「え? 家族旅行? 」


 妙にウキウキとしている母から聞かされたのは、まさに寝耳に水な出来事だった。





【もう、会えないかと思った】




「そう、なんと熱海に行く事になったの! 熱海よ、熱海?! 熱海って、静岡県だからほとんど本州の真ん中よ? お母さん、一生行けるとは思わなかったんだけど、常連さんのご親戚が熱海で旅館を経営なさってるんですって。
折角だから行っておいで、って言われて………行きますって答えちゃった★ 」
 年甲斐もなくウキウキと弾んだ声で話を続ける母さんの姿に、私は呆れる反面、相変わらず若いなぁ、と思いつつ。

「……別に母さんがいいなら、私は何も言わないわよ」
 肩をすくめて私がそう言うと、母さんは一気にパアァッと表情を更に明るくした。

「ホント? じゃあ早速旅行の準備して頂戴! 善は急げっていうでしょ? 」

「今から? 」

「そう。今から」

 いくらなんでも急すぎるんじゃないの?

 そう思ったけれど、あまりに楽しそうな母さんの様子を見ていて、結局言うに言えなかった。
考えてみれば、父さんが亡くなってから母さんはずっと働きづめだ。たまに骨休みでもしないと、過労で倒れてしまうことだってないとは言い切れない。多分、常連さんたちも同じことを考えて、母さんに慰安旅行を勧めたんだろう。
 私も母さんを休ませる事に異論はないし、母子水入らずの旅行は滅多にない親孝行する機会でもある。それにまだ行った事のない本州の真ん中――なにせ私たちの住んでいる場所は、本州から遠く離れた南西諸島の小島であるーーにも興味はある。

 ただ一つだけ、心配なのはーーーーー。
 この旅行の期間中は、尸魂界へは行けないということ。

 起きている時には居酒屋の若女将をしている私だが、なぜか『眠っている間だけ、魂魄の姿になって自由に世界を行き来出来る』特殊能力を持っている。なので、たいていの場合、就寝中は尸魂界へ行って死神業を務めているのだが。
 どうやら肉体と魂魄の状態というのは、切っても切れない関係にあるのか。身体が極端に疲労している時には、眠っていても魂魄の姿で移動する事ができないようなのだ。
 実際、行ってみないとわからないのだが、九州まで出た日ですら魂魄移動が出来なかった私だ。まして本州の真ん中部分にある静岡まで行くともなれば、疲労の度合いは推して知るべし。

 せめて出発が明日だったら、今日行った時にでも日番谷隊長に事情を話す事も出来たのだが、これほど張り切っている母さんに『明日にしよう』なんて言えるはずもなく。

 結局、あちらへ何の報せも出来ないまま、旅行へと出かける事になったのである。






「ここしばらく姿を見せませんね、
 冬獅郎宛の書類を持ってきた乱菊は、用事を済ませた後。すぐに仕事に戻るかと思いきや、ちゃっかりと隊首室の一角に腰を降ろしたかと思うと、世間話よろしく口を開いた。

「ああ」
 一方の冬獅郎は、視線は書類に落としたままで、相槌だけを打つ。

「どうしたんでしょうね。
あの子に限って、報告なしに何日も無断欠勤するなんて考えられないですし…」

 ふうっと悩ましげに溜息をつきながら、乱菊は脳裏に話題の人物の姿を思い描く。
取り立てて美人でも、掛け値無しの美少女でもない、容姿はいわゆる十人並み。日差しの強い南国の生まれだからか、肌はやや浅黒いものの、それが逆に健康的な様子を思わせる。つぶらな黒真珠の瞳と濡れそぼつ烏羽色の黒髪、小柄で華奢な体躯。
どこにでもいる普通の少女ではあるのだが、浮かべる笑顔は柔らかく。それでいて見ている者を和ませる、不思議な雰囲気を持っていた。

 職業上、死と隣り合わせという状況下に身を置く死神たちにとって、穢れ一つ無い彼女の無垢な笑顔はまさに「癒し」。例えるならば、慈悲溢れる女神の微笑みも同然。
ゆえに、十番隊のヒラ隊員(兼四番隊・精神治療部所属)であるにも関わらず、護廷十三隊に所属するたいていの者が彼女の存在を知っていたし、ひそかに男性死神たちの間では『尸魂界の聖女』として憧憬の対象でもあった。

