ずっと暮らしていた世界から、突然引き離されて。
 いつもそばにいて、たわいもない会話をしてきた仲間たちと会えなくなって。
 一方通行でしかなかったけれど、確かに心に想っていた人とも会えなくなって。


 どうして、私がこの世界に呼ばれたの?

 私がこの世界に来た事に何の意味があるの?

 帰らせて。
 私を帰してよ。

 生を受けた世界とは異なれど、たくさんの思い出と思いの詰まったあの世界へ。


 何より。私を、彼のいる世界へと、帰らせてよ!!!


 嘆いて。嘆いて。嘆き続けた。

 嘆いたところで、どうにもならないと知っていたけれど。
 嘆かずにはいられなかった。

 だってここは、私が一番嫌いな場所によく似ていたから。
 人を簡単に“使い捨て道具”に出来てしまう、保身主義で凝り固まった連中の巣。
 人の心も人情も義理すらもあっさりと捨て去り、ただ命令のままに動く操り人形の巣。


 泣きたかった。
 でも、泣けなかった。
 泣けば、私が負けだと思ったから。


 帰りたい。
 戻りたい。
 会いたい。


 それらの感情を押し込めたままで、私はこの世界で生きることを余儀なくされた。

 貴方と出会う、その日までーーーーーーーー





『どうして、頑なにこの世界を拒む』

 意図する心を感じさせる事もなく、かの人の口をこぼれ落ちた言葉。
 本当に何気なく呟かれた言葉だからこそ、私は身構える事も出来なかった。

『この世界を拒み続けても、元の世界には戻れないんだろう?
なのに、どうして拒み続けるんだ?
このままでは、君はこの世界でずっと独りのまま在り続けるしかないぞ』

 続けられた言葉に、私は何も答えられなかった。
 否、答えられるはずもなかった。

 だって、彼の言葉は正しかったから。

『この世界を受け入れたところで、君が元いた世界がなくなるわけじゃあない。
弱音を吐いたところで、君がこの世界に未来永劫縛り付けられるわけでもないだろ』

 そこまで言い切ったところで、その人はふっと表情を和らげた。

『だから、泣けばいい。泣きたいだけ泣いて、恋しい世界の事を思えばいい。
幸せだった過去を振り返る事は、悪い事ではないんだから。
だから……、そんな辛そうな顔をしながら平気な振りをして笑うんじゃない』

 まるで聞き分けのない子供をなだめるような、優しい声音で諭されて。
 その大きな手で頭をくしゃくしゃと撫でられて。

 何より、穏やかな笑顔を浮かべたはずの瞳に苦しそうな光が宿っていたのを見て。
 本当に心の底から私の事を心配してくれているのだと、わかってしまったから。


 閉じこめていたはずの感情は、一気に堰を切ったかのように流れ出したーーーー




 哀しみも、喜びも、嬉しさも、怒りも。
 全てを元いた世界に置いてきたつもりでいた。


 だけど、違った。
 この世界にも、私の感情はあって。
 世界は確かに、刻々と時を刻んでいるのだから。


 それを、貴方は私に教えてくれたんだ。








「失礼します、浮竹隊長。毎度の定期便を届けに来ました、です」
 ちゃんと前置きの挨拶をいれた上で、私は雨乾堂の中へと足を踏み入れた。

 中へ足を踏み入れれば、本日は体調が良いのだろう。
敷いてある布団の上で上体を起こし、職場から持ち込んだ書類を片づけていた部屋の主は、盛大に大きな溜息を一つ吐き出した。

「……………
 ゆっくりと顔を上げて、私の姿を認めた青年の顔に浮かんでいたのは、なんとも複雑な表情であった。喜怒哀楽豊かな彼といえども浮かべる事の珍しい表情に、一体どうしたのだろうと思わずにはいられなかったけれど、とりあえず私は彼のすぐそばまで歩み寄り、持ってきたお盆を小さな文机の上へと置いた。

「なんでしょう、浮竹隊長」

「頼むからその口上、いい加減にやめてくれないか」
 珍しい表情とは裏腹に、彼が口にしたのはいつもとなんら変わらぬ一言だ。

「おや、どうしてですか? 私は嘘を言ってる訳じゃないんですけどね? 」
 私はいつも座っている場所ーーすなわち浮竹隊長のすぐそばへと腰を降ろすと、これまたいつものように彼の肩越しを流れる髪の一房を人差し指ですくい取った。

