輪廻に逆らって、魂魄としての生を得たこと。
 女神としての力を手にしたこと。
 この世界に来たこと。

 それらが全て、私自身が選び取ったことでありながら
 まるで定められた必然のごとく、手を伸ばした宿命。


 だけど。
 そのことを後悔するつもりはない。

 輪廻の定めを待つだけでは、けして得られなかったであろう出会いが。
 私の信念や想い、行動理念、それら全てを覆すだけの影響を及ぼす存在に会えたから。

 心から守りたいと思える友人。
 心から心酔し、憧憬・絶対不可侵の美を持つ御方。
 初めて心奪われた、美しすぎる初恋の人。


 そして更に時空を超え、幾つもの世界を超えて。

 私は、貴方と出会った。


 貴方と出会えたこと。
 貴方と出会うまでに経てきた様々な経験。
 無駄なことなんて、何一つなかった。



 それでも。

 時たま、ほんのふとした瞬間。
 生前の記憶が蘇る。


 こんなに私は、今という時を幸せに過ごしているのに。

 どうして………?




【どうか雫さえも消え去る優しさを】




 魘されていたのか、それとも嘆いていたのか。
 それすらもわからないまま、私の意識は夢の淵から現へと浮上してきた。

 欠伸をたくさんしたわけでもないのに、妙に目元が濡れている。

 ゆっくりと上体だけを布団の上に起こし、目元に触れようと手を上げ、頬に幾筋もの涙の筋が残っていることに気づいた。


「…………夢、か」

 わかっていたはずなのに、口にすれば言いようもない寂寥感が襲い来る。


 まだ生きていた頃の、夢を見た。
 父も母も弟も、私の記憶の中に生きるまま、全く変わらず。年も取らず。平和すぎるほどに平和な毎日を送っていた。朝学校へ行って夕方帰ってくる、嫌と言うくらいにワンパターンだった毎日。それすらも、今では懐かしくも好ましくさえ思えてしまう。

 何の変哲もない、代わり映えのしない日常。

 それは、私がもう永遠に手にすることは出来ない、平凡な幸せだから。




「……どうした、? 」
 不意に声をかけられると共に、あたたかいぬくもりが私の頭に置かれる。
ゆっくりと顔を上げれば、心配そうな表情でこちらを真っ直ぐに見据えてくる漆黒の双眸と視線がかち合った。

「……昔の夢を、見ただけです……」
 私はふとすれば泣き声にも聞こえるであろう震える声を抑え、努めて作り笑いを浮かべる。

 そう。ただの夢、単なる夢だ。
 もう一度眠りについて、目を覚ませばすぐに忘れてしまうのであろう、夢。


 すると浮竹隊長は、やれやれと言わんばかりに嘆息を漏らす。

「お前はそうやって、いつも自分の中に全部抱えこもうとするんだな。
吐き出せば楽になれると知っているのに………、そんなに俺は頼りないか? 」

「そんなこと……! 」

「なら、何があったのかちゃんと言えるな? 」
 慌てて否定しようとする私の言葉を遮って、浮竹隊長は言葉を紡ぎ出す。
どうすれば弱音を吐くのか。そのことを当の本人よりもよく知る彼は、言葉巧みに単純な私を扇動し、いともあっさりと導いていく。