 無論のこと、自身は自分が尸魂界の死神たちの中で確たる人気を博していることなど知るよしもないのであるが。


「ああ」
 乱菊の言葉に同意する己の心を完全に隠し通したまま、冬獅郎は何の気なしに再び相槌を打つ。その間、書類の上を滑る筆は休められることはない。

「何かあったんでしょうかね? 」

「ああ」

「……もしかしたら、急に体質が変わって魂魄移動出来なくなったとか……」

「ああ」

 一向に同じ返答しか戻ってこないことに気付き、乱菊はひそかに眉を潜めるが…。
それも束の間のことで、すぐに表情は”獲物を狙う肉食獣”にも似た怪しい笑みに変わった。

「……………。そういえば、この間、の好きな人が誰だか聞いたんですけど」

 乱菊の言葉に、冬獅郎の筆を持つ手が一瞬止まる。

「ああ」
 だがすぐに、筆は何事もなかったように書類の上を走り出す。

「なんと驚いた事に、山本総隊長なんだそうですよ」
 乱菊が揶揄の色濃い声音で、冬獅郎の耳元で囁くと。


 冬獅郎は黙って筆を置き、後ろを振り返った。


「………松本、俺で遊んでる暇があるならさっさと仕事してこい」
 間近に迫った乱菊の美貌も、見慣れた冬獅郎にはなんの感慨もない。
もとより彼の心のうちには、既に一人の少女が住んでいるから、当然と言えば当然か。

 鮮やかな翡翠の双眸に宿る光を、より険呑なものにして自分を見据えてくる上司の姿に、乱菊は慌てず騒がず一歩分後ろに退いた。

「なんだ、ちゃんと聞いてたんですか? それに随分と余裕ですね。
本当にの好きな人が山本総隊長だったらどうするんですか??? 」

「絶対にありえねえよ」
 冬獅郎は、乱菊の情報を一言で容赦なく切り捨てる。

「自信たっぷりですけど、何か根拠でもあるんですか? 」
 妙に自信たっぷりに切り捨てた冬獅郎の顔をまじまじと眺めながら、乱菊はずいっと相手に詰め寄った。

「あいつの態度を見てればすぐにわかる。で、何の用だ」
 詰め寄ってきた乱菊を慣れた様子で押しやると、冬獅郎は早速本題に入った。

「隊長。のことが心配なのはわかりますけど、もう少し霊圧落としてくれません?
隊長の霊圧に当てられて、次々と隊員たちが四番隊送りになってるんですよ」

 乱菊に言われて、冬獅郎はようやくそのことに気が付いた。
ここ最近、感情の起伏が激しくなっている自覚はあったが、まさか無意識のうちに霊圧まで上がっていたとは思わなかった。感情の起伏どころか、霊圧の抑制まで満足に出来なくなっていたとは、全くもって情けない。

「………わかった」
 ゆっくりと息を吐き、冬獅郎は上がっていた霊圧を周囲に無害な程度まで抑える。


「でも本当にどうしたんでしょうね、

 用事が終わったのかと思いきや、再び同じ話題を振ってくる乱菊に対して、冬獅郎は感情の色のほとんどこもらない返答をする。

「俺が知るかよ」

「気にならないんですか、隊長は? 」

「………わざわざ聞くな」
 実に気のない返事ではあったが、返ってくるまでにかすかな間があった。
そしてそのかすかな間こそ、冬獅郎の抱える本来の思いの顕れに相違ない。

 そのことを敏感に嗅ぎ取った乱菊は、思わずにんまりと笑みを浮かべていた。

「そうですよねぇ。隊長が気にしてないはずないですよねぇ?
だって、今の隊長、すっごくご機嫌斜めですし。
あ、眉間に皺寄せすぎると、本当に皺になっちゃいますよ? 」

「………………いい加減にしないと、終いには本気で怒るぞ……」
 感情が乱れるのと同時、ついさっき抑えたばかりの霊圧が再び跳ね上がる。

「あ〜、いっけない。今日中に仕上げないといけない書類があったんでした。
それじゃあ、隊長、失礼しました〜」
 触らぬ神に祟り無しとばかりに、乱菊はそそくさと隊首室から出て行った。
機嫌の悪い冬獅郎をこれ以上からかうと、ロクなことにならないと感じ取ったからだろう。


