■0. カオティック・トリックスター / 愚者
まるでブランコに揺られているような、緩やかな振動を知覚したのは、徐徐に意識が覚醒へと近づいているからだろうか。
ぼんやりとした意識の中、閉ざされていた瞼をかすかに持ち上げたが最初に感じたのは、己の身体を襲う小刻みな振動だった。
(…ここは……?)
閉ざしていた瞼を開いたの視界に飛び込んできたのは、見慣れない風景だった。
『眠りにつくと共に、異なる次元に存在する世界と世界の間を自在に行き来出来る』特殊能力の持ち主であるにとって、目覚めたら見慣れない場所にいたというのは、さほど珍しい現象でもない。むしろ嫌になるくらい、慣れっこだったので、さして狼狽する必要はなかった。
なかったのだが、問題はそこではなかった。
幾何学模様が規則正しく描きこまれた、妙に小奇麗な天井。見るからにフサフサとした起毛で覆われた壁紙で覆われた、右左両端の壁。客席に横たえた身体の上には柔らかな毛布がかけられていた。
そして。極めつけは、が頭を置かせてもらっている枕----もとい、膝枕をしてくれている相手。
「あ、目を覚まされたんですね。気分はいかがですか?」
目を覚ましたに微笑みかけている少年-----年の頃は、14か15くらいだろうか。鼻梁の通った彫りの深い顔立ちに、光加減で銀色にも見える見事な白髪。瞳に宿る色彩は、一対の鮮やかな緑柱石そのものだ。典型的な西欧民族らしい特徴を備えた中性的な美貌の少年だが、やや童顔なのは否めない。それでも纏う雰囲気は上品で、年齢不相応の落ち着いた雰囲気も持っているので、実年齢は16か17くらいだろう。フードのついた黒い上下服---エクソシストの職業着といったところか---の胸には、十字架を複雑に装飾し加工したような銀のエンブレムが輝いている。
(ああ…、アレン君がいるということは……)
いつの間にか気を失う前にも、にはこの世界が「D-Grayman」であることを確信していたが、「彼」と会った事でここが「D-Grayman」の世界であるという完全確定がとれてしまった。
「気分は至って爽快です。あと、膝貸して頂いてありがとうございました」
は多少混乱が残る思考を無理やり振り切ると、上体を起こした。
そうして、膝を貸してくれた少年----アレンに向き直ると、上辺だけとはいえ満面の笑顔を浮かべて礼を述べた。
「それと、申し訳ないんですけれども、現在の状況を説明して頂いてもよろしいでしょうか」
「え?」
の問いに、アレンは一瞬目を見張る。
が、すぐに彼女の言うことを理解したのか、右の拳で左手の平をポムと打った。
(…うわ〜、なんだろうこの子……ものすごく可愛い……!)
アレンの一連の行動に、一種の微笑ましさを感じたは、心中ひそかに身悶えていた。
もしと彼が初対面でなかったならば、即抱きついていたに違いない。
だが、彼女が喜んでいられたのは僅かな時だけだった。
首筋に鋭い殺気と冷たい感触が走り、の緊張は一気に高まった。
殺気と共によこされた研ぎ澄まされた刀の切っ先は、ずれることなく彼女の頚動脈の上にピッタリと突きつけられている。
「ロンドンへ向かう汽車の中だ。言っておくが、逃げようなどと思うなよ。死にたいなら止めはしないが」
突き付けられた刀の切っ先と負けず劣らず鋭い光を灯した、刃の眼光が真っ直ぐにの瞳を捉える。
切れ長の双眸を彩るのは、夜空を切り取ったような深い漆黒。光加減で色にも見える長い黒髪は、癖ひとつない見事なストレートだ。日本人形のように流麗でありながら、研ぎ澄まされた刀のように凛とした潔さをも兼ね備えたその様は『眉目秀麗』の一言に尽きる。
刃を突き付けられるという極限状態にさえ置かれていなければ、間違いなくは嬉々として彼を観察し出すに違いない。
それほどに、青年の容姿の端麗さは、他と比べても群を抜いて優れていた。
「神田!」
アレンが非難の声を上げるが、神田と呼ばれた青年はまるで意に介す様子もない。
二人のやりとりを他人事のように観察していたは、少し考えこみ(無論、刃はまだ突き付けられたままだ)
「とりあえず、貴方達は人買いの類ではなく、むしろ私を助けてくれる善意の方々と考えてよろしいのでしょうか?」
「ひ、人買いっ!?とんでもないです!僕たちは…!!」
の口から出てきた『人買い』の単語に、アレンは慌てて弁論を試みようとするが。
それを遮る様にして、は言葉を続ける。彼女が言葉を向けている相手は、アレンではなく。
「『人買い』と言ったのは、あくまでものの例えですよ。
