彼女の行動の意味がまるでわからず、訝しげに彼女を見ているだけだ。


 そのときだった。

 けたたましい音と鼓膜に響く轟音と共に、庭に面した部分の壁の一部が勢いよく吹き飛んだ。


「そこな愚兄其の四の心の友、もとい我が伴侶を奪わんとする心無き破壊者よ! その極悪非道且つ分不相応な悪行ももはやこれまでと知れ! 私が来たからにはこれ以上好き勝手はさせぬ! たとえ悔い改めようとも、穢れにまみれた性根は二度と直りはせん!
ゆえに、私が天に代わって、その悪行に見合った天罰……もとい天誅を下さんっっっ!! 」
 爆風と爆煙の立ちこめる中、辺り一帯に一際響くその透き通った声音は、の聞き覚えのあるものだった。

「龍蓮?! 」

「って、いやーーーーーーっ!!!!
うちの壁に穴がぁぁっーーーって、そりゃあもともとうちは塀も壁もあちこち穴だらけだけどっ!
よりにもよって人一人通れるほどの大穴開けるなんて、何考えてんのよ、あんたはぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっっ!!!! 」

「あぁぁっ、秀麗さん落ち着いて下さい! お願いですから、そんなもの(スリコギ)を振り上げるのはやめて下さいーーーっ! いくら龍蓮さんでもそんなものぶつけられたら痛いですよぉーーーー! 」
 握りしめたスリコギを武器に、憤怒の怒りに燃えながら立ち上がる秀麗を、影月が慌てて引き留める。

「止めないで、影月君! 今日という今日は許すわけにはいかないのよぉーーーっ! 」


「………随分と派手な登場だね、龍蓮。
でもね、人のうちの壁を壊すなんてやり過ぎだよ。わかってるかい? 」

「無論だ。我が心の友其の一の邸の壁を破壊してしまった事には、遺憾の意を表する。
だが、今は刻一刻を争う緊急事態なのだ。…心配はいらぬ。我が心の友其の一ならば、私が今対峙している状況の切迫さを感じ取り、我が意志をも汲み取ってくれる事だろう」

「そんなもの汲み取れるわけないでしょうが、この馬鹿―――――――っっ!!! 」

「………壁まで破壊して、一体何しに来たんだ、こいつは」
 怒り心頭の秀麗をよそに、絳攸は至って冷静且つ冷ややかに問うた。

「ふっ、さすがは愚兄其の四の心の友だな。自分の犯した罪すら自覚していないとは、もはや人格形成負発達どころの騒ぎではない。人としての存在すら危ういほどに、悪意に身も心も染まってしまっているということか。もとより力で事を解決するのは、私の流儀に反するのだが……我が伴侶の貞操を守る為、もはや迷っている暇など無い!!! 」
 穴の空いた場所から流れ込んでくる外の風に、いつもと変わらぬ豪華絢爛な衣装をなびかせて、龍蓮はびしいと絳攸に向かって鉄笛を突きつける。

 だが、絳攸には彼の言っている事がまるで理解が出来なかった。
というよりも、そもそも彼の標的が自分自身である事さえ、相手に鉄笛を突きつけられた時点でようやく理解したくらいだ。

「……おい、楸瑛。さっきからワケのわからない事ばかり言ってるが、お前の弟は一体何が言いたいんだ。仮にもアレの兄なら解説できるはずだろう。分かり易く解説しろ」

 頭を抱えて苦悩していたところを、絳攸に胸倉を掴まれ揺さぶられた楸瑛は、なんとも疲れ切った声音で仕方なしに口を開いた。

「……どうやら龍蓮は君がを自分のものにしようと企んでいると思っているらしい。
それで君を退治しに来た………といったところかな」
 楸瑛が簡潔に弟の言っていることを説明してやれば、途端に絳攸の表情が険しくなる。
否、憤怒の怒りで彼の顔全体に一気に赤みが差した。

「ふざけるな! お前じゃあるまいし、初対面の相手を力ずくで襲ったりするはずがないだろうが!
そもそも俺は女が嫌いだと一体何十回言えばわかるんだ!!! 」
 自称女嫌いの絳攸だが、それ以前に今回初めて顔を合わせた龍蓮にはそれを知る術がないことをすっかりと失念してしまっているようだ。もはや頭のてっぺんまで完全に血が昇ってしまっているらしい。

「私に怒鳴られても困るんだよね。怒鳴るならアレに向かって言わないと効果無いよ」
 はぁと大きな溜息を吐いて、楸瑛は視線を彷徨わせる。

「言って素直に聞くような奴か、あれがっっ!!! 」

「聞かないとは思うけど、言わないよりはマシだと思うよ」

「どっちも同じだ!!! 」
 完全人事の態度を貫く楸瑛に苛立ち、絳攸は思わず卓を拳で力いっぱい叩きつける。

 その二人の様子を一挙一動見逃すことなく見守っていた龍蓮は、やおら腕組みをすると威圧さえ感じさせるほどの堂々とした様子で、今度は楸瑛の方へと向き直って滔々と語り出す。