「…………ったく」
 溜息混じりに吐き捨てる冬獅郎だが、乱菊が自分を訪ねてきた本当の目的を正確に把握していたせいもあって、表情は意外にも穏やかだった。

 正直言って、乱菊の訪問はありがたかった。
一人で黙々と仕事をしていると、どうしても気になって仕方がないから。

 彼女がたわいもない会話を繋げようとしていたあの時は、気が紛れて幾分楽だった。
一方的にからかわれる形ではあったものの、誰かと話をしているうちは、心の奥底に本音をしまい込んでおくことが出来たから。

 だが、彼女が部屋からいなくなったことで、紛れていた気が再び一点に集まり始める。
 一点とは言うまでもなく、ここしばらく姿を見せないのことである。

 がなぜ、ここ最近姿を見せないのか。


 彼女はそもそも尸魂界の人間ではない。現世の人間ですらないのだ。
は夢を紡ぎ、魂魄となって尸魂界へと足を下ろすに至った、いわば異邦人である。
どうやら生まれつきの体質と、魂の半身が神の血を引く神獣であったことが影響しているらしいのだが、それ以上の事は詳しくわかっていない。
 開発技術局の長である十二番隊隊長はえらく興味を引かれたらしく、是非とも彼女を実験材料にと請うてきたこともあるが、自身が断固拒否しているので、せいぜい血を採って調べる程度しか調べられていない。もっとも彼女が断固拒否しなくとも、冬獅郎は彼女を実験材料として差し出すつもりは毛頭無かったわけだが。


 たとえもうここへ来れなくなると彼女が告げてきたとしても。
 今の自分に、それを承諾してやれる余裕などありはしないだろう。

 そのくらい、の存在は、冬獅郎にとってなくてはならないものであったから。

「………来なくなるなら、事前に言っていけよ」
ここ数日まともに顔も会わせていない相手に対して、冬獅郎は悪態をつく。
だが悪態をつくと言うには、あまりにもその声音は切なさを帯びていた。


 たかが数日の間、姿を見ていないだけだというのに。
ただ一人の不在が、こんなにも心を掻き乱すーーーーーー。


「…………

 呟く冬獅郎の声は、相手に届くことなく虚空に掻き消える。









 常連さんの紹介で割安で泊めてもらっている熱海の某旅館の一室で、私と母はゆったりと午後の一時を過ごしていた。備え付けのお茶はちゃんとした茶葉だし、お茶請けのお菓子も美味しい。

 だけど私は、どうしても気になって仕方なかった。

 旅行に出てもう四日が経つ。
つまり尸魂界へ連絡もせずにいかなくなって、もう四日目になってしまったのだ。
いくらなんでもこれだけ長時間連絡無しに休んでいたら、いろいろとマズイだろう。それどころか、ヘタをしたら死神としての資格無し!との烙印を押されて解雇されてしまうかもしれない。

 多少の罰を受けるのは仕方ないけれど、解雇されるのだけは勘弁して欲しい。
まだ私は、あそこでやりたい事がたくさんある。
それにあそこにいれば、機会さえあれば日番谷隊長に会う事も割合容易に出来る。

 そういえば……、四日も隊長の顔を見ないことなんて今まで初めてかもしれない。


 会いたい、なぁ……。


「どうしたの、? 最近、元気がないじゃない」
 物思いに耽っているところに、いきなり母さんから声をかけられて。
私は内心動揺しまくりながら、それでも平面上は平静を装って答える。

「え、そう? 遠出してるから、ちょっと疲れちゃったのかもね」

「……まるで心ここにあらず、という顔をしていたけれど……。
もしかして……恋煩いでもしてるの? 」

 母さんの突拍子もない言葉――ひそかに図星――に、私は飲みかけていた緑茶を思いっきり吹き出した。

「っっっ、違うってば! いきなり何を言い出すのよ、突然に!!! 」

「違うの? 最近、綺麗になってきたからてっきり恋してるせいかと思ったのに…」

「…………」
 外しているようで確実なピンポイントを狙ってきた言葉に、私は二の句も継げなかった。

 恋煩いではないと、〔はい・いいえ〕どちらかで答えて下さいと言われたら。
 もはや「恋煩いしてます」なんて、白状しなくてはならないのでしょうか。

「………図星ね、

 ニコニコとズバリと確信をついてくる母さんに、私は自嘲気味に笑った。

「………不毛な片想い決定だけどね」
 だって私は、所詮異邦人でしかないのだから。
どんなに頑張っても、私とあの人ではあまりにも違いすぎる。
どれほど足掻いても、月をこの手で掴む事など、出来はしないのだ。

