■イノセンスの意外な活用法


 エクソシストと違い、リーバー班長率いる科学班は主に本部内での研究活動を行う。
そのためだろうか。彼らは「エクソシストが頑張っているのだから、俺たちも頑張らなくては」等と漏らすことが多々ある。
 だが。ファインダーの使用する結界装置やエクソシストの団服など、主にAKUMAとの戦闘に必要となる道具は「科学班」が作り出したものだ。

 私に言わせれば「科学班」あってこそのファインダー、「科学班」あってこそのエクソシストだと思うんだけれど。それは、私の認識違いというやつでしょうか。




 徹夜どころか、二徹、三徹も当たり前というのは、既に労働基準法違反を遙かにぶっちぎってやばい状態なのではないだろうか。

 「書類の海原」と勝手に命名した室長室に足を踏み入れれば、部屋の中央奥にある机の上は、山積みに積み上げられた書類でいっぱいになっていた。ちなみに机の持ち主であるはずの室長の姿は見当たらない。
否。見当たらないのではなく、山積みにされた書類に隠れてしまって見えないだけだろう。

「あのですね。大の大人でも、最低数時間の睡眠は必要なんですよ? その辺、わかってます?」
 私は足下の書類を極力踏まないように注意を払いながら、---エクソシストになってから、体術やら護身術やら最低限の身のこなしを叩き込まれていたから出来た動作である---部屋の主がいるであろう机に向かって足を進めていく。

 ホームにいると、度々室長室の書類整理を頼まれるので、ちょくちょく整理整頓をしているのだけれど。この部屋が「書類の海原」から本来の部屋の状態に戻るのは、僅か数時間程度のことである。何せ、この部屋の主は世界中に複数個の支部を持つ「黒の教団」本部の室長様だ。彼が頑張って書類を整理・処理したところで、次々に新しい書類が降ってくるのだから、片づけても片づけても「書類の海原」が無くならないのは当然と言えば当然だ。

 そうして、机の近くまで足を進めることに成功した私は、書類の山の下で埋もれている青年---コムイ・リーに対して声をかけた。と言っても、かろうじて残った気力を振り絞って意識を保っているような状態であるからして、私の言葉が聞こえているのかどうかは定かでない。

「…………室長、コーヒー持ってきましたけど、置き場所ないですね」
 深いため息混じりに、もう一度声をかけてみれば、『コーヒー』の部分にでも反応したのか。
満身創痍の身体を無理して引き起こす怪我人を彷彿とさせる緩慢な動作でもって、コムイは完全に机に突っ伏していた上体を起こした。

「ありがと〜、ちゃん。すぐ飲むから、カップくれる?」
 トレイに乗っていたマグカップへと手を伸ばすのは、見る者に柔和な印象を与える秀麗な面立ちの青年だ。光加減では藍にも見える黒髪、知性の光を灯した双眸も深い漆黒、ほのかな象牙色の肌。東洋人特有の外見特徴を兼ね備えた彼---コムイの目元には、くっきりと色濃い隈が浮かび上がっている。

「瀕死寸前ですね、コムイ。少し仮眠取ったらどうです?」
 ブラックコーヒーを顔色一つ変えずに嚥下する様を、半ば呆れ半ば感心して眺めていた私は、言っても無駄だとわかっていながらも忠告せずにはいられなかった。そのくらい、彼の様子はハッキリ言ってやばかったのだ。

「そうしたいのは山々だけどねぇ……、見てよ、この書類の山。とても寝てる暇なんて…」
 苦笑いというよりも、疲労困憊というのが見てわかる状態で無理に笑みを作ってみせるコムイだが、その言葉を遮って、後ろから複数の声が響く。

「そりゃ、なんだかんだ言って室長がサボるから、こうなるでしょ。
ほい、こっちの書類にも判子お願いしますよ」
「室長。こっちにも判子お願いしま〜す」

 先の言葉は科学班班長のリーバー、次の言葉は同じく科学班所属の所員ジョニーだ。
二人の両手にあるのは、軽く見積もっても高さ二十センチはある書類の束。

 わかっていたつもりだったけれど、現物を目前にするのは初めてだったので、驚きに目を見開かずにはいられなかった。

「……それって、全部急ぎの書類なわけ?」
 現在の状況下でさえギリギリなのに、これ以上追加されてしまっては、本当に倒れてしまう。
私は、明日に回せるものは明日にしてくれ、と言外に匂わせつつ、リーバー班長に訊ねてみるが。

「全部が全部ってわけじゃねーけど、室長がサボるから、結構期限がギリギリのもあるんだよ」
 不本意だと言わんばかりの表情でため息を吐くリーバー班長の言葉に、嘘の色はない。
というより、ここで彼が私に嘘をついてどうなるというものでもないから、当たり前といえば当たり前なのだが。

