02.赤と紫と橙


「誰そ彼…………、黄昏か………」

 部屋の中から聞こえてくる喧噪を、懸命に耳から押し出しながら。
私は徐々に赤く染まっていく、暮れなずむ空を見上げていた。


 顔をつきあわせれば、ほぼ8割の確率で言い争いを始める邪羅とリーヴィ。
ラスをはじめ、サティンとセスランも大集合したのは、カラヴィス公国の公女にして浮城の魅縛師・リーヴシェランの部屋である。珍しく集まった彼らのうちには何か用事があった者もいるのかもしれないが、若人二人の言い争いを眺めている余裕があるのだから、さほど切羽詰まった事態というわけでもないのだろう。というか、案外暇つぶしの為にここに来たのかもしれない。
 とはいえ、あくまで人事として傍観していられるサティンやセスランはともかく、私は彼らの言い争いを平静な目で眺めていることなどとても出来はしなかった。

 出来るはずもない。
 自分が想いを寄せる相手が異性と楽しそうにしている(?)のを見て、平静でいられる人間というのがいるのだとしたら、是非ともお目にかかってみたいものだ。

 まして私は考えていることがすぐに顔に出る体質であるからして、もしもずっとあの部屋の中にいたら無意識下にリーヴィを睨みつけているに違いない。
 そして更に、部屋の中にサティンやセスランがいるのだから、そんな素振りをちらりとでも見せれば、間違いなくからかわれる。そうに違いないのだから。

 本当言うとさっさと部屋から立ち去ってしまえばいいのだろうが、何も言わずに部屋から去るのも気が引けるし、もう少し邪羅の姿を見ておきたい。

 なので私は、丁度開いていた西向きの窓から外に出たのだ。
 窓のひさしの上に乗って見れば、両手で空が掴めそうな錯覚に陥る。
 それほどに、ひさしの上というのは案外開放的なものなのだ。

「どこにいるのかと思えば、無駄に自分の力を誇示してどうするつもりだ? 」
 揶揄する響きの混じった美声が聞こえてきたかと思うと、次の瞬間、私の目の前に赤い闇がくぐもる。そうして黄昏よりも赤い闇を纏った青年――闇主が姿を現した。

「別に力を誇示してるわけでもないわよ。ただ空を近くで見たかっただけ」
 私は内心、なんでここに来るんだよと目の前の男に対して悪態をつきつつ、適当に言葉を返す。私の行動の意味全てを見透した上で、こういうやり取りを仕掛けてくるところをはじめ、どうにもこの闇主という青年は苦手だ。だが相手はそれを知っていてわざわざちょっかいを出してくるのだから、つくづく性格の悪い…否、性根のひねくれ曲がった奴である。

「そんなに色つきのガキがいいなら、紹介してやらんでもないが」
 底意地の悪い笑みを浮かべてさらりとのたまう闇主の言葉に、私はカチンときた。
思わず彼の顔面に拳を見舞ってやりたい衝動に駆られながらも、なんとか堪えることが出来たのは我ながら奇跡だとしか言いようがない。

「いらん世話を焼く暇があったら、自分の恋路をどうにかすれば? 」
 目には目を、歯には歯を。かの有名なハムラビ法典のそれに従い、私は相手に負けず劣らず底意地の悪い笑みを浮かべて言い返してやった。

「人の親切を足で踏みにじるとは良い度胸だな」

「お褒めにあずかり光栄です」

 わずかに表情を変えた(微妙に額に青筋が立っている)闇主に対して、私は抑揚もなく平坦な言葉を並べて一礼した。



、そこにいたのか」
 闇主と睨み合っていた私を呼んだのは、凛としたアルトヴォイス。
聞き覚えのある声に下を覗き込んでみれば、抜き身の刃を思わせる迫力美人と顔が合う。