「あら、どうして決めつけるの? 」

「だって……ねぇ」

「母さんだって、不毛な片想いしてたわよ? 父さんに」

「は? 」
 思いも掛けない母さんの言葉に、私はあやうく湯飲みを落とすところだった。

 なんで結婚した相手に、『不毛な片想い』なわけ???

「言ってなかった? 私たち、駆け落ちして結婚したって事」
 私の驚き様を見て、母さんはかすかに目を瞠る。
まるで予想外の答えを聞かされたと言わんばかりの母さんに向かって、

「いや、それは知ってるけど…」
とりあえず私は、なんとか言葉を絞り出して答えを返した。

「今時身分が違いすぎるなんて理由で反対されたのよ?
それでも諦めきれなくて、周りの反対押し切って、無理矢理結婚しちゃったわけ。
私は今でも父さんの親戚から見れば、父さんをたぶらかした悪女でしかないものね」

 あっさりととんでもないことを言ってのける母さんの様子に、私はひたすら目を点にし続けるより他なかった。

「………」
 両親が駆け落ち結婚だというのは、知っていたけれど。
身分違いなんて理由で反対されたとは初耳だ。たしかに父の実家は、やたらと大きな家で門構えも立派で、その上遡れば明治期は華族だったお家柄だったそうだが…。
いくら二,三十年前のこととはいえ……、身分違いなんて時代錯誤もいいとこだ。

「だって仕方ないじゃない。離れたくなかったんですもの。一時も離れたくないくらいに、好きで好きでたまらなかったんですもの。家なんてどうでもよかったのよ」
 どこか遠い目をしながら語る母の姿は、不思議といつもよりも若く見える。
彼女の心の中は、結婚する前の恋する乙女モーションになっているのだろうか。

「届かない、高嶺の花でも……母さんは手を伸ばしたの? 」

「届かないなんてことないわ。だって、私たち、同じ人間でしょう?
種族も人種も同じなんだもの、届かない高嶺の花なんてことありえないわ」
 母さんはそう言って、コロコロと笑う。

 でもね、私は…………私の恋した人は……。
 人間ではなくて、死神なんだもの…。

「たとえ種族とか人種が違ったとしてもね、好きになったら仕方ないもの。
私だったら、届かないなら届くまで必死に手を伸ばすわ。手を伸ばして伸ばして、それでも足りないなら、届くように頑張る。その人が本当に好きで、そばにいたいと思うなら、その為の努力なんて努力でもなんでもないわ。花嫁修業の一貫よ」

「…………母さんは、本当に前向き思考よね……」
 悪く言えば往生際が悪いけれど、良い意味で取るならば最後まで希望を捨てない強さ。
母さんの前向き思考は、どこまでも前向きで。それでいて自分に妥協を許さない。

「そうよ。前向きに考えなければ、事態は好転しないわ。
だからね、。不毛だとか釣り合わないとか、そういうことは考えない事。
でないと欲しい物なんて、何にも手に入らないわよ?
特に恋愛にはね、ずうずうしさと押しが大事なの! 」

「…………そう、だね」
 母さんの言葉をじっくりと噛みしめて、私は息を吐いた。

 そして思い出す。
 どうして私が、尸魂界で死神をやることを決めたのか。
 どうして私が、十番隊で働かせてもらおうと思ったのか。

 私は、少しでも日番谷隊長の役に立ちたかったんだ。
 初めて尸魂界に来たとき、親身になって話を聞いてくれた隊長と乱菊さんに、少しでも恩返しが出来たら…と思って。

 今思えば、右も左もわからない私が死神になったところで、彼らに更なる迷惑をかけることすらあれども、役に立てる事なんてそう多くなかったのに。
 だけどあのときは、とにかく“恩返しをする”ことにしか頭がいかなくて。後ろ向きな思考なんて、どこにもなかった。考える事すらしなかった。