「確かに、自業自得だわねえ……コムイ。ま、頑張れ…………と言いたいところだけど…」

ちゃん?」
?」

 途中で言葉を切った私を不審に思ったのか。
コムイとリーバー班長が訝しげにこちらへ視線を向けてくる。

 私はそんな二人とジョニーに向かって、ビシリと人差し指を突きつけ、言い放った。

「コムイもリーバー班長もジョニーもその他科学班メンバー全員、働き過ぎっっ!!!
仕事がたくさんあるのはわかるけど、少しは休め!
疲れ切った身体で完徹残業したって、効率悪いだけだ!!!」

「……そりゃ、わかってるけどよ…」
 ガシガシと頭を掻きながら、ため息をつくリーバー班長。
彼もまた、目の下にはくっきりと黒い隈が出来ている。

「効率の良し悪しじゃ、どうにもならない状況に追いつめられてるからねぇ」
 カラ笑いを浮かべるコムイ。どうでもいいけど、自分が元凶だと言うことを忘れてないだろうな。

「誰のせいだと思ってるんスか。あんたですよ、あんた」

「あっはっは。まあ、そんな過去のことは置いておいて。さっさとやるべきことをやらないとね」
 キッパリと事実を指摘するリーバー班長だが、言われた当人はまるで堪えた様子もなく、相手の肩を叩いている。


 …誰か、この阿呆を沈めてくれ。

 一瞬、リナリーのことが頭を過ぎったが、何せ現在の時刻は真夜中。草木も眠る丑みつ時だ。
確かに彼女の鶴の一声には、コムイとておとなしく従うだろうが。サボリ常習犯の兄を叱りつける為だけに、今朝方任務から帰ってきたばかりのリナリーを叩き起こすのはあまりに忍びない。せめて今日明日くらい、ゆっくりと休んで欲しい。切実に。


 さてどうしたもんか、と深々とため息をついたときだ。
 左人差し指が、常時肩掛けしている鞄に触れる。鞄の中身は、エクソシストたる私の対アクマ武器。元いた時代の文明の利器にして、イノセンスと融合状態にあるマイ相棒・モバイルPCの『Loki』だ。
 『PCに入力した文字列・単語の内容を正確に具現化・実現出来る』という特殊能力を持つイノセンスなのだが、どうもこのイノセンスという奴。戦闘時に限らずとも、持ち主の意志に応じて力を発揮してくれるものであるらしい。


「……試してみるか」
 幸いなことに、実験体は目の前にいる。
別に命に関わる実験ではないのだ。思いついたら即実行あるのみ、だ。

 言い合いするコムイとリーバー班長を尻目に、私は鞄の中からモバイルPCを取り出した。

『イノセンス、発動』

 自分の耳にしか届かないような小声で呟いたにも関わらず、私の意志を汲んだイノセンスは発動した。
淡い緑柱色の光を纏って、PCが独りでに蓋を開く。開いた先は、電源ボタンを押すまでもなく、既にPCは起動を終えていて。キーボードが仄かな光を放ち、液晶画面上部には『汝、望む事象を示せ』と文字が、中央には【】が表示され、括弧内で入力待ちのカーソルが点滅を繰り返していた。

 発動させた『言祝ぎ(コトホギ)』に、私は早速一つの命令を下す。

 『眠れ』

 打ち込んだのは、たった三文字。たった一文節。
 されど、力を秘めた短い言の葉に違いはない。


 そして、イノセンスは私の意志のままに、効力を発揮する------------。




「お〜、見事によく寝てるわ〜」

 先ほどまで言い合いをしていたコムイとリーバー班長も、二人の様子をさりげなく蚊帳の外から傍聴していたジョニーも。皆々が床に伏して、健やかな寝息を立てていた。ちなみにリーバー班長とジョニーの持っていた書類は、床にぶちまけられた状態だったが、この部屋に限って重要書類が床にぶちまけられるのはさほど珍しいことでもなかったので、私は敢えて無視した。

 どうせ、明日になれば、また私がこれらの書類を片づける羽目になるんだろうし。
それに、幸か不幸か。皆が床に倒れ伏した際、床に散らばっていた書類の海原が、彼らの身体を優しく受け止めてくれたのだ。
 ああ、よかった。これで、彼らをベッドに運び込む作業をする手間が省けたぞ。
なんたって、ミニマム体型(身長は150センチ未満)の私が、大の男三人をベッドまで運ぶなんて、天地がひっくり返っても無理。絶対に無理なのだから。

