■][. ムーン・メイデン  / 月


「一体、どこへ行ってしまったんでしょう、あの子」

 任務でイノセンスを回収にきて、どうにか見つけたまではよかった。よかったのだが。
イノセンスに確固たる意志が存在するのかは不明だが、今回はいわゆる例外だったのか。存在してたらしい。
年端もいかない子供の意志を持っていたイノセンスは、接触してきたアレンたちを怖がって逃げてしまったのだ。

 (…あの子が逃げ出したのは、十中八九神田のせいですよね。)

 元々人当たりの良いアレンは、子供が怯えないように細心の注意を払って接触していたのだけれど。
思いやりに欠けるのか、はたまた単に不器用なだけなのか。いつもと全く変わらぬ仏頂面でもって、神田は必要最低限の事情だけを告げると、子供を無理矢理連れて行こうとしたのだ。
 子供の意志を持ったイノセンスが、怯えて逃げ出してしまうのも無理はない。
 ハッキリ言って、アレンの目から見てもその様子は「無愛想な青年が子供を誘拐しようとしている」図にしか見えなかったのだから。

「うるせぇ、愚痴ってる暇があるならさっさと探せ」
 イノセンスが逃げ出す原因を作った張本人は、反省の色さえ見せる様子もなく、ぴしゃりと言い放った。
切れ長の目がかすかに吊り上げて、不機嫌な様子を露わにしているものの、端整な美貌は翳り一つ見せることはない。むしろ、憤りを含んだ表情さえ、見る者に感嘆を与えずにはおれないだろう。

「……もっと優しくしてあげれば、あの子だって逃げ出すことはなかったんですけどねぇ」
 これみよがしに吐き出した長い溜息と共に紡がれた言葉は、明らかに嫌味が混じっていた。

「んだとっ! 」

「だから、僕に任せておいて下さいって言ったじゃないですか」
 どうせ人の話なんて聞かないだろうなぁ、と思いながらも一応告げたアレンの言葉は、予想通り神田に無視された。責任感が強いのは悪いことではないが、それならもう少し臨機応変に対応して欲しいと思う。

「………」
 対する神田の返答はない。
彼とて馬鹿ではない。イノセンスが逃げた原因が自分にあることくらい、わかっているのだ。
ただ、それを表だって表すことをしないだけで。

 はあ…と再びアレンが溜息を吐いたそのときだ。


 力ある光が、一瞬で周囲を満たす。
淡い緑柱石にも似た、優しい……それでいて力を秘めた光は。

「イノセンス…?! でも、これは……!」
 適合者と出会う前、結晶体のイノセンスには特定の力の属性はない。
適合者と会ってはじめて、イノセンスは特定の力を宿すに至る。

「適合者が見つかったのか…、急ぐぞ! 」








 周囲を取り巻く緑の風は、詩を運ぶ。
もの悲しくも、切ない母の想いを秘めた詩を。
独特の声色で語られる詩は、聞く者の心を揺さぶり、魂に訴える。


「これは……」
 黒と白とに染め上げる、アレンの左目が映したのは、ありえない光景だった。

 AKUMAに拘束されていた魂たちが、歓喜と悲哀に打ち震えている。
詩に秘められた想いを理解しているのか、それとも歌声の響きに魅せられているのか。
束縛された魂に異変が起きているせいか、AKUMAたちはその場に繋ぎ止められたように微動だにしない。

 だが、魂の見えない神田には、正しくなにが起こっているのかを知る術はない。
彼は短く舌打ちすると、背中の無幻を鞘から引き抜いた。

「待って下さい、神田! このAKUMAたちは…! 」
 イノセンスを解放しようとする神田に、アレンが制止の声をかけたそのときだった。


 AKUMAたちを含め、アレンたちを包み込む光がより一層強くなったかと思うと、虚空に何らかの世界を描いたかと思われる謎の世界図が浮かび上がった。
 てっぺんには鷹が留まった一本の大樹、大樹から伸びた根の内には、小さな泉や宮殿、そびえ立つ山々とがそれらを取り巻くほど長い身体を持つ、自らの尾を口に含んだ大蛇の姿が描かれ、更に下には大樹から伸びた根の先を囓る竜の姿と泉とが見てとれる。
 そして、謎の世界図が虚空に掻き消えるのと同時期、AKUMAたちもまた、柔らかな光に溶け消えるように次から次へと消滅していった。