「ラス。邪羅とリーヴィの喧嘩、もう終わった? 」

「いや、まだだが…」

「まだやってんの、あの二人」
 思わず口をついた言葉は、呆れたような色を帯びるのと同時に苛立ちの色も露わにしたものであったから。私は慌てて口を両手で塞いだ。

 だが、覆水盆に返らず。
 一度口にしてしまった言葉を取り消すことなど、出来るはずもなく。

? どうした? 」
 案の定、私の声音に何か感じるところがあったのか。ラエスリールが怪訝そうな面持ちで私の方を見上げてきていた。

「なんでもないってば。気にしない、気にしない」
 私は精一杯の意地を張り直し、表面上は明るい声音で返事をした。

 そうか、と納得したような言葉がラエスリールの口をこぼれ落ちたので。
 安堵した私は背の翼を広げて窓際へと下りると、窓の桟に腰を降ろした。

 部屋の中を覗き込んでみれば、なるほど確かにまだまだ喧噪はやみそうもなく。
 私はなんとも複雑な心情になりつつも、視線を暮れなずむ空へと移した。


「………は、邪羅とリーヴシェランの喧嘩を見るのが嫌なのか」
 唐突に。前触れもなく、ラエスリールが口を開く。

「は、い? 」
 いきなり核心をつかれて、私は言葉らしい言葉がでない。

「あの二人が喧嘩を始めると、はいつもどこかに行ってしまうだろう?
だから、もしかしたらそうじゃないかと思ったんだが……」
 琥珀と紅の、左右入れ違いの双眸で私を真っ直ぐに見つめながら、ラエスリールは問うてくる。吸引力無限大の魅了眼を使わなくても、ラスの真摯な眼差しは魅了眼のそれに匹敵するに十分な力を持っていると思うのは私だけだろうか。
こんな目で見つめられたら、とてもじゃないが嘘なんてつけやしない。

 さあてどうしたものかと私が考えている、と。

「言われてみれば、ラスの言う通りね」
「確かに、若人二人が喧嘩を始めるとの姿は部屋の中から消えますよね」
 ニコニコと人好きするような顔を浮かべた男女二人が近づいてくる。
砂色の髪を持つ姉御肌の美人がサティン、穏和そうな印象のあるブロンズの髪の青年がセスランである。どちらもラスが兄・姉と慕う相手であり、同時に一筋縄も二筋縄もいかない非常に厄介な相手だ。その証拠に彼ら二人の顔には、新しい獲物が罠にかかったと言わんばかりの捕獲者の笑みすら浮かんでいたから。

「え、あ………」
 冷静に考えてみれば、ここで翼を広げて大空へ飛び立ってしまえばよかったのだろうが、
不思議なことに足が地面に縫いつけられたかのように身体が言うことを聞かなかった。
 ゆえに、私は一歩また一歩と距離を縮めてくる二人をただただ待っているしかできない。

「騒がしいのが嫌い、というわけでもないわよね。
だって貴女自身も、よく闇主とくだらない口喧嘩しているものね」
 穏和な笑みを浮かべたサティンは、そう言いながら私の右横へと移動してくる。

「騒がしいのが嫌いと言うより、あの二人の言い争いを見るのが嫌いなんでしょうね。
私たちは見ていて面白いと思っていますけど、貴女は見ていて不機嫌になるようです。
それを周りに見せたくなくて、敢えて部屋からいなくなるのでしょう? でもそこまで気を遣って頂かなくても、今ココにいるほとんどの人たちは貴女の事情がなんとなくわかってますから、大丈夫ですよ」
 かたやのほほんと聞き捨てならないことをずらずらと並べ立ててくれたセスランは、サティンとは逆、つまり私の左側へと移動した。

「……………」

 前門の虎、後門の狼とはまさにこのことかもしれない。


 やばい、やばいぞ、私。
 この状況をどうやって、切り抜ける???


