ふと…、幼い時の夢を見た……。




【過去の記憶…】





 目をつぶったのは確か、次に身体を襲う激しい激痛を予感してのこと。




 その日、私は友達と一緒にテニスモドキをして遊んでいた。テニスラケットを使ってボールを適当に打つ、ただそれだけの遊び。思いもよらない場所へ飛んでいくボールを捜すのが楽しくて、馬鹿みたいにボールをあちらこちらへ飛ばして遊んでいた。
 そうして遊んでいるうちに、友達の打ったボールが公園の西側へと勢いよく飛んでいってしまったのだ。
 公園の西側は自分の領域であったから、ボールを取りに行く役割は私で。

 その日私たちが遊んでいた公園は、団地内ながらも周りを緑に囲まれた所だった。斜面上に立てられた団地ゆえに、平面にしようとしてもかすかな傾きが生じるのはどうしようもなくて、木々の多い繁る公園の西側は、背の低い子供の視点から見ればちょっとした崖のようになっていた。と言っても、少し足を滑らせたところでかすり傷一つで済むような安全な場所であったが。

 ゴロゴロと転がるボールを追いかけながら、せめて西側の崖モドキにさしかかる前には捕まえてやろうと、頑張る私。

 だが、そんな努力も空しく。

 転がるのを止めようとしていたボールは、崖モドキの斜面へ転がり落ち、足場の悪い崖の勾配を再び勢いよく転がっていってしまった。
 仕方なく私は崖モドキの手前にある自分の胸丈ほどの柵を乗り越え、斜面を必死で下っていく。コロコロと転がっていったボールは、落ち葉の絨毯を敷き詰めた斜面をやや速度を遅めながらも、転がり続ける。

 その一連の行動は、まるで私の手元に戻りたくないと駄々をこねているよう。

 そんな風に思えるのは気のせいだと、夢を見ている私は毒づく。
 だが少なくとも、当時10才であった私にはそう見えたらしく、それがたまらなく腹立たしかった。そしてなんとしてもボールを捕らえてやろうと、必死になって崖モドキを駆け下り、落ち葉の絨毯を踏みしめてボールを追っかけていく。

 落ち葉の絨毯の先には、背の高い柵があり、その先には道がなかった。
 一体どういう思惑でそんな作りになっていたのかはわからないが、柵の向こう側にはわずかな足場があるのみで、そのすぐ先には高さ10メートルほどの落差があるだけだったのだ。
 そしてその下は、全てコンクリートで固められた緩やかな傾斜のある固い地面。
堕ちれば良くて足の骨折、悪くて全身打撲、もしくは打ち所が悪ければ即死する可能性だって否定できない状況であった。

 ボールはコロコロと転がっていく。

 なだらかに続く斜面に助けられて、勢いをより増しさえしながら転がっていく。

 私はそれを躍起になって追っかけていく。
 もう少し年齢が幼ければ、途中にあった大きな柵で立ち往生していただろう。
 しかしあいにくと10才という年齢ならそこそこの身長はあるし、小さい頃から柵をよじ登っては跨ぎ越して団地中を探検していた私にとって、身長よりちょっと高いだけの柵などすでに障害物でも何でもなかったのだ。

 身長よりも高い柵を難なくよじ登り、ひょいっと身軽に地面に着地する…はずだった。

 もしもいつも通りなら、綺麗に着地して、ボールを追撃する体制に入っていた。


 だけど、その日は違った。


 よりにもよって私の追っかけていたボールが、私の着地するちょうど足下でピタリと止まっていたのだ。背の高い芝生たちによって動きを封じ込められて。

 いや、それはもしかしたら“精霊の導き”というやつだったのかもしれない…。

 着地した地面にあったボールに足を取られて、私は思いっきりバランスを崩す。それでも、たたらを踏んでなんとか身体のバランスを保とうと必死になる。それは意識した上の行動ではなく、無意識の行動であり、本能的な行動なのかもしれない。

ただ、この時はその本能が仇となった。

 たたらを踏んだ右足は、宙を踏んでいた。
 その先にもう足場となる地面はなかった。あるのは、何もない空間のみ。


 全体重をかけていた右足は、身体を支える術を失った。


 右足が大きく下に沈み込み、身体の中で一番重いであろう頭が重力に引きずられ、それに呼応するように背中が大きく後ろへのけぞる。
 こうなってはもう、大地を踏みしめる左足には何の役割もなさない。身体を起こそうとする自分の力よりも、重力の方が遙かに強いからだ。


 身体が大きく虚空へ投げ出される。

 フワリと、身体の奥に埋め込まれた臓器たちが宙に浮いた。

 身体を襲うのは、ゾクリとする不快感と不思議なくらいにさっぱりとした空白感。



 それは、ほんの一瞬のことーーーー。



 一瞬、虚空に浮いた身体は、重力によって下へ引きずり落とされる。

 まるで罪を犯した罪人を地獄へ引きずり落とす手のように。
 その力は、残酷無比なまでに強く、圧倒的だった。




 身体を襲うはずの激痛は、なぜかいつまで経ってもこなかった…。




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「……夢、か…。」

 ようやく夢から解放されて、なんとなく安堵したの口元から溜息が漏れる。
身体にかけていた布団を握る両手には、ベタベタと冷や汗すらかいていた。

 なぜか上がっていた呼吸を整えて。
はベッドのそばに置いてある時計に目を向ける。

『午前5時37分』

 もうそろそろ起き出して朝食を作らなくてはいけない。
 夜遅くまで起きていることの多い上の兄はともかく、下の兄は日が昇るか昇らないかの早い時間に起きてトレーニングに行っているのだ。
 ちょうど帰ってきた頃に温かい朝食を用意しておいてあげるのが、家族の役目…妹である自分の役目だとは思っている。

「さあて、今日の朝食は何にしようかなぁ〜?」
 は大きく伸びをすると、昨日のうちに用意しておいた今日着る服に着替えるために、着ていたパジャマをバサバサと脱ぎ捨てた。


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