天国とは、どうも天使やら白いイメージの場所ではないらしい。 …だけどさ。正直言わせてもらえば、憧れの大佐が目の前にいるこの世界の方が、私にとっては本物の天国よりもよっぽど天国らしいんだけどなぁ…。 窓の外に広がる空は、どこまでも広く青い。かすかに開け放った窓からは、心地よい微風が入り込んでくる。青々とした緑の葉はすっかりと息を潜め、赤や黄色の紅葉が校庭の一角を染め上げている。 気付けば私は、教室の中にいた。半覚醒状態の頭で周りをよく見てみれば、どうやら今は理科の時間らしい。私のクラス担任で理科教師でもある先生が、いろいろと白墨で書き込まれた黒板を背にして何かを話している。先生の隙をついて居眠りをする生徒もいれば、近くの席の友人と携帯でメール交換をする生徒もいる。かと思えば、キチンと顔を上げて先生の話に耳を傾ける真面目な生徒も当然いたりして。 いつも通りの授業風景。 どこからどう見ても、まごうことなく現実の世界だ。 だけどその当たり前のはずの光景に、私は違和感を感じていた。 しかし、違和感の正体まではわからなくて、苦し紛れに右手で頭を掻く。 …否、掻こうとした。 カツン。 頭を触ったにしては、あまりにも固くてひんやりした感触。 生身の身体に触れたにしては固すぎるし、冷たすぎる。 まるで鋼鉄でも触っているかのような感触ではないか。 鋼鉄…? なんで頭に鋼鉄が? 『嬢ちゃんは、いつまでそんな危なっかしいものを頭につけてるつもりなんだ?』 『私もそれを言おうと思っていたんだ。奇抜なファッションと言えなくもないが、君のような女の子には少々厳つい感じがしていけないな』 『…私には拳銃と弾丸にしか見えないが』 『俺も右に同じだ』 疑問を持ったのとほぼ同時に、私の頭の中をよぎる幾つかの声。 知らない声のはずなのに、私はその声の主の姿すら鮮明に思い描ける。 お父さんに欲しいダンディーなおじ様と、文句なしに格好いい素敵なお兄さん。 ハガレンに出てくるマース・ヒューズ中佐とロイ・マスタング大佐だ。 …あれ。なんでそんなことまで知ってるんだ? 私、ハガレンのマンガはまだ見たことないのに。 さっきの夢だって、私の単なる空想かもしれないじゃないか。 「ついさっきまでの出来事って、本当に夢だったの…?」 それにしちゃ、妙にリアルな夢だったと思う。 雷に打たれた時の感覚、頭に銃を突きつけられた時の感触。 痛みも確かに感じていたし、人の体温だってしっかりと感じてた。 考える私をよそに、先生の話はいつの間にか”ヒステリズム”に移っていた。 ”ヒステリズム”とは、コイルを巻いた鋼鉄に一度電流を流せば、電流を流すのをやめてもしばらくの間磁力が残る現象のこと。この磁力を完全に霧散させる為には、電流をさっきとは反対方向に流せばいい。そうすると、磁力がうち消されるのだとか。 ……あれ。なんか、眠い…? 身体がだんだん重くなってくる。おまけにすっごく眠い。 まあ…こんな日当たりの良い席で授業を受けてるんだから、当たり前か。 私は襲いかかってくる眠気に逆らうことなく、そのまま身を委ねた。 ゆっくりと、意識が覚醒していく。 頭はまだぼんやりとしているのに、脳は妙にすっきりとしていて。 「目が覚めたみたいだな」 混濁としている視界に、かすかに人影が映る。 それが誰だかはわからなかったが、私はその人の言葉にコクリと頷いた。 すると、大きな手で頭を優しく撫でられる。 それが妙に心地よくて、私はされるがままになっていた。 「起きられるかい?」 頭を撫でている人とは、また別の声が聞こえる。 徐々にだがはっきりとしてくる視界に、鮮やかな漆黒が目に入る。 「……うん。だいじょぶ…」 そう答えた自分の声は、いかにも寝起き出すと言わんばかりの声音だ。 なんとか起きあがろうとするが、自身の力ではそれもままならない。 悪戦苦闘していると、誰かが背中に手を添えて身体を起こすのを手伝ってくれた。 「おはよう、」 うっとりとするくらい、柔らかくて優しい声が耳元で聞こえた。 「…おはよぅ、ございまふ…」 私は未だ視界がぼんやりしたままで挨拶を返し、目元をゴシゴシ擦る。 すると、擦っていた方の手首を掴まれた。 「そうやって擦るのは、目に良くないだろう」 優しく諭されるが、私は口を尖らせる。 薄ぼんやりする視界をハッキリさせるには、これが一番良い方法なのに。 「…仕方ないな」 苦笑を噛み殺した声と共に、フワリと身体が宙に持ち上げられた。 しかしそれは一瞬のことで、すぐにまた下に下ろされて。 なんだろうと首を傾げれば、頬に優しく手を添えられる。 「目を閉じていてご覧」 言われた通りに目を閉じる私。 すると、閉じた瞼に柔らかいものが押し当てられる。 「…みゅぅ〜、くすぐったい〜」 イヤではないが、こそばゆい感触に思わず身体をよじる。 「少しの間だ、我慢しなさい」 私の身体を支える手にこもる力が、少し強くなる。 仕方なしに身をよじるのをやめると、再び瞼に柔らかなものが触れた。 「もう充分だろう。いい加減に離してやれ、ロイ。」 半ば呆れたような口調が響けば、 「…仕方ないか。もう目を開けて良いぞ、」 渋々といった声とともに、目を開けていいと言われて。 早速私は、両目をパッチリと開き………。 そのまま、硬直しました。 「気分はどうだい?」 