 病のせいで真っ白になってしまった髪の事を、本人はかなり気にしているようだったけれど、私はこの髪が大好きだった。
 光加減で銀色にも見える純白の髪は、癖一つない真っ直ぐなストレート。
指で梳けばまるで絹糸でも触っているような感触を残し、指の間を水の流れのようにこぼれ落ちていくその様はとても綺麗で美しい。そして何より、この髪の持ち主が私は好きだったから。

「嫌な薬の定期便と一緒に来られたんじゃ、素直に喜べるものも喜べないだろうが」
 あまり機嫌のよろしくなさそうな色を全面に押し出して、はっきりと言い切るその様子はまるで駄々をこねる子供のように大人気ない。

「つまり、私がここへ来るのが嫌だということですか? 」
 ニッコリと目元だけ笑ってない笑みを浮かべてみせれば、髪をいじり回していた方の手首を掴まれた。そうして右手首から有無を言わせず引き寄せられて、真っ正面から浮竹隊長と向き合う格好になる。

「わかってるくせにわざわざ言わせるのか? 」

「言わせたいから、言わせるんです」
 苦虫を噛みつぶしたように吐き捨てる相手の言葉に、私はさっくりと一言返した。

「…………ったく、お前って奴は……」

「ただで煮て焼かれて美味しく頂かれるわけにはいきませんから」

「……いや、そうでもないさ」
 返ってきた浮竹隊長の言葉に、私ははてと思考を巡らせる。

 そして彼は、その一瞬の隙を逃さずに行動を起こしてくれた。
完全に無防備状態――もとよりこの人の前で身構える必要など皆無なのだがーーであった私の腰を引き寄せると、前置きも無しに唇を奪ってくれたのだ。

 互いの唇が触れ合っていたのは、ほんのわずかの間。
 それでも紅唇が熱を帯びるには、十分すぎる長さで。

「…………っ! そういう意味で美味しく頂かれるわけにいかないと言った訳じゃないんですってば! 今のはわかってて知らない振りしたでしょう、浮竹隊長っ!!! 」
 熱を帯びた唇を指で押さえたまま、私はすっかりと仕事モードの自分――またの名を猫かぶりモードとも言うーーを思いっきり放り捨てて、相手を怒鳴りつけた。

 本来ならヒラ隊員が隊長を怒鳴りつけるなんてことをしようものなら、間違いなく罰則ものだろう。だが、浮竹隊長はそんな私を咎めることもしないどころか、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべるだけだ。

「怒るな、怒るな。今のはお互い様だろ」
 仕事用の化けの皮を剥がされた私とは対象的に、今までの機嫌の悪さがすっかりと晴れたらしい浮竹隊長は、朗らかに笑うと私の頭をくしゃくしゃと撫で回す。

「……まあ、いいですけどね。嫌いじゃないですから」

 こうして頭を撫でられるのも。
 抱きしめられるのも。
 口づけされるのも。

 嫌いじゃないから。大好きだから。


? 」

 不思議そうにこちらを見つめてくるその人の首に腕を回して、すがりついて。
 心の中をいっぱいに満たす熱を吐き出すように、想いをそのまま言葉に乗せた。

「大好きです……浮竹隊長」

 らしくもなく相手が動揺を見せたのは、ほんの一瞬。

 そしてすぐに、私は息をするのも苦しいほどに強く、抱きしめられた。

「………俺もだ、


 その言葉に、心が、思考が歓喜に沸き立つ。

 嬉しくて。泣きたいほどに嬉しくて。

「ありがとう………」

 口から零せたのは、たった一言。
 あとはもう、言葉にも出来ない。


 出来るのはただ、与えられて。求められて。
 甘く深い、幾度もの口づけに酔いしれるだけーーーーー







 私がこうして今幸せでいられるのは、間違いなく貴方のおかげです。

 貴方が頑なになっていた私の心を溶かしてくれたから。
 その穏やかさ・寛容さ・優しさで、私を包んでくれたから。

 そして何より。
 私という存在を、貴方という魂が魅縛してくれたから。


 だから私は、貴方に感謝してもしきれない。
 言葉にできないほどに、たくさんの感謝をしたいけれど。


 何はともあれ。

 いっぱい、いっぱい、ありがとう………。



*後書き*
・ラリー景品にして、初書き浮竹夢です。
お題沿いにしたはずなんですが、微撃沈気味…。
ほのぼの路線を目指したつもりが、気づけば“おしどり新婚夫婦”のノリですよ。
最初の方が無駄に濃いヒロイン設定暴露状態ですが、
深く考えずにサラリと読み流してやって下さいませ。
少しでもほのぼの幸せ感に浸っていただけたなら、これ以上なく幸いです。
(06.03.05up)

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