「私は、私にしかできないことを、すればいいんだね…」

「そうよ。そんなことを悩んでいたの? 」

「……まあ、そんなところ。それより母さん、私、今日は少し早めに休んでも良い? 」

「いいわよ」
 母さんは私の唐突な言葉に、何の疑問も返さなかった。
なぜとか、どうしてとか、何も聞かずに。ただ、ニッコリと笑って承諾してくれる。

 どうして店の常連さんが母さんの笑顔を“太陽”と称するのか、ようやくわかったような気がした。




 私は母さんに許可をもらうと、まだ日の高い時間ながらも部屋に布団を敷く。
万一旅館の人に何か言われても、具合が悪いから寝たいと偽るつもり満々だ。
着ていた洋服を脱ぎ、死覇装に着替え直すと、私は自分で敷いた布団の中に潜り込む。
そうして。寝付くまでに時間がかかるかとも思ったのだが、実際に眠りにつくまでにさほどの長い時間は要さなかった。








 もはやお馴染みとなった白明の閃光に導かれて、私は久々に尸魂界へと足を下ろした。
所属は十番隊ではあるものの、四番隊で“悩み事相談室”として一室を任されている私は、今回は任されている“悩み事相談室”に姿を現した。

「さて、と……」

 まずは卯ノ花隊長に、数日不在の理由を言ってこなければいけない。
四番隊に来た以上、ここを無視して十番隊隊舎へ行くのはやはりマズイだろう。

 多分卯ノ花隊長は隊首室にいるだろうと適当に見当を付けて、四番隊隊舎の中を歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「あぁっ、さん!!! 今までどうしてたんですか?! 」

 振り返れば、書類を両手いっぱいに抱えた小柄な少年の姿がある。
やや目尻の下がった瞳に宿る光は、彼の穏和な性格を如実に顕しているのか。さほど私と変わらぬ背丈といい、成人男子にしてはいささか華奢な身体つきといい、どこか頼りない印象を受けるのは否めない。
 しかし四番隊内での実力そのものはけして低くはない。低くないどころか、彼は四番隊の席官・第七席である。上級救護班の班長を務めるだけあって、彼の持つ治癒能力は高い。だが能力そのものは高くとも、要領は悪いらしく、気弱な性格が災いしていろいろと苦労事を一挙に引き受けてしまうのだ。それでもまあ、気性の穏やかな良い人には変わりない。

「いろいろとご迷惑おかけしました、花太郎さん」
 ペコリと頭を下げれば、相手は謝らないで欲しいと言わんばかりの表情を浮かべる。
この辺りの人の良さも、彼らしいといえばいかにもらしい。

「迷惑だなんてそんな事…。あ、でもさんが不在の時に、いろんな方が訪ねてきてましたよ。姿が見えないって言ったら、皆さんすごく心配してました」

「いろんな方って、誰だかわかります? 」

 私の問いに、花太郎さんはしばし記憶を巡らせると、暗記内容を諳んじるかのように次々といろいろな名前を挙げていく。

「吉良副隊長がよくいらしてましたよ。あと、京楽隊長と朽木隊長と市丸隊長、それから日番谷隊長もよくいらしてましたし。あとは……」
 錚々たるメンバーもとい、よく相談室に足を向けて下さる方々の名前をズラズラと挙げた上で、更にまだ続きを言おうとする花太郎さんの言葉を私は途中で遮る。
このままにしておくと、延々と名前が並びそうだったので、つい。

 そ、それにしても、想像以上にたくさんの人に心配かけてるよ、私…(汗)。

「と、とりあえず卯ノ花隊長にご挨拶に行った後、花太郎さんが挙げて下さった皆さんのところに挨拶に行ってきます……」

「それがいいと思います。皆さん、さんの事、すごく心配してましたから。
あ、もちろん僕だって心配してましたよ? 」

 誰かに必要とされる事、気に掛けてもらえる事。

 その嬉しさを噛みしめながら、私は花太郎さんに頭を下げた。

「ありがとうございます、花太郎さん」
 嬉しさで緩む表情もそのままで、笑顔を浮かべれば。
なぜか花太郎さんは、顔を真っ赤にして挙動不審ここに極まれりといった風で、卯ノ花隊長のいらっしゃるであろう場所を教えてくれたのだった。




