[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。





 櫛を入れれば、心地よいほどに梳き通る漆黒の髪。

 指を入れれば、たちまちに指の間をはらはらとこぼれ落ちていく闇色の絹糸。
 その様はまるで、乙女の瞳からこぼれ落ちる清らかな涙の如し。


 濡れそぼつ烏羽のように艶やかで。
 鮮やかにして、気品高い闇色の色彩を宿すその髪を。


 幾度、梳いてみたいと思った事かしれないーーーーーーー





【はらはらと、こぼれ落ちる】





 本日非番だった私は、いつものように六番隊の隊首室を訪れた。
本来なら隊首室ともなれば、ヒラ死神である私が容易く足を踏み入れられる場所ではない。まして仕事ではなく、私的な用事でもって隊首室を訪れるなどもってのほかであるし、そもそも私は六番隊所属の死神ですらない。異なる隊の隊首室になど、よほどのことがない限りはまず訪れない場所なのである。ゆえに、私的な用事で隊首室を訪れれば、まず間違いなく、訪れた相手に対して相応の罪過が与えられるはずだ。
 だが私の場合、事前に部屋の主である朽木隊長から隊首室を訪れる許可を頂いているので、その辺の心配はない。


 手にとって、乱れ一つない黒髪にそっと櫛を入れる。
入れれば、どこにも引っかかる事もなく、櫛は真っ直ぐに髪の間をすり抜けて終わる。

 通ったらまた櫛を入れて。
 櫛を入れたら、それを梳くようにして整える。

 単調と言われればなるほど確かに単調な作業ではあるが、正直、この人の髪ほど梳きたい・触れてみたいと思える逸材はまたとない。
手触りも良くて、色も綺麗で、真っ直ぐな癖のない黒髪。
そして何よりこの極上の絹糸にも勝る魅力に溢れる髪の持ち主も、これまた髪の品質に負けず劣らず十二分すぎるほどの魅力を持ち合わせた御方である。


 私は髪を梳く手は休めぬままで、そっと座る場所を横へ数センチずらした。
髪の持ち主の横顔を盗み見る事ができる位置まで来ると、再び私はその場に腰を落とす。

(本当にいつ見ても、麗しのご尊顔だこと………)

 透き通る白い肌、鼻梁の通った端整な面立ち、切れ長の漆黒の瞳。
 どれをとっても一級品。
 美形を見慣れた私ですら、思わず感嘆の溜息をつかずにはおれない造型美だ。


璃闇」

 低い、深みのある声音が私の名を呼ぶ。
 その声に聞き惚れつつも、慌てて我に返った私は

「っ、はいっ! 」
 自分でも驚くような大声をあげていた。

 ばくばくと大きな音を立てる胸を左手で押さえながら、私は幾度か深呼吸を繰り返し。事の事態が把握出来るようになるまでに、しばしの時間を要した。

「飽きぬか」

「へ? え、あぁ………ずっと髪梳いてて飽きないかってことですか。全然飽きませんよ」

「……物好きな」

「そうですか? 他人の髪を梳くのって、自分の髪を手入れするよりも楽しいと思いません? 私は人様の綺麗な髪をいじらせてもらうの、大好きですよ」
 思わず目を瞬かせた私が言うと、朽木隊長はわずかに眉をひそめた。

「私以外の者の髪もよくこうして梳くのか、お前は」

「梳きますよ。勿論、相手の許可をちゃんと頂いてからですけどね。
卯ノ花隊長にはあっさりと断られちゃいましたけどね。
浮竹隊長は二つ返事でお許しくれたんで、時々いじらせてもらうこともありますよ。
それからごくたまに京楽隊長の髪をいじらせてもらったり、乱菊お姉様の髪をいじらせてもらったりもしますし。……でも一番いじり甲斐がある、というよりも梳いてるだけで幸せなのは、やっぱり朽木隊長の髪ですねぇ。烏の濡れ羽みたいに艶のある漆黒で、おまけに癖一つ無いさらさらの髪質、もうまさに美髪の極地ですよ!! 」

「……………」
 朽木隊長からの返答はない。

 やっぱり呆れられたかな。
 前に同じことを恋次に言ったら、盛大に呆れられたし。

璃闇」

「はい? ………って、うわっ! 」
 名前を呼ばれて反射的に返事をするやいなや、右腕を掴まれて引き寄せられる。
正座したままではやりずらいからと、ちょうど跪座の姿勢をとっていたーー簡単にいうと膝立ち状態――私は、ものの見事にバランスを崩されて前のめりにつんのめる。
唯一開いていた左側の腕でなんとか均衡を保とうとするが、所詮は無駄足に過ぎず、結局のところは顔から畳の上へと倒れ込む事になった。