貴方たちが『人買い』でないことくらい、すぐにわかります。
だって、本当に『人買い』の方でしたら、間違っても商品である私に傷をつけるような真似はしませんものね」
「勝手に俺たちを『人買い』扱いするんじゃねぇよ」
「ええ、ですからものの例えです。
だって、貴方たちは私に何一つ正確な情報を与えてくれないんですもの。
名前も目的も名乗らない、挙句に刃物を首に突きつけられたら、自分が『裏事情に通じた人間に誘拐された』と勘違いしても無理はないと思いませんか?」
険しい表情の神田とは好対照な、一見すれば穏やかな笑顔を浮かべるだが、紡ぎ出された言葉はけして穏やかなものではない。
否、言葉面は実に穏健な言い回しだが、少しひねって考えてみれば、かなり棘のある言葉であることは違いない。
当然だ。何せは怒っているのだから。
マイペースで、どちらかといえばおっとりした穏健な気質のとはいえ、ロクに説明もされぬまま拉致された上に、警戒心剥き出しで刀を突き付けられれば、怒らないでいられるはずがない。一応笑顔を浮かべてはいても、胸中では湧き上がる怒りを理性で押さえ込んでいるだけのことなのだ。
「僕も彼女の意見に賛成です。神田、刀を下ろしてください」
アレンの言葉に、神田はあからさまに舌打ちをしつつも、言われた通りに六幻を下ろした。
「手荒な真似をしてすみませんでした。僕は、アレン=ウォーカー。黒の教団に属するエクソシストです。あと、そちらの彼は神田。僕と同じエクソシストです」
アレンは申し訳なさそうに頭を下げた後、柔らかな笑みを浮かべて自分の名前を名乗った。
どうせ自分から言わなさそうだから、と神田のことも必要最小限に紹介してやるが、当の本人はの方を見ようともせずそっぽを向いたままだ。
「私は、。こちら風にいうと、・ですね。見ての通り、ごく普通の一般人です」
アレンはともかく、神田の態度には若干怒りを覚えないでもなかったが、自身もさぐられると痛い腹を持つ身だ。
下手に勘ぐられるよりは、警戒されるだけの方が幾分マシである。そう自分に言い聞かせて、は怒りを抑え込む。
(……さぐられても痛い部分がなくなったら、今のことはしっかり文句言って、お説教させてもらいますからね!)
「AKUMAを倒せるくせに、どこが一般人だ」
神田の指摘にもまるで応えた節もなく、はニッコリ笑顔を貼り付けたままで逆に聞き返す。
「AKUMAというのは、束縛された魂を背後に背負った奇妙な物体のことですか?」
「貴方も『魂』が見えるんですか?!」
次に反応してきたのは、アレンの方だ。
こちらの方はまるで予想だにしていなかったのか、一瞬、は動揺を見せる。
が。すぐに何もなかったかのように、接客業で培った営業スマイルを貼り付けたまま、答える。
「まあ…、職業柄……」
正確に言うならば、彼女は現世とあの世の魂の調整者である『死神』としての顔も持っているため、本来生者に視える筈もない死者の霊魂を視ることが出来る。というより、視えなくては『死神』の仕事を遂行することが出来ないので、逆に視えて当然なのだ。
とはいえ『霊の姿が見えて当たり前』というのは、普通の感覚ではない。一般人を装うならば、これは本来隠すべき情報だった。それをつい、ポロリと漏らしてしまったのは、完全にの落ち度である。
「職業柄…。そういえば、さんは日本人ですよね? 」
「ええ」
ここが”仮想19世紀”ならば、の故郷である沖縄県は”琉球王国”という一つの国家であった可能性も高い。琉球王国が解体され、日本に併合されたのは明治維新の時代だからだ。だが、あくまでここは”仮想19世紀”。彼女の世界の歴史と必ずしも同じ道を辿っているとは限らない。それに彼女が生まれたのは、沖縄=日本と誰もが考える時代であったから、彼女自身、自らを”日本人”と名乗ることに違和感は感じない。
「巫女か、尼僧か、あるいは呪い師の類か」
「…まあ、そんなところです。それより、アレン君も神田君も”エクソシスト”だそうですけれど、お二人とも悪魔祓いの専門家なんですか? 」
「いえ、僕たちが相手にするのは、天使や神の敵となる悪魔ではなく、先ほどさんも見た”AKUMA”の方です。
”AKUMA”は、とても哀しい存在です。この世にあってはいけない…」
「”AKUMA”の概念がどのようなものかは存じませんが、死者の魂を強制的に現世に縛り付けておくのは、良いこととは思えませんね。
どちらにせよ、魂を冒涜する行為に変わりはないのでしょうから」
「魂を冒涜…、そうですね。死者を蘇らせようと考えること事態、既に『罪』を犯しているのも同然ですよね。
