一 最初の挨拶
「考えてみれば、挨拶らしい挨拶はしませんでしたよね」
緑茶を煎れたばかりの湯飲みを冬獅郎の机に置きながら、唐突には口を開いた。
「なんだ、藪から棒に」
彼女の呟きを聞きつけて、冬獅郎は書類から顔を上げる。
鮮やかな翡翠の瞳が、真っ直ぐにの漆黒の瞳を見据える。
「いえ、私と隊長が交わした最初の挨拶って、ものすごく簡易なものだったなぁ…って。
ふと思い出してたんですよ」
は冬獅郎の髪についた紙屑を払い落とすと、本当に心を許した相手にしか見せない柔らかな微笑を浮かべた。
「……そういえば、そうだったな」
目の前の恋人の微笑みに、一瞬目を奪われながら。
冬獅郎はそう遠い昔の事ではない、あの時のことを思い起こす。
『? そいつの名前か? 』
『はい、といいます』
『日番谷冬獅郎だ。ところで確認したいんだが…』
「確かに、簡略極まりない挨拶だったな」
頭に伸ばされたの手を取り、その手に自分の指を絡めつつ。
冬獅郎は思い出し笑いにも似た苦笑いを漏らす。
「ですよね」
かすかに頬を染めつつ、は指を絡められた手に、もう片方の手をそっと重ねた。
「ですけど……、そんな私たちが今ではこうしているのですから、本当に人の縁というものはわかりませんね」
はそう言うと、冬獅郎の肩に頭を預ける。
「今更な言葉だな」
滅多に自分から甘えてくる事のないの仕草を、心から愛しいと想いつつ。
冬獅郎は彼女の背に腕を回し、その身体を抱き寄せる。
「ええ、今更です。今更ですけど……思い出したんだから仕方ないじゃないですか」
「……何かあったか? 」
相も変わらぬ冬獅郎の勘の良さに、は苦虫を噛みつぶしたような表情をする。
「………ここに来る前に、京楽隊長とお会いしまして。そこで初めて会ったときの事を、まあ…いろいろと突かれて遊ばれてましたので……」
初めて春水と会ったとき、半ば動転していたとはいえ『渋くて素敵なお声』だの『声も容姿も渋くて素敵なおじ様』などと口走ってたことは、今なおの中で一種の触れられたくない恥ずかしい過去として分類されている。
尤も春水の方は、と初対面したときの事を『嬉しい事この上もない過去』として分類しているらしいが。
「あのおっさんには近づくなと言ってあるだろうが」
京楽隊長の名が出た途端に、冬獅郎の表情はたちまち険しくなる。
「だっていきなり後ろから抱きつかれたら、逃げたくても逃げられないじゃないですか」
「なら、斬魄刀で奴を刺して逃げてこい」
「…………そんなことしたら、私が犯罪者じゃないですか」
困惑したように、はボソリと反論を返す。否、返さざるを得なかった。
の尤もな言葉に、冬獅郎は深く歎息し。
やおら彼は、斬魄刀片手にその場に立ち上がる。
「……日番谷隊長? 」
「二人だけの時は名前で呼べって言ってるだろうが」
冬獅郎の言葉に、は耳まで真っ赤に顔を染めて俯いてしまう。
だがそれからすぐに、彼女は顔を上げると、真っ直ぐに冬獅郎の瞳を見据える。
「……冬獅郎さんは、これから、どちらへ? 」
顔中真っ赤なのはそのままに、しっかりと一句一句を紡ぎ出した。
そんなに、冬獅郎は触れるだけの口づけを落とす。
「……伊勢に助勢してくる」
間近にある漆黒の双眸へ己の姿を映したまま、行き先を告げれば。
はかすかに苦笑いを浮かべ、声もなく笑った。
冬獅郎がどこへ行こうとしているのか、先ほどの一言で理解したのだろう。
「どうかお手柔らかにお願いしますね」
「奴が素直に謝れば、な」
容赦のない言葉を吐き捨て、冬獅郎は隊首室から出て行く。
踵を返す事のないその背中に向けて、はキリスト教徒ではなかったが、十字を切って祈りを捧げる。
なにとぞ、京楽隊長の怪我が軽いものでありますように。と。
その祈りが通じたのか。その後四番隊へと搬送されたものの、三日後には、何事もなかったようににちょっかいを出す春水の姿があったとか、なかったとか。
*後書き*
・短く、それでいて内容のある話を…目指してお題消化。
長さはSSくらいでいい感じですが、肝心な内容は……(汗)。
つくづく書いてて思うのは、身長差がある二人って絡ませるのが難しい。
身長差を考慮しつつ、ベタベタさせるのは…ホント頭を使います。
(06.02.16up)