『Hi、cool boy. 』 この国に来て以来、初めて仲間・顔見知りとは違う声音に母国語で話しかけられた。 一体どこの誰だろうと、いつも以上の期待を込めて振り返れば、東洋人の少女が笑顔を浮かべて立っていた。 肩越しまで届く癖のない艶めく髪は、夜空よりもなお暗い漆黒。同色の輝きを持つ双眸に浮かぶのは、幾光年も遠い星々が放つ光にも負けず劣らぬ鮮やかな光だ。アジア系特有の黄みがかった肌は、今も昔も高級品として珍重される象牙のそれを思わせるほどにまろやかな色彩を帯びている。 なんのことはない、日本国にならどこにでもいそうな容姿の持ち主ではあるものの、殊目前の彼女――・タカバに関しては、『普通』という言葉はあてはまらない。 彼女が肌身離さず持ち歩く黒ケースの中身は、世界三大名器の一つ・アマティ。叙情的で甘美な響きを持つその音色は、持ち主である彼女が奏でればより一層甘やかで甘美な旋律を紡ぎ出す。 さほどクラシックというものに興味のない自分さえ一瞬で虜にした、美しくも鮮烈な印象を受けるその音色。そしてそれを生み出す際に彼女が見せる表情とは、『普通』という言葉で片づけるには、あまりに鮮烈で印象的だ。 おおよそ自分が知る限りの相手の情報を、瞬時に脳内へ展開しつつ、ブレットは不敵とも容易にとれる笑みを浮かべて口を開く。 「・タカバ、オレに何か用か? 」 「用がないなら、こうして声を掛けたりしないでしょ? わかっていながら、わざわざ聞かないで欲しいものね」 ブレットにしてみれば、実に差し障りのない返答をしたつもりだったのだが。 どうやら目の前の彼女――嬢にしてみれば、よい返事ではなく、むしろ悪い返答というふうに捉えたらしい。 「これは失礼。で、早速用件を聞こうか」 対する相手に肩をすくめるという微妙な態度を示しつつ、ブレットはへと会話を流すようにと無言で促す。 すると相手は、何も言わないままでブレットのすぐ隣りまで来ると、視線は向こうへ向けたままで、問いかけてきた。 「シュミットとエーリって、喧嘩したりするのかしらね? 」 嬉々とした表情を浮かべるの視線は、ドーム内で対戦している両チームの方へと向けられている。 「はあ? 」 あまりの言葉に、ブレッドは思わず問い返していた。 そのくらい、の言葉は唐突で意表をついた質問だったからだ。 「ほら、あの二人って仲良いじゃない? 多分性格は限りなく正反対だけど、逆にかぶる部分がないから仲良くできるのかしらね。 それはともかく、だからちょっと気になったりするワケよ。 もしもあの二人が同じ女の子を好きになったとしたら、一体どんな態度を取るようになるのかなぁ…とか。まさか殴り合いまで発展することはないと思うんだけど……、その辺りについて是非、貴方の意見が聞きたかったのよ」 ………。 には悪い、と思わないでもなかったが、正直ブレットは「くだらない…」と思わずにはいられなかった。 「あ、今『何くだらないこと聞きやがる、このアマ』とか思ったでしょ」 こちらの沈黙の意味を正確に読み取ったは、気を悪くするでもなく、逆になぜか楽しそうな表情を浮かべていた。 「……わかっているなら、最初から質問しなければいいんじゃないか? 」 ブレットがそう答え終わるのとほぼ同時、彼の視界が一瞬妙な歪みをきたす。 なんのことはない。がブレットのバイザーを指先で軽く弾いたせいである。 「思われても聞きたいから聞いてるのよ。 それに万一そういう状況に陥ったとき、あらかじめ心構えが出来ていれば対処し易いでしょう。どっちの味方になるかはそのときの状況次第だけど、出来ることなら二人とも幸せになって欲しいじゃない。そうするには、私はどんな裏方に徹すればいいのかしら。 まあ、ブレットには関係のないことかもしれないけど、年寄りの戯言に付き合うと思って答えて頂戴。是非答えなさい」 「本人たちに聞けば一番早いんじゃないのか? 