でも、大切な人を失って悲しむ人の心に漬け込んで、『罪』を犯すように仕向ける奴がいるのを知っていますか?」
「さあ…? 私の知る限り、虚(ホロウ)も地縛霊も悪霊も御霊も、死者の魂そのものの気持ちの持ちようで生まれるものでしたから…。
ここにはそんなことをする阿呆がいるんですか?」
の口からさらりと”阿呆”の言葉が出てきたことに、アレンはかなり驚いたようだったが、すぐに持ち直して話し出す。
「『千年伯爵』…、奴は人の心の弱みに付け込むんです。
奴は大切な人を失って嘆き悲しむ人に、『失った人を蘇らせたくないか』と提案を持ちかけます。
死者を蘇らせるなんて、出来るわけがないと誰もがわかっている。
それでも。心のよりどころを無くし、絶望している人たちは、わらにもすがる思いで伯爵の言葉に従ってしまう。
名前を呼べばもう一度大切な人に会える、伯爵に唆されて死者の魂を呼び戻し……呼び戻された魂は、呼び戻された時点でもう、伯爵の命令に服従する兵器になっている。呼び戻された魂は、伯爵に命令されるままに、自分を呼び戻した人を殺し、その皮をかぶって人間になりすます……」
「深すぎる絆が仇となり、相手を想う強い心が悲劇を生み出す……。 魂を冒涜してまで、その『千年伯爵』というのは一体何がしたいんでしょうね」
言いながらも、はその答えを知っていた。
----------世界に終焉をもたらすため。
「…全く、これだから耶蘇教ってのはいけ好かないんですよね。『神に選ばれた』?
選ばれた人間しか望まないなら、最初から余計な人間を創れないように生殖機能を無くすなりすればいいものを、万能と言いつつ肝心なところで抜けてる、独りよがりの神の分際で偉そうに」
「……………あ、あの……」
「あ、すみません。ちょっと自分の考えに入り浸ってました。お話、続けて下さって結構ですよ」
「は、はぁ…。とにかく”AKUMA”というのは、この世にあってはいけない、とても哀しい存在なんです。
捕らわれた魂を解放するには、”AKUMA”を壊すしか方法はありません。ですが、”AKUMA”は、普通の武器では倒せない。イノセンスを使用しなければ、AKUMAは倒せないんです。
だけど、イノセンスは誰もが使えるわけではありません。イノセンスに認められた『適合者』だけが、イノセンスを用いて”AKUMA”を壊すことが出来る。
イノセンスに選ばれた『適合者』であり、イノセンスを用いて”AKUMA”を破壊する使命を負うのが、僕たちエクソシストです」
「……ありがとう、アレン君。だいたいのところは理解できました。
それじゃあ、質問を変えるけれど、どうして私が君たち二人に連行されてるのかしら?」
「てめぇが『適合者』だからだ。でなきゃ、わざわざ連れてくるか」
「……余計な一言はともかく。私が『適合者』だから、保護されたということでいいんですね?」
「……」
『あ、あの…さん…』
『アレン君は黙ってて下さいね。私は、今、日本語で会話してるので』
「で…、神田君でしたよね。見たところ、日本人で間違いないと思ったので日本語で話しかけてますけど、違いましたか?
中国語で話しかければいいですか?それともハングル語で話した方がいいですか?」
「答える義理はない」
「義理はありませんね。それじゃあ、答えて頂かなくても結構ですので、私に一言謝罪して下さい」
「なんで俺が、てめぇに謝罪しなきゃなんないんだよ」
「初対面の相手に、刀を突きつけておいて、よくそんなことが言えますね。
言っておきますけど、ここは日本ではありません。『武士が一番偉い』なんて考えは一切通用しませんよ。
失礼なことを相手にしたら、謝罪する。そんな当たり前のことも出来ないで、刀を握ろうなんて十年早い」
「っ!!!」
憤怒の眼差しとともに、神速の早さで六幻が繰り出される。
が、は臆することなく、逆に突きつけられた六幻の刃を素手で掴み、握りしめた。
刀を自分の方へと引き戻そうとする動きに合わせて、は椅子から身を乗り出す。
そうして、神田の長い横髪を空いてる手で掴み、逆に自分の方へと引き寄せる。
予想だにしないの動きに、神田は抵抗する間もなく、なすがままに引き寄せられ…。
結果。と真正面から額と額を打ち付ける羽目になる。
「一人前の大人になっているつもりなら、他人に対する最低限度の礼儀くらいわきまえなさい。
相手と距離を置きたいのなら、最低限度の会話くらい成立させる努力をなさい。
集団に身を置く以上、逃れられないことだと頭では理解しているのでしょう?