真っ先に視界に入ってきたのは、バックに点描とキラキラを背負った大佐のお姿。 しかも!私の顔から10センチと離れていない、完全な至近距離で! それはもう、ご機嫌麗しく極上の笑顔を浮かべていたのですよ!! おまけに私が座っているのは、なんと大佐の膝の上…!!! …幸せすぎて、この場で昇天してしまいそうです。 「そんなに顔を近づけんでも、話は出来るだろうが」 ヒューズ中佐の咎める声がかかると、大佐は渋々ながらも距離をとってくれた。 もしそうでなかったら、私の思考回路は完全ショートしていた。 きっと、絶対に。 「……夢?」 目の前に憧れの大佐がいて。ヒューズおじ様もいて。 あまりにも虫の良すぎる夢を見てるんじゃないの? 私は古典的方法ながら、自分の頬を力いっぱいつねってみた。 いででででででっ!痛すぎる!! ということは、現実か。(単純なやつめ) 私は改めてキョロキョロと周りを見渡した。どこかの部屋の中なんだろうが、妙にこざっぱりしている。人によってはシンプルな内装を好む人もいるが、ここには生活の気配が全くない。代わりにあるのは、原因不明の無機質感と威圧感。 明らかに普通の場所ではないとわかるここは……。 あ。そういや、軍部に行くって行ってたっけ。 じゃあ、きっとここがそうなんだ。 「それじゃあ早速で悪いんだが、報告書を書くのに協力してもらうぞ」 中佐は今まで座っていた場所から腰を上げると、窓側にある机の上から一枚の書類を手に取る。そして私とは向かい合わせの位置になるソファーに腰を下ろした。 「報告書…?」 単語的にものすごく小難しい感じの印象を受けるんですが。 私ごときで協力なんて出来るんですか? 不安がそのまま顔に出ていたのだろう。 中佐は私の方を一瞥すると、軽く口元に笑みを浮かべた。 そして器用にペンを回しながら、 「なあに、俺の質問に答えてくれりゃ済むんだ。そう難しく考えるな」 と。実に軽い口調で言ってくれる。 「はあ…」 そう言われても、やっぱり不安なんですけど…。 「要は、先ほどの強盗事件の時に、君がしたことをありのまま話せばいい。それだけのことさ。だからそんなに固くならなくても良いんだ、」 なだめるようにそう言いながら、大佐は私の髪を指で優しく梳いていく。 綺麗な黒曜石の双眸が穏やかな光を帯びて、覗き込めば吸い込まれてしまいそうな錯覚すら覚えさせる。 「………」 もはや私は声すら出ない。 ただひたすら、大佐の顔を呆然と見つめるしかできない。 だーかーらー、私は全然美形に免疫がないんだってばよ!!! 「……あー、その、なんだ。質問を始めたいんだが、構わんか?」 決まり悪そうな中佐の声で、あっちの世界へ行っていた思考が戻ってくる。 「……っは、はい!!どうぞ!!」 私は慌てて大佐から視線を外すと、中佐の方へ向き直った。 その時、反射的に敬礼までしてしまったのは、まあ…ご愛敬ということで。 「まずは身元調査からだな。嬢ちゃんの名前を、フルネームで頼む」 「あ、えっと…、・です」 私が答えると、中佐は書類に筆を走らせようとする。が、途中でピタリと動きが止まった。 私が不思議に思っていると、書類から顔を上げた中佐と目が合う。 「…一応聞いておくが、本名なんだな?」 「はい、そうですけど」 「なら、どうしてそこで口ごもる?」 「私のお国じゃ、名字・名前の順番が一般なんです。 だけどこっちは、名前・名字じゃないですか。 だからどっちで名乗ろうか、ちょっと考え込んだんですよ」 「なるほど。ってことは、は別の国の人間って事だな。その国の名前を頼む」 「日本です」 「ニホン…?聞いたことのない国の名前だな」 中佐はかすかに眉をひそめた。 そりゃあそうですとも。 だって、こっちの世界にはないお国だもん。 「一体どの辺りにある国なんだい?」 「次元と宇宙を遥か数億光年超えた辺りにあったら嬉しいですね」 大佐の問いに半ば冗談交じりで答えてみると、 「…頼むから、もっとわかりやすく答えてくれないか」 なぜか妙に疲れたような言葉が返ってきた。 すみません、すみません。 だけど、これからもっと疲れる話をしなきゃならないんですよ。 「実はですね。そのことを説明する前に、私の諸事情について話さないとならないんですよ。そうでもしないと絶対に信じてもらえないですから。 もっとも仮に諸事情を話したとしても、信じてくれる人がどれだけいる事やら…。 という次元の会話になりますが、いいですか?」 真剣な表情で私がそう告げると。 「ああ」 「構わないよ」 二人とも一つ返事で承諾してくれた。 そのことを確認した上で、私は大きく息を吐く。 もう一度息を吸って吐くその時には、私の口は言葉を紡ぎ出すだろう。 そして。私は語った。 自分自身の身に起こったことを、ありのままに。 家路を急ぐその途中で、頭上に雷が落ちてきたこと。 気付いた先は真っ白い世界で、そこに謎の扉があったこと。 扉をくぐったその後、気付いた時には銀行強盗の人質になってたこと。 あの碧の電撃が発生したそのメカニズムは、全くわからないということ。 信じてもらえるとは思っていない…。 現に私自身がそんな話を聞かされたとしても、きっと信じないだろうから。 だけど、話さないわけにはいかないのだ。 それになにより…話さないのは、なんとなく性に合わなかった。 |