」 「やあね、そんなこと面と向かって聞けるわけないじゃない」 正論と言えば実に正論なブレットの言葉に、はケラケラと笑いながら少年の背をドンと平手で叩いた。 (………どうも彼女と話していると、調子が狂うな) 欄干に肘を預け、頬杖をついてエキシビジョンの方を眺めるを見ながら。 ブレットは相手に気付かれることのないよう、胸中でボソリと呟いた。 計算や確率といった科学的な技術を守備範囲とする彼をもってしても、彼女の思考や会話の先を読むことは非常に難しい。型に嵌らず、目的らしい目的も一切持たないまま、徒然に言葉を紡ぐからこそ、規則性のない言葉の羅列となるのだろう。 だがーーーーーー。 調子を狂わされたり、緻密なシュミレーション結果を裏切られたり。 それらの事象が日常茶飯事に起こるとの会話。 むしろ。そんな状況が楽しいとさえ感じられるのだ。 つくづく、・鷹羽という人物は、計り知れない未知の部分が多い。 「・タカバ」 「…いちいちフルネームで呼ばないで。名前で呼んで良いわよ」 「…」 「なにかしら? 」 一瞬の沈黙の後に名前を呼んでやれば、は実に満足そうな笑みを浮かべる。 それは、彼女に対して何かしら特別な感情を抱いていないブレッドですら、思わず目を奪わずにはおれないほどに、眩しい…笑顔。 それでも、彼が虚をつかれたのはほんの一瞬。 常日頃『分析』『解析』といった分野に身を置くブレッドは、己の奥にあった未知なる感情を自覚するのも非常に早かった。 というより、今ので完全に『確定』が出来た。ただそれだけのことではあったのだが。 「君はゴウ・セイバにひけを取らないくらい、興味深いな」 ブレッドにしてみれば、『褒め言葉』のつもりで言った言葉だったのだが。 「………興味深いと言ってもらえるのは嬉しいけど、豪君と同列に並べられてもねぇ…」 対するは、なんとも曖昧な表情を浮かべて応える。 だが口元がかすかに歪んでいるところからして、彼女が『嬉しい』と思っているわけではないのは確かだ。 「君と話していると飽きがこない。話が予想もつかない方向へと進んでいくからな。 そういうところが、予想もつかないレース展開を導くゴウ・セイバの走りと似ている」 「………ま、私は芸術肌の人間だから。 普通の人間の尺度とは若干違うところもあるでしょうね」 ひょいと肩をすくめると、は再び視線をエキシビジョンの方へと移す。 「……ところで、今度よければ君の演奏を聴かせてくれないか。 たまにはエーリッヒやユーリ以外の人間に聴かせてみるのも、悪くないと思うが」 「そういうことなら、喜んで。いつでも声を掛けて頂戴」 二つ返事でがブレットの頼みを承諾した、その直後。 レースの終わりを告げる、ファイターの実況アナウンスがドーム内に響き渡る。 アイゼンヴォルフチームの勝利を高らかに告げるアナウンスに、がなんとも複雑な表情を浮かべたのを、ブレットは見逃さなかった。 (……無理もない、か) かたや自分の弟が所属する故国のチーム、かたや自分の友人たちが所属するチーム。 どちらも応援したいし、どちらにも勝って欲しい。そう思うのが当然の心理だ。 いつもなら監督や手伝いの子が待機している場所にいるが、ドームの客席からレースを観戦していたのも、おそらくはその辺の問題が絡んでいるのだろう。 とはいえ、そのおかげで他の邪魔が入ることなく、じっくりと一対一で話をする機会があったワケなのだが。 「残念ね。勝ち星から言えば、アイゼンヴォルフに負けて欲しかったんじゃないの? 」 「まあな」 いともあっさりと返答があったことに、は驚きを隠せずにはいられなかった。 「随分と正直ね。てっきり軽くかわされると思ってたのに」 元来クリクリとした大きな瞳を更に大きく見開いて、感嘆とも感心ともつかぬ溜息を一つつくその姿は、なぜか年相応に幼なびて映る。 が年相応の少女に見える事実に安堵を覚える自分に、ブレットは自嘲の笑みを浮かべつつ、答えを口にする。 