 額と額を触れ合わせ、真っ直ぐに瞳を覗き込まれてしまえば。
 私は、この人の言うことに逆らうことなんて出来はしないのに。

 まして今は、心も身体も全てを相手に委ね尽くしたその後だ。
 それゆえ、余計に逆らうことなど出来はしない。


「……生きてた頃の夢を見たんです。両親とか弟とか、学校の友達とか…。
あの時死ななかったら、あのままずっと、平凡な生活をしていたんだろうなぁ…なんて…」

「お前はまだ、死んで数年しか経ってないんだろう? そう思うのも無理はないさ」

 なんのこともないように相槌を打つ隊長の言葉を、遮るような勢いで私は言葉を続ける。

「でもっ、別に死んでしまったこと悔やんでる訳じゃなくて……!
そりゃ、自分で好きこのんで死を選んだ訳じゃなかったけれど、死んで、伊弉冉尊に気に入られて、女神見習いとして新たな生を頂いて……いろんな人たちに会いました。
大事な友達、尊敬と崇拝にも近い念を抱かせる憧憬の対象となる御方、そして……貴方に。私は貴方に会って、本当の恋を知り。愛される喜びを知りました。貴方のそばにいられること、貴方の瞳に私の姿が映ること、それが何よりも幸せで……。
今の生活になんの不満もない、はずなのに……」


 それでも、記憶は蘇る。
 もう何年も前のことなのに、まるで昨日のことのように鮮烈に浮かび上がる記憶。

 まるで幸せだった過去を懐かしむような、この夢は。

 私が現状に満たされていないと言わんばかりではないか。

 不満なんて、一度も感じたことはない。
 浮竹隊長に想いを寄せ、寄せられるようになってからは、殊に。

 喜びこそあれ、不満など感じたことはなかったのに。



「………現状に不満がなくても、昔の夢を見ることはあるさ。
本当にふとしたことで、記憶の扉は容易く開くものだ。違うか?
昔の夢を見たからと言って、俺はお前が現状に不満を持っているとは思わないぞ」
 思考に没頭しかけた私を引き上げてくれたのは、浮竹隊長の言葉だった。
ゆっくりと顔を上げれば、彼は至って穏和な表情を浮かべているではないか。

「……隊長? 」
 思いがけない言葉に呆然とする私の紅唇に、柔らかな熱が落とされる。

 言葉にしていない…否、言葉にするのが怖くて隠していたはずの思い。
 にも関わらず、この人はどうして……それを簡単に見抜いてしまうのだろう。

の顔を見てれば、そのくらいはわかる。お前はすぐに思ったことが顔に出るからな。
少なくとも、俺の隣にいるときのお前は本当に嬉しそうだし、幸せそうな笑顔ばかり浮かべてるぞ。自惚れかと思うだろうが、京楽も似たようなことを言ってたから間違いはない」
 私自慢の黒髪を指で梳き撫でながら、浮竹隊長は言葉を優しく語り紡ぐ。

「…………そんなに顔に出ますか」

「顔に筆で『嬉しい』『悲しい』と直接書いてるみたいに、面白いほどはっきりと出るぞ」

「……………」
 返ってきた答えのあまりの言い切りの良さに、私は思わず沈黙する。
否、沈黙せずにはおれなかった。

 複雑な面持ちになる私の頬にかかる髪の一筋を指で優しく払いのけながら、浮竹隊長は穏やかな表情を浮かべる。

「だから、無理して笑ってもすぐにわかるんだよ。作り笑いなんてやめなさい。
泣きたいときは泣いて、笑いたいときに笑うんだ。
偽り一つない真っ直ぐな心を、無理矢理曇らせるようなことはしなくていい」

 一言一言諭すように紡がれる言葉が、響きが、耳に心地よい。
 耳を通ったそれらの意味ある言葉は、身体を巡る血に溶け合い、心の奥にじっくりと染み渡っていく。


「心の中にある思いに、偽り無く正直に振る舞ってくれ。
辛いとき、苦しいときはそばで俺が支えてやるから」



 あぁ……、本当にどうしてだろう。
 この人の言葉ほど、心の奥まで深く染み渡る言葉はない。

 優しくて、あたたかくて。
 慈愛の響きに溢れながら、朝露のように清くも美しい。

 今更ながら、自分がどうしようもなく彼に惹かれていることを自覚する。


「………はい」
 夢を見た直後に心を覆っていた暗雲が、嘘のように消えていく。
言いようもない寂寥感の代わりに心を満たすのは、穏やかな熱だった。

「いつも笑っていてくれ、
お前の笑顔がそばにあること、それが俺にとっての何よりの幸せだ……」
 伸ばされた腕に閉じこめられて、私は抗わぬままに相手の胸に頭を預ける。
薄い夜着を通して伝わってくる、相手のぬくもりと命の鼓動に溺れるように酔いしれて。