「失礼致します、卯ノ花隊長。十番隊所属・、入ります」
 前口上を述べた上で、四番隊隊首室の障子を開いた私は、部屋の中を見て絶句した。

 部屋の中にいたのは、穏やかな微笑みを浮かべるたおやかな風情の女性ともう一人。
鮮やかな翡翠の双眸と煌めく銀の髪が印象的な一人の少年の姿があったからだ。

「日番谷隊長……」

 会いたいと、思っていたその人を目にして。
 心の準備も出来ていなかったせいで、必要以上に鼓動が高鳴る。


「お久しぶりですね、。そんなところで立っていないで、中へお入りなさい」
 呆然と立ちつくす私に、卯ノ花隊長が声をかけてくれる。
その声で我に返った私は、慌てて頭を下げると中へと足を踏み入れた。

「最初にお詫び申し上げます、日番谷隊長、卯ノ花隊長。急な事とはいえ、私的な事情で無断欠席し続けました事は、何をもってしても償いきれぬことと承知しております。いかな処罰も受ける所存です」
 部屋の中に入ると、私は卯ノ花隊長と日番谷隊長の前で深々と頭を下げた。
そうして謝罪の言葉を述べれば、あとはもう二人の隊長の処断を待つのみ…なのだが。

「……私的な事情、で済ますな。事情をキチンと説明しろ」

「そうですね。事情いかんによっては、情状酌量の余地があるやもしれません」

「はい…」

 私は二人に事の次第を説明した。
母が突然旅行すると言いだした事、身体に疲労が溜まるとこちらへ渡れない事、今回の旅行が予想以上に疲労を要してしまった事、そして母のいる手前容易にこちらへ渡るわけにも行かなかった事などを。出来るだけ簡潔に話したつもりだったのだが、少々長くなってしまったのは致し方ない。

「以上の理由があったとはいえ、大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした」
 そうして一通りの説明が終わった後、再び私は深く頭を垂れた。


「……なんで二度も謝る必要があるんだよ」

「え? 」
 思いがけない言葉に私が顔を上げると、翡翠の瞳と視線がかち合う。

 こちらを見据えてくる日番谷隊長の表情は、複雑な色を呈していて。
怒っているようにも見えないけれど、機嫌が宜しいようにも見えなかった。

「別に悪いコトしたわけでもねえだろうが。親孝行するのはいいことだろ。
俺が怒ってるのは、お前が俺に一言も無しにずっと出てこなかった事だけだ。今回の場合は、もう仕方ないだろうが。お前を責めたところでどうにもなるわけでもないしな」
 複雑な色を浮かべたまま、私の方を真っ直ぐに見据える日番谷隊長は、そこまで言い終えると視線をちらりと隣へと移した。彼の隣では、穏やかな笑みをたたえる卯ノ花隊長の姿がある。

「私も日番谷隊長と同意見ですよ。ですから今回、私たちが貴女を罰する必要はありません。なぜなら、私たちが罰する事などしなくても、貴女は自分で十分に自分自身を罰しているのですから」
 神託を告げる巫女のように。どこか浮世離れした雰囲気を漂わせる卯ノ花隊長の微笑みは、さながら聖母の百合の微笑みの如し。柔らかく優しい風情を漂わせながらも、その実不正を許しはしない高潔さをも持ち合わせていた。

「卯ノ花隊長……」

「ですが、貴女の性格ではそう言ったところで納得はしないのでしょうね。
ですから、私から一つだけ罰を与えましょう。
貴女には今日一日、日番谷隊長をつきっきりで看護してもらいます」

「卯ノ花?! 」
 にこやかにきっぱりと言い放った卯ノ花隊長の言葉に、日番谷隊長は目を見開く。

「日番谷隊長、どこか具合が悪いんですか?! 」
 一方の私も卯ノ花隊長の言葉にはたと肝心なことを気付かされ、一回日番谷隊長の方へと視線を遣ってすぐ、彼女の方へと視線を移した。

「心配いりませんよ、。彼の病は軽い精神的なものですし、貴女がそばで看護してくれれば、すぐに治りますから。それから、貴女がいつも受け持っている“悩み相談室”の事に関しては、心配する必要はありません。
私が責任を持って、皆さんを説得しておきましょう」
 有無を言わせぬ笑顔で要求を突きつけると、卯ノ花隊長はゆっくりとその場に立ち上がった。相変わらずの穏やかな笑みではあったのだけれども、どこかそれだけではない空気を感じたのは気のせいだろうか。

 それに説得って、どういう……?