 現実逃避でもしようかと、ふと窓の外へと視線をやれば。
紅とも紫とも橙ともつかぬ、不可思議な色彩に染め上げられた空が目に入る。


「………ところで、妖主って確か五人だったよね? 」
 敢えてサティンやセスランに話を振らず、私はことの成り行きに唖然としていたラエスリールへと話を振った。

「あ、ああ」
 いきなり話を振られて驚きながらも、彼女は返事をくれる。

「深紅に紫紺、白焔、金……あと一人は何色だか知らないけど。
一体どういう基準であの色になったんだろう……??? 」

「……そう言われてみればそうね。なんだか統一感のない色ばっかりだわ」
 私の突拍子もない言葉に、意外にも真っ先に食いついてきたのはサティンだった。
内心よっしゃあ!とガッツポーズをとりながら、私はさらに話を続ける。

「でしょでしょ。せめて色の三原色+αとか、金銀銅+αとか、いっそ戦隊もののカラーリングならわかるんだけど、あれじゃあバラバラもいいところだと思うの」

「戦隊ものとは、なんだ? 」
 ラスが不思議そうに小首を傾げる。

 あぁ、そうか。戦隊ものなんて言っても、こっちの人はわからないか。

「子供たちの味方、正義のヒーローたちのことよ。
メンバーが五人いるんだけど、色が赤・青・ピンク・緑・黒に統一されてたんだ」

「正義のヒーロー、ですか? それはちょっと妖主には当てはまらないんじゃあ……」

「「確かに………」」
 セスランのナイス突っ込みに反応する、ラスとサティン。


「ちょっとみんなで何の話してるの? 正義のヒーローって何? 」
 ここでようやく喧嘩をやめたのか、リーヴシェランが集まっている私たちの元へやって来る。

「いや、実は………」
 ラエスリールがたどたどしいながらも先ほどの話について話し始める。
どうやら話題のすり替えにはなんとか成功したようだ。

 ほっと胸を撫で下ろしたところで、ふと視線を感じて。
私は訝しみながら、視線の来る方へと振り返った。

 その先にいたのは、漆黒の瞳と虹色の髪を持つ美女・彩糸だ。
 リーヴシェランの護り手である彼女は、なぜか護るべき相手の方ではなく、私の方へと視線を向けていたのだった。

 なんだろう、と思って首を傾げるが。
 彼女の愁いを帯びた漆黒の瞳を見た瞬間、その理由に気づいてしまった。

 そして。

 私が彼女の視線の意味を読み取ったことを、確信したのだろう。
 彩糸は、ふわりと哀しげに微笑んだ。


 あぁ、そうか………。
貴女も、報われない恋をしてるんだったっけ……。
もっとももその感情を果たして恋情と呼ぶのかすら、わからないけれど。


 胸を締めつけられるような、小さな痛み。
 果たしてこれは私自身の感情なのか、彩糸の感情に呑み込まれてのことなのか。

 自分の心の動きであるはずなのに、それすらわからなかった。




「……呆けてるみたいだけど、大丈夫か? 」
 周りの賑やかな声すら耳に入らないほど、自分の感情に向き合っていたはずなのに。
かけられたその声は、私の全身にくまなく響き渡った。

「大丈夫。ちょっと考え事、してただけだから」
 ぐしゃぐしゃに乱れていた心の中に無理矢理蓋をして、私は邪羅に向き直った。
出来るだけ、自然に笑った………つもりだった。

「泣きそうな顔してどこが大丈夫なんだよ」
 返ってきた言葉は、半ば呆れを含んだようなものだったけれど。
真っ直ぐに私の顔を覗き込んでくる藤色の双眸は、心配だと言わんばかりの光を灯していて、その表情は明らかに私を気遣っていることがわかるものだった。

(なんで、そんな顔………するのよ……)

 心配してもらえることが、嬉しくて。
 馬鹿みたいに瞳から涙がこぼれ落ちてくる。

「って、どうしたんだよ! 俺、なんか気に障るようなこと言ったか?! 」

 違う、と言いたかった。
 けれどぼろぼろに涙が流れてくる今の状態では、口を開いても嗚咽しか出ない。

 だから私は、懸命に首を振ることで否定する。

「ちょっと、邪羅! を泣かせたわね!! 」
 騒ぎに気づいたリーヴシェランは、相変わらずの甲高い声で怒鳴る。
その声で他の面々もこちらの様子に気づいたのか、視線を投げかけてくる。