突っ張るのは貴方の勝手ですが、最悪『礼儀知らず』とだけは言われないようにして下さい」
額をつきあわせたまま、至近距離から真っ直ぐに彼の瞳を見据えて、は一言一言をはっきりゆっくりと口にする。
「………」
対する神田の答えはない。
「もう一度、お聞きします。私に何か、言うことはありませんか?」
上辺だけの貼り付けた笑顔を浮かべるに、完全に根負けした神田は、仕方なしに彼女の言う通りにする。
「………悪かった」
ふいと視線を逸らし、神田は小声で謝罪の言葉を口にする。
「小さな声では聞こえません。相手の耳に届いて初めて、言ったことになるんですよ?」
「………っ、悪かった!!! それと、いい加減に六幻を離せ! 」
「はい。わかりました」
ニッコリと笑顔を浮かべたは、六幻を掴んでいた手を離した。
抜き身の刃を素手で掴んでいたのだから、当然彼女の手にはくっきりと赤い線が浮かび上がっていた。
言うまでもなく、赤い線は彼女自身の血で書かれたモノである。
とりあえず血だけでも拭おうと、反対の手でハンカチを探し始めるが。
宙に浮かせていた手を、思いもかけない相手に取られて、は目を大きく見開いた。
「…随分と手慣れてる様子だったが、しっかり出血してるじゃねえか」
表に裏にの手を返しながら、傷の具合を見ていた神田は顔をしかめた。
「え……。そりゃ、まあ……善処しましたけど、刃の部分を掴んでいたわけですから…」
普通なら刀を素手で掴むなんて真似は、まずしない。だが、護身術として琉球武術を嗜み、砕蜂から白打の教授を受けているだ。
刀の軌道を見極め、素手で刀を掴んで相手の動きを止め、相手に攻撃を叩き込む程度のことは難なくこなす。それに刃の部分を掴んでいたとはいえ、最低限の傷で済むように掴む場所も掴み方も掴む力加減もしていた。とはいえ、刃を素手で掴んでいたことに代わりはないので、血が出るのは致し方ないと言えよう。
「だからって、無茶に代わりはねぇだろうが。今後はするな」
「………」
次から次へと予想をぶっちぎってありえない展開---少なくとも初対面時の神田の様子を見ている限り、まるで予想だに出来なかった展開だ---に、はただただ茫然自失としてその場に立ちつくす他ない。
「お前の耳は飾りか?」
かすかに眉を吊り上げた神田に睨まれて、の頭の半分が解凍されて動き始める。
「あ、はい………以降、気をつけます」
半ば頭の半分を惚けさせながら、が返答すれば、神田は小さく舌打ちし、向かい側の座席の壁に上体をもたせかけた。
『あの、一体何があったんです? さっきの日本語での会話の間に?』
先ほどの神田とのやりとりは、全て日本語で行っていたので、アレンにはまるで何を話していたのか。理解できなかった。
それでも途中から、神田のに対する態度が多少軟化したことは、見ていてわかったのだろう。
早速、興味津々といった好奇心の目を向けられたは、かすかに苦笑いを浮かべた。
『……私もよくわかりません。でも、一つだけ、わかったことがありますよ』
『わかったこと?』
首を傾げるアレンに対して、はきっぱりと告げた。
『…神田君って、絶対ツンデレ体質です』
『???』
アレンは更に首を傾げてみるも、彼女の言っている意味が理解できるはずもなかった。
(……なんか、さんって変わった人だなぁ……)
とりあえず。
アレンの中で、の第一印象は『変わった人』で確定されたことは、確かだ。
*後書き…
・前半はアレンとの会話、後半は神田との会話メインでお届け致しました!
当初はこういう展開にするつもりはなかったんですが、当初通りの話にすると
つっかえて先に進めないので、なるようになれ!とこんな具合に仕上がりました。
ここまで書いたら、黒の教団到着→ヘブラスカ対面→コムイさんの前で正体暴露(オイ)辺りまでは書いてしまいたいですね…。
そして今回も、BGMはサンホラの曲。moiraやroman辺りの曲が多かったかな。
09/01/22 作品up