 更に私は、モバイルPCに『毛布』と入力、イノセンスの力で毛布を召還する。そうして、召還した毛布を床に突っ伏して眠る三人の上にかけてやったところで、大きく息をつき……、ふと思い出した。

 あちらではまだ、科学班の皆さんが目の下に隈作って、仕事に勤しんでいることを。

「せっかくだから、まだ頑張ってる科学班の皆さんも寝かせてくるか」
 まだ発動させたままのイノセンス『言祝ぎ(コトホギ)』片手に、私は科学班の詰める部屋へと足を向けた。

 班長も室長も寝ているのだから、彼らが睡眠を取ったところで誰も怒るまい。
 否…、怒らせるモノか。





 次の日。やや寝不足状態ではあったものの、お腹が空いたので食堂へ向かってみると。
いつもならば、まず見られない変わった光景が広がっていた。

 広い食堂のあちこちにちらほらと姿が見えるのは、大抵がファインダーか、エクソシストたちだ。他にも教団本部で色々な業務に就く班のメンバーもちらほらと見て取れる。
 例外的に、常日頃二,三日は当然のように完徹する科学班のメンバーたちは、朝食をまともに摂らないことが『日常化』しているため、普段ここで姿が見られることは少ない。にも関わらず、今朝の食堂にはファインダーやエクソシストに混じって、白衣を着た科学班メンバーたちの姿が見てとれた。
 そして、彼ら白衣集団の中で、ひときわ目立つ黒を基調としたエクソシストの団服。彼らの中で朝食を食べるエクソシストといえば、彼女しかいるまい。

 既に確固たる確信を持っていた私は、注文した朝食のトレーを受け取ると、真っ直ぐにそちらへ向かって足を進めたのだった。

「おはよう、リナリー。今朝はまた、随分とご機嫌ね」
 声をかけながら、私はちょうど空いていた少女の前の席に腰を下ろした。

「おはよう、。ふふ、そう見える?」
 頭の高い位置で二つに結ばれた長いツインテールは、艶めく漆黒。
パッチリとした大きな双眸に宿るのは深い闇色、肌の色は柔らかな真珠色だ。
地上に舞い降りた天女を彷彿とさせる、艶麗かつ愛らしい顔立ちは、誰が見ても納得するであろう文句なしの美少女。実の兄同様、他にひけをとらぬ容貌の持ち主であるリナリー・リーは、私の問いに大輪の花がほころぶような笑顔を浮かべて答えてくれた。

 …ああ、朝から素敵過ぎる笑顔をありがとう、リナリー!

「ええ、とても。それって、珍しく食堂で食事を取ってるコムイと科学班メンバーが関係してるのかしら」
 まずは一服と煎茶の入った湯飲みを手に取り、ちらとリナリーの横に座るコムイの方へと視線を向けながら、訊ねてみると。

「コムイ兄さんから聞いたわ。無理矢理兄さんたちを寝かせてくれたんですって?
ありがとう。兄さんに代わってお礼を言うわ」
 輝く笑顔を絶やさぬまま、リナリーは嬉しそうにそう言ってくれた。
ちなみに隣でコムイが渋い表情を浮かべていたが、敢えて見なかったことにする。

 ふふっ。リナリーがそう言ってくれるなら、眠らせた甲斐があったってものよ。

「貴女がそう言うなら、いつでもまた眠らせてあげるわよ」
「本当?」

「ちょ、ちょっと、ちゃんもリナリーも何言ってるの?!」

「そもそも、コムイがサボらず仕事してれば、科学班の人たちももう少し楽に仕事出来るのよ?」

「そうよ、兄さん。文句があるなら、ちゃんと仕事して頂戴」


「……………」
 私だけでなく、リナリーにまで立て続けに言われて、文字通り継ぐ言葉を無くすコムイ。

「返す言葉も無いッスね、室長」
 更に追い打ちをかけるように、リーバー班長の尤もな言葉が発せられる。

 当然のことながら、コムイは言い返すべき言葉を持っていなかった。



 ちなみに。コムイが天の天戸(もとい専用の研究室)にこもって、はたメーワクなロボット作品・コムリン一号を作成し始めたのは、ちょうどこの頃からだったというのは、また別のお話。




*後書き…
・続・「装備イノセンス:PCでエクソシストしてる子がいたらどうだろう?」シリーズ。
今回は日常夢話(若干捏造っぽいとこもあるけど、スルーの方向で)です。
色々考えていくうち、彼女のイノセンスは、戦闘不向きなようで実はそうでもなく、実戦以外の状況でもかなり応用性が高い能力を持っていることに気づいた。
シンプルな方が色々肉付けしやすいというのは、本当だね。納得なっとく。
09/02/14up
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