「俺じゃない……と言いたいところなんだけど、どうなんだ? 」
 困惑の色を露わにした声音で問われても、私は答えられない。
答えようとしても、まともな声なんて出るはずもないのだ。

 だけどこのままでは、どうやっても事態は好転しない。

(センチメンタルな気分に浸る時は、周りをよく見てからじゃないと駄目ね)

 そんなことを思ってみても、今更もう手遅れだ。


「単に故郷が恋しくなっただけじゃないのか? 」
 進退窮まった私の耳に、相も変わらぬ揶揄の言葉が届く。

「闇主! 」
 ラエスリールが虚空にふっと現れた護り手を叱咤する。
だが、相手はまるで怯んだ様子もない。


 私は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、虚空に浮かぶ闇主を睨みつけた。
 そうして背の翼を羽ばたかせ、一切の束縛のない空へと真っ直ぐに舞い上がる。
 右手に握り拳を作って、闇主の方へ一直線に。

 だが相手の方が一枚も二枚もうわてで。
 彼はギリギリ拳があたる直前で、その姿を掻き消す。

 もっとも、私もそうなるであろうことはわかっていたから。
 そのまま虚空に消えた闇主を追うかのようにして、私は空高く舞い上がった。







 鮮やかな赤・紫・橙・茜・深紅。
 それらの色が混在する夕暮れ時の空で、まっ白い雲は存在しない。
 そのどれもが色彩に染められ、様々な色に変わっている。

 周りにあるのは、沈みゆく太陽と雲と吹きゆく風のみ。

 誰もいない、私しかいないその空間で。
 私は声を上げて、涙を流した。

 どうしようもなく涙が流れてきて。
 どうしようもなく泣きたくて。

 泣きたいはずではないのに、涙が溢れてくるなんてよくあること。
 そう。今回だって、たまたまセンチメンタルな気分から泣きたくなっただけ。

 誰のせいでもない、気持ちの問題なのだから。



 暮れなずむ空、漆黒の翼を広げた堕天使の号泣する声だけが響くーーーーー。








「気が済んだか」

 ようやく涙が出なくなった頃。
 まるで頃合いを見計らったかのように闇主が姿を現した。

 赤い闇を纏う者。
 黄昏どきの空よりも、なお暗い紅。
 夜よりも深い、闇を纏う者。


「………ありがと」
 私はただその一言を口にした。

 あの時あそこから逃げ出すきっかけをくれたのは、他ならぬ彼だ。
 わざと私を怒らせるように差し向けて、結果、助けてくれた。

「なんのことだ? 」

 そして、思った通り。
素直じゃない魔性の王は、思いっきりしらばっくれた。

「気まぐれでもなんでも、おかげで助かったわ」

 それでもめげずに私が感謝の言葉を口にすれば、闇主はなんとも不機嫌そうな表情のままでそっぽを向いた。


(照れてるのかね、あの反応は………???)

 一瞬だけそう思ったものの。
 照れるなんてことするような、可愛い性格の持ち主じゃあないことを知っていたから。

 目の錯覚だと思って、その感想は自分の心の奥深くにしまい込んだ。



post script

 お題沿いと銘打ちながら、全然お題沿いじゃない話。
 時間軸は原作ではありえない設定ですが、ドリームなので何とぞご容赦下さいませ。

 ヒロイン→邪羅という設定上、やはりこのネタは欠かせないでしょう。本当はもっと軽い感じにするはずが、センチになり過ぎたヒロインが泣き出してしまったところは本当に書いててビックリでした(汗)。
 しかも、邪羅贔屓のはずなのにどうして赤男が目立つのか。謎だ…。


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