 はずだったのだが。

 意外にも畳とキスすることになるより前に、私の身体はポスッとあたたかいものに受け止められた。

 目を開いてみれば、やけに視界が暗い。
 むしろ暗いというよりも、黒い。

 私は不思議に首を傾げながら、顔を上げ…………その場に硬直した。


 見上げるようにして見ても、やはり美形は美形。麗しのご尊顔は健在だ。
 むしろ近づいたぶんだけ、余計にその造形美に改めて驚かされる。
 そして、はらりと肩越しに落ちてきた黒髪の一房に頬を撫でられて、その心地よさに感動すると同時。ようやく自分の置かれた状況を、脳で完全に知覚する事が出来た。

「…っ、朽木たいちょ……」
 反射的に口をついて出た言葉は、唐突に途切れた。

 身体の後ろに感じた一瞬の違和感と、頭皮に感じたわずかなぬくもりと。
 その二つに思考を完全に封じられて。

「さすがに他人の髪についてうるさく言うだけの事はある。たいしたものだな」
 より一番近い距離で聞いた隊長の声は、今までより比べものにならぬほど心地よい響きを鼓膜に残して消える。

「お……お褒め頂き、至極光栄です……」
 震える声音を必死でおさえて、声を絞り出す。それが今の私の限界だった。

 私の髪をゆっくりと撫で梳く、その手つきは驚くほどに優しい。

「人間の髪が、よもやこれほど心地よい手触りのするものだとは思わなかった」
 
 そして。真っ直ぐに私の瞳を見据える、漆黒の双眸もまた、ひどく優しかった。


 初めてだ。この方の優しい目を見るのは。
 そして、その優しい目が私の双眸を真っ直ぐに見据えるのは。

 今までほとんど顧みられる事もなく、ほとんど目が合う事もなかった。
 ただ事務的なやり取りと、ちょっとした言葉のやり取りと。
 私が朽木隊長と交わすのは、本当に嫌になるくらいのお役所仕事的な会話だけ。


 なのに。どうして。
 どうして私なんかに、そんなに優しい目を向けて下さるのですか。

 私は、貴方の髪を梳かせてもらえるだけで、十分に幸せなのに。
 どうしてこれ以上、期待を持たせるようなことを、貴方はなさるのですか。

 期待してはいけないのに。
 期待したら、私は貴方だけしか見えなくなってしまう。

 一時の優しさなんて、私にとっては残酷な仕打ちでしかないというのに。




 目頭が熱い。

 心臓がより一層高い鼓動を打つ。

 心が、痛いのに、歓喜に震えて泣いている。




「……なぜ泣く」
 髪を撫で梳くその手を止めて、朽木隊長が私に問うてくる。

「……わ、かりませ、っ……」
 だけど。その問いに答える言葉を、私は知らない。
否、答えられるはずもなかった。

「わかりもせぬのに、泣くというのか」

「そうですっ! 」
 ぼろぼろと涙を流しながら断言する私に、朽木隊長は嘆息を漏らした。
また例によって、呆れられたのだろう。

「……つくづくお前は、よくわからぬ奴だ」
 独りごちるように呟かれた言葉には、苦笑いにもよく似た色が見える。
てっきり聞けるだろうと思った呆れの声音では、全くない。

 そのことを不思議に思った矢先、ふわりとに包まれた。

「だからこそ、私はお前とこうして時を過ごすのが、嫌いではないのだろうな」


 ……え?


 聞き間違いかと思った。

 思って、仰ぎ見れば。
 穏やかな微笑を浮かべた、朽木隊長の顔が間近にあって。


 私の唇をかすめるように、あたたかな熱が落ちてきた。



「これほど他人の隣を心地よく感じる時は、緋真の亡き後、久しくなかった……」


 緋真。
 朽木隊長が愛した、亡き奥方様の名前。
 亡くなって時が経つ今も、この人の心をとらえ続ける唯一の女性の……。



 どうして、亡き奥方の名前が出てくるのか。
 どうして、私の隣を心地よく感じるのか。
 どうして、私に口づけたのか。


 嬉しさと悲しさと愛しさと。
 幾つもの感情が入り交じり、心の中で嵐を巻き起こす。

 嬉しいのか。悲しいのか。愛しいのか。悔しいのか。
 自分の感情を、自分で理解する事すらできないまま。
 私の瞳は、大粒の涙を零し続ける。



 私の涙は、当分止まりそうもないーーーーーーーーーーーー。




*後書き*
・漫画も全巻集めたし、アニメも見てない回も全て見終えたのに。
どういうわけか、白哉夢は書きにくい。難しい。愛キャラなのに、なぜだろう?
愛があるから書くのが難しいのか、まだ愛が足りないのか。どっちだ……
企画提出したものに、多少修正を加えてあります。多少。

(06.02.16up)

WORKS TOP