 ゆっくりと顔を上げれば、瞼に、頬に、紅唇に。
 優しい口づけが降ってくる。


「……愛してる」

 熱い吐息と共に、囁かれた。
 ほどなく耳朶に伝わるのは甘美とも言える痺れにも似た痛み。

「あ……っ、」

 痛みを感じたのはほんの一瞬。
 同じ場所を甘噛みされれば、伝わる甘やかな感覚に襲われる。

 襲われるのと同時、ほんの数刻前まで身体を翻弄していた熱が再び沸き上がる。

 頭で考えるよりも先に、私の腕は相手の背へと伸びていた。
 回した腕は、本能によるものか。強く相手の身体を絡め取る。


「………このまま、美味しく頂いても大丈夫そうだな」
 限定された状況下でしか拝見出来ない表情を浮かべながら、妙に嬉々とした声音でそう告げる相手の言葉に、ほんの一瞬、思考が完全に硬直停止する。

 …………美味しく頂く、ってあの……???

「っ、隊長っ?! 」
 ひゅっと紐同士の擦れ合う音がしたかと思うと、夜着と素肌の間へ相手の手が滑り込んでくる。滑り込んできた手は鎖骨を通り、胸の上まで降りてきた。

 ここまでくれば相手の意図するところは、明白すぎるほどに明白で。

 私は思わず声を上げていた。

 そりゃあそうだ。はっきりと言い当てることは出来ないが、多分時刻はすでに真夜中は回っている。回っているどころか、暁にも近い時刻であることは間違いない。
 それなのに、真夜中と同じ感覚でコトを起こされては困るのだ。


「……? 俺の名前を忘れたわけじゃないだろ? 」
 だが私の言いたいことを十二分に理解しているだろうにも関わらず、浮竹隊長の咎めるような声音が真上から降ってきた。そうしたかと思えば、彼の柔らかな長い髪が頬に落ちてきて、更に言葉を続けようとした私の口を塞ぐように半ば強引に口づけが落ちてくる。

「………十四郎」
 間近に迫る双眸の物言わぬ催促に押し切られるような形で、私は相手の名を呼ぶ。

「いい子だ」
 名を呼べば、彼はふわりと笑顔を浮かべる。
こんな状況下でも、浮かべる笑顔はどこまでも穏やかで優しい。


 だけど、三度落ちてきた口づけはただ触れるだけのものではなく。
 奥を求め、より貪るように深く、味わいながら溺れていくような代物。


 濃厚なキスの口当たりに酔いしれて。

 感じやすい、弱い部分を攻められれば。
 いとも容易く、私の理性は崩れ落ちていく。


 あとはもう、沸騰する快楽の熱に、溺れるままに溺れゆくだけ。








 悲しい夢の欠片は、ふとしたことでいとも容易く零れ落ちる。

 だからお願い。

 頬を伝う雫をも忘れ去るくらいに。
 雫が身体の熱で乾き去るくらいに。

 私を強く抱きしめて。

 愛しい貴方の熱を、存在をそばに感じさせて。

 過去に囚われる愚かな私を、その熱で覚まさせて。



 どうか、どうか、頬を伝う雫すら消し去るだけの。

 強く優しい愛を、私にーーーーーー




*後書き*
・・久々に夢を書くと、どうも暴走する傾向にあるようで。
「甘い恋に10のお題」の抜粋なのに、ほぼ裏行き直前です。
そしてどういうわけか、またヒロインが弱音ばかり吐くというお話…。
一応最強設定のヒロインなんですが、どうしてでしょう???
彼女が唯一弱音を吐ける相手=浮竹隊長となっているせいですか?
今度は是非とも、ヒロイン強気モードで惚気る話を書きたいものです。

(06.03.09up)

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