「む…、さては愚兄其の四も一緒になってを私の手から奪おうという魂胆だな。
つくづく愚兄も諦めの悪い事だ。常々我が伴侶を毒牙にかけようとし、その度に悉く失敗に終わっているにも関わらず、今度は自らの心の友を伴って再び毒の牙を伸ばそうとは……全くもってご苦労なことだな。我が兄ながら情けない」

「……龍蓮」
 楸瑛は米神を軽く押さえて唸る。
つくづくこの弟の思考回路にはついていけない。

「最終国試直前にあった『呪いの第十四号棟』の恐ろしさが、ほんの少しだけわかったような気がするぞ、俺は……」
 最終国試一月前に国試受験者が入る宿舎棟で、『呪いの第十四号棟』と呼ばれたその棟――というよりはその中にいた某若君のせいなのだがーーは、まさに前代未聞の阿鼻叫喚に包まれた。実際にその棟へ足を踏み入れた事はなかった絳攸だが、会ってほんの数刻と立たないうちにかの棟にいた受験者・役人たちの苦労のほんの一部が垣間見えたような気がした。

「多少なりとも反省の色は見えるようだが、そなたたちの犯した罪は重く深い。
よって本来ならば相応の慈悲をもって報いるところだが、今回は愚兄も共犯ゆえ、ますますもって不届き千万問答無用! その許し難き罪は、天誅ならぬ人天誅をもってのみ昇華されると心得よ! 」
 びしぃっと鉄笛の先端を標的――絳攸と楸瑛――へと突きつけ、高らかに宣言する龍蓮をよそに、絳攸は標的を楸瑛へと向けて怒鳴り散らした。

「結局お前のせいか、この年中常春頭がっ!!
言っておくが、俺はそこの常春とは違う! 全くもって何の関係もないからな! 」

 一方の楸瑛はこんな状況ながらも、いつものように相方をからかうことも忘れはしない。

「何を言ってるんだい、絳攸。私と君の仲じゃないか、今更そんなに照れなくても」

「兄弟揃ってわけのわからんことをほざくなっ!!! 第一誰と誰の仲だ、馬鹿が!
気色悪いことぬかすなっっ!!! 」


「ふっ、仲間割れとは見苦しい。語るに落ちるとはまさにこのことだな。
安心しろ。二人とも手に手を取って仲良く人天誅の裁きを受けるがよい」
 龍蓮が前に一歩、足を踏み出す。
そしてまた一歩踏み出そうとしたそのときのことだ。

 ちょうど龍蓮と絳攸たちの間に割るようにして、いきなり少年が飛び出してきた。
飛び出してきたその少年は、龍蓮を力いっぱい睨みつけると彼に向かってビシリと人差し指を突き出すと、大きく息を吸い込み、そして…。

「さっきから黙って見てれば、解読不能な思考回路でもって絳攸様を惑わすとは良い度胸だ、この孔雀がっ!!! そんなに人天誅とやらを下したければ、むしろ自分自身に下してろ! 人様のうちの壁を大破させといて、絳攸様に罪を着せるとはいくら温厚な僕でも終いには怒るぞ!!! 」
 ヒステリーを起こした女性にも劣らぬ大音量と、矢継ぎ早に繰り出される言葉の羅列。
まさに堪忍袋の緒がちぎれる五秒前状態の珀明は、絳攸をも上回る怒号でもって龍蓮を攻撃する。

「誰かと思えば、その他一名ではないか。相も変わらず赤い顔だな。
いつも思っていたのだが、そなたはあまり興奮しすぎぬ方が精神健康上良いと思うぞ」
 しかし当の龍蓮はと言えば、その言葉の勢いに進めようとした足を前に踏み出さなかっただけで、さほど大きな反応は示さない。いつもと変わらぬ掴み所の無さは相も変わらず健在であったようだ。

「お・ま・え・がそれを言うか、この通り魔孔雀っっ!!!! 」

 思いっきり片足を踏みならす珀明の姿を眺めていた龍蓮は、わずかに目を瞠ると意外そうに呟く。

「少し見ぬ間に随分と語彙が増えたものだ。
やはり人とは常に成長し続けていくものなのだな。同期として嬉しく思うぞ」
 本人は限りなく褒めているつもりなのだろうが、あいにくと常人から見れば「褒めている」というよりは「貶している」としかとれない内容であったから。