「それでは任せましたよ、
 そう言って、卯ノ花隊長は隊首室を後にしたのだった。


「………卯ノ花の奴、余計なことしやがって……」
 当人は既にこの部屋から遠ざかっていることを知った上で、日番谷隊長は悪態をつく。

「あの、隊長……、卯ノ花隊長はあのようにおっしゃってましたけど、隊長が迷惑だと思ったのでしたら、私は普通通りの業務に戻りますけれど……」

「別にお前に文句を言ってる訳じゃない。
それに……言っておくが、俺の方はまだお前に言いたい事が残ってるんだからな」

「はい」

 日番谷隊長は私の方へと視線を真っ直ぐに向けた、かと思いきや。
ふいと逸らしたかと思うと、深々と溜息を吐き出した。

「……余計な心配させるな、馬鹿。
律儀なお前が連絡一つ寄越さずにいなくなったら、誰だって心配するだろうが。
俺はてっきり、体質が変わってこっちにこれなくなったのかと思ったんだからな」

「あ…」
 思いもよらなかった事を指摘されて、私は思わず言葉を漏らしていた。

「間抜けな面してんじゃねぇ。
その顔見ると、その可能性はまるで頭になかったみたいだな」
 日番谷隊長は私の表情を見て、呆れたように吐き捨てる。

「はい……、すっかり忘れてました。
こっちにこられるのが、もうすっかり当たり前になってたので……」

「ったく、呑気なもんだな」
 日番谷隊長の言葉に、私は続ける言葉もなく頭を垂れる。

 己の不甲斐なさに嫌気が差すのと同時、申し訳ないと思う気持ちがこみ上げてくる。

「ホント、そうですね。でも大丈夫ですよ。
万一そういう可能性があるときには、必ず隊長にはご連絡しますから」

「ああ。………だが、しない方がお前の為かもしれない」
 本日二度目の思いがけない隊長の言葉に、私は目を瞬かせる。

「隊長? 」

「……そうしたら多分、俺はお前を向こうに帰してやれない」

「え…」
 それはどういうこと、と聞くよりも。日番谷隊長が行動を起こす方が早かった。

 腕を引かれたと思ったら、肩に重みが乗せられて。
 気付けば、隊長が私の肩に頭をもたせかけているところだった。

「二度と会えなくなると言われて、はいそうですかとおとなしく聞いてやれるほど、俺は大人にはなれそうもねえからな。多分、お前の身動きを封じてでも行かせやしない」
 片腕を引き寄せる手はそのまま、更に私の腕を掴む手に力をこめて。
静かに紡がれる言葉には、嘘偽りを含んでいるとは到底思いがたいほどに真摯な響きが込められていた。

「もう、二度と会えないかと思っただろうが………」


 その響きが、直に私の心を揺さぶる。
 言葉の裏にある想いが真摯であればあるだけ、私の心は歓喜にうち震える。

 舞い上がる心とは裏腹に、期待するなと警告する声が頭に響くけれど。
 そんな響き一つで抑えられる程度の、感情の揺らぎではなかったから。


 視界がだんだんとぼやけていくのを、私は止められなかった。


「ごめんなさい……日番谷隊長…」

「なんでそこで泣くんだよ。これじゃまるで俺が泣かせてるみたいだろ」
 顔を上げた日番谷隊長は、かすかに眉間に皺を寄せるが、怒ってはいないようであった。

「すみません……」

 とめどなく流れ落ちる涙を、日番谷隊長は指で払いのけてくれるけれど。

 頬を伝う空知らぬ雨は、当分やみそうになかった。






*後書き*
・Web拍手第二弾、「もう会えないかと思った」でした。
えらく長い割に、尻切れトンボな気がしないでもない(汗)。
日番谷隊長の夢書くと、やけに想像力を使います。右脳フル回転
それもこれも二人の身長差(20センチくらいだけど)ゆえ。

(06.07.24 加筆修正して再up)

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