「……すごい」
 アレンの左目には、AKUMAに拘束されていた魂たちが鎖から解き放たれていく様がはっきりと見えていた。動力の源となるダークマターが浄化されてしまえば、AKUMAはその肉体を維持することが出来ない。彼らは為す術もなく、一体、また一体と灰となって消えていった。

 文字通り、”囚われた魂を救済している”のだ。この光の主は。

「おい、モヤシ。てめぇには何が起こったのか、見えてンだろうが。説明しろ」

「僕はモヤシじゃありません、”アレン”です!
…あの詩が、ダークマターを浄化し、AKUMAに囚われていた魂を解放したんですよ。
魂たちは、あの詩に、激しく心揺り動かされているようでした。
その感情が影響して、AKUMAたちの動きが抑制されていたんだと思います」

「囚われていた魂が自発的に束縛を破ったってのか? そんな戯れ言、信じられるかよ」

「確かに普通ならありえないことですが、今、目の前で、そのありえないことが起こったんですよ! 」


 周囲を取り巻いていた柔らかな光が収縮し、光が掻き消える。
おそらくは、AKUMAたちが全て消滅したために、イノセンスの解放をやめたのだろう。


 光が収縮した先には、見慣れない格好の女性が佇んでいた。
肩越しで切り揃えられた髪の色は、夜の闇を切り取ってきたような漆黒。肌の色は、象牙よりも更に濃い、熟した小麦の穂を彷彿とさせる小麦色だ。顔立ちから察するに、東洋人であることは間違いないのだろうが、同じ東洋人であるはずのコムイやリナリー、神田よりも若干肌の色が濃い。

 どこか緩慢とした動作で、彼女は空を仰ぎ見る。
焦点が合ってないような、虚ろとした様子だが、瞳に宿る漆黒の色彩は衰えることはない。

 言葉が通じるかどうか、一抹の疑問は生じたものの。アレンは、彼女に声をかけてみることにした。

「あの………」
 だがその言葉は、最後まで発せられることはなかった。

 彼女は、空を仰ぎ見たまま、ふっと微笑んだのだ。
一抹の寂しさを湛えながら、その微笑みは優しく、あたたかいものだった。

『……今はただ、安らかに眠って下さい。いつか巡り来る、来世が幸せなものであると信じて…』
 彼女が紡ぎ出した言葉は、明らかに異国のものだったから、アレンは聞き取ることが出来なかった。
だけれども、彼女の穏やかな微笑みを見れば、想像することは出来る。

 そして、次の瞬間。
 まるで操り人形の糸が断ち切られたかのように、彼女は地に倒れ伏す。

 間一髪で、慌てて走り寄ったアレンが女性の身体を受け止める。

「っと、危なかった……」

「任務完了だ。帰るぞ」

「あ、ちょっと! 本人に説明もしないで、連れて行くつもりですか?! 」

「適合者である以上、放っておくわけにはいかないだろうが。忘れたのか?
教団に属さない適合者の末路は、千年伯爵に殺される他ねえんだぞ!
そもそも、俺たちが受けた任務の内容を考えりゃ、連れ帰る以外の選択肢があるか? 」
 忌々しげに振り返ると、神田はアレンを睨みつけたまま、事実を吐き捨てる。

 今回の任務は、イノセンスを回収すること。
 適合者がいたならば、保護の名目で教団へ連れ帰ってこそ、任務が完了となるのだ。

「そうでしたね…」
 アレンは抱き留めた女性に視線を移す。

 彼の胸中には、複雑な思いが渦巻いていた。

 が、むざむざ伯爵に殺されるよりは……と。

 腑に落ちぬものを無理矢理弾き出すと、アレンは先を行く神田の後を追って足を踏み出したのだった。





*後書き…
Dグレトリップ、第二話(としか言いようがない)をお届け致しました!
一人称だとイマイチ書きづらかったので、敢えて三人称。アレン視点です。
ヒロインのイノセンスについては、次回詳しく説明を入れますが、かなり捏造気味…(汗)。
09/01/12 作品up
BACK
HOME
template : A Moveable Feast