「きーさーまーはーーーーっ!!!! 言わせておけば言いたい放題好き放題、今日という今日はその減らず口を叩けなくした上で、簀巻きにして、この寒風吹きすさぶ冷たい川の底に放り込んで二度と浮き上がってこれないようにしてやるっっ!!! 」
 烈火の如く、珀明が怒り狂った事は無論言うまでもない。

「ちょ、ちょっと落ち着いて、珀! そんなことしたら犯罪よ、犯罪! それにしても、本当に珀ってば語彙が増えたわね。龍蓮に互角で渡り合えるなんて、スゴイじゃないの!!! さすがだわ! 」
 今にも龍蓮に飛びかかろうとしそうな勢いの珀明を、後ろから秀麗が羽交い締めにしてなんとか動きを止めさせようと試みる。

「秀麗さんの言う通りですね。珀さんすごいです! 」

「うむ。心の友其の一も其の二と私も同意見だ。
ついてはその他一名の語彙力増加を記念して、祝い代わりに一曲奏でてみようと思う」
 機嫌の良くなったらしい龍蓮は、鉄笛・攻撃主体の持ち方をやめると、鉄笛・演奏主体の持ち方へと持ち変える。


 その瞬間、龍蓮の横笛の精神破壊力を身にしみて知る者たちが一斉に顔色を失った。

「そんな贈り物なぞいらんから、さっさと目的果たしてどっかに帰れ! 笛吹き孔雀! 」

「その他一名よ、遠慮はいらぬ。思う存分、この音を耳に残していくが良いぞ」
 遠慮はせずともよいと言わんばかりの相手の返答に対して、珀明はこれまた大音量で怒鳴り返す。
「だからいらんと言ってるのがわからんのか、このうすらトンカチが! どうしても止めないというなら、今すぐその笛を叩き壊すなり、質屋に売りつけるなりするまで……」
 ぶち切れた珀明が龍蓮の横笛の片端を引っ掴もうと手を伸ばすが、その手は途中で途切れた言葉と共にピタリと停止した。



「駄目よ、龍蓮」
 咎めるような、まるでやんちゃな子供をたしなめるような声音は、てんやわんやと収拾のつかなくなっていた辺りの雰囲気を動から静へと一気に変化させる。

……」
 名を呼ぶ龍蓮の声に応えるように微笑んで。
は横笛を構える龍蓮の手の上に自身の手を乗せて、ゆっくりと彼の前で首を横に振ってみせた。

「こんな寒いところで演奏しては、駄目よ。
演奏を聞いてくれる人たちに、風邪を引かせてしまうつもり? 」

 の言葉もかなり突拍子もないものではあったのだが、その言葉に感じるところがあったのか。龍蓮は黙って構えていた横笛を下ろすと、胸元にしっかりとしまい込んだ。

、どこも怪我はないか? 愚兄や愚兄の心の友に、若き淑女に人生の汚点となるような行為をされてはいないか?! 」
 龍蓮はの頬に触れ、何度も優しく撫でる。
そのあたたかさが確かなものだと確信するに至り、彼はの身体をギュッと抱きしめた。

「楸瑛さんはともかく、絳攸さんはそんなコトする人じゃないわ。
だって楸瑛さんと絳攸さんは、まるで真逆の人だもの」
 は龍蓮の長い髪を指で梳いてやりながら、わずかに苦笑する。


、その言い様はあんまりじゃないかなぁ……」
 そこでさりげなく、自己主張する楸瑛だったが。
「そういう言葉は、過去の華々しい女性関係を一掃してから言うべきでしょう、藍将軍? 」
「全くだ、この年中常春頭が。
自分の弟の婚約者にまで手を出すとは、呆れてものも言えんわ」
 静蘭と絳攸の同時攻撃をくらい、あっさりと撃沈させられる。

「……愚兄と真逆……、確かにそれならば淑女に汚れた手を出すような真似はしまい」
 龍蓮は自分自身に言い聞かせるかのように、何度も何度も頷いて。
それでもなお自分に納得させる為か、の身体を更に力を込めて抱き寄せる。

そんな龍蓮を納得させてやる意味も込めて、は更に言葉を続ける。

「それにね、絳攸さんは珀明君が尊敬してやまない人なのよ。
彼が尊敬するほどの人だもの、悪い人なはずがないでしょう? 」

 龍蓮が珀明を“心の友其の三”にはしないまでも、相応の信頼を寄せるに値する相手と認めていた事は事実であり、珀明の持つ真っ直ぐな気性は、龍蓮もまた十分に知るところであったから。

「………そうだな。今回のところはその他一名に免じて、仕方なく許すとしよう」
 渋々とそれでも納得した龍蓮は、絳攸の方へと一瞬視線を移し、息を吐いた。

「だそうですよ、絳攸さん。よかったですね」
 振り返って笑顔を浮かべたは、絳攸の方へと話を振るが。
正直なところ、絳攸には全くもってよかったとは思えない。
そもそも身に覚えのない事で罪に問われたところで、何とも言いようがないではないか。