「君相手にそういう真似が出来るほど、俺も器用じゃないんでね」 「よく言うわ。私は君を軽くかわす自信なんて、ないわよ? 」 だがそういう言葉とは裏腹に、はひょいと肩をすくめてみせた。 その表情は、十二分にブレットを軽くやり過ごす自信がある、と告げている。 (………現に、今も似たようなものだしな) どちらかといえば、シュミットたちへのお節介というよりは、純粋な好奇心から言葉が口をついて出たようなものではあるが。 どこか自分たちを高い位置から見下ろすような、自分たちとは全く違う何かを持っているは、時たま自身を完全に覆い尽くす壁を創り上げる。今回もその壁に阻まれて、結局彼女の真意はわからず終いだ。 「それじゃあまたね、Cool boy」 ブレットがそれ以上答えようとしないのを、会話を終了させたがっている態度と見て取ったのか。はくるりとブレットに背を向けて、歩き始めた。 「どこへ行くんだ? 」 「決まってるでしょ、弟たちの処よ」 肩まで伸びる漆黒の髪を、風に優しく揺らせながら颯爽と歩いていく後ろ姿は、まるで社会に出て働くキャリアウーマンのよう。毅然としていながらも、自分自身への絶対的な自信すら醸し出すその後ろ姿を眺めつつ、ふと思う。 (彼女は、本当に俺たちと同年代なのか………?) 自分たちよりも上の位置から物事を見ているような言葉といい、キャリアウーマンばりの颯爽とした後ろ姿といい、どうも同年代の少女とは思いづらい。 むしろ、自分たちよりももっと年上の……女性と言った方がしっくりくるような、そんな錯覚さえ覚えながら、ブレットは視線を移した。 「………つくづく、お前たちも厄介なのに惚れちまったもんだな」 届かぬことを承知で呟くその言葉の向ける先は、下で勝利の歓声に応えて手を振るアイゼンヴォルフのメンバーたちだ。 「ミハエル専属の楽士」というポジションにあるが、かの無敗の帝王にとって殊の外お気に入りの存在であることは一目瞭然。 エーリッヒやシュミットに関しても、時折彼らの見せる表情を観察していれば、少なからずに対して好意を頂いていることは、これまた一目瞭然だ。 一方のも、ミハエルに対してはかなり適当なあしらい方をしているようだが、シュミットやエーリッヒには相当に打ち砕けている節がある。おそらくはミハエルの我が侭に振り回される同志…にも似た感情もあるのだろうが、純粋に二人が好きだからというのも理由の一つだろう。 そこまで考えていて……冷静な分析を下す脳とは裏腹に、一種不快感にも似た奇妙な感覚が身体の一部を侵食していくことに気付く。 (…………思ったよりも、毒されてるか………) 緻密な計算と分析、それらに基づいて現実に起こるであろう未来を予測し、ほぼ百パーセント完璧な対処方法を事前に打ち出すことを目下生業とする自分。 かたや、音楽という形のない芸術を自分の感覚のままに表現し、自らと一体化することで独自の世界を創り出すことを得意とするーーー天性の音楽家たる。 性格も、根本的な考え方も、得意とする分野も。 ほぼ全てが自分と対極に位置する、赤の他人。 共通点などほとんど皆無な相手だというのに。 なぜこんなに彼女と共に過ごす時間は、優しくも穏やかで。 このまま時が止まる現実を、幾度となく脳裏に描いたことすらある。 「まあ……、俺もシュミットたちのことをどうこう言える立場じゃないがな……」 呟くブレッドの言葉は、当の本人たちには届くことなく、ドーム内の歓声に掻き消えた。 *後書き… ・書きたい書きたい言ってて、ポツッと書いてみました。レツゴー夢。 でも、なぜかブレット夢。おかしいな、私の一押しはドイツなんだけど? 蛇足ですが、ヒロインはまたもやトリップ設定。本来は20代ですが、トリップした際に少々若くなってます。 なので、ブレッドが違和感感じるのも当然と言えば当然なのです。 |