「……よかったというよりも、無実の罪から解放されたというべきなんだがな」
 なんとも不機嫌にぼそりと呟く絳攸の言葉は、なるほど確かに正鵠を得ている。

 そして次に、は壁に開けられた大きな穴へと視線を移すと、大きく溜息をついた。

「それからね、龍蓮。許しもなく、秀麗ちゃんのうちの壁を壊したら駄目じゃないの。
これじゃあ秀麗ちゃんたちは壁が直るまで、ずっと寒風の入ってくる寒い部屋で御飯を食べなくちゃいけないのよ? 」

 指摘されて初めて、龍蓮は自ら開けた穴へと視線を向けた。
そこには、まるで洞窟のようにポッカリと大きな穴が開いていて、穴の外から流れ込んでくる冷たい風が怒濤のように室内へと入ってきては吹き荒れる有様である。

「む………」

「壊したものは直せるけど、だからといってむやみやたらと壊すのは駄目よ。
ましてそれが他人のものなら、なおさら駄目なの。だから秀麗ちゃんが怒るのも当たり前でしょ。
だって壁を壊したのは貴方なのに、寒い思いをするのは秀麗ちゃんたちだもの。
そうしたら貴方、秀麗ちゃんに言う事があるでしょう? 」
 は龍蓮の両頬を軽くペチペチと叩きながら、順を追って懇々と諭す。
おとなしく彼女の諭す言葉を聞いていた龍蓮は、やおらクルリと向きを変えた。
そうして彼が向き直ったのは、半ば呆気にとられながら事の次第を眺めていた秀麗のいる方角である。

「心の友其の一よ。愚兄の邪な計画のせいとはいえ、風流ある素晴らしい邸の景観を損ねるような事をして、大変にすまぬことをした。よってこの壁の補修作業が完了するまでの間、無駄に広く無駄に綺羅綺羅しい家の別邸にて夜風を凌いでいてはくれまいか。まこともって、美観の美の字も欠けたあの別邸でそなたたちに過ごせというのは鬼のような所業であろうが、今回ばかりは致し方ない。
仮の宿として好きに使ってくれ」

「………あの、藍将軍。龍蓮はこんなこと言ってますけど」
 いくらなんでも藍家別邸を仮の宿として好きに使うのは、どうだろう。
そう言わんばかりの表情を浮かべながら、秀麗は楸瑛にお伺いを立てる。

「珍しく龍蓮と意見が一致したな。
…まあ、秀麗殿や静蘭さえよければ、いつでも来てくれて構わないよ。
それからそこの壁の穴のことだけれど、うちの愚弟が迷惑をおかけして本当に申し訳ない。
その埋め合わせに、後日職人を派遣して綺麗に塗り固めてもらうようにするよ」

「………はあ、どうも」
 なんとも複雑な心境で、とりあえず相槌だけは打って返す秀麗。


「とりあえず話が一段落付いたところで、場所、移動しませんか?
ここにずっといると、身体がすっかり冷え切ってみんな風邪引いちゃいますよ」
 のもっともといえばもっともな言葉に、一同(龍蓮除く)全員がはたと我に返った。

「……確かにそうね。こんなことで風邪引いたら、末代までの恥だわ」
「僕もその意見には賛成だ」
「末代までの恥云々はともかく、風邪は引かないにこした事無いですからね」
「……だそうだ」
「反論の余地無し、だね」


 結局その後、皆で藍家別邸へと移動する事になったのだが。
ここで秀麗が「軒を使うなんて勿体ない」と渋りに渋った為、お茶会が散歩会になっていたというのは、また別の話である。





*後書き…
・「三周年&四〇万hit記念・年末年始彩雲国リクエスト夢企画」で栄えある一位に輝いた、『トリップヒロインで龍蓮メイン、いろいろな主要キャラが集まるお茶会に龍蓮が乱入!』というリクエストを元に書かせて頂きました。結果、龍蓮夢のようで絳攸夢でもあるような不思議夢になりましたが(オイ)。
投票コメントの中に『龍蓮節を炸裂させて』というのがありまして、頑張って炸裂させたつもりが…全然そうでなかったりします。そういえば、ここしばらく龍蓮書いてなかったもんなぁ……(遠い目)。
やたらと長くなりましたが、気に入った方がおられましたら、どうぞご自由にお持ち帰り下さい。
そして今更ですが、二〇〇六年明けましておめでとうございます。
相変わらず計画性無しの管理人ですが、今年も「偽造鹿鳴館」を宜しくお願い致します。

